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▼ サボはワルツが踊れない


 革命軍からの急用、というのは本当に急を要していたらしい。
 最初はベッドの中から気怠げに電伝虫に応えていたサボが、すぐさま目つきを変えて飛び起きる。
 ただ、今すぐ宿を飛び出して向かうような内容ではないようで、現にサボは下着一枚で部屋の中を歩き回りながら何か指示を出しているばかりだ。
 赤い痕の目立つその姿を目で追っていると、不意におれへと向き直ったサボが申し訳なさそうに口パクし始めた。

『わるい、さきにメシくいにいってくれ。おわったらテキトウにおいかける』

 おれとしちゃ別にここでサボを眺めていたって構わなかったが、おれに聞かれてマズイこともあるのかもしれない。
 分かったと頷いてから床に落ちていたズボンを拾い上げて履き、机の上の帽子を手に取る。お気に入りのアクセサリーも身に付ければ、いつもの格好の出来上がりだ。よくサボは「もうちょっと服着ろよ」なんて言うけど、パンイチから十秒で出掛ける準備が整うんだから楽でしょうがねェ。
 まだ申し訳なさそうに片目を細めるサボに、大丈夫だと言う代わりに軽く手を挙げて部屋を後にする。本当はこめかみにキスの一つでも落としたかったが、激励のつもりでもサボは慌てちまうだろうから我慢した。
 夜はあんなにノリノリなのになァ。



『サボはワルツが踊れない』



 町外れの安宿から店の立ち並ぶ中心部までそぞろ歩き、骨つき肉のデカイ看板がかかっている店の前で立ち止まる。
 ──腹減ってるし、サボもいつまでかかるか分からないからマジで先に食っちまおう。
 そう決めたおれは、まさに店に入るその寸前で気付いた。財布持ってねェ。帽子のところに置いていたと思うが、うっかり忘れてきちまった。
 まあ、無いもんはしょうがねェから食ったらごちそうさましてトンズラするしかないな。逃げたり隠れたりすることにはなるが、それでもサボならおれのこと見つけられるだろう。
 よし、それじゃ改めて……と足を踏み出すタイミングで後ろから誰かにぶつかられた。

「おうおう兄ちゃん、こんなとこでボーッと突っ立ってんじゃねーぞ!」
「そうだそうだ、アニキの邪魔するんじゃねーよ!」

 振り返ってみれば、おれより背の高いモヒカンの男と、その半分くらいの背丈の小太りな男が二人並んで睨みつけて来ていた。なんつーか、海賊のおれが言うのもなんだが絵に描いたようなチンピラだ。

「アイタタタタ、腕が折れたかもしれねー! どう落とし前つけんだテメー!」

 兄貴と呼ばれたモヒカンの方がわざとらしく片腕を押さえて喚き立てる。

「そりゃ随分弱っちい骨だな? 綺麗に折ってくっつけた方が強くなるかもしれねェぞ、手伝ってやろうか?」
「おいテメー、アニキになんて口ききやがる! この辺のモンじゃねーのか?! いいから痛い目見ないうちに有り金寄越しな!」
「おいおいめんどくせェな……おれは無一文だし諦めろよ」
「メシ屋に入る直前だったのに無一文なわけねーだろ!」
「いや、食い逃げしようと思ってた」
「堂々と言うな、ちゃんと金は払え!」
「そもそも朝からこんな脂っぽい肉食おうとすんな!」
「おれが朝から何食おうが勝手だろうが。一晩中はしゃいで腹減ってんだよ!」

 っつーかそんなことまできにするなんて、さてはこいつら良い奴だな。しかし、そうなると更に面倒だ。問答無用で再起不能にしちまうってのは流石に夢見が悪ィ。
 どうしたもんかと思案しているのをふてぶてしいと受け取ったのか、男たちは更に大きな声を上げた。

