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▼ しずかなる早暁


 バルティゴの白土で作った壁には珍しい特性がある。
 目には見えない無数の小さな穴が空いており、そこに入り込んだ『音』を吸着するのだ。
 そのため会議の時でも幹部が顔を寄せ合って話す必要があるし、時には筆談を余儀なくされることさえあるのだが、盗聴妨害の白電伝虫を使ってでも対処しきれない原始的な方法──例えば鳥や悪魔の実を食わせた動物に盗聴器を仕掛けて探り回るような情報収集術に対しては非常に効果的でもあった。
 しかも、大きな声では決して言えないのだが、助かるのは『それ』ばかりではない。


   ■


 参謀総長の執務室兼寝室、すなわちサボの私室は革命軍本拠地の奥まった場所に位置している。
 他の例に漏れず、バルティゴ産の白土で作られた壁に囲まれた部屋は白く、架けられたサボの黒いコートが浮き立って見えるほどだ。
 サボの部屋を一言で表すならば、『整然』だろう。
 塵一つ落ちていないほど磨き上げられている、というわけでは決してないが、元々少ない身の回りの物はきちんと整頓されて収まるべきところに収まっており、参謀総長自らが洗濯しているベッドのシーツもきちんと四隅まで整えられている。
 壁の片側に備え付けの本棚には暗号化された重要書類がきちんとファイリングして並べられており、ささやかながら鎮座している私物の書物も、修繕の跡が目立つものの丁寧に扱われていた。
 繊麗さの見え隠れする外見とは裏腹に非常に豪胆な作戦行動に出るサボだから、大抵新しく革命軍に入った者が執務室に来ると『部屋と言動にギャップがある』とでも言いたげな顔をする。
 とはいえ、サボとしては自分が『帰還出来なくなった』時に革命軍の動きが鈍るようなことがないように、誰がいつこの部屋を『継いで』も大丈夫な状態を維持しているだけで、特段綺麗好きという話でもなかった。

 事実、参謀総長室には、たった一つだけ『整然』という言葉から程遠い区画が存在する。

 部屋の一角で違和感を放っている、両腕で抱えるほどの大きさの古びた箱。
 元は宝箱だったのが、蝶番が壊れたので今は蓋の部分を取り去ってあって中身が剥き出しになっている。
 そこに入っているのは、ちょっとした酒の瓶であったり、どこかの島の民芸品であったり、センスは良いが価値は分からないアクセサリーの数々であったり、あるいはサボと同じサイズの、しかしサボ自身の趣味ではないシャツやズボンであったりした。

 つまるところ、それらはすべて、サボの部屋にありつつもサボの物ではない。
 この部屋を訪れる恋人、エースの『忘れ物』なのである。

 勿論エースは白ひげ海賊団二番隊隊長であり、決して革命軍に属したわけではない。
 だが、サボが直々に総司令官であるドラゴンに掛け合った結果、特別にこのバルティゴの本拠地、それも機密情報に溢れた参謀総長室へ自由に出入りすることが認められているのだ。
 ドラゴンとしてもサボやルフィの義兄弟であるエースのことは特別視しているのだろう。
 そういう『お墨付き』もあって、入り浸るというほど頻繁に来ているわけではないが、航海の合間に時間が合えば必ずエースはやって来る。
 沖合の海賊船からストライカーを出して、リュックに入る程度の簡単な荷物だけを携えて単身訪ねてくる形なのだが、その『簡単な荷物』ですらエースはよく置いて行ってしまうのだった。
 忘れてるぞ、と後から連絡しても当然「次に行った時に持って帰る」と返答されるので、そう重要な物ではないのだろう。
 片付いたサボの私室を、雑多なエースの私物が静かに侵食していく──それが何度か続いた後、どうもこれは『わざと忘れている』のだとサボは気付いた。
 恐らく願掛けに近いのだろう。気持ちは痛いほど分かった。
 また会えるという自信はあっても確信はないのがこの世の常だ。
 サボ自身、誰にでも後を任せられるようにと整えた部屋の中にあって異彩を放つエースのその『忘れ物』の存在が、「あの部屋に帰らなければ」と足を踏ん張らせてくれる切欠になったこともあった。
 しかし、それは戦場での話であって、部屋に居る時においてはエースの『忘れ物』は些か問題をはらんでもいた。


