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▼ おれにコレをどうしろと


 渡されるがままに、その場の流れで唯々諾々と受け取ってしまったが。


 『おれにコレをどうしろと』


 革命軍の主船ヴィント・グランマ号の一室で、エースはサボに渡された手提げカゴを片手に途方に暮れていた。
 閉められたばかりの扉の側に立ったまま、片方の眉を少し上げ、怪訝な目で再度中身を覗き、どうしたものかと残った片手でそばかすの散る頬を掻く。
 とはいえエースの表情とは裏腹に、実際のところ、とんでもない秘密のお宝をプレゼントされたわけでも、逆に見るに耐えない醜悪な何かを押し付けられたわけでもなかった。
 浅くて底の広いカゴの中に入っているのは、白磁のティーポット一つに、揃いのティーカップ二つ、それからやや大きめのスコーンが三つ。折りたたまれた厚手のクロスが、外へ垂れ下がるようにして掛けられているのも何とも上品で──そう、やけに『お上品』すぎるのだ。それがエースの瞬きの回数を徒らに増やしている。
 そもそもエースが革命軍の船へとやって来たのはサボに呼ばれたからだった。偶然ながらもお互いが比較的近い海域に居り、エースが白ひげからの頼まれ事を終わらせた直後に電伝虫が鳴ったため、単なる近況報告は「今すぐ会おう」という約束へと変わった。そう容易く会えるほど海は狭くも優しくもないから、『兄弟』と顔を合わせるチャンスを逃すなんて考えられない。
 そういった次第でエースは喜び勇んですぐさまストライカーを走らせたが、恐らくそのせいで、サボが予想していたよりも遥かに早く着いてしまったのだろう。申し訳無さそうに眉を下げたサボに「ちょっと用事を済ませてすぐ戻るから、先にその辺で寛いでてくれ」と急いで渡されたのが、今エースの片手にさがっているティーセットというわけだ。

「寛げって言われてもなァ……」

 逆に緊張しちまうぜ、と独り言を呟きながらエースは振り返って部屋の中を眺める。所謂『応接室』とでも呼ぶべきか──波をも喰らわんばかりの猛々しい外観の船の割には、随分と落ち着いた内装の一室だ。低いテーブルを二対のソファが囲み、壁際には背表紙も読めないような小難しそうな本が収まった棚まである。思えば、何度か革命軍の船に乗ったことはあったが、甲板で軽く話をする程度だったのでエースが内部に入るのは初めてだった。
 そんな不慣れな場所に、これまた縁のない上品なティーセットを持って立ち尽くす現状。なんだかなァ、と再びエースは頬を掻いた。

「っっつーかサボもよくコレをおれに渡したよな。この皿は焼き菓子用なのかよ。どうやるのが正解なんだ?」

 疑問を口にしつつ指先で軽く触れてみるが、もうそれだけでも割れそうな代物だ。すぐに手を離して、持て余した指先同士を手持ち無沙汰に擦り合わせる。
 たとえ荒々しい海賊稼業といえど紅茶党の輩も中には居るが─見たところ北の海出身の奴に多い─、勿論エースはそうでないし、わざわざ改まって客に小洒落たティーカップまで供するような特別サービスなんて、弟のルフィの船くらいでしか見たことがなかった。それだって、コックであるサンジが一流レストラン出身だからという特別な理由あってのことだ。大抵の海賊船においては歓待といえば良くて酒で、しかも平気で瓶ごと投げ渡すことだってある。
 海賊と革命軍では勝手が違う──そう言ってしまえばそこまでだが、手にしたティーセット入りのカゴを見下ろすエースの気分はどうにも落ち着かない。
 そうこうしている内に不意に扉が開いて、エースは首だけで振り返った。

「わっ! なんだエース、なんで立ったままなんだ?」

 好きに座っても寝転んでも良かったのに、と驚いた顔をしながらサボが入ってくる──何故か山盛りのスコーンが載った銀のトレイを両手に持ちながら。

「いや、なんか、どうしようかと思ってよ……それ取りに行ってたのか?」
「スコーンはついでだ。丁度追加分が置いてあったからありったけ貰って来た──っつっても職権濫用じゃねェからな? ちゃんと交換条件呑んで正式に頂戴したんだ」