「クソ、こんだけコケにされちゃ見逃しておけねえ……勝負だ!」
「おっ、良いのか? そりゃ助かる」

 本人が良いと言うなら構わないだろう。
 おれが両手の指をボキボキ鳴らしながら笑顔で問うと、小さい方の男が慌てたように両手を振って止めにかかる。

「バカ、暴力なんてそんな野蛮なことするわけねーだろ! マジでこの辺のモンじゃねーな?!」
「確かにおれはこの辺の者じゃねェけど……なんだ? しりとりでもすんのか?」

 冗談だろと鼻先で笑ったが、モヒカンの男は真剣な瞳でニヤリと唇を吊り上げると、人差し指で空を指差しながら吠えた。

「この辺じゃ揉め事やケンカはこうやって勝負して解決すんだよ……ミュージックスタート!!」

 もう一人が持っていた音貝(トーンダイアル)のスイッチを入れたらしく、急に辺りに陽気な音楽が流れ始める。そのリズムに合わせているやら居ないやら、モヒカン男が妙な動きをし始めた。小男はその動きにあわせて「やべー!」だの「すげー!」だのと囃し立てている。

「……なんだこりゃ」

 思わず呟けば、前衛的なキメポーズと共にモヒカン男が答える。

「無論、ダンス対決だ!」

 ああ、今の踊ってたのか。呪われし準備体操かなんかかと思ったぜ。

「そんなん、どうやって勝ち負け決めんだよ」
「ダンスの力量の差が分かれば自然と心が折れるってもんよ……どうした、そっちのターンだぜ? それともおれ様の華麗なステップに既に心が白旗あげちまったか?」
「変な風習だなァ。まあ分かった、とりあえず踊りゃいいんだろ」

 ったく仕方ねェなあ、とボヤいてから流れっぱなしの音楽に合わせて簡単にステップを踏む。しかし曲は良いな、もしかしたらルフィんとこの音楽家の曲かもしれねェ。
 アップテンポな曲に自然と身体は動き、ターンを決めてから肩を上下させてみせた。

「まるで宴の余興だな。で? この後どうす、」
「ぐあああああ!!」

 どうすんだ、と問いかけようとしたおれを遮ってモヒカンの男が奇声をあげて膝を折る。

「な、なんてダンスパワーだ……完璧に制御された筋肉、天性としか思えないリズム感、華やかに男らしく、それでいて軽やかなステップ……まさか伝説のジャンゴさんの生まれ変わりか?!」

 誰だそりゃ。

「あ、アニキの心を折るなんて……!」

 骨だけじゃなくて心まで折れやすいのかよ。とはいえ、さっきのダンスもどきの時に思いきり動かしていたの見てるし、同情はしねェけど。
結局、突然因縁つけてきて突然踊り出した愉快な二人組は、おれが呆然としている間に財布と音貝を地面に置いて逃げて行った。一体何がしたかったんだ、あいつら。
 まあいい、とりあえず貰えるもんは貰っておこう。拾い上げた財布をポケットにしまい込むと存外ずしりと重かった。これは食い逃げする必要もなさそうだ。
 しかも、顔を上げると丁度サボがやって来るのが見えた。思ったより早かったな。
 サボはきっちりといつも通りの服を不足なく着込んでいて、さっきまでキスマークだらけの身体に下着一枚で歩き回ってたのが嘘みたいだった。

「エース! 待たせて悪ィ!」

 鉄パイプをぶんぶん振り回しながら駆け寄ってくるサボの表情は明るい。これならで電伝虫の向こう側も問題なさそうだが、一応聞くだけ聞いとくか。もし「今すぐ出なきゃならねェ」なんて言われたらショックだからな。

「サボ、もう大丈夫なのか?」
「ああ。停戦協定の内容で揉めてるってだけだ。結局最後は『弱気になるな、自由を勝ち取れ!』ってハッパかけた」

 おれの出番は無いさと笑ってから、それは良いんだが、とサボは続ける。

「ほらお前、財布忘れてったろ。メシどうしたんだ? おれ、腹減ったから肉食いてェんだけど」
「おっ、サンキュ。メシまだだから一緒に食おうぜ、この店はどうだ?」

 財布を受け取りながら目の前の店を顎で示したおれは、「ここの金、おれが出すから一番良い肉にしようぜ」と笑いかける。ポケットの中の重みを、ここで活用しない手はないからな。





