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▼ おれのキラキラ


 ──ない。どこにも、ない。

 ダダン達から独立して作った木の上の秘密基地で散々食べて散々笑って、今夜はもう眠ろうとなったその時にルフィははたと気付いた。
 先日グレイターミナルで拾ったルフィの『お宝』がどれだけ探しても見当たらないのだ。

 ──せっかく、おれのものにしたのに!

 サボが『カレイドスコープ』と呼んだその小さな筒は、覗きこむとキラキラとした色とりどりの世界が広がっていて、少し傾けただけで魔法のようにその輝きの色と形が一変する、不思議な道具だった。
 少し重たいガラス製の細筒は外側にも巧緻な細工が施されていて、サボはきっと貴族の子弟への贈り物だろうと語っていた。造り自体は簡単で所謂子どものオモチャだから、どうせすぐに飽きて捨ててしまったんだろう、とも。
 ともあれ、拾ったルフィの手から問答無用でそれを取り上げたエースは、筒を覗きこんで「おお」と感嘆な声を発しつつも、すぐさま「高く売れそうだ」と口端を引き上げた。
 いつものルフィならば、エースにそう言われれば「自分の手柄だ」と喜ぶところだ。しかし、その時ばかりは、ルフィは小さな筒の内側に無限に広がるキラキラとした世界を手放すのがどうしても惜しかった。
 そして始まった「売る」「売らない」の言い合いは、過去の失態まで引き合いに出しての取っ組み合いの喧嘩にまで発展しかけたが、連戦連敗の弟に勝ち目がないことを不憫に思ったのだろう、すぐさまサボが間に割って入って「確かに高く売れそうだけど、最初に見つけたのはルフィだ。ルフィに従おう」と執り成してくれた。
 その代わりちゃんと大事にするんだぞ、とそう続けられたことまで思い出せば、『お宝』を失くしてしまったルフィの顔色はますます青くなるばかりだ。

「どうしたんだルフィ、百面相の練習でもしてんのか? もう寝るぞ」

 拾い物のガラクタじみたランタンの灯を消そうとしていたエースが、怪訝な顔でルフィを見る。

「さっきからキョロキョロ落ち着かねェな。何か探し物か?」

 すっかり寝支度を整えていたサボも気遣わしそうに首を傾げてくるものだから、二人の視線に晒されたルフィは咄嗟に口笛を吹きながら何でもない素振りをしてみせた。

「な、なんも探してなんかねェよ
「「うそ下手ッ!!!」」

 不自然に反らした目の泳ぎっぷりと、唇を尖らせたばかりでろくに鳴ってもいない口笛に、エースとサボは思わず声を揃える。

「分っかりやすい嘘ついてんじゃねェよ、百年早ェ!」
「あ、もしかしてルフィ、お前、あのカレイドスコープ失くしたんじゃ、」
「な、なな、失くしてねェ!」

 急に図星を突かれたルフィは遮るように大声で叫んだ。
 本当は高く売れるはずだった品物を「大事にするから」と約束してわざわざ自分の物にしたのだ。それを今更失くしたなんて、言えるはずもない。

「その……べ、別のところに、置いてきただけで、失くしてねェ……」

 慣れない嘘と拭えない罪悪感はあからさまに語尾を澱ませる。口笛を吹く真似もやめて、ルフィは自分の服の裾をぎゅっと握りこんで俯いた。

「……あっそ」

 俯いた頭の上から、エースの冷たく突き放した声が落ちてくる。

「じゃあ持って来て見せてみろよ。今すぐ」
「エース」

 窘めるようにサボが名を呼ぶが、エースの言葉は止まらない。

「ルフィ、おれは別にお前が『カレーのスプーン』を失くしたからって怒らねェよ。お前の宝だ、おれのじゃねェ」

 カレイドスコープな、というサボの訂正に「うるせェ、何でもいいんだよ!」と焦ったエースの声が続くも、ルフィは未だに後ろめたくて顔を上げられない。

「でも、兄弟に嘘をつくのは違ェだろ。失くしたなら失くしたって素直に認めろよ! チビのお前が物失くすのなんて初めてじゃねェんだしよ!」

 ──おれだって、失くそうと思って失くしたんじゃねェのに!

 語気の荒いエースの糾弾にカッとなって顔を上げるも、反駁したいルフィの気持ちとは裏腹に、両眼からは大粒の涙が落ちてしまう。また泣き虫と怒られると分かっていても、悲しくて悔しくてどうにも涙が止められない。

な、失くしてねェもん!」

 後に引けないルフィは、なおも嘘をついて必死に頭を横に振る。それを据わった目でじっと見ていたかと思うと、エースは合図も無しに手にしていたランタンの炎を吹き消した。一瞬で真っ暗になった部屋に、淡い月の光だけが残る。

「ああ、そうかよ! じゃあもういい、さっさと寝ろ泣き虫!」

 寝る時までビービー泣いてたら蹴っ飛ばすからな、と脅してエースはさっさとルフィに背を向けてしまう。何か言いたげだったサボも、結局そのまま静かに横になった。
 蹴飛ばすと言われたところですぐに泣きやめないルフィは、一人でそのまましゃくりあげていたけれど──その内に泣き疲れて自分でも知らぬ間に眠ってしまった。

