22センチメートルの距離


普段ならば意識せずとも聞こえる喧騒から切り離され、酷く静かな雰囲気に包まれる放課後の図書室は、やはり何度来ても俺には不釣り合いだとふと思う。


「さっぱりわかんねぇ」


目の前に広げた古典の宿題を睨み付け、ガシガシと髪をかきあげれば、隣の席に座った黒子が「もう一度説明します」と普段と変わらぬ無表情で呟いた。体育館の整備で部活が出来ない放課後。どうせ宿題なんてしないのでしょう、と若干失礼な(しかし的を得ている)言葉と共に半ば引きずられるようにして連れてこられた図書室は、思いの外人が少なくて驚いた。前に黒子を探すためにチラリと中を覗いた時は結構生徒の姿が見えたのだが、今は片手で数えられるくらいしか見当たらない。黒子の話によると、テスト前にはそれなりに生徒が集まるのだが、特になにもない日の放課後はだいたいこんなもんらしい。

適当に席についた黒子の隣に腰を下ろし、プリントを睨み付けて早30分。たった一枚のプリントと悪戦苦闘するも、答えがが埋まったのはプリントの4分の1程度。これでは全て解く頃には日が暮れてしまうかもしれない。集中力が切れかけた脳は、知らず知らずのうちに意識をグラウンドへ向ける。小さく開いた窓からは野球部の歓声やらサッカー部の掛け声が聞き取れた。その声を聞いていると嫌でも自身の部活に励む姿が連想されて、急にバスケがしたくなってしまった。汗だくになりながら走って、監督の無茶なトレーニングメニューをこなして先輩達とミニゲームしまくって。


(あー、バスケしてぇー)


溜め息を吐いきながらそんなことを思っていると、ゴンッ、と軽く顎下を殴られる。痛みで顔をしかめて殴った相手を睨み付ければ、グッと拳を握る黒子が酷く不機嫌そうに俺のことを見つめていた。


「僕の説明聞いてましたか?」

「あー…、わり」

「きっと君のことだからバスケのことでも考えていたんでしょう」


全くその通りで反論もできない。気まずさと申し訳なさで黒子の顔を見ぬままに謝罪の言葉を告げると、黒子は机に散らばる教科書を閉じて仕舞い始めてしまった。もしかして呆れて帰ってしまうつもりなのだろうか。それは困る。せっかくこんなにも近くにいるのに離れるなんてまっぴらだ。


「っ、わりぃ黒子!次はちゃんと聞くからよ!」


だから帰んなよ。そう言いながら細い腕を掴めば、キュッ、と唇に人差し指を押し宛てられた。驚きで言葉と息を呑み込めば「図書室では静かに、」と黒子が苦笑を漏らす。


「僕からさそったのに見捨てたりなんてしませんよ。君にも理解できる参考書を探してこようと思っただけです」

「参考書?学校の図書室にんなもんあんのか」

「ありますよ。場所おしえましょうか?」


結構奥の方なんで分かりにくいんですよね、と呟きながら歩く黒子を追って席を立てば、座っていた時よりも身長差が浮き彫りになる。腕を掴んだ時にも思ったが、やっぱり黒子は華奢だ。そううっかり溢した言葉に対し「君が大きいだけです」と言って黒子に横っ腹を思いきりどつかれたのはまだ記憶に新しい。


(でもやっぱ小せぇよな)


視線を下げて見えるのは、淡い水色の髪とその旋毛。グッと俺から腰を折らない限り黒子の顔を見ることは叶わない。しかし、黒子は名前を呼べば顔を上げる。デカくてグリグリした目をきょとりとさせて、上目遣いに俺を見つめるコイツの表情はスゲェ好きだ。かわいいと思うし、愛しいと思う。もちろんそんな事を本人に伝えたことはないけれど。

目当ての本棚にたどり着いたのか、黒子は「この辺りですね」と呟きながら腕を伸ばした。完全に衣替えを終えた学ランの袖から覗いた白くて細い手首にきゅんとする。このほそっこい体に俺は何度助けられてきたのだろう。ぼんやりそんな事を考えながら本へと伸びる手を掴めば、黒子はピクリと体を揺らす。小さい体、細い骨格。それでもコートの中では酷く頼もしいその背中に、俺は惚れているのだろうか。


