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▼ 2:1(にたいいち)


 待ち合わせと言っても、聞かされていたのは『モグラの穴』という店の名と大体の場所だけだった。
 だからサボは、いかにも荒くれ者が集いそうな地下の薄暗い店を想像していたのだが、少々迷いつつ辿り着いたその店は二階建ての極々素朴な店構えをしていた。
 ところどころペンキの剥げた木造の建物を見上げると、看板の真ん中では、モグラがサングラスを外しながらウインクまでしている。サボも含め高額賞金首である兄弟が一同に介するには少々牧歌的すぎるが、これはこれで『らしい』のかもしれない。
 久々の再会に胸を高鳴らせながら、OPENの札が斜めに提げられたドアを引き開ける。途端に、店内の喧騒が直截に耳へと飛び込んできた。陽が沈んで間もない浅い時刻にもかかわらず、満ちた酒の香りと快活な熱気のせいで、店内はまるでひとつの大きな生き物のように賑やかだ。
 入口での印象よりもだいぶ奥行きはあるようだが、それでもちょっと驚くくらいの混雑ぶりで、サボの視界には先に来ているはずの兄弟も見当たらない。
 背伸びをしたり、小さく飛び跳ねたりしてしばらく探してみるも、樽をテーブル代わりに立ち飲みしている客も多く、かなり見通しが悪い。歩きながら探すのも難しそうだ。
 ──この調子じゃ、自力で探しても埒が明かねェな。
 そう悟ったサボは、ちょうど目の前を横切ろうとしていたエプロン姿の大男に声をかけた。

「忙しそうなところ悪いが、先に入ってるって言ってた連れを探しているんだ。知らないか?」

 ビールジョッキをざっと十五杯は抱えている店員は、立ち止まると「連れ?」と訝しげに片眉を上げる。それからサボの姿を上から下までざっと眺め下ろすと、ジョッキを抱えたまま器用に両肩を竦めてみせた。

「アンタの連れって感じの客は見てないぜ。店を間違えてんじゃねェか?」
「いや、確かに『モグラの穴』だって聞いてるんだが……」

 この島に詳しいというエース相手に、事前に電伝虫で散々確認したから間違いはないはずだ。「あな? 何のあなだって? 穴を掘るの穴で合ってるか?」と聞き返しては「連呼すんな!」と理不尽に声を荒げられたのも記憶に新しい。

「弱ったな……おれと同じ年頃で、同じくらいの背格好の男と、それより少し年若い男の二人組なんだけど。本当に来てないか?」
「二人組……ああ! なんだ、あの兄弟か! 海賊の!」

 急に笑顔になった店員が声を一段高くする。
 ──海賊相手にその反応で良いのかよ。っつーか二人ともバレバレじゃねェか。堂々としてるな。
 サボは苦笑しかけたが、エースがよく知っているという島なのだから、海賊だとバレようと元より問題ないのだろう。もっとも、もし問題があったとしても、あの二人ならば堂々としているに違いないけれど。

「いやァ、あいつら、めいっぱい注文してくれてな。料理人が急いで追加の食材買いに走ったくらいだ! 海賊だってのに飲み方も汚くねェ。アンタの連れは気の良い連中だな!」
「そ、そうだな」

 嬉しそうに無邪気に語る店員に、サボはわずかに顔を引き攣らせつつ頷いてみせる。あいつらがちゃんと金払う気でいるなら良いけどな、とは流石に言えやしない。

「おっと、席は二階だ。そこの階段昇って、一番奥の窓際」
「分かった、ありがとう。時間取らせて悪かったな」

 片手を挙げて階段へと足を向けたサボに「良いってことよ」と応えてから、店員は上機嫌なまま続けた。

「それにしても『遅れて兄弟がもう一人やってくる』って聞かされてたもんだから、最初は全ッ然気付かなかったぜ。兄弟っつっても、アンタだけ随分と毛色が違うんだな!」

 背中に聞こえてくる明朗な声音から、その言葉に悪意も敵意もないことは確かだった──のだけれど。


 思わず、サボは俊敏に振り返ってしまう。
 次の瞬間、店員が器用に抱えていた大量のジョッキは床に落ちて砕け散った。


「……へっ?」
「ッ、やべ、大丈夫か!?」

 響き渡ったガラスの衝撃音とぶちまけられた大量のビールに、周囲の客がどうしたとざわめき始める。中には「おいおい、お得意のジョッキ運びでしくじるなんて、熱でもあんのか?」とやじをとばす客すら居た。

