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▼ 許せよ、今夜も眠れないけど


 楽しみすぎて眠れるはずもない。まだ薄暗い内から寄港地を飛び出して、淡く変わりゆく波の色と競うようにしてストライカーを走らせる。
 待ち合わせの場所まで全速力で向かう、この瞬間がエースは好きだ。
 恋とは何かなんて小難しいことに興味はないが、サボを想うだけで駆け出したくなるこの気持ちがそうなら良いと思う。あるいは鼻先に人参ぶら下げられた馬みたく心が先走っていて、それを体が追いかけているような物なのかもしれない──だからこそ、取りこぼして落ちてしまう前にサボにこの気持ちを受け止めて貰わなければ。

「ああ、チクショウ、早く会いてェな……」

 今まさにその為に船を駆っているにも関わらず、エースは耐えきれないとばかりに目を細めて呟く。
 背には朝日、風は追い風。夜から朝へと向かう最前線を更新しながら、エースは目標の島へと急いだ。



『許せよ、今夜も眠れないけど』




「サボ!!!」

 名前を呼んで駆け寄って、そのまま人目も気にせずきつく抱きしめる。まるで生き別れの相手にでも出会ったかのように、全身でその存在を確かめずには居られない。
 道行く他人には大袈裟と眉をひそめられるかもしれないが、互いの稼業と使命を思えば当然のことだ。離れていた間の寂しさと再び無事に会えた喜びを加味すれば、本当はこれくらいじゃ足りないくらいだ。

「エース……!! 元気だったか?」
「ああ勿論、ってお前はちょっとやつれてねェか?」

 少し重めの前髪を指先で持ち上げてやれば、珍しいことに目の下に僅かな陰りが見て取れた。いつもどおりの真っ直ぐな瞳も、どこか奥の方が深い海のようにぼやけている気がする。
 しかし、サボは大したことないと柔らかく笑ってから、「それよりも」と続けた。

「忘れない内にお前に言っときたいことがあるんだ。聞いてくれるか?」

 妙に改まった口調と共に、サボはじっと慮るようにエースを見つめてくる。
 再会してまだ数分も経っていないのに、何をそんなに急いで言う必要があるのか──多少疑問には思ったがエースはひとまず首肯してみせた。何にせよ、サボの真剣な言葉を無視するなんて選択肢は最初から無い。
 サボはエースと同じく一度頷き、そして革手袋の片手をぎゅっと握り締めてから、驚くほど大きな声で宣言した。

「おれ、エースのちんこのこと、大好きだけど! カラダ目当てで付き合ってるわけじゃねェから!!」
「ほわっ!?」

 予想を二百海里くらい超えた言葉に、思わずエースは言葉とも付かない声を上げてしまう。まだ午前中とはいえ、それなりに周囲には人も居る。ただでさえ往来で抱きしめ合っている男二人は注目の的だったのだから、サボのその言葉に一斉に視線が集まるのも当然だった。
 普段は人の視線など毛ほども気にかけないエースだったが、今だけは別だ。恋人が全力でシモネタを口にしているところなんて、他の奴らに見せたいはずもない。
 けれどもサボはエースの気持ちなど知る由もないのか、どこか遠くに焦点を合わせたまま、しかし明瞭な口調で言葉を続ける。

「そりゃお前のちんこはデカいし、強いし、格好良いし、おれのこといつも気持ちヨくして、」
「ちょちょちょちょっと待てサボ!!」

 慌ててエースはサボの口を手で塞ぐと、そのまま引きずるようにして細い路地裏へと引き込む。
 幸い路地裏に人気はなく、また、先程の通りからわざわざ覗いてくるような野次馬も居ないようだ。もしかするとエースの背中の刺青を見て、この二人には触れない方が良いと判断したのかもしれないが、理由はともあれ二人きりになれたことにエースは両肩で安堵の息を吐いた。
 そして何故か驚いて目を丸くしているサボに、それはこっちの反応だろと言いたい気持ちを抑えつつ一番重要なことを問いただした。

「お前、急にナニ言いだしてんだよ、あんなところで!?」
「むぐぐが」
「あ、悪ィ」

 そういえばまだ口元を押さえたままだった。慌てて離すものの、こんな混乱した状況でも手のひらに残った恋人の唇の感触が惜しい。

「ぷは……、言っちゃダメだったか?」

 幼気にすら思える目で問い返されれば、確かにエースもサボも往来での言葉に気をつけるほど上品でも常識的でもない。だが、気に入らないことは気に入らないので、エースは少しトーンを落として言い訳のように答える。

