2014/09/16
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差出人:銀八先生
件名:無題
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本文:
昨日のアレ見た?マツコが出てるやつ
秋が来た。
学校のみんなは、夏休みが終わってからなんだかそわそわしている。
先生からのメールは、最近ちょっと違う。
先生は、あれからちょくちょくわたしの家を訪れる。
「うわっ、なにこれ」
「ふふん、デザートのお手製かぼちゃプリン」
「えっちょっこれ食っていいの?」
「ちょっと待って!生クリームのせるから」
「やばいそれ最高」
午後8時半、わたしの家。
夕食を済ませ、わたしは冷蔵庫から冷やしておいた2つのカップを取り出した。
目を輝かせている先生の目の前で、かぼちゃプリンの上に少しだけ生クリームをしぼる。その上に小さいチョコレートのかけらを乗せて、完成だ。うん、なかなかの出来栄え。
即座に先生の手が伸びてきて、プリンのカップとスプーンを掴んだ。一口すくって、鮮やかなオレンジのそれをじっと見つめる。
「食べないの?」
「すげえな、売り物みたいだ」
「...ありがと」
そうだった、先生は甘いものが好きなんだった。とは言っても、ここまでまじまじと見られて褒められると少し恥ずかしくなる。
先生がスプーンを口に運ぶ。その動作から、視線を逸らせなかった。すぐにその顔が緩んだのを見て、わたしは思わずほっと息を吐く。
「お前、すげえな。これ売れるって」
「さっきから褒めすぎだよ」
「だって美味いもんは美味いしよ」
夢中でプリンを味わう先生が、やけに幼く見える。いつもやる気のない目が輝いていて、わたしは思わず小さく笑った。
「今度いちごパフェ作って、500円までなら出すから」
「いちごって高いんだよねぇ、3個くらい作るならいいけど」
「まあ3個で1500円なら安いと考えるべきか...」
真剣に悩み始めた先生を見ると、なんだかほんとに作ってあげたくなってしまうんだから不思議だ。まあ、好きな人の望みを叶えてあげたくなるのは当然か。
ごっそさん。綺麗にプリンを食べ終えた先生は、そう言ってカップとスプーンを置いた。
「ねぇ先生」
「ん?」
「夏休みにわたしが言ったこと、覚えてる?」
「...まあな」
さり気なく、からになったカップから先生へ視線を移す。子供のようで大人のような目の前の男の人は、困ったように笑ってわたしを見ていた。
視線が絡まる。
先に逸らしたのは、わたしだった。
「ずるいよ、先生」
「...ずるいのはどっちだよ」
「...」
行き場をなくした視線が、先生のネクタイの結び目あたりでさ迷う。いつもはあんなに気楽に話しているのに、こういうときは言葉が出てこない。自分の気持ちをうまく伝えられる気が、これっぽっちもしなかった。
「あと、4ヶ月だな、」
「え?」
「苗字が卒業するの」
ねぇ先生。
どういう、意味なの。
「ごっそさん。また来っから」
先生が立ち上がり、スーツの上着を羽織る。いつもの、グレーのよれよれのジャケットだ。
わたしは、何も言えなかった。
ガチャ、バタン。虚しい音が、部屋に響いた。
屋上で先生と会った日以来、自分の気持ちを口に出したことはない。
けれどそれは、確実に大きくなっていた。
シンと静まり返った部屋で、ふいに先生の赤い瞳を思い出した。
気がついたら、部屋を飛び出していた。全速力でマンションの廊下を走り抜け、エレベーターに飛び乗る。
もう、行ってしまっただろうか。
一階に着いたエレベーターを飛び出してマンションのエントランスを出ると、ちょうど先生がスクーターに跨るところだった。
「先生っ!!」
「何、走ってきたの?」
どうし、そこまでいいかけた先生の口をふさいだ。否、ふさぐようにして唇を重ねた。
一度離れ、もう一度口付ける。今度は、深く。
遠慮がちに舌を先生の口内に侵入させれば、すぐに先生のそれで絡めとられた。
「っ、ふ、」
小さな水音と、わたしの口から漏れるかすかな息遣い。それらの音は、夜の住宅街の静けさに飲み込まれていく。
先生の指が、髪の中に差し込まれる。さら、と髪を梳かれて、また差し込まれて、梳かれて。
手が止まると同時に、唇がゆっくりと離れた。
「は、は...せんせ、」
「あーあ、」
もう、戻れない。
先生がわたしの頭を優しく撫でながら、くしゃりと笑った。
「先生...」
「なあ苗字」
「...?」
「先生の為を思うなら、あと4ヶ月、今のことは忘れろ」
「え、それって...」
「俺、教師なんだよこれでも。今お前を受け止めたら、先生どうにかなっちまう」
立場的にも、気持ち的にも。
いつも冗談ばっかの先生が、やけに真面目に言う。わたしは、頷いた。頷いてしまった。
先生。わたし、自惚れていいんだよね?期待していいんだよね?
「いいこだな、」
そう言って、先生はまたわたしの頭をくしゃりとかき混ぜた。
141016