   ■


 ベッドに腰掛けたサボは、組んだ指を額に当てるようにして僅かにうなだれながら、しかし部屋の隅の箱へとちらりと視線を送った。
 ──エースの、匂いがする。
 戦地からたった今戻ったばかりのサボの中では、未だに炎のような闘志が燻っている。
 若い身体は疼く興奮を容易く性的なものへと変換させてしまい、つまるところ、サボは今とても──セックスがしたくてたまらなかった。
 そんな時に、愛しい恋人の気配が漂うその『箱』の存在は、食べたくても食べられないご馳走を並べられているも同然だ。
 この部屋の防音性を最大限に活用して過ごした夜の数々すら思い出されて、自然と興奮はサボの身体を硬くする。
 ──エースに連絡してみようか。でも、会いに行くまで我慢出来ねェかも。
 そもそも連絡したところで近くに居るとも限らない。
 どうしたものか、と熱い吐息を零してみても、一度嗅ぎ取ってしまった香りは気付けば気付くほど鮮やかさを増すばかりで、慣らされた身体は既知の快楽を求めてやまない。
 サボはおもむろに立ち上がると、フラフラとした足取りで隅の箱へと近づいていく。
 ──こんなの、絶対、良くねェよな。
 いっそ泣き出しそうな気持ちにすらなりつつも、しかし、サボは手を伸ばさずには居られなかった。

「──良くねェけど、ごめん、エース」

 届くはずのない謝罪を口にしながら、サボは箱の中からエースのシャツを取り上げる。
 無論、洗濯はしておいたものなのだが、それでも洗剤の合間から香るエースの気配は、更にサボの身体を震わせた。


   ■


 金属を打ち付ける音が響く音でサボは目を覚ました。
 吸音性の壁だからこそ、木製の扉には鋼鉄製のドアノッカーが据え付けられていて、それを誰かが外から鳴らしているのだ。
 起き上がったサボは自分が碌に着替えもせずにそのまま寝落ちてしまったことに気付く。
 時計を見てみれば五時を少し回ったところ。流石に夕方までは寝ていないだろうから早朝なのだろう。
 朝食にはまだ早いが、一体誰が……と考えたところで急にその気配に思い至った──昨夜、罪悪感と快感の間で揺れ動きながらも縋りついた『気配』と同じだ。
 慌ててベッドから飛び起きて扉を開け放つ。そこには想像した通り、エースの姿があった。

「ど、どうして、エース」
「よう、おはようサボ。近くまで来たから寄ったんだ、驚いただろ……って、それ、おれのシャツだよな?」
「えっ!?」

 指摘されて見てみれば、サボは寝ぼけたまま、昨夜『使った』エースのシャツを片手に握りしめたままだった。

「違うんだ! いや違わねェけど、そういうんじゃなくて、」
「どうしたんだよ、サボ。何が違うんだ?」

 エースは不思議そうに首を傾げていたが、サボの顔をじっと見つめると急ににんまりとした笑みを浮かべた。

「……成る程な。ったく、んな可愛いことするなら映像電伝虫にでも撮っておいてくれよなァ」

 何かを、否、何もかもを理解したように頷きながら、エースは真っ赤な顔をしたサボを再び部屋の奥へと押しやりながら後ろ手に扉を閉める。
 所はバルティゴ、壁は白土。
 しっかりと施錠までされた部屋の中で今からどれだけの声が響こうと、今日も革命軍は静かな朝を迎えるに違いない。


【完】


※別に良くないこと一個もないけど『良くない』と思うところがイイなという話
※バルティゴの白土うんぬんは当たり前に全部捏造



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