「いや……なんか、そういうこと言うのはおれの前だけにして欲しいっつうか」
「さっきからずっとエースの前だぞ?」
「だああああ、もう、おれと『二人きり』の時が良いんだよ! っつーかサボ、お前寝てねェだろ?!」
「んー、まあ、ちょっとな」

 ──やっぱり。
 どことなく安定しない瞳と、まるで酩酊しているかのように浮ついた言葉、動作も反応もいつもより遅い気がする。
 エースと同じくらい頑健なサボが、ちょっとやそっと眠らないくらいでこんな風になるはずはない。誤魔化そうとするサボを追及すれば、任務続きでもう丸四日も満足に寝ていないと分かった。
 それだけでなく、革命軍が停留している島からここまで来るのに徹夜で船を走らせたというのだから、誘いをかけた自分にも責任はあるとエースは眉を寄せる。

「無理しなくても良いのによ……もう早めに宿入ろうぜ? 泊まっていけるんだろ?」
「ん。無理はしてねェ」

 そう言って首を横に振る仕草さえどこか子どもじみている。こんな路地裏とはいえ、エースと二人きりになったことで安心して眠気がぶり返しているのかもしれない。

「おれはお前のちんこが、」
「まだその話!? どうした、おれ、なんか不安にさせるようなことしたか?!」
「いや、先日、情報収集で酒場行ったときに隣に座った女に言われて……」

 目を開けているのもつらくなってきたのか、段々とサボはまぶたを下ろしながらぽつぽつと語り始める。
 変装して単身乗り込んだ夜の酒場、隣に座って来た派手な女。
 一人で居るよりは悪目立ちしないかと放置していたが、どんどんと詰められる距離に辟易していると恋人の有無を聞かれたのだという。
 当然「居る」と答えると、そこからはもう浮気が何だのカラダだけの関係がどうだのと怒涛のごとく詰め寄られたらしい。

「……それ、お前、粉かけられてんじゃねェか。そんな女に律儀に口説かれてんなよ」
「すぐに銃撃戦になったし、それ以降は話してない」

 そういう問題じゃないと声を低くしてしまったエースだが、サボはとろんとした瞳を何とか持ちこたえさせながらなおも語り続けた。

「でも、その時ついでに言われた、会う度にヤッてばかりならお互いカラダ目当てだとか何とかってのは、なんか、ここ来る前に船ん中で思い出して……ちょっと気にかかっちまったんだ。お前に誤解されるのはイヤだから」
「するわけねェ」
「姿は写真でも見られる、声は電伝虫でも聞ける。でも抱きしめ合う感触に勝るものは無いんだ。エースの心臓がバクバク言ってんのをおれの体を通して聞くのも好きで、エースのこと独り占めして、エースもおれのこと独り占めして、そういうのもすごく好きで…………二人で一つになると元々こうだったんじゃないかって思う。離れると身を引き裂かれるみてェだけど、それでもまた会う日を思うとどこまでも頑張れる。エースが居るからおれが居るんだ。だから、会う度にヤってるけど、エースじゃなきゃ意味ねェし、エースだから好きなんだって、ちゃんと分かっといてほしい」

 そこで一度言葉を区切ると、サボはどこまでも愛しげにエースを見つめて微笑んだ。

「つまり、おれはお前のことが大好きなんだ。エース、会いたかった……」

 殆ど眠りかけの辿々しい声、飾り気のない言葉。
 突然、真正面からぶん殴られたかのような告白を受けて、エースの顔は一気に朱に染まった。
 限界だと言わんばかりにふらりと揺れたサボの身体を抱きとめて、安心して預けられるその重みにすら言いしれぬ幸福が駆け巡る。
 ──こんなとき、何と言ってどうすれば自分の気持ちも伝わるのだろうか。
 気の利いた台詞も思いつかないエースは、ただサボの背に腕を回し、くぐもった声で答えた。

「お、おれも大好き…………です」

 照れ隠しの丁寧語を口に載せつつも、今すぐ宿を取って腕の中の愛しい恋人を眠らせてやろうとエースは決める。隣で自分も昼寝したって構わない。サボほどじゃないがエースも睡眠不足だった。
 それでも夜になったらエースはサボを起こしてしまうだろう。きっとサボも許してくれるはずだ。そして上手く出てこない言葉の代わりに幾つものキスを交わし、改めて伝えたい。
 エースもまた、サボじゃなければ意味が無いのだと。

【完】


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