「ま、まさか……いや、そうなのか? なんだか急に寒気がしちまって、指が凍えちまって」

 しっかりしろよ、と酒の入った客たちは鷹揚に笑い飛ばすが、『原因』となったサボの方は気が気じゃない。すぐさま店員の両手を掴んで怪我がないかをよくよく確かめると、店員が見た目にそぐわぬ純粋さで顔を赤らめているのにも気付かず、そのまましゃがみ込んでガラスの破片を拾い始める。
 結局、サボが二階へと上がったのは、店員に「もう大丈夫だから。アンタは客なんだから」と固辞されつつも、あらかた惨状を片付け終えてからのことだった。
 足を踏み入れた二階も一階と混雑はさほど変わらなく、それゆえにか階下の不穏な音に誰も注意を払ってはいないようだ。
 だが、身体を横にしながら人と人の間を進みつつ、サボは内心反省していた。
 ──あーあ、やっちまった……。
 覇気というわけではないが、感情をそのまま視線に乗せてぶつけてしまった。あまりに咄嗟のことで、自分でも上手くコントロールが出来なかったのだ。
 幸いなことに、店員も自分が何にそんなに怯えたのか理解出来ていない様子だったが、だからといって民間人相手に威嚇めいた行為をして良いわけでもない。実害も出ていることだし、と思えば、なおさら情けなかった。
 そもそも、血のつながった兄弟ではないのだから、似ていないのなんて当たり前なのだ。自分だけ「毛色が違う」と言われるのだって、グレイ・ターミナルの頃から慣れている。今更、他人にどう思われたところで、兄弟の絆に変わりはないのだからどうだっていい。
 ──って、納得出来ているはずだったんだけどなァ。
 構えていない時に不意に、しかも悪意なく言われてしまうと、逆に深く刺さってしまう。
 事実、探し回っていた兄弟の姿をやっとその視界に捉えたサボが真っ先に感じたのは、再会の喜びでも無事への安堵でもなかった。

「サボ! こっちだ!」
「おお、サボだ! 待ってたぞー!」

 こちらが声を掛けるよりも一瞬早く気付き、立ち上がってまで手を振り呼びかけてくれたエースとルフィを見て、サボは思ってしまったのだ。
 揃いの黒髪、ひと目で知れる鍛えられた体躯、それに酒と料理に囲まれていても確かに感じ取れる太陽と潮風の香り──海賊の気配。


 確かに、この二人だけなら自然と兄弟に見えるな、と。


「……遅れて悪ィ! 久しぶりだな、二人とも!」

 胸の奥にわずかな痛みを覚えつつも、そんな素振りは全く見せずに、サボは殊更陽気に声を張り上げた。

「おう! エースの奴、サボは忙しいから今日は来れねェかもなって拗ねてたぞ。良かったな、エース!」
「バカ、可能性の話をしただけで拗ねちゃいねェだろうが! お前と一緒にすんな! っと、サボ、こっち来いよ」

 狭い四人がけのテーブル席だったので、比較的スペースに余裕のあるルフィの隣に座ろうとしたサボだったが、エースが隣をぽんぽんと叩くのでそれに従う。

「ししし、まあいいや。乾杯しよう! すぐしよう!」

 腰掛けるやいなや、向かいのルフィがエースの飲みかけらしきジョッキを奪って、勝手にサボの前に置く。
 奪われたエースの方はというと、先ほどと違って特に異を唱えるでもなく、窓枠に置かれていた─恐らくテーブルが手狭なせいだ─酒瓶を取り上げて、空いたロックグラスへと手酌で注いだ。

