Novels📝



▼ きみぞしる味覚


 ドラゴンの不在を聞かされて、正直エースはホッとした。
 サボにとって育ての親も同然となれば、所謂『彼氏』の立ち位置であるエースとしては、若干ドラゴンに対し構えてしまう節があるのだ。
 ルフィの父親ならば良い奴なのかもしれないと思うが、ガープの子どもと考えれば、幼少の骨身に滲みきったあの理不尽さを思い返して苦々しくもなる──いずれにせよ親は親、子は子だと、誰よりエースはそう考えているのだけれども。
 そんなわけで緊張感から一気に解放されたエースは、手土産に持ってきた菓子折り─二番隊内で話題になっていたワノ国由来の菓子だ─を革命軍の幹部らしき相手に丁重に渡してから、サボへと向き直った。

「居ないのは分かったけど、サボ、出られねェの?」

 そもそもエースがこの革命軍の本拠地に寄ったのは、サボを迎えに来たに過ぎない。
 ここからは少々遠いが、とある島で年に一度の祭りが開催されているため、期間中に一度くらいは行ってみようぜという話になっていたのだ。

「ああ。ドラゴンさんが突然出て行っちまったから、代わりにやらなきゃならねェ仕事があるんだ。本当、あの人、風みたいな人なんだよ」
「へえ。まあ、サボさえ良ければ終わるまで待つぜ」
「そう言ってくれると助かる。すぐ終わるはずだから」

 申し訳なさそうに眉を寄せたサボだったが、しかし、すぐに「あ、」と小さく声を上げてから笑顔へと表情を変える。

「そうだエース、おれの部屋来いよ。まだ一度も案内したことなかったもんな」

 思いも寄らない申し出にエースは目を丸くした。
 『サボの部屋』というものがあることすら考えていなかったものの、そう言われると俄然興味が湧いてくる。
 でも散らかってるんだよなァ、等と悩む素振りを見せつつ頬を掻く恋人に対し、エースが「行きたい絶対行きたい」と即答したのは、言うまでもない。


  ■


 『あのね、今、家の人、誰も居ないの……』──などという設定で始まるエロ本を読んだことがある。
 エースの名誉のために言うが、あくまでも隊員の持ち物を貸してもらった形だ。
 とはいえ、彼女の家、彼女の部屋、良い意味で生活感に満ちたその場所で、家族が帰ってくるのを警戒しつつ、というシチュエーションは現在の状況と少し重なるところがあって、エースはほんのちょっと期待していた。エロ本とは違い、他の革命軍の面々が大量に居ることは一旦置いておく。あくまでも、サボが普段過ごしている部屋で二人きりになれる、ということに胸が躍るというだけの話だ。
 ところが、サボが「ちょっと散らかってるけど」と言いながら扉を開けた途端、甘い考えは霧散した。

 散らかっている──なんてもんじゃない。

 入ってすぐ真正面に大きな執務机が置いてあったが、まずそこまですら辿り着けない。
 床から直接生えているのではないかというほど高低様々な書類の山で埋め尽くされ、そうでないところには武器やら何やらが詰まったコンテナのような物が乱雑に置かれ、とにもかくにも一歩たりとも歩を進められないのだ。
 無論、机の上はもっと酷い有様で、こんもりと積もった紙束と紙屑のおかげで奥の壁の窓は窓枠くらいしか確認出来なかった。
 あまりの光景に口をあんぐりと開けてしまったエースだったが、サボは特段気にかけていない様子で、「ここは書類仕事用ってところだな」と暢気に解説をしてくれている。

「で、寝起きしてんのはあっちの扉の奥。エースはあっちで待っててくれるか? 酒くらいはあるし。寝酒用だけどな」

 『あっち』と言われて見たのは部屋の左隅、扉型にくり抜かれた壁の向こう側のようだったが、まず、そこまでどうやって行くのかがエースには分からない。
 しかし、サボは慣れた様子で、ギリギリ靴一つ分程度の隙間をぴょんぴょんと跳んで室内を進んでいく。
 エースも慌てて続いたが、漸く辿り着いた先は更に酷かった。

「……ちょ、っと待て、サボ! お前どこで寝てんの?!」
「ん?」

 寝起きしていると言った割にはベッドなど影も形もなく、先程の仕事部屋よりも更に雑多なもので床は埋まり、家具とおぼしき物は適当にかけられた服やコートのせいで『何』かも分からない体たらくだ。
 唯一整頓されているのは壁に横架けにされている何本もの鉄パイプと、同じ壁面に飾られたエースとルフィの手配書だけ。
 どちらかというと書庫兼武器庫と言った方が頷けるが、荒くれ者だらけの海賊船でも武器庫はもう少し片付いている。およそ身体を休める場所ではない。

