10.お茶と距離
「凜々蝶さま靴に汚れが…少々お待ち下さい」
「ちょっ、そんなの自分で…!」
朝から校門の前で注目を集める二人。それはそうだろう。学年トップの少女は成人した黒スーツの膝まづいた男に靴を磨かれているのだから。
「…ちよちゃん、遅れるよ?」
「僕だって好きでやってるわけでは…!あぁ、もうっ!後にしてくれないか御狐神くん…!」
一向にちよちゃんを離す気がない双熾くん。うわぁ、なんだか見てるこっちが恥ずかしいっ…!
カキ――ン
「っ!」
「――え」
グラウンドの方向から野球ボールが飛んできた。あたしはすぐに気付けたからちよちゃんの手をひき、恐らくその場にいたら当たるであろう事態を避けた。
双熾くんは素手のままボールをキャッチし、謝りながら駆けてきた野球部員に何事もなかったかのようににこやかに対応して受け止めた物を返す。
「御狐神くん…っ!て、手は…」
あたしからぱっと離れ双熾くんへすぐさま近よるちよちゃん。
「はい、大丈夫です。ご心配は無用ですよ凜々蝶さま。こんな時の為のSSですし…凜々蝶さまの楯になる事こそ喜びなのですから」
―――SS、か…。
そっか、SSがいると守ってもらえるんだな。そんなこと知ってる。知ってるけど…
「…絶対、『仕事』だからじゃないよね」
「え?竜条さん、何か言ったか?」
「へ!?あ、あぁ!何でもないよ」
心の声がいつの間にか口に出ていたらしい。慌てて苦笑いで返したがちよちゃんは“…そうか”と冴えない表情をした。
*
『お、お願いがあるんだが……竜条さん』
「え?どしたの、珍しい」
ちよちゃんから電話がかかってきた。それだって珍しいのにお願いなんて…。
『…コーヒーのフィルターを一緒に買いにいってくれないか?もう無いんだ』
「いいけど…もう夜だよ?双熾くんが許してくれないんじゃ」
『そ、そこで竜条さんにお願いしたんだ!』
部屋着から着替えようとタンスに手を伸ばす。こんな格好じゃ外に出れない。
「………ちよちゃん、双熾くんに怒られるよー?」
ちよちゃんの言いたいことは分かった…というか、全てが分かった。
彼女はきっと、彼にコーヒーを淹れたいんだろう。コーヒーを淹れるのが得意だから。でも、淹れるためのフィルターが無くなってしまった。彼には秘密にしたい。でも買いに行かなくちゃいけない。1人では見つかった時に怒られるかもしれないから、あたしに付き添いを頼んだ、と――。
『…承知している。だから君に頼んだんだ』
携帯の向こうから聴こえる声は本当に申し訳なさそうにしぼんでいく。
「見つかったら殺されるのあた―なんでもないです、行きましょう凜々蝶さん」
『ど、どうした…?はっ、まぁお礼ぐらいは言っておくか』
そうだ、なら双熾くんに見つかんない内に行ってしまおう。それが一番安全だ。
*
「220円です」
目的のフィルターを購入し、人気の少ない通りを二人で歩く。
「態々すまなかったな…助かった」
「いえいえ、今はあたしがちよちゃんのSSだもん♪」
作戦。あたしがSSなら双熾くんだって何も言わないはず!スーツ着てないけど…うん、戦闘能力的には問題無いよね。
「?ちよちゃん、携帯鳴ってるよ?」
「え?あぁ――!?」
携帯の画面を見ながらちよちゃんは表情を変えた。あたしも失礼と承知で画面を覗き込む。
『 ワタシタチニ ヨルノヤミハ キケン 』
「な…にこれ…」
全部カタカナとか気味悪すぎない!?
それに、私達って…
「先祖返り…のこと――っ!」
「!竜条さ―」
「凜々蝶さまと竜条さんに何かご用でしょうか?」
…しまった。
「なんだ〜。彼氏いんの。じゃーねー、お幸せに〜」
「よ、酔っ払い…?」
あたしは酔っ払いにすぐ気付いたからつい構えてしまった。背後には敏感…しょうがないよね。
「…御狐神くん、君がどうしてここへ…!」
「あわわわわ、えとねっ、これには事情がね!」
双熾くんにキッ、と睨まれたので黙ることにしました。…うぅ。
「凜々蝶さまこそ何をなさっていたのですか?…危険だとは思われないのでしょうか?」
「…この時間に外に出たことなら問題無い、竜条さんが君の代わりに――」
「そうではありません」
ああぁっ!あたしの名前出したら不機嫌になった!?ヤバいヤバい、これは嫌われる…っ!
「メールの事ですよ」
「へ…?」
メールって…
「さっき来た…変な怪奇文?」
「おや、竜条さんはご存知でしたか…。それならなぜ危k「ごめんなさいごめんなさいっ」
とりあえず謝りました。し、知らなかったよ!?さっき初めて見たんだよ!?
「何の為に僕がいるのでしょうか」
暗い道に双熾くんの寂しそうな声が響いた。…それはそうだ、自分が守るべき主人の危険を話してもらえなかったのだから。でも…でもちよちゃんは…
「凜々蝶さまをお護りできないのなら…僕に意味はありません」
「―っ、ちよちゃんは―」
「…意味ならある」
「ちよちゃんっ」
「僕にとってはあるんだ」
ちよちゃんは、言葉に出来なくても分かってる。いつも悪態ばかりついちゃうけど…素直に言えないけど。
迷惑…かけたくなかったんだ。
「他人とのコミュニケーションについて僕から偉そうに言えることはひとつもないが…。だけど…何だか他のパートナー達より…遠い気がして…」
「…! 凜々蝶さま…」
「だ、だから明日は僕の淹れたコーヒーで一緒にお茶をしてもらう!」
フィルターの入った袋を抱えながら振り向く。
「その時は無礼講だ。無粋な振る舞いは禁止だからな」
「凜々蝶さま…っ!」
さっきの寂しそうな双熾くんの顔から笑顔がこぼれる。…よかったね…。
「っ、双熾くん!」
「凜々蝶さま」
「な…!」
ちよちゃんをめがけて刀がふりかかってきた。双熾くんと共に一瞬で変化し、襲いかかってきた相手を跳ね返す。
「君か、僕の所へくだらんメールを送ってきたのは」
「ああ そうだ」
あ…。
もしかしてこの声――
「少しも怯えないので私もつまらないと思っていたところだ」
相手の変化がとけると同時にあたしの構えも力が抜ける。
「貴様もあの程度のプレイでは物足りなかったか!」
……最悪な変態が帰ってきたようだ。
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