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▼ いつもの二人(ゲスト寄稿)


 部屋の電気を落とし、小学生の頃から使っている学習机の電灯だけをともして、サボは並んだ二台のスマートフォンを眺めていた。
 一台は己の物だが、もう一台は違う。橙色の派手なカバーには持ち主のバイト先のマークが大きく描かれていて、ディスプレイには買った翌週に入ったヒビがそのまま残っていた。
 無断で操作すれば、割れた画面の中には先月遊びで撮ったプリクラの、異様に目の大きくなった『兄弟』三人の画像が表示される。
 不慣れなポーズもさることながら、「最強兄弟」だの何だのとふざけた文字の踊る画像は今になって見返せば心底馬鹿馬鹿しいものだが、率先して落書きしたのはサボ自身だったので文句の言いようもない。
 ただ、こんな画像をロック画面にしていて毎回よく噴き出さないものだとは思う。

 深夜零時を回った今、並んだ二台のスマートフォンはどちらも震えはしない。
 当たり前だ、連絡を待っている相手の電話がここにあるのだから、幾ら眺めたって無駄に決まっている。
 けれど、サボは固い机に肘をつきながら、ぼんやりとそれを眺め続けた。

 暫くして、階段を上がってくる気配がする。
 玄関を開けた音はしなかったはずだが、もしかしたら自分でも気付かない内にうたた寝してしまっていたのかもしれない。
 サボは目元を掌で拭うと、扉の方へと顔を向ける。学習机と小さな本棚で二分割されているが、この部屋の扉はサボ側にしかない。

「サボ、起きてたのか」

 待ち人であるエースは、風呂すら終えているようで、サボと色違いのスエット姿で、濡れ髪のまま首にタオルを巻いている。
 片手にはペットボトルのコーラ。そもそもコーラが飲みたいと言って出掛けて行ったことを思い出して、サボは急に虚脱感に襲われた。
 なんでコーラ一本買いに行くのに数時間かかるのか。
 理由は知っていても、どうにも納得行かない。

「……宿題してた。おかえり、エース」
「ただいま。そっか、悪ィな」

 きっと宿題なんてしていなかったことは分かっているのだろう。机の上には偽装工作の教科書ひとつ広げていない。
 それでもエースは何気ない様子で謝罪をしてから部屋へと入ってきた。

「あ、おれのケータイ。無いと思ったんだ」

 座るサボの後ろから覗き込むようにして、エースは己のスマートフォンを机上から取り上げる。
 壊れてなくて良かった等と安心しているが、サボから見れば最初から壊れている部類だ。

「ルフィが拾って帰ったんだ。明日、お礼言っとけよ」
「あいつ、あの状況で気が利くじゃねェか。流石おれ達の弟だな」
「『流石』じゃねェよ。ルフィを泣かせやがって」

 数時間前、泣き喚きながら帰ってきたルフィは「エースが、エースが」と何度もしゃくりあげながらも、根気よく問いかけるサボに応えて事の顛末を話してくれた。
 いわく、夜のお出かけだとはしゃいだルフィのためにエースがわざと遠いコンビニまで足を伸ばした結果、エースの噂を聞き知っていたらしい不良どもに絡まれたらしい。
 多少なりとも治安の悪い高校に通っているならば『火拳のエース』の名前を知らない者はいない。
 ついでに言えば、制服姿のままだったのがアダになったのだろう。
 かくして、ルフィを逃した後、エースはそのまま残って夜にも関わらず売られた喧嘩を高価買取したということだ。
 助けに行ってやるかとも思ったが、どうせ場所を移動しているに決まっている。
 おまけにスマートフォンを落として連絡の取りようもないとなれば、サボに出来るのは涙の止め方を忘れてしまった弟を、「エースは強いから大丈夫だ」と宥めて寝かしつけることくらいだった。

 そう、確かにエースは強い。

 ルフィに言い聞かせながら、サボは自分にも言い聞かせていた。
 信用している、信頼している、きっと誰よりもサボが──それでも無言の電話を、その持ち主を眺めるような心地で見つめ続けてしまったのだけれども。

「……って、おい、エース。随分色男になってんじゃねェか。相手四人だったって聞いたけど」

 電灯に近づいたエースの頬が腫れ、唇の端からは血が滲んでいる。
 顔を殴られたのだろうが、エースともあろう者が顔面に一発喰らうなんて最近じゃ珍しい話だ。
 驚きに声を上げて振り仰げば、極々至近距離にあるエースの唇が不満げにねじ曲がる。

「確かに四人だけだったけど、初っ端にやられたんだよ。やべェとは思ったけど、後ろにルフィが居るのに避けらんねェだろ」

 どうやら相手はかなり好戦的だったようで、因縁をつける手間すら惜しんで仕掛けてきたらしい。
 人違いだったらそれはそれで問題ないと考えたのだろう。或いは、全く何も考えていない連中だったのかもしれない。