 昨日はロクに町も見ずにさっさと宿にこもってしまったから、食後に少し散策してみようということになった。小さい町だが、二人で並んで歩けばそれだけで楽しい。

「そういや、エースがあんなに金持ち歩いてるなんて珍しいじゃねェか」
「ああ、さっきのメシ代か。リンジシューニューがあったんだ、言うの忘れてた」

 積もる話が楽しすぎて、サボが来る前に起きた変な出来事のことなんてすっかり忘れていた。
 実はな、とおれは語り始める。二人組のチンピラに絡まれたこと、この近辺では喧嘩は暴力でなくダンスで決着をつけること、そして心が折れたらしいチンピラ達が財布と音貝を置いて逃げて行ったこと──おれが話を続けるにつれて、何故かサボはどんどん無表情になっていく。
 もしやチンピラ相手でもカツアゲしちゃマズかったんだろうか。

「あーっと、違うからなサボ、金は向こうが勝手に、」
「いやまあそれは構やしねェけど……殴った方が早くないか?」
「へ?」
「いちいち踊ったりするより、殴った方が早ェよな」

 サボの瞳は真剣そのもので、冗談を言っている風でもない。

「そりゃそうだけど……なんかこの辺はそういうの野蛮らしいぜ」
「野蛮上等だろ。ダンスで戦うとか意味わかんねェ」

 そう言うとサボは興味なさそうに視線を逸らす。何にでも好奇心旺盛なサボにしちゃ滅茶苦茶珍しい反応だ。
 なんだ、これは、もしかして。

「……サボ、踊れねェの?」

 恐る恐るといったおれの言葉に、サボは黙ったまま、こくりと頷いた。

「──嘘だろ?! 宴んときとかどうすんだよ、お前のとこ、あからさまに踊り狂いそうな奴居るのに」

 あのデッカい顔の奴とか、と付け加えるとサボは少し間延びした声で「あー、確かにあいつらよく踊ってるな」と答える。

「サボそんとき何してんの」
「手拍子とか」
「て、手拍子……」

 それはそれで可愛いけど。

「勿体ねえな、踊ってみろよ! 楽しいぜ?! サボなら絶対上手く踊れるし。良かったらおれが、」
「だからおれは踊れねェんだって」
「何だよそれ。踊ってから言えよな」

 妙に頑ななサボの態度に、おれもついつい語調が荒くなる。
 すると、隣を歩いていたサボが急に足を止めた。そして大きく息を吐くと、うんざりしたように呟く。

「踊ってたんだよ、昔。その……『家』に居た頃に」

 数歩進んだところで、おれも足を止めて振り返った。サボはおれの足元あたりに視線を向けたまま続ける。

「三歳の頃からだったかな、貴族の嗜みだって専門の家庭教師にワルツを教えられてたんだ。でもいつまで経っても上手く踊れねェから、レッスンの度に鞭で打たれたよ。両親も『どうしてそんなに下手なんだ』『そんなんじゃ舞踏会に行けない』っていつも怒ってた。全く、くだらねェよな?」

 嘲笑めいて語尾を上げるサボだったが、その嗤いはサボ自身にも向けられているみたいに聞こえた。
 なんだか、気分が悪ィ。

「……ってわけで、その頃から踊るのは苦手なんだ。だからエース、この辺でおれが絡まれたら代わりに踊ってくれるか?」

 おどけたようにそう言ってサボは顔を上げるが、おれはその顔を真正面からじっと見据える。そんな風に冗談めかして話を終わらせようなんて許さねェぞ。

「らしくねェな、サボ」

 昔のことをそんな風に語るのも、ましてやそんな風に痛ましげに笑うのも、いつものサボらしくなくて心がざらつく。
 まるであの時みたいだ、灰色のゴミ山で、おれたちに背を向けて、「お父さんの言う通りに生きるから」なんてサボが口にした、あの人生最悪の──。