「ほんじゃ、おれたち兄弟の絆に!」
「「「乾杯!」」」

 エースが流れるように音頭を取り、三人分の声が示し合わせたようにぴたりと重なる。
 エースはグラス、サボはジョッキ、ルフィはマグカップと三者三様の持ち物ではあったが、触れ合った『盃』は確かに高らかに鳴った。


  ■


「腹減った……肉……」

 前回会ってから少し間が空いていたこともあって、兄弟の話は尽きることを知らないが、ここに来て食事や飲み物が尽きてきた。
 机に突っ伏して空腹を訴える弟に、エースもまた「おれの酒もねェ」と大きなジョッキをひっくり返す。

「追加頼んで結構経ってるよな? 注文通ってんのか?」
「んん……どうだろうな。ずっと忙しそうだしなァ」

 サボも苦笑交じりに辺りを見渡す。夜も更けてきたせいか、店は更なる大賑わいだ。エースが「近隣の海域にも知れ渡るほど旨くて安いと評判の店だ」と豪語するだけはある。実際、出てくる物はどれも素朴ながら美味しい。自分たち兄弟にはあまり馴染みがないが、恐らく家庭の味というやつなのだろう。
 ルフィが「にーくー」と唸り声を発していると、次第に他のテーブルからも「酒はまだか」と酔っぱらいたちの声が上がり始める。どうやら二階席はどこも待ちぼうけをくらっているらしい。

「……よし! おれが肉はまだか訊いて来てやる!」

 がばりと身を起こしたルフィは、かと言って席を離れるでもなく、おもむろに窓を開いた。
 そして、少しばかり顎を上向けて──『反動』をつけている。

「っと、待てルフィ!」

 その『反動』の意図に気付いたサボは慌てて弟を止めようと手を伸ばすが、それより先にエースが「ったく」と己の中指を軽く弾いてみせた。

「うわっ!?」

 その動きに合わせて、鬼火のような小さな炎がルフィの眼前に浮かび上がる。面食らった様子の弟に、エースは頬杖をつきながら鼻を鳴らした。

「首だけ伸ばそうとすんな。二階から長い首したお前の顔が降りてきたら、みんな泡でも噴いて倒れちまうだろうが」
「えー、でも腹減って、」
「普通に階段で下に行って直接言って来いよ。ついでにおれの酒とサボの水も頼む」

 ──えっ。
 なんていうことのないエースの言葉に、しかし、サボは静かに瞠目した。
 エースは酒なのに自分は水なのか、というのも気にかかったが、サボが驚いたのはそこではない。
 ──なんだかエース、すっげェ『兄』だな?
 兄弟の盃を交わしているのだからエースもサボも『兄』であることに相違ないのだが、弟を平然と顎で使うエースのその自然さはサボを驚かせた。
 サボの驚きなど知るはずもないルフィは、「分かった! 行ってくる!」と文句も言わずにすぐさま席を立つ。弟は弟で、こういった兄の言葉に慣れているようだ。
 ──慣れている……のか。本当に。
 エースが海に出るまでの七年間。
 更に言えば、サボが記憶喪失だった十年間。
 十歳の頃に少しだけルフィの『兄』として過ごした自分と、それからもずっと何年も『兄』として生活を共にしていたエースとでは、積み重ねてきた年月の重みが異なるに決まっている。
 それなのに、と思い始めてしまえば、回ってきたアルコールのせいも相まって思考は深みへと螺旋していく。
 ──思い出したからって、それで急におれが兄貴ヅラなんて、そんな資格があるんだろうか。他人から見ても兄弟だって分からないくらい『違う』のに、そんな資質があるんだろうか。