「どこで寝てるって……あそこだよ。ハンモックあるだろ」
「ハンモック?!」

 サボの人差し指が向けられた先には、部屋の隅を渡すようにして斜めにかけられた小さな布切れがあって、確かにエースと同じ体格でも身体を丸めれば眠れないこともない……かもしれないが、あれではコルボ山の頃の方が広い寝床を擁していたというレベルだ。
 お前は小動物か、と言いたい気持ちをグッと堪えて、エースはやや唇と引きつらせながらサボへと顔を向けた。

「サボさ……部屋、片付けねェの? ちゃんと寝る場所作れよ、あれじゃ海賊船のボンクより狭いぜ。こんな二部屋もあるのによ」
「うーん、それコアラにもよく怒鳴られるんだけどなァ。あんま得意じゃねェんだよ、片付けるのって」
「おれ手伝おうか?」
「いや、まず報告書なり何なりを処理しねェと片付かないんだ。書類仕事が結構多くてよ」

 サボの言によると、革命軍というのは代理戦争をする集団ではなく、新しい時代を切り拓くべく戦っているため、紛争を終結させるたびにおびただしい数の『戦後処理』が必要となるのだそうだ。
 解放した国が、差別されていた民が、それぞれ己の足で再び歩めるようになるまでサポートするのも革命軍としての役割の一つらしい。
 大体の仕事は参謀部の面々が行うものの、最終的に参謀総長であるサボが処理しなければならない案件も多く、また、今後のためにもプロセスを守って書面を残さなければならないとあって、本拠地を長期間空けるともう手がつけられないのだという。

「──それに、おれも結局こういう仕事より外で戦う方が性に合ってるからよ。どうしても苦手なことは後回しになっちまう」
「意外とややこしいんだな」

 山賊に育てられ、海賊として生きているエースだから、そういった小難しいこととはあまり縁がない。
 サボは昔から頭良いしなァ等とぼんやり考えていると、不意にサボが呟いた。

「……っつーか、ごめん、エース。もっと片付けてから呼べば良かったな」

 忸怩たる声音でそう言ったサボは、恥じ入るように目線を伏せる。

「グレイターミナルで暮らしてたせいか、散らかってる場所のが落ち着いちまう──ってのもあるんだ。記憶取り戻す前からこんな感じだったから根が深ェかも。幻滅させちまった?」

 痛ましい苦笑と共に冗談めかしてサボが肩を竦めるものだから、エースは答えるよりも先にその身体を抱きしめた。書類の山を崩してしまった音が足元からしたが、今はもうそれどころではない。

「……バカじゃねーの、サボ。幻滅なんて有り得るはずねェって」
「エース……」
「それに、グレイターミナルどうこうって言うんならおれだって根が深ェさ。おれのファーストキスの味はお前が一番良く知ってんだろ?」

 ──むしろサボだけが知っている。
 あのゴミ山で、半ば事故のように意図せず奪ったサボの唇は、けれどエースにとって初めての感触だった。
 味は最悪だったが、あの時のキスは一生忘れられないだろう。
 背に手を回したまま、同じ思い出を持つ唯一の相手に笑いかけたエースだったが、サボはというと僅かに片眉を上げて訝しんだように口を開く。

「なにお前、あれカウントしてんの?」
「えっ、嘘、サボはあれカウントしてねェの!?」
「うーん、腐ったアップルパイの味ってのはなァ」

 サボはわざとらしく小首を傾げて思案してみせる。
 どうやらサボとしてはファーストキスとカウントしたくない代物だったらしい。
 ゴミ山でアップルパイを拾い食いしたエースが不味そうに顔を歪めたのをサボが腹を抱えて笑ったために、エースが口移しで無理矢理サボにもそのアップルパイを食べさせた……というのが二人のファーストキスだと思っていたのはエースだけなのか。
 なおも「アレがファーストキスの味かァ」とぼやくので、エースは片手でサボの顎先をすくい取って挑発をしかける。

「分かったよ。そんじゃ、どういう味のキスが好みなんだ?」
「それこそ、お前が一番知ってるだろ?」

 挑発に挑発で返してくるサボの瞳に、先程までの悲しげな光はもうない。
 いつものサボに戻ったことを喜びつつ、エースは深いキスを仕掛けようとほんの少しだけ体勢を変えた──のだが。

「あっ、エース、それは踏んじゃいけねェ書類だ!」

 先程までの色気はどこへやら、サボはそう小さく叫んで「踏んで良いのはその左のやつと後ろのやつ」と続けた。

「何、どれ?! っつーか踏んで良い書類ってなんだよ!?」

 どんなに散らかっていようと構わないし、それがあの日々に由来するなら尚更だ。
 けれど、いちゃつくスペースもないのは如何なものか。
 こんな風に床も壁も使えないんじゃナニも出来やしない。あとで少しだけ片付けようとエースは密かに心に決めるのであった。

【完】


※寝酒があるのは眠れない夜が多すぎたせいです(これは生存IFだけど「実はエースは生きていた!」設定のもの)


- ナノ -