「無事で何よりだけど、あんま顔に傷つくんなよ。ダダンがうるせえぞ」
「いいんだよ、おれは。お前の王子様みたいな顔とは違ェし」

 エースは唇を尖らせてそう言うと、それからすぐに口の端の傷が開いたために「痛ッ、地味に痛ェ」と顔を顰めてみせた。
 さらりと口にされた言葉は、きっとエース以外から言われれば随分遠回しな嫌味だと感じられたことだろう。
 つい、己の顔に残る大きな火傷の痕を撫でそうになったサボだったが、その手を代わりにエースの腫れた頬に添えた。
 そして、指先で思い切りつねりあげる。

「──いっへえええ!! ひゃにすんだ、ひゃぼ!」
「あんま騒ぐなよ、ダダンが起きる」

 階下の心配を口にしつつも散々つねってから開放すれば、エースは恨みがましい顔で己の頬を両手で押さえながら涙目で睨みつけてくる。
 火拳のエースという大層な二つ名からは程遠い姿だ。

「一回寝たダダンが起きるかよ! なんだ急に!」
「なんかムカついて」
「そんな理由でおれの怪我に塩塗るのかよお前は!」

 噛みつかんばかりに吠え立てるエースを前に、座ったままのサボはじっとその顔を見上げながら、いささかトーンを下げた声で呟く。

「……何もこんな時間に喧嘩買うこたねェだろ、ルフィ抱えて逃げりゃ良かったんだ」
「……ヤだね。兄貴の尊厳に関わる」

 目を僅かに細めてエースが答える。
 そうだろう、そういう奴だ。ルフィが居るというのに背を向けるエースなど想像すら出来ない。
 それでもサボは言わずに居られなかった──半ば八つ当たりだという自覚はある。

「それに買い物する前だったしな」
「コーラくらい帰りにどっかで買えば良かっただろ」
「いや、この辺でくじ残ってんのあの店舗だけで、」

 そこまで言ったエースが、あからさまに「しまった」という顔をして固まる。
 だが聞き逃してやるほど優しいサボではない。

「エース、お前またコンビニのくじに手ェ出しやがったのか!」

 予備動作なしで立ち上がり、エースの首にラリアットをかまして机とは反対側のベッドへと勢い良く叩きこむ。
 元々二段だったのを一段に崩した安っぽい造りのベッドは大きく軋んだが、荒っぽい『運動』をしても壊れないのは経験上分かっている。
 そのまま馬乗りになって、痛むであろう頬を再度指先の力だけでつねってやれば、必死な様子でエースが腕を叩く。
 多少は力を弛めてやったが見下ろす視線の温度は変えない。
 ルフィを連れてコンビニへ行くのは良いとしても、わざわざ遠くの店舗まで行ったというのはどうにも怪しいとは思っていた。

「ギブギブ! 今回だけ、今回だけだって! どうしても海賊シリーズ欲しかったんだよ!」
「毎回そう言うじゃねェか、小遣い無くなっても絶対貸さねェからな!」
「バイト時間増やしてもらうから大丈夫だって!」

 エースもルフィもコンビニで売っているくじやゲームセンターのガチャガチャの類が大好きで、しかもタチの悪いことに欲しい物が出るまで諦めないのだ。
 そのツケが回って最終的に雁首揃えて「小遣い貸してくれ」とサボの前で正座してみせる姿などとうに見飽きている。

「ったく……、っておい」

 己の下に敷いた身体が、反省など知らないような傲慢さで首に腕を回してくる。
 そのまま引き寄せられ、鼻がぶつかる寸前でエースが悪戯げにサボの唇をぺろりと舐め上げてきた。
 犬のような他愛もない仕草だが、見つめた瞳の奥には既に獰猛な炎が灯っている。

「──実はよ、さっき喧嘩したら火ィついちまって」
「それもいつも言うよな」

 吐息さえ頬を擽るような距離で、呆れを隠さぬままにサボは呟く。
 けれど、提案に乗らないとは言っていない。
 エースの濡れた髪に指を差し込みながら、今度は自分から唇を寄せる。
 切れた口の端の傷口を探るように舌を動かせば、焦ったようにエースに絡め取られて──それが何だかとてつもなく面白いことのように思えて、サボはすっかり機嫌を良くしてしまった。

   ■

 おまけのピロートーク

「そうだ、エース、お前が揉めた奴らって例の高校の二年だろ? あそこの番長、隣町の町外れのゲーセンでよくたむろってるらしいから一度潰しに行っとこうぜ。コンビニ行くだけで喧嘩売られても面倒だしよ」
「いつも思うけど、サボってマジで切り替え早ェよな」


【完】




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