 得意げに笑い、サボは「ほら、あっち座ろうぜ」と先に歩き始める。
 向かい合わせのソファに座るのも何だか気恥ずかしいが、とりあえず持て余していたティーセットをカゴごとテーブルの上に置いてみる。山盛りのスコーンをその隣に置いたサボは「この紅茶は冷めても美味いから」と一人で頷きながら、今度は手際良くカゴの中身を机の上へと出していく。
 手伝いのしようもないエースは頬杖をつきながら、対面に座ったサボの姿を改めて見つめてみた。サボにしては随分とラフな服装で、首元のクラヴァットも身につけていない。それどころかコートもベストも着ておらず、腕まくりした白いシャツといつものズボンだけといった様相だから、地位の割に幼い顔と相まって、今のサボはまるで見習い船夫のようだ。
 こういうサボを見るのはエースにとっては久しぶりだった。もっと気を張って過ごしているのかと思ったけれど、想像以上にこの革命軍という場所はサボにとって居心地の良いところらしい。

「──ら、エースが早く来てくれて良かった。グランドラインの天候は──」

 エースが不躾なほどにじろじろと見ている間にも、サボは他愛もない話と共に着々と茶の準備を進めていく。慣れた手つきで繊細なカップを扱うさまには、エースの心にちくりと響くものがあった。結局、エースが何に使うのかと思っていた皿はティーカップの下に敷くためだったようで、あれよあれよと言う間に目の前に供された紅茶は、湯気こそ控えめであったが鼻の奥まで満たすようなとても良い香りがした。

「ほらよ、エース。どうした? なんか静かだな?」
「あー、喉渇いただけ。ありがとな」

 つまらない言い訳をしながら、エースは持ち慣れないカップの小さな取っ手に何とか指を突っ込んだ。酒でも飲むように勢いよく呷れば、慣れないながらも芳しい風味が喉を伝う。
 ちらりとサボをの方を窺えば、サボはソーサーを片手に、もう片手でカップのと手軽くつまむようにして静かに紅茶を傾けていた。今日のサボはいつもよりラフな格好なのに、いつもよりずっと大人びていて、遠い人間のようにすら思えてしまう。たかが紅茶の飲み方ひとつなのに、その佇まいから醸しだされる何もかもがエースの心を波立たせた。
 もしかしたら、とエースは思う。
 元々サボはこういう茶会に慣れているのかもしれない。サボが厭っているとはいえ、元はあの東の海で最も美しいと称されたゴア王国の貴族の出なのだし──そこまで考えてエースはカップを乱雑に机に戻し、その思いつきを己で否定する。そんな様子はなかったのだ。少なくとも、共にグレイターミナルで過ごした頃は。それならやはりこの上品な仕草は革命軍で過ごした十年が培ったものなのか。日夜戦い続ける革命軍がそんなに品位溢れる組織とも思わないが。
 頭が混乱してくる。そもそも、どうしてこんな瑣末なことで、こんなにも焦ったような気持ちになるのか。サボの前でさえなければエースは頭を抱えたかもしれない。

「あー、美味ェ。これコアラが持ってきた茶葉勝手に使ったんだけど、やっぱコレが一番だな」

 そこは職権乱用じゃねェのか、と口を挟むことも出来ない。サボはいつになく口数の少ないエースをどう思ったのか「これも美味いんだ。食ってみないか?」と山盛りのスコーンの一番上の一つをエースに軽く投げて、自分はカゴに元々入っていたスコーンを手に取ってかじりだした。

「──って、サボ、スコーンすげェ食うのな?!」
「ふぉう。ふへェはらヘーフもふへよ」

 お手本のように品のある紅茶の飲み方とは打って変わって、幼い頃にコルボ山で木の実を貪っていたときと同じように、大口を開けて次から次へと食べていく。
 それを見ていると急にすうっと心が軽くなった気がした。そうか、そういうことか。急にエースは合点がいく。どうして他人の飲み食いの仕方なんてものでモヤモヤとした気持ちになってしまったのか──相手が、他でもないサボだからだ。
 生まれ育った場所が違えば習慣が異なるのも気にならないが、サボとは共に育った子ども時代があるからこそ、自分とは違うことがこんなにも気にかかるのだ。サボが貴族社会に居たたった五歳までがどうだったかなんてエースは知らないし、どうでもいい。ただ、『自分の記憶の中のサボ』と『目の前のサボ』の間に横たわる、些細な、けれど一目で分かる差異を思い知るのはどうにも落ち着かない。
 自分の知らないサボがいるのは当然だ、それはエースだってよく分かっている。結局のところ離れていた年数の方がずっと多いのだから。それでも自分の知らないサボの姿はエースに焦燥感を覚えさせるし、同時にあの頃と変わらないままの姿は胸を撫で下ろさんばかりの安堵をもたらす。それが何故かは分からないけれど。

「ヘーフ、ひょふはふぁあふひらへふんはよは?」

 エースの逡巡など露知らず、サボはスコーンを口いっぱいに詰め込んだまま何事か話し始める。リスのように膨らんだ両頬と食べかすばかりの口元が急に幼く見えて、エースはようやく肩の力を抜いた。