「黒子、」

「……っ、ん」


俺の声におずおずと顔を上げた黒子に顔を寄せる。ふわり。拐うように掠めるようなキスをして至近距離で見つめあい、また吸い寄せられるように唇を合わせた。薄く開けた視界の中、何故今キスをするのか、と言いたげに眉間にシワを寄せる黒子の姿が見えた。しかしたぶん、その質問には答えられないだろう。俺自身、何故今したくなったのかなどわからないのだから。


「ぅ、…んんっ」


抵抗するように俺に掴まれた腕に力を込める黒子に軽い罪悪感を抱きながらも、数は少ないとはいえ他人もいる公共の場でこのような行為に走っているという背徳感に、余計に感情は昂っていく。何度も角度を変えながら合わせた唇をゆっくり離せば、どちらともなく視線を外した。


「なんで今するんですか」

「……わり。てかお前もちょっとくらいは背伸びしろよ、腰が痛ぇ」


気恥ずかしさで視線を泳がせながら、わざとらしく腰を擦ってみせた。実際、黒子とのキスはけっこう腰にくる。いや、まぁ色んな意味で。この身長差なのだから俺が腰を屈めるのは当たり前なのだが、少しくらいは黒子にも協力してもらいたい。そうボソボソと伝えてみれば、黒子は火照った頬を手の甲で冷ましながらムスッと不機嫌そうに唇を尖らせた。


「そんなの、火神くんが勝手にしたことですし」

「そりゃそーだけどよ、」


もちっと労りが欲しい、そう言って同じく唇を尖らせれば、黒子は小さな溜め息を吐いてからキョロリと視線をさ迷わせ、おもむろに足元にあった踏み台に登ってみせた。それは背の低い生徒の為のものらしく、図書室のいたるところに置いてあるらしい。


「火神くん」


ちょいちょい、と俺を手招く黒子は、踏み台に登っている所為で俺を少し見下ろすようなカタチとなっている。誘われるがまま近付けば、俺は丁度黒子の胸に額が届くか届かないかの高さで、それが普段の黒子と俺の位置であることを知る。つまり今だけは身長が逆転しているということのようだ。グッと顎を上げない限り黒子の表情を窺うことの出来ないこの状況は、少しだけ新鮮なような気がした。


「で?これになんの意味、が」


黒子はいつもこんな風に俺を見上げているのだろうか。そんな事を思いながら顔を上げて黒子を見れば、いきなりガブリ、と噛みつくようにキスされる。がっちりと顔をホールドされた状態で体を硬直させれば、とどめだと言わんばかりに俺の唇を舐めて唇を離した。いきなりのキスに呆けた俺に、黒子は朱の射す頬を膨らませ、「不意打ちされて背伸びなんてできないでしょう?」と呟いて踏み台から降りた。


「……確かに、無理、だな」

「はい。でも火神くんの大変さもちょっとわかりました」


これは何度もしたら腰が痛くなりそうです、と苦笑しながら目当ての参考書を引き抜く黒子の耳はまだ赤い。あぁ、クソ。こういう突拍子のないところや、すぐに照れてしまうところがすげぇ好きだ。

照れ隠しなのか、さっさと元いた場所へと帰ろうとする黒子の腕を掴み、ぎゅう、と腕の中へと閉じ込める。弱々しく俺の名前を呟いた声にドキリとしながら、未だに赤い耳元に内緒話をするように潜めた声を流し込んだ。











22センチメートルの距離
(もういっかい、キスしよう)











「なぁ、黒子」

「……火神くんのワガママ」


ムッとしながら俺の顔を見る黒子の額にキスを贈れば、一度きょとりとした表情を浮かべ、すぐに仕方がないなというように頬を染めながら小さな溜め息を吐く。そんな黒子にニッと歯を見せるように笑ってみせれば、黒子は「もっとしゃがんでくださいよ、」と呟いて、俺の制服を掴みながら小さく背伸びをした。











2012.11.06

久々に火黒。
彼らの身長差には悶えるしかない!

( 40/51 )