▼ 酔わせたつもりが酔わされて
サボが飲んでると、本当に水みてェだ。
ゴロツキ共の集まる夜の酒場のカウンターで、『それ』を最後の一滴までやすやすと飲み干してからサボが笑いかけてくる。
「──美味ェな! エースの見つけてくる店はいつも良い酒ばっか出してくれる」
「おう……まァな」
爽やかさすら感じるサボの笑顔に対し、応えるおれの顔はどこか引きつっていたかもしれない。それはカウンターの向こう側から目配せを送ってくる酒場の店主も同様だろう。ちらりと視線を遣れば、青ざめた店主は信じられないとばかりに小さく首を横に振ってすらいた。
それもそのはずだ。たった今サボが顔色一つ変えずに飲んだのは、この店でも一本しか無いという『とっておきの酒』なのだから。
とびきり強くて、おれが飲めば身体ん中で引火しちまうんじゃねェかというほどの代物を、言っちゃあなんだがこの店の中でも一番アルコールと縁の遠そうな顔したサボが平気でカラにしちまうんだから、店主だって度肝を抜かれたに違いない。
「っと悪ィ、エース。あんまり美味くておれ一人で飲んじまった。なあ、おっさん、同じ酒はもう無ェのか?」
「あ、ああ、もう、うちにはそれ一本だけで……どうか勘弁してください……」
可哀相に、店主はサボの一挙手一投足に子犬のように震えて怯えてちまっている。
サボとの待ち合わせ前に強い酒はあるかと訊ねた時には「この店は荒くれ者御用達だ、口説きたい女が居るからって『うちの一番』を飲ませたら相手は一口でひっくり返っちまうぜ? やめときな」なんて妙な勘違いをしつつも豪快に笑っていたというのに、その時の自信など見る影もない。
「──おれの分はいいさ、サボ。他にも酒はある」
哀れな店主に「適当に珍しい酒でも出してくれよ」と頼んでから、おれは片肘をついて顎を乗せ、通算幾度目かになる『失敗』の苦々しさを奥歯で噛み潰した。
「それにしてもお前、相変わらず……酒強ェな」
そう、サボは酒に強い。
しかも並大抵の強さではなく、おれが知っている中でも圧倒的に群を抜いている。
おれのような海賊稼業ともなれば、ウチのおやじを筆頭に酒好きは多いが、それでも多少は酔って気分が良くなるのを楽しむのが常だというのに、サボと来たら、今まで一度たりとも酔ったことがないのだというのだから驚きだ。
どんな酒でも水を飲むのと正直変わらない、とまで平然と言われると、最早それ酒飲む意味すら無くねェか?とすら思ってしまうが──サボ曰く「水は航海中に腐っちまうけど酒は腐らねェからな」とのことで、要するに、よく分からねェが酒を飲むこと自体は好きならしい。
そういった理由もあってサボは顔に似合わず酒なら何でもかんでもよく飲むので、いつからか、おれはサボと会う時には事前に島一番の強い酒を求めて店々を回るようになっていた。
度数が強ければ強いほど「美味い」とサボが喜ぶため──だけなら良かったのだが、実のところ、おれが見たいのは『それ』ばかりじゃない。
サボの、酔っ払ったところが、見てみてェ。
酒の強さで負けたのが悔しいなんて問題でもなかった。
ただ、一度も酔ったことがないと言われちまうと、どうしても気になって仕方がないのだ。おれみたく陽気になるのか、それともまさかの泣き上戸なのか──想像しただけでも好奇心はムズムズと膨れ上がる。
それに、未だに誰も見たことのないサボの姿があるというのなら、『それ』を最初に見るのはおれが良いに決まっている。ここ十年分くらい見逃してきたサボの『初めて』が沢山あるんだから尚更だ。
一つくらい、おれしか知らないサボの一面があったって良いじゃねェか。
とはいえ、同じ兄弟でも別にルフィ相手にゃこんな風にムキになったりしねェんだけどな。
サボ相手だと張り合っちまうのかな等とぼんやり考えていると、モヤモヤとした気持ちが体の奥でとぐろを巻いてしまうので、おれは吹っ切るように目の前に置かれたジョッキを呷った。
「──って随分甘ェな、この酒!」
「ああ、そりゃあこの島の名物のマタタビ酒でさァ」
少し顔色のよくなった店主は柔和な笑みと共に説明してくれる。本来は青臭いマタタビを甘いミルク風味にして飲みやすくした酒で、度数の低さも相まってこの辺りじゃ子どもでも口にするほどらしい。
「へェ。まあ、飲みやすいっちゃ飲みやすいけどよ……サボはもっと強い方が好きだよな?」
変わった酒を頼んだのは自分だが、おれだって乳臭い酒よりはもっとキツいもんが飲みたい。サボほどではないが、おれだって酒には十二分に強い方なのだ。