 そして、翌日。
 何だかいつもと空気が違う気がして、ルフィは泣き腫らした瞼を擦りながら目を覚ました。
 何度か目をこすってから、違和感の正体に気付く。

 ──エースとサボが居ねェ。

 外はまだ夜とも朝ともつかない薄暗がりなのに、二人の気配はどこにもなく、がらんとした秘密基地にルフィはひとりきりだ。
 言い知れぬ不安と共にそっと窓から大木の下を覗いてみるが、やはり二人の姿は影も形もない。

 ──おれが嘘ついたから、もう、『兄弟』やめちまうのかな。

 交わした盃と繋いだ絆がこんなことで、と想像しただけでとてつもなく悲しくなってしまい、ルフィは急いで秘密基地を飛び出した。
そして半分泣き声の滲んだ、それでも喉から出る限りの大きな声で姿の見えぬ二人を呼ぶ。

「なー! 二人ともー! どこに居るんだよー!?」

 おれが悪かったよ、置いてかないでくれよ。そうやって何度も声を張り上げても、悲痛な声はやまびことなって戻ってくるばかり。
 冷酷なほどにしんとした静けさを取り戻す明け方の山々を前に、ルフィは鼻水をすすり上げ、溢れてきた涙を腕で拭った。
それから口を一文字に引き結び、嗚咽をごくりと飲み込んでから再び大きく開ける。

「エースー! サボー!」

大事な兄弟の名を呼びながら、ルフィは薄暗い山々の中を一人駆け出した。


   ■

 川の真ん中で膝まで水に浸かりながら探し物をしていたサボの耳に、その声は微かに響いた。

「──ん? 今、誰かに呼ばれなかったか?」

 山中に響いた遠いやまびこは反響し、名前をはっきりと聞き取れるほどではない。サボは背を伸ばして声のした方向を見つめるが、少しばかり木々がざわめくばかりで、獣の気配すらなかった。

「こんな時間から誰も呼びやしねェよ」

 集中していたためかやまびこが聞こえなかったらしいエースは、顔も上げずに目を皿のようにして川の中を探し続けている。
 その真剣な顔を見て、サボは落ちてきた半ズボンの裾を濡れた手で乱雑にまくり上げながら呆れ声を出した。

「しっかし、素直じゃねェよなあ、エースも。こんな朝日も昇りきらねェ内から黙って探しに出るくらいなら、あんな風に泣かさなくても良かったじゃねェか。『明日一緒に探そうぜ』って一言言えば済んだだろ?」
「サボは甘ェんだよ。あいつが嘘ついたのは事実だからな。おれは兄弟の間に嘘も秘密も許さねェ」
「……そりゃ、そうだろうけどよ」

 ぽつりと呟いて僅かに顔を伏せたサボと、丁度入れ替わるようにしてエースは顔を上げる。顎を伝う汗を手の甲で拭ってから、幅の広い川の流れを見渡す。

「昨日の狩りはこの川だけだったし、落として気付かねェとなったらきっと『ここ』だろ。あのカナヅチ、何度か溺れかけてたしな」

 エースだって、ルフィがあの宝物を大事に持ち歩いていたことを知っている。望遠鏡のように何度も覗いては飽きもせずに「キラキラしてる」と、それこそ目を輝かせんばかりにはしゃいでいたのだ。その辺に置き忘れてくることなど有り得ないだろう。

「絶対に先に見つけて、あの泣き虫野郎の目の前に突きつけて、もう嘘は言いませんって誓わせてやる」
「とか言って本当は、ルフィがあんなに大事にしてた宝物失くしちまったの、可哀相だって思ってんだろ?」
「んだよ、いちいちうるせェぞサボ! そっちちゃんと探してんのかよ!」

 ニヤニヤ笑いで本音を暴くサボにエースが顔を紅くしながら怒鳴っていると、遠くからではあるが、今度こそ聞き覚えのある声がはっきりと耳に届いた。

エースぅぅぅぅぅぅ! サボぉぉぉぉぉぉ!」

 大声で叫びながら山の中から飛び出て来たのは、まだ秘密基地で寝こけているはずのルフィだ。頭のあちこちに葉っぱや小枝まで付け、手も足も泥だらけになっている。

「ルフィ!? お前、どうしてこんな早くに、」
「ごめんよ、おれ、嘘ついた、本当は、」
「バカ、足元見ろ!」

 鋭くサボが叫ぶも僅差で間に合わず、ルフィは「へ?」と間の抜けた声を上げながら川縁の石に躓き、頭から勢い良く水面へダイブした。慌てたエースとサボが全速力で駆け寄って河原へ引き上げれば、ぐっしょりと濡れたルフィは「じ、じぬかとおぼっだ……」と目を白黒させている。

「ったく、何がしたいんだお前は!」
「自分がカナヅチなの忘れんな! バケツいっぱいの水でも人は溺れ死ぬんだぞ!」

 仰向けに寝かせたルフィを覗きこみながら、エースとサボが口々に言い募る。それが自分のことを心の底から心配してのことだとルフィにも分かったから、びっくりして止まっていた涙も再び溢れだした。