「……サボ? 大丈夫か?」
「え? あ、ああ! 何ともない!」

 テーブルの一点を見つめて考え込んでしまっていたサボは、エースの声に慌てて笑顔を作る。
 ──今更だ。全部、今更の話だ。
 どれもこれも、とっくに悩み尽くしたことではないか。それでも良いのだと、絆は決して切れないのだからと、二人が受け入れてくれたからこそ今の兄弟の形がある。
 けれど、緩んだ理性は、なおも安易で甘美な自責を求めてしまう。バカバカしいと思いながらも、繰り返し思い至る度に心が惑う。


 海賊の二人、海賊でない一人。
 よく似た二人、毛色の違う一人。
 兄弟で居続けた二人、兄弟を忘れていた一人。
 これなら『一人』なんて居なくたって、本当は──。


「もしかして、お前の分、酒じゃなく水頼んだから怒ってんのか?」

 サボの思考を遮るかのように、けれどエースはきまり悪そうに顔を覗き込んでくる。
 そうじゃない、と言ってやる前にエースは「でもよ」と勝手に言い訳を始めた。

「流石にペース早すぎだろ。おれでもついていけねェくらいに呑んでるぜ? サボにしちゃあ珍しい。それにあちこち赤くなってておれの目にも、その……良くねェし?」

 何がどう赤くなっているのかはサボには分からないが、既にかなり酔いが来ているのは間違いない。自分の思考の渦に飲み込まれて頭痛までしてきたから、頼んでくれた水だってありがたいくらいだ。
 しかし、自分のペースを守れずに飲みすぎている原因は、きっと、先ほどの店員の言葉が胸に刺さっているせいなのだ。厭な気分をアルコールで雑に流そうとする情けなさもあって、エースに本音を言うわけにもいかない。

「ん? そうか? 久しぶりに兄弟に会ったから、嬉しくて浮かれちまってんのかもな」

 仕方なく、サボは作り笑いのまま誤魔化した。「気持ちよく呑んでるから大丈夫だ」と続けてから、さりげなく視線を逸らす。他人相手ならいざ知らず、エース相手では目を見て話す方が本心を悟られやすい。
 それでも、怪しむようにエースの視線は追いかけてくる。
納得が行ってないのは視界の端でも見て取れた。
 向けられる心配を分かりつつも濁すばかりだから、サボは、まるで自分が子どもっぽい八つ当たりでもしているような気分になってきた。
 ──ごめんな、エース。
 言葉に出さない謝罪にどれほどの意味があるかは分からないが、それでもサボは謝らずには居られなかった。エースが兄らしく、ルフィが弟らしくしていることに、何の瑕疵もないのだから。


   ■


「じゃ、またな!」

 名残惜しそうにしていたルフィが、いよいよ手を振りながら駆け出すのをエースと肩を並べて見送る。
 『もぐらの穴』を出た頃には、すっかり夜も更けて月が昇っていたから、てっきりどこかの宿にでも泊まるのかと思っていたが、ルフィは「船番だから」と己の船を停泊させている港へと律儀に戻って行った。
 一般に、海賊船の船長がわざわざ船番をすることは珍しいが、ルフィらしいと言えばルフィらしい。サボだって革命軍では皆と同様に料理や掃除の担当をこなしている。少数精鋭だとそうなるのかもしれない。
 月明かりの下、小さくなっていくルフィの背中をしっかりと見送りながら、傍らのエースが目を細めた。

「ルフィの奴、跳ねながら走ってやがるぜ。ったく忙しない奴だなァ、幾つになっても落ち着きがねェ。ま、落ち着いたルフィなんて、想像しただけでこっちがソワソワしちまうけどよ」
「本当にな」

 サボも頷いて同意する。エースがこういう物言いをするのは決まって寂しいときだと知っていたが、その寂しさの中に、立派に船長をやっている弟への頼もしさが透けているから、サボの顔も自然とにやけてしまう。
 それでも、「良い兄弟だな」とまるで他人事のように思ってしまうあたりに、今夜の悪酔いの残滓は残っているのだけれど。