「──お前はもう『貴族の息子』なんかじゃねェだろうが。そんなガキの頃にその辺のいけすかない大人に『下手だ』って言われたからって、それでもう諦めちまうのかよ? 『サボなら絶対踊れる』っておれが言ってんのに、お前はおれよりもそんな奴らの言うこと信じるのか? そんなの有り得ねェだろうが」
「エース……」

 サボがそれこそガキみたいな目でおれを見つめてくる。揺れる青い瞳、やべェ、言い過ぎたかも。でも本心だからおれも撤回する気はなかった。
 道の真ん中に二人して突っ立ったまま、居心地の悪い沈黙が流れる。
 だが、その沈黙は数秒後、乾いた音で破られたーーサボが自分の両頬を挟むようにして強く叩いたからだ。

「っし……!! 悪ィ!! 気合い入れ直した!!」

 そのまま何度か軽く頬を叩いてから、サボは表情を和らげて肩をすくめる。

「ったく、さっきまで電伝虫で『弱気になるな、自由を勝ち取れ』とか偉そうに励ましてたってのに、そのおれがこのザマじゃしまらねェよな」

 ありがとうエース、とサボがおれを見て笑う。結構な強さで叩いたらしく頬が少し赤くなってしまっていたが、それは『いつものサボ』の笑顔だった。

「……ついでと言っちゃなんだが、おれにダンス教えてくれよ。おれもエースと踊ってみてェんだ」

 愛しの恋人から、はにかむようにして頼まれたおれの答えなど、たった一つしかないに決まっている。


 ──というところまでは、まあ、良かったのだが。


 羽根のように軽やかなターンに、遅れてひらり追いつくコートの裾、チラリズム。
 袖と手袋の間に見え隠れする素肌、言わないけどちょっと覗いてる首筋の赤い痕、エロティック。
 前後左右自由自在に動く引き締まった腰に、いやがおうにも思い出される燃える夜、プライスレス。

「どうだ、エース?」
「すっっっっっっっげェ良い、完ッ璧…………」

 そして、同時に、物凄く悪い。目の毒的な意味で。
 数十分前から、善は急げとばかりに町の奥の広場で始めたダンスの特訓。
 おれの予想通りサボはほんの少し教えただけですぐに物にして、今じゃおれの真似だけじゃなくリズムに合わせて自分なりのアレンジも入れている。
 贔屓目なしにサボは踊るのが上手いし、きっと多分幼い頃だって教師や親が無茶言ってただけでちゃんと踊れていたのだろう。
 それは、それとして、そうなのだが、その……なんでサボが踊るとこんなにエロいんだ!?
 こんなエロい動き、他の奴らの前でやられると困るんだけど!?
 見惚れながらも内心狼狽えているおれの心などお構いなしに、サボは無邪気に「ホントか、良かった」と喜んでいる。

「なら、この辺の奴らに絡まれてもダンスで戦えるかな」
「ダ、ダメだ!! もし絡まれたら有無を言わさず拳で応じろ、その方が早ェ! 」
「えっ、言ってること違わねェ!?」

 百歩譲って革命軍だとか、そういう気心知れた奴らと一緒の時に騒ぐ程度なら良いが、そこらへんのチンピラどもに、サボのこんないやらしい姿をタダで見せてたまるか!
 いや、金払ってでも絶対見せねェけど!!

「それは、アレか、やっぱまだ見ぬダンスパワーの極意的な物があんのか……?」

 謎の期待と共にごくりと固唾をのむサボには悪いが、ここにあるのは醜い男の嫉妬だけだ。醜いと自覚しているだけマシだと思ってくれ。
 こんな感じかな、などと再び踊り始めたサボの蠱惑的な腰の動きのせいで、気の早い愚息は段々はしゃぎだしている。
 音貝のボリュームを指先で上げながら、おれは自分の理性が果たして宿まで持つのかどうか心配し始めていた。


終わり


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