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▼ I’ll do anything for you


 新入生を拍手で迎え入れながら「これは夢だな」とサボは気付いた。
 入学式は三ヶ月近く前に終わっているし、何より、新入生として組み分け帽子を被らされているのが、既に数年前に入学を果たしている同級生たちだからだ。
 つまりは夢、もっと言えば単なる過去の反復にすぎない。
 ──どうせ見るならもっと楽しい場面が良いのに。早く目覚めねェかな。
 気怠さを隠しもしないテンポで手を叩いていると、不意に自分の名前が呼ばれた。周りの在学生達が少しばかり姿勢を正す。幾人かは確信的なまでに前のめりだ。
 まあ、そうだろうなとサボも思う。あの気取った苗字を聞いたならば十中八九決まったようなものだから。
 けれど、サボは少しばかりの期待を捨てきれずに壇上を見上げた。だって、これは夢なんだから。つまらない記憶の反芻ではなく、有り得た未来を文字通り夢見させてくれるかもしれない。
 視線の先、ちょこんと椅子に腰掛けた金髪の少年は、やはり数年前の自分だった。やけに幼く見えるのは、まだ身長が伸びていないからか、それとも頼りなさげに周囲を伺う視線のせいか。
 緊張した面持ちの少年に被せられた組み分け帽子は、珍しく迷った様子で何事か喋っている。その声は在学生の席までは届かないものだったが、サボには一言一句違わず思い出すことが出来た。

『なるほど。欲しい物を得る為には手段を選ばない意志の強さがある。先祖同様スリザリンも良かろう。しかし、自由に羽ばたくために立ち向かう勇気もある。グリフィンドールがふさわしいかもしれない。どちらが良いかな?」

 ──言え! 選べよ!!
 サボは思わず壇上へ向かって叫んでしまう。だが不思議なことに声にはなっていないようだった。
 不安そうな少年は二つの寮のテーブルを交互に見つめている。そして、意を決したように小さな口をわずかに開いた。
 祈るようにサボは己の過去の姿を見つめる。
 ──頼むから、夢の中でくらい、あいつと同じ……、



「ああ、バカ、『グリフィンドール』って言えよ!」

 自分の寝言でバネじかけのように起きたサボは、すぐさま慌てて手で口を覆った。『ここ』でその寮の名を揶揄以外の用途で口にするのは褒められたことではない。
 『ここ』──すなわちホグワーツの地下、堅牢な石造りの壁と湿った冷気に覆われた、他寮の侵入を許さぬ孤高のスリザリン寮である。
 耳をそばだてて伺うも、談話室からは人の声が一切して来ない。気配もないということは皆出払っているのだろう。サボは手をゆっくりと口から剥がしてそのまま頭へと持っていく。濁音めいた母音で低く唸りながら、急な覚醒で痛む頭をぎゅっと押さえつけた。
 体調が悪いときは悪夢を見るというのは定石だが、それにしたってさっきの夢は酷い。
 大きく溜め息をつくと、頭を抱えたまま、ぼすんと羽毛仕立ての枕の山へと後ろ向きに倒れ込む。本当はフカフカのはずなのに湿気のせいでしっとりとしている枕たちは、いささか他人行儀にサボの体を受け止めた。

「……あんとき、ちゃんと選べてたらなァ」

 力なく目を閉じながら、サボは先程夢に見た入学式のことを思い出していた。組み分け帽子にスリザリンかグリフィンドールかと問われたとき、本当はグリフィンドールが良かったにも関わらず、スリザリンと答えてしまったときのことだ。
 あの頃のサボは、まだ自分が努力すれば両親に愛されるものだと信じていたし、両親の期待通りの寮に入らねば実家の門をくぐることも許されないと思っていたのだ。もっとも、それは半分だけ正解だった。残念ながら後者の方ではあるが。
 ともあれ、当時はともかく、今のサボは両親が純血の家名と誇り『だけ』を愛しているのをよくよく理解しているし、余計な期待などとうに捨てた。スリザリンは考え方の合わない連中が多いし、義弟のステリーが同室となってからはますます居心地も悪いが、それでも決まってしまったものは仕方ない。
 過ぎたことに不平不満を言ってるくらいならクィディッチの練習でもして汗をかこう。そう言って憂鬱を跳ね飛ばす元気も普段ならばあるのだが、最近はいやに後悔ばかりしてしまう。