「っつーか、結局本当にサボが全部払っちまったな」
「全然構わねェよ。お前らが食い逃げする気じゃなくて良かった。店には結構迷惑もかけたし」

 サボの当初の心配をよそに、エースもルフィも金を払う気はあったようなのだが、あえてサボは「経費で落ちるから」と嘘をついて全額自分の財布から支払ったのだ。
 割れたジョッキの弁償代を請求されるかも、というのも理由の一つだったが、それについては、あっけなく不問に終わった。もしかしたら、サボのせいだという認識自体がなかったのかもしれない。

「おれも一応今日は財布持って来てるし、半分くらい、」
「要らねェ!」

 食い気味に鋭く拒絶すると、驚いたようにエースが「うおっ」と声を上げる。

「その、本当に良いんだ」

 サボは取り繕うように慌てて続けた。

「言っただろ、革命軍の経費で落ちるんだって」
「『ケイヒ』で?」
「ああ。だから気にしないでくれ。来るのも遅れちまったし、せめてもの償いだ」

 ──何が何への『償い』なんだって話だけどな。
 言いながら内心失笑してしまう。遅れたことに対する詫びではないと自分で分かっているからだ。
 こんな、たった一回の食事を奢ったくらいで兄貴ヅラしようとしている自分が腹立たしくすらある。しかし、残念なことに「このくらいしか出来ないから」という気持ちになっているのも事実だった。
「そんなことより、エースはこの後、」
 どうする、と訊きたかったのだが、最後まで口にする前に、突然、街全体が斜めに大きく傾いだ──否、傾いたのはサボの方だ。

「おっと! 大丈夫かよ!?」

 芯を失ったかのように身体がふらりとよろけて、隣りから出てきたエースの腕に抱き留められる。
 どうやら、弟の背中が見えなくなったことで、張り詰めていた糸が切れてしまったらしい。エースに指摘された後にも誤魔化しがてら酒を飲みまくってしまったし、とっくに許容量は超えているに違いない。どこに出しても恥ずかしい、立派な酔っぱらいだ。

「悪ィ、ちょっと気が抜けちまって……」
「だから飲み過ぎんなって言ったのに。全然おれの言うこと聞きやしねェな。歩けそうか?」

 サボはこくりと頷く。

「本当かよ。おぶってやろうか?」
「いい。大丈夫……自分で歩ける」

 そう言ってエースの腕から離れようとするも、しかし、回された腕を剥がすだけの力も出ない。正確に言うと、力が出ないというより加減が出来る自信がなかったのだが、エースは「仕方ねェなァ」と嘆息した。

「ほら、腕だけ貸せ。近くに宿取ってあるから、そこまで頑張って歩けよな」

 強引ながらもサボの腕を取って肩に回し、腰にも手を添えて、エースはしっかりと身体を支えてくれる。
 背負われたり担ぎ上げられたりしないだけマシだとはいえ、まるで戦地で運ばれる傷病人のようではある。とんだ醜態を晒していることに気付いて、サボは項垂れながら「ごめん」と呟いた。

「こんなに酔うの、初めてかもしんねェ……」
「そうかよ、そいつァ良かった。他でもこんな姿ホイホイ晒してたら、ムカついて辺り一帯燃やしちまうところだったわ。おれ以外と酒呑む時は気をつけろよ」
「ん? ああ。そういやエース、先に宿取ってたんだな? 元々泊まってたのか?」
「えっ、それはその、アレだ……色んな可能性を想定して、というか……モグラの穴に入る前に、とりあえず良さそうなところ取っといたんだよ。おれもこの島には今日着いたしな」

 エースは何故か急にしどろもどろに言い訳じみた言葉を連ねていたが、そういえば、と話を切り替えた。

「島に上陸した時に、ルフィの仲間たちとも会ったんだぜ……って、この話さっきしたか?」
「いいや、初耳だ」
「そうか。話した気になってた」

 人気のない夜の通りを歩きながら、エースがぽつぽつと語り始める。ルフィの船が港に着いたのとほぼ同時にエースもストライカーを乗り付けたこと。船番があるから夜には戻ると言うルフィとそんなの代わってやるよと申し出る仲間の間で一悶着があったこと。弟が世話になっているからと少しばかり挨拶をしに甲板へ上がったこと。

