▼ Bitter Coffee, Sugar Kiss!!(てのひらエーサボvol.1)
くあ、と大きく欠伸をしてエースは目覚めた。
そして、すぐさま傍らの熱が足りないことに気付いて不満気に身体を起こす。
目当ての相手は、ベッドからそう遠くない小さなテーブルに新聞を広げて優雅に寛いでいた。
「……サボ。起きたなら起こせって言ってんのに」
「おう、エース。おはよう」
開口一番低く唸ってみせたエースだったが、それに物怖じするような相手でもない。
サボは手にしていたマグカップを軽く持ち上げて、余裕めいた笑顔まで浮かべてみせる。
寝ぼけ眼を擦りながら焦点を合わせれば、いつものきっちりとした格好ではなく、まだズボンとシャツだけだった。エースが特別寝坊したというわけでもなさそうだ。
「サーボー?」
「分かった分かった、朝っぱらからそんな拗ねるなって。ったく、エースは朝になると甘えん坊だなあ。そこからここまで、二メートルも離れてねェだろ?」
ガキじゃあるまいし。そう言ってサボはくすぐったそうに声をはずませる。
むしろエースとしては、ガキの時分の方がまだマシだったようにも思う。
少なくともあの頃は、サボが自分の腕から黙ってすり抜けるだけで焦ることなんてなかった。
勿論、昔は今と違って、健全に身を寄せ合って眠っていただけだったのだけれど。
バツの悪い気持ちで頬を掻きながら、ベッドを後にしてサボへと近づく。
そのまま軽く身を屈めて、座っているサボのこめかみ辺りにキスを落とせば、サボは満足気に目を細めて受け入れた。
気を許した猫のようなその仕草がたまらなくて、エースの身体の奥で昨夜散々鎮めたはずの熱に僅かに火が灯る。
でも今日はサボがこの街を経つ日だから、朝から無茶は出来ない。残念ながら。非常に残念ながら。
エースはサボの頭に自分の顎を乗せるようにして、テーブルに広げられた新聞を覗きこむ。
わざわざ外で買ってきたはずもないから、きっと部屋の扉の下にでも差し込まれていたものなんだろう。
サボはよくこうやって新聞を読んでいるが、エースはあまり興味がない。
つまりは新聞を一緒に読む振りをしながらサボの邪魔をしたいだけなのだ。
サボも慣れたもので、後ろからのしかかられようと気にせずカップを傾けてすらいるのだが。
そこで、エースは鼻孔をくすぐる香りに思い至る。
連れ込み宿と紙一重な安宿にはそぐわないような、ふわっとした深くて柔らかい香りだ。
「うん? これコーヒーか? んな洒落たもん、こんな宿にあったんだな」
「いや、おれが自分で持ってきたんだ。ここ、湯も沸かせねえから下に降りて作ってきた」
「おいおい、部屋の外まで出てんのかよ」
前言撤回。
サボはエースを置いて部屋の外まで出ていたらしい。新聞ももしかしたら外で買い求めたのかもしれない。まったく、昨夜の情熱が嘘のような余裕っぷりだ。
むしろ夜はサボの方が甘えん坊だというのにと思えば、この温度差にはちょっとばかりエースの男としてのプライドが揺らいでしまう。
『満足』させられなかったとは決して思わないけれど。
「エースの分も必要だったか?」
サボは複雑な男心──サボも男だが──には気付いていないらしく、とんちんかんな気遣いと共にエースを振り仰ぐ。
「まさか。それ苦いやつだろ」
「だよな」
ホッと胸をなでおろすように息を吐いてから、サボはまた一口コーヒーを啜る。
「わざわざ持ってきて飲むほど好きだっけ」
「いや、うーん、どうだろう。おれも特別苦いのが好きってわけじゃねェし……目を覚ます効果があるから、必要な時に飲んでるって感じだな。『儀式』みたいなもんだ」
うんうんと一人頷くサボだったが、エースとしてはあまりピンと来ない。
自分がコーヒーを飲まないからかとも思うが、それにしたって『儀式』とは不思議だ。
「──そういや、いつも『こういう朝』にばっか飲んでるよな?」
サボがエースの腕からそっと抜けだして、先に一人でコーヒーを飲みながら朝を始めるのは珍しいことではない。
しかし、思い返してみれば、いつも滞在期間の最終日ばかりだった気がする。
「その、えっと……なんつーか、その、切り替えなきゃって……思ってて、うん」
ふとした思いつきで発した問いだったにも関わらず、サボは妙に焦ったように目を彷徨わせてあからさまに口淀む。
怪しむエースが思い切り顔を覗きこめば、観念したのか重く鈍った唇をおずおずと開いた。
「お前と過ごす時間ってあんまり幸せで夢みてェだから、ちゃんと現実と向かい合うために目覚めなきゃいけねえって自分に言い聞かせてんだよ。って言わせるなバカ」
そう言って瞳を潤ませたサボの顔には、余裕めいた仮面など欠片も見当たらない。
「────い、いい、言えよバカ!」
それこそ子どものように言い返してからエースは頭を抱える。
なんだよサボ、こいつ、冗談みてェに可愛い、可愛すぎてこのままじゃ帰せない。
いっそ苦いコーヒーすら中和するほどの甘いキスを仕掛ければ、夢の延長も出来るのだろうか。
【完】