「流石におれでも何言ってっか分かんねェよ。っつーか口の周りにめちゃくちゃ付いてんぞ?」

 ほら、この辺、と指摘してからエースも受け取ったスコーンを頬張る。存外味が薄いから本当は何か付けて食べるものなのではとも思ったが、サボは特に何もしていないようだからエースもそれに倣った。別に嫌いな味でもない。
エースが二個目を掴んだあたりでサボが口の中を飲み込んだ。ちろりと覗いた舌が口の端にくっついていたスコーンの欠片を器用にすくい取る。それが何だか目に付いて、エースはスコーンを手にしたまま暫し停止した。

「ん、……エース。今日は長く居られるんだよな? 良かったらメシも食って行けよ」

 そういえば前にもやけに目に焼き付いた気がする、とエースはじっとサボの口元を見つめる。薄淡く色づいた唇は海の男とは思えないほど柔らかそうに見えた。

「聞こえてるか?」
「あ、ああ! 本当か? そいつァありがてェ!」

 再度名前を呼ばれて慌てて何度も首肯する。話を聞いていなかったわけではないのだ。ちょっと他のことを考えていただけで。

「短距離航海だからコックは居ないんだが、持ち回りで作ってんだ。みんな慣れてるから結構美味いぜ」
「持ち回り?」
「そう。おれも本当は今日が当番だったんだけど、エースが来てくれたから替わってもらったんだ。このスコーンの件と合わせて明日から連続食事当番決定だな」

 肩を竦めて見せるが、なんてこと無いというように顔は笑っている。そんなに苦手でもないらしい──食事当番というものが。

「……って、『食事当番』!? サボもメシ作ってんのかよ!?」
「そりゃ勿論」

 おれだけ作らなくて良いなんて話はねェだろ、とサボは続けるが、参謀総長という地位を考えると普通は大人しく椅子に座って待っていれば良いようにも思える。
 とはいえ、サボがそういった特別扱いを嫌うのはエースもよく知っていたし、エースとて流石に船の甲板掃除からは外されているが食料調達の当番には勇んで加わっているので気持ちは分かる。
 しかし、今はそんなことよりも。

「それならおれもサボのメシが食いてェ!!」
「おれのメシっつっても、そんな変わったことしてねェぞ? 普通に煮たり焼いたりするだけだし」
「だって、他の奴らはみんなお前の手料理食ったことあるんだろ?!」

 自分でも不可解なほどの剣幕で、しかしエースは言い募る。サボの手料理が食べたい。他の奴らが食べたことがあるのに、自分が食べたことがないなんて、絶対におかしい。

「そんな手料理なんて言うほどの……、ッ!?」

 急に部屋が傾く。船が大きく揺れたのだ。相当高い波を超えたのだろう、テーブルの上に置いていた品々も勢い良く滑り、特に大きな音を立てたティーポットは中にまだ残っていた紅茶を勢い良くエースのズボンへとぶちまけた。

「おっと!」
「わ、エース! 大丈夫か?! 火傷してねェ?」

 お前にそんなこと聞くのも変だけどよと続けつつ、サボはひどく慌てた様子で、行儀悪く机に膝をついてまで身を乗り出してくる。既に温くなっていた紅茶は─エースの食べた悪魔の実とは無関係に─それほどダメージにはならなかったが、ぐっしょりと濡れたズボンをサボがクロスで拭おうときた瞬間、エースを思いも寄らぬ衝撃が襲った。

  机の上でほとんど四つん這いになったサボが、
  焦ったように腕を伸ばして、
  濡れたエースのズボンの、
  太ももの付け根のあたりまで触れて、
  その指先の感触が、
  最早、それどころか、
垂れ下がった前髪の合間、
伏せた睫毛の長さまでも──何もかもが。

 一気に跳ね上がる熱、一気に音を増す鼓動。正直“反応”してしまうのではないかと危惧して、エースは慌ててサボを押し留めて腰を引く。
 ちょっと待て、とエースは思う。何だかさっきからおかしい。今日の自分は普通じゃない──いや、前からこうだった気もする。これって、もしかすると。

「平気かエース? 下着まで濡れてねェか?」

 こちらの気も知らずに問いかけてくるサボの、気遣わしげな上目遣いすら今は何だかずるい。
 心の奥底から乱暴に掴み出してしまった感情はあまりにも予想外で、しかし『そう』と悟った途端に全ての不可解さが風に花が舞うように消え失せる。

 そしてエースは再び途方に暮れる──こんな気持ちを自覚してしまったところで、相手は『兄弟』、相手はサボだ。一体全体、おれに“コレ”をどうしろと。

 顔赤くないか、と悪気もなさそうに問いかけられても、自覚したてのエースにはその理由なんて到底答えられるはずもない。
                      【完】




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