「そんで、その時の航海士のナミが面白くってよ。開口一番、『ルフィが全然言うこと聞かなくて困ってるの! お兄さんからも言ってやって!』なんて言うんだぜ? 無茶苦茶だよなァ」
「はは、よっぽど直前に何かあったんだろ」
「違いねェ。それで、おれは言ってやったんだ。『ルフィの頑固さはサボに似たから、おれのせいじゃねェ』ってな」
「──えっ」

 からかうようなエースのその言葉は、しかし、サボの澱んだ心に一雫の真水を落とした。
 ──今、なんて言った?
 サボは思わず真顔でエースを見つめるが、暗がりで気付かないのか、エースは気分良さそうに話を進める。

「そうしたら副船長……じゃないんだっけな? まあいい、あの三刀流のゾロが『エースとサボも似てるんだから同罪だろ』ってしれっと言いやがって。おれも流石に何も言い返せなくて素直に頷いちまった」

 エースが他意もなく語る笑い話が、全く違う意味を纏って、波紋のようにサボの心に広がっていく。酒の酔いなんて、この一瞬ですっかり醒めてしまった。

「……似て……る、か?」

 掠れた声で、ようやく小さくそれだけ問うと、やはりエースは何の気ない様子で「そりゃあ似てるだろ」と即答した。

「まあ、正確に言やァ、似てるっつーか、自然と似たっつーか。おれの隊でも『お前ら兄弟三人、本当にそっくりだな』ってよく感心されるぜ」

 平然と語られるエースの言葉が、サボには容易に飲み込めない。
 海賊でもない、毛色の違う、兄弟を忘れていた、自他ともに認めるはずの『一人』なのに、他の『二人』に似ているなんて、そんなことがあるのだろうか。
 呆然とするサボには気付いていない様子なのに、けれどエースは、まるで心でも読んでだかのように静かに笑って続けた。

「──『長男二人、弟一人』。お前が手紙に書いていたことだけど、ルフィは手がかかるし、長男二人で本当に良かったぜ。サボが居るから、おれも一緒に兄貴がやってられる」

 ──嘘だろ。
 唇はその通りに動いたけれど、掠れすぎていた声は音にならず、か細い息と成り果てるばかりだ。
 サボは一度ごくりと唾を飲み込む。それから、ゆっくりと、絞り出すように問い直した。

「……本当に、おれで、いいのか?」
「はあ? 何言ってんだサボ、半分寝てんのか?」

 そこでエースは足を止めて、サボの顔を訝しげに覗き込んでくる。今にも泣き出しそうな情けない表情が見られてしまうのではとサボは狼狽えたけれど、幸い月の光も逆光だったのか、エースはやはり気負わぬ口調で言う。


「お前以外に誰が居るんだよ。傍に居ない時だってずっと頼りに思ってたぜ。おれも、ルフィも」


「……ッ」

 これ以上は、無理だ。
 心の底から溢れ出てくるものが、悔恨と自責を優しく撫でていく。両膝から力が抜けて、支えられているにも関わらず身体がバランスを失った。

「おい、大丈夫か!?」

 慌ててエースが力強く抱え直してくれる。せめてもの努力で涙声を隠しながら、サボは何とか「大丈夫だ」と答えてみせた。

「本当か? お前、大丈夫じゃない時でも大丈夫って言うからなァ」

 ──そんなことない。今までで、今が一番、『大丈夫』だ。
 そう伝えたかったけれど、それを口にすれば、今度こそ嗚咽に気付かれてしまうだろう。
 あと少しで宿だから頑張れ、とエースは再び歩き出す。
 まるで二人三脚のようなその歩みは、ともすれば不格好な代物だったけれど、一人で歩くよりも、ずっと、ずっと確かなものに違いなかった。

                        【完】



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