 エースと会えていないからだ。もう、一週間も。

 八日前、夜中にほうきに乗って秘密のデートに出掛けた帰り、庭の暗がりを一緒に歩いているところをたまたまステリーに見つかってしまったのだ。
 てっきり嬉々として教師に密告するかと思いきや、寮の減点を厭ってか、ステリーは気味が悪いほど沈黙に徹した。しかし、翌日からやけにサボと行動を共にするようになり、少しでもエースの近くへ寄ろうものなら即座に邪魔をするのだからやってられない。
 要するにこの野心家の義弟は、邪魔なサボに対してどうにか嫌がらせをしたくてたまらないのだろう。
 ステリーも別にエースとサボの『本当の仲』を知っているわけではないし、友人関係をとやかく言われる謂れはない。だが、下手に話をややこしくして実家にまで話が及ぶようになれば、サボはホグワーツを退学させられる可能性さえあった。
 だから今のところ、サボはステリーが嫌がらせに飽きるのを根気強く待ちながら、何か良い策はないかと悩むばかりなのだが──いい加減長すぎる。エースと会話ひとつ出来ない一週間は、サボにとって耐え難いほど長いものだった。
 寮が一緒ならどれだけ良かったことだろう。サボは珍しく落ち込んでしまう。あのときのたった一言、それさえあればエースと同じ寮で、何の気兼ねもなく毎日学んで食べて遊んで寝て過ごせたのに。
 珍しいといえば、サボが体調を崩すのもまた稀有なことだった。今日は朝からずっと頭が内側からキツツキに啄まれているように痛むし、身体は海の底に沈んだ難破船のように重い。何とか授業だけは出たものの夕食は食べられそうもなかったので、すぐさま寮へと引っ込んで今へと至る。
 四六時中つきまとっては邪魔をしていたステリーも、ゴーストのようなサボの顔色を見ると、気味悪げに口元を引きつらせてから取り巻きたちと大広間へ向かって行った。おかげでサボは少しゆっくりと休養が取れたが、それでも体調は万全ではない。
 はあ、と再び溜め息をついたタイミングで、コンコン、と間隔の短いノックの音がした。
 サボはうっすらと目を開けて机上の置き時計を見る。まだ夕食が終わるには早い時間だ。それにステリーがノックなんてするはずもない。

「……どーぞ」

 一体誰がと思いつつも、誰何するのも面倒で適当に返事を投げる。
 そうっと、やけに静かにゆっくりと扉を開けて滑り込んで来たのは、ステリーだった。しかも何故かこの時間だというのにクィディッチの練習着まで着込んでいる。そもそもステリーはクィディッチのチームメンバーでは無いというのに。

「……サボ! 会いたかった!!」

 妙に目をきらきらと輝かせた練習着姿のステリーが、後ろ手に扉を閉めてからベッドへと駆け寄ってくる。あまりにも似つかわしくない動きと言葉に、サボはヒッと小さく息を呑んだ。

「す、ステリー? おまえどうしたその格好、っつーか新手の嫌がらせなら、」
「おれだよサボ! エースだ!」

 満面の笑みを浮かべ、サボへと抱きついてくるステリー。サボは石化の魔法にかかったようにぴしりと固まった。

「……」
「……ん? サボ、大丈夫か?」
「……ステリー。おれへの嫌がらせならまだいいが、エースのことまでバカにするんなら容赦しねェぞ」

 地を這う声で本気の脅しをかけると、抱きついていたステリーが急いで身体を離し、あたふたと身振り手振りをする。

「だーッ、違うっつーの!! やべ、どうやっておれがおれだって証明すりゃいいんだ、えっと……サボの腰のほくろ、いや、ステリーって弟だっつってたもんな、えーっと、」

 ステリーはそこで一瞬うつむいて考え込んでいたが、ハッと思いついたように顔を上げた。

「と、十日前! 必要の部屋! サボのここにキスマーク!」

 そう言ってステリーはサボの鎖骨の下あたりを指差す。もう殆ど消えかかってはいるが、確かにそこにはエースが付けたキスマークが残されていた。勿論、サボはその印を誰にも見られないように隠していた。
 ──と、いうことは。
 サボは大きな目で何度も瞬きを繰り返す。まさか、信じられない。でもそうとしか考えられなかった。

「エース、なのか……? ま、マジで? なっ、嘘だろ、おまえ、どれだけヤバイことしてるか分かってんのか!? これポリジュース薬か、一体どうやって手に入れた? それに、まさかステリーの髪の毛飲んだのか?!」
「やめろ、思い出させんな! だって仕方ねェだろ、全然サボに会えねェんだから! こいつのせいで!!」