「なあ、次は別の酒に……って、お前、どうした?!」
話しかけても返事がないと思えば、真横に座ったサボは何故か帽子をカウンターに置き、コートを平気で脱ぎ落として、中に着ていたベストのベルトまでカチャカチャと音を立てながら外していた。
思いもしねェ急な行動に呆気に取られたおれは、無言のサボが手袋のまま器用にベストのボタンを外し、胸元のフリルタイを緩めるのをじっと見物してしまっていたが、その手がシャツのボタンにまでかかるに至って、慌ててサボの肩を掴んだ。
「待て待て待て! 何いきなり脱いでんだよ!」
「ん? あちィから……」
「暑いって、」
そこでやっとサボが顔を上げ、おれは一瞬息を呑んだ。
珍しく下がった眉に、とろりと溶け落ちそうなほど大きく潤んだ瞳。
頬を中心に紅く染まった顔の中で、特に色づいて薄く開かれた唇。
くつろげた襟元の中までピンク色に染まっていて、ほう、と吐く息は酒臭いのにどこまでも甘い。
これって、まさか。
「んだよ、エース……こんなあちィのに、おれに服着てろっていうのか?」
どことなく据わった目をしたサボが濡れた唇を尖らせる。
「そりゃあまあ、普段全然服乱さねェのに急に脱ぐのは、その、」
じっと見つめられたおれは、まるで咎められたかのようにサボの肩から手を離す。何の罪だかも分からねェけど、自分の言葉がやけに言い訳じみているのは事実だ。
でも実際、脱ぐのはまずいだろ? まずいっての。こんな店の中だし、色んな奴がサボのこと見てんだから、なんつーか、アレだ、勿体無ェ。
「ああ? じゃあおまえも着ろよ、おまえが着ろ、んな格好で、いつも……」
サボは何が不満なのか、「おれの気も知らないで」と続けながら徐々に顔を俯かせていく。
ここまで来れば、おれも『まさか』なんて欠伸の出るようなこと言ってられねェ。
「……サボ、酔ってんのか?」
「酔ってねェよ。おれ、酔ったことれェもん」
サボは即答と共にグイッと顔を持ち上げたが、全然呂律が回ってねェ。
これは完全に酔っている。しかも、想像してなかった『絡み酒』だ。
「んんー? エースこそ、酔っちまったんじゃねェの? 顔あけェぞ?」
「いや、おれはラム酒以外はこのマタタビ酒くらいしか飲んでねェし……っつーか、まさかマタタビで酔ったのか?」
「よってねーって。よってるのは、えーすだろ?」
間延びした声を出しつつ、サボはおれの顔を下から覗きこんで悪戯げに微笑む。それこそ、まるで猫みてェだ。
驚くおれに「ごく稀にマタタビが効いちまう奴も居るとは聞くが……」なんて店主が呟いちゃいるが、目の前の『酔ったサボ』の刺激が強すぎて、おれはカウンターの向こうへ視線を動かすことも出来やしない。
サボは「あつい、あつい」と繰り返しながらも、おれの肩口に寄りかかってくる。柔らかい金髪が素肌にくすぐってェ。ごくりと唾を飲み込む。肩を組んで歩くのは平気だってのに、何故か今のおれは酷く緊張していた。
多分サボの様子がいつもと全然違うからだ。どこもかしこも潤んで、色づいて、柔らかくて、それでいて、そう、『妖艶』な──。
自分の連想にカッと身体の熱くなったおれに気付いたのかどうか、サボはふふ、と小さく笑うと、更に凭れ掛かるように体重をかけ、おれの胸にぴたりと頭をくっつけてきた。
「……えーす、心臓の音すげェ。やっぱ、よってるだろ?」
そう言って胸元でケラケラと珍しく高い声で笑われた途端、疑いようのない衝動が体中を駆け巡った。
無理だろ、これは、こんなの……とんでもねェよ。
しかし、酔っぱらいの乱行はこれくらいでは終わらない。スッと、物足りなくなるくらいの潔さで身体を離したかと思うと、サボはおれの手をぎゅっと掴み、自分の『シャツの中』へとそのまま招き入れた。
「分かるか? ……ほんとは、おれも、どきどきしてる」
よってんのかなァ、等とはにかみながら今更なことを問われても返せる言葉があるはずもない。
大人になって初めて触れたサボの素肌は、酒のせいかしっとりとして熱くなめらかで、それでいて、待てよ、この指先に感じる尖った感触は──ああ、畜生ッ!
頭の上から店主の「連れ込み宿なら三軒先でさァ」と呆れたような声が降ってくる。
酔ってないのにクラクラと理性は揺れて、熱暴走しそうな頭と身体でおれは必死に考える。
はたして、どこまで酒のせいに出来るだろうか。
【完】
※サボくんはマタタビ酒飲んだあたりから記憶飛んでるやつです