「ひぐっ、嘘ついで、ごめん、おれ、あのキラキラ、失くしちまうくらいなら売れば良がっだのにって、言われるんじゃねェがって、思っで、それで、」

 ごめん、ごめんなさい、と泣き声の合間に何度も繰り返すルフィに、エースとサボはお互いに顔を見合わせる。
 少し困った様子で頬をかいたエースに、サボは促すように小さく頷いた。

「……分かりゃいいんだよ、分かりゃ。さっさと起きろ」
「今ちょうどこの辺で落としたんじゃないかって探してたんだ。一緒に見つけようぜ、ルフィ」

 僅かにそっぽを向いたエースに、眉を下げて微笑むサボ。それぞれの表情は違うけれど、二人ともその手をしっかりとルフィへと差し伸べてくれる。
ルフィの濡れた瞳で見上げる先で、漸く昇ってきた太陽の光は川の水面に反射し、眼前の二人の姿を縁取るように輝いた。

「あ…………『キラキラ』」

 あの宝物のカレイドスコープで覗いたような、否、それ以上に瞳に留まるような輝き。
 思わず放心したように呟くルフィに、「は? キラキラって……見つけたのか?!」「どこだ? 灯台下暗しってやつか?」とエースとサボは慌てたように周囲を探し始める。
 キラキラした風景の中、キラキラした兄達が、キラキラした宝物を探しているのが何だか可笑しくて、さっきまで泣いていたのが嘘のようにルフィは声を上げて笑った。

   ■

 食材の買い出しをしてくるから大人しく待っていろ、と言われて素直に待っているようなルフィではない。
 初めての島なのに冒険もしないだなんて勿体なさすぎる。たとえそれが小さな店ばかりが並んだ、なんてことのない普通の街であっても。

「何か欲しい物があったら言ってよね。値段にもよるけど」

一人で行かせられないからと一緒に付いてきたナミが、珍しく財布を片手にルフィへと問いかける。

「別に欲しい物なんて──あっ! あの変な銅像イイな! 黄金のフンコロガシか、かっけェな!」
「はい却下! あんなのサニー号に置かないで!」

 欲しい物があったら言えという割にはコンマ数秒で却下するナミだったが、ルフィも別にどうしても欲しいわけではないので特段文句も言わずに次々と店を見て回る。ゴムゴムの実の能力で首を伸ばしてまで見るものだから、路傍の店員や客たちは目の錯覚かと何度も瞬きをしていた。
 そのうちに道端に小物や雑貨を広げただけの露店へと差し掛かり、そこでルフィは「あ、」と小さく呟いてからしゃがみこむ。もうちょっとゆっくり歩きなさいよ、等と言いながら後ろを付いてきていたナミも「あら」と隣にちょこんとしゃがみこんだ。

「へえ、万華鏡? 随分と高級そうな作りだけど」
「ウォーターセブンで作られた特別な万華鏡だよ。カレイドスコープとも呼ばれててね、中々手に入らない逸品だ」

 行商は抜け目ない声音で「さあ、どうぞ手に取ってご覧あれ」とルフィとナミにそれぞれ手渡してくる。
ルフィの手に置かれたのは、まだ東の海で兄弟と三人で暮らしていたころ、ルフィが見つけた『あの宝物』によく似ていた。随分と軽く、小さく感じるけれど、きっとそれはルフィの手が大きくなったからなのだろう。
 ルフィはしゃがみこんだまま、片目を瞑ってそのカレイドスコープを覗きこんでみる。やはりその中には─あの時の物と全く同じではないだろうが─キラキラとした世界が広がっていた。赤から青、青から黄。転がせばその度に色と模様が変化して輝く。

「──欲しいなら買ってあげるわよ。今日は特別だし」

 珍しく黙ったままカレイドスコープを覗き込むルフィの姿に、何かしらを感じ取ったのだろう。ナミは優しい声でそう言うと、「その代わり本気でねぎらせてもらうけどね」と続けて謎の気迫で行商を怯えさせる。
 しかし、ルフィはあっさりとカレイドスコープを目元から外すと、怯えた行商へと返してから「いや、良いんだ」と続けて麦わら帽子のつばを引く。

 結局、あの時失くした『あの宝物』は、三人がかりで一日中探しても見つからなかった。ガラス製のそれは砕けて流れて行ってしまったのかもしれないとエースとサボは自分のことのように肩を落としていたけれど、その時のルフィはもう嘆かなかった。そして、今もまた、ルフィはそれを新しく買い求めたいとも思わない。


「──おれはもう、『キラキラ』、いっぱい持ってっから!!」


 それより肉だー!と立ち上がってルフィは両腕を突き上げる。はいはいそれじゃサンジくんと合流ね、と肩を竦めてナミも立ち上がる。
 しっかり者の航海士の財布の紐も特別緩いことだし、今夜の宴はいつにも増して豪勢なものとなるだろう。
 何より、これまでルフィが集めてきた大事な『キラキラ達』が、船で主役の帰りを待っているのだから。

                       【完】


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