 ステリー改め、ステリーの姿をしたエースが自分の頬をぺちぺちと叩く。

「ポリジュースは薬品倉庫から盗んで来たし、ステリーはムカついたから気絶させてトイレに押し込んで来てやった。あと練習着は一昨日他の奴からかっぱらったんだ、おまえの友達のだったらごめんな」

 謝罪を口にしながらも悪びれた様子はない。サボはステリーの顔がこんなにも爽やかな笑顔を作れると初めて知った。

「……あのなエース、スゲー気軽に忍び込んでるけど、スリザリンは何世紀ものあいだ他寮生の侵入がないことが自慢なんだぞ?」
「そんなん何の自慢にもなんねェし、結構余裕だった……っと、時間切れか」

 ポリジュース薬の効果が切れたらしく、みるみる内に眼前のステリーが見知った恋人の姿へと戻っていく。正直、中身がエースとはいえ、ステリーの見た目だと話しづらかったからありがたい。
 だが、こんなにすぐ変身が解けてしまうということは、『結構余裕』どころか、むしろギリギリだったということだ。見つからずに済んだ幸運にサボは心の中で感謝する。

「本当は明日もっと準備してからと忍び込もうと思ってたんだけど、サボ、夕食来てなかったから心配で」
「ああ、ちょっと調子悪くてさ……気にしててくれたんだな」
「当たり前だろ。しかしマジで顔色悪ィな。起こしたか?」
「いや、元々起きてた。あんま良くない夢見ちまって……」

 エースが心配げに顔を覗き込んでくる。久しぶりに真正面から顔を合わせることが出来て嬉しいのに、同時にあまりにも申し訳なくて、サボはいたたまれない気持ちになってしまう。

「……おれがスリザリンでごめんな」
「へ?」

 サボは沈んだ声で「おれのせいなんだ」と続ける。
 組み分け帽子が迷っていたこと、そしてその時に自分がスリザリンを選んでしまったこと。
 語れば語るほど、あの時の一言さえ違っていればと思わずには居られない。

「おれがあの時、グリフィンドールって言えてりゃ、おまえとももっと普通に過ごせたし、こんな危ない真似させることもなかったのに」

 ほんとごめん、と目を伏せるサボに、しかし、エースは「うーん、そうか?」と間延びした声を出してみせた。

「おれ、別に寮が違うの自体は嫌じゃねェぜ? そりゃあ今週みたいに、ずっと会えないってのは意味分からねェし全然許せねェけど、おまえと秘密のデートするの楽しいし、スリルがあってドキドキするし」

 うんうん、大丈夫、だからサボは全然悪くねェよ。そう続けてから、エースは急に真剣な面持ちになって言う。

「っつーか、おれ、真面目な話、サボが同じ寮に居たら猿みたいにヤリまくっちまうと思うから……」

 突然とんでもないことを言われて、サボも「お、おう、猿って可愛いよな」などと訳の分からない返事をしてしまう。
 そうこうしている内に、談話室から賑やかな話し声が聞こえてきた。夕食から帰ってきた寮生達が居るようだ。

「エース、談話室に人が戻ってる! 早くしねェとステリーも来るかもしれねェぞ!」

 囁き声ながらも鋭く言えば、エースも慌ててポケットから小さな薬瓶を取り出す。

「もっと長居したかったけど、流石に今バレるとマズイよな。今日のところは帰る、また来るから!」
「いやいや危ないから来なくていいって! ってかそれ誰の毛入ってんだ? ま、またステリーのか?」
「違うって、んな顔すんな! サボの髪の毛くれ、あとは適当に誤魔化す」
「うえぇ……それもヤダ……おれの髪の毛飲むとか……」
「サボのなら良いし、何なら普段もっと凄いもん飲んでんだろ?!」

 声を潜めつつの応酬は続いたが、結局他にまともな方法が無いためサボが折れた。
 自分の髪の毛入りのポリジュース薬を呷るエースを何とも言えない気分で見ていたが、しかし、大切なことを言い忘れていることを思い出してエースの練習着の裾を掴む。

「あの……ありがとう、エース。会いに来てくれて本当に嬉しい。すぐに今まで通り会えるように頑張るから、もう少しだけ待っててくれるか?」
「おう! 大丈夫だ、おまえは何も心配しなくていいから、よく寝て早く治せよ。愛してるぜサボ」

 そう言ってエースは別れのキスとばかりに顔を近づけて来た──のだが。

「あ、悪ィ、エース。おまえもうおれの顔になっちまってるからキスはまた今度な」
「ええええ!?」

 ちくしょう今度は挨拶のキスじゃ済まねェかんな、と小さな声でぼやきながらも、サボの顔をしたエースはこっそり手を振って扉の向こうへと消えていく。もしかしたら練習着を着ているせいで「夕食来なかったのに練習行くのか」等と訝しがられているかもしれないが、きっとエースなら上手く切り抜けるだろう。
 急に広くなったような部屋の中、ベッドの上のサボは己の体調の悪さを思い出して再び枕へと沈む。ポリジュース薬で化けて来て、ポリジュース薬で化けて出て行って、エースがエースの姿で居たのはほんの数分だけだというのに、大きく深呼吸するとエースの香りがした。たったそれだけで、体の奥にじんわりと熱が広がる心地がする。
 ──調子悪ィってのに……おれも大概猿かもな。
 自分でお預けにしておきながら『今度』が待ちきれなくなってしまったサボは、ふうと熱い吐息をこぼしてから目を閉じる。もう悪い夢は見ないと何故か確信していた。



「あー、ほんっっっと可愛い……」

 トイレの鏡に向かってそんなことを言っているなんて、他の人が見ればナルシストと思われそうだ。しかし、エースとしては鏡を覗けばそこには愛してやまない恋人の顔が映っているのだからしょうがない。
 ましてや今回は、七日もの間まともに顔も見れず、話も出来ず、やっとのことで忍び込んで数分だけ会えたもののキスの一つすら出来なかったのだ。持て余した欲望が歪んだ発露を迎えるには十分過ぎる条件と言える。
 軽く唇を開けてみたり、ぺろりと舌を出してみたりと、一人で百面相をしては「無理無理エロい可愛いなにこの顔」と顔を赤くしているのも、全ては思春期とポリジュース薬の化学反応の結果なのだ。
 そう、思春期とポリジュース薬の相性はあまり良くない。実際『そういうこと』に使う奴も居るので、女子なんかは櫛についた髪でさえもゴミ箱には捨てないのだと聞いた事がある。
 とはいえ、エースの場合は、渋々ではあったが本人公認での変身なのだから問題はないだろう。是非ともそういうことにしておきたい。

「なんか目の毒じゃね? これ他の寮生も平気で見てると思うと、うーん……」

 クィディッチの練習着姿は、普段のローブより格段に身体の線が見て取れる。自分が着ている時は何とも思わないが、サボの姿だとやけに扇情的だ。
 「ちょっとだけ……」と首元を引っ張ってちらりと胸元を覗いてみたり、とんでもなく悪いことをしている気分になって顔を背けたり、しかしまた恐る恐る覗いてみたりという謎の行動を繰り返していると、後方から叫びにも似た素っ頓狂な声が響いてきた。少し遅れて個室の扉が開く。

「なんだ痛いぞ?! それに、なんだ、どうしてこんなところで寝てしまって……うん? そこに居るのはサボか?」

 中からフラフラと出て来たのは先刻まで借りていた顔、すなわちステリーだった。そういえばこのトイレに閉じ込めていたんだった、というのをエースは今の今まですっかり忘れていた。

「ふん、随分と元気そうじゃないか。アレは仮病か? どけよ、邪魔だ」

 わざとぶつかるようにしてエースを──ステリーにはサボの姿に見えているのだろうが──押しのけると、神経質そうに手を洗いながらなおも続ける。

「ちょっとクィディッチが得意だからって調子に乗るなよ。そんなことして点数稼ごうとしたところで、どうせおまえなんて『我が家』の爪弾きものなんだ。バカどもとつるんで家名に傷をつけるような真似しないで、大人しくおれの引き立て役でもしてろ」

 手首を振って一瞬で乾かしたあと、ステリーはそのまま返事も待たずにトイレを出て行こうとする。
 その鼻先をかすめるようにして思い切り壁に手をつくと、エースは殊更ゆっくりと口を開いた。

「なあ、ステリー。サ……『おれ』はおまえを傷つけねェよ。腐っても家族だからな?」
「な、何だ急に、」

 怯えるステリーの顔を見下ろしながら、エースはさも当然のとばかりに言ってみせた。

「でもな、エースは何するか分かんねェぞ。アズカバン行きだろうと構いやしねェだろうさ。あいつはおれの為なら何だってやるからな」

 よーく覚えとけ、と付け加えてから行く手を塞いでいた腕をすっと下ろしてやれば、青ざめたステリーはよろめきながら走り出す。
 そして、翌日。
 「嫌がらせにも飽きたのかステリーが大人しくなったから今まで通り会えるぞ」と、すっかり顔色のよくなったサボが笑うのを見て、「そりゃあ良かった」とエースもまた素知らぬフリで笑うのであった。

【完】


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