DendrotoXin

Love Me



▽▽▽



「今日の夕飯は何が食べたいですか」
「自転車屋の隣の店の辛いフライドチキン」
「ふざけないでください」

食べたいものを聞いたのはそっちだろうに、答えを聞いて拳を震わせるのはやめてほしい。それに、この男は自分が作る前提で話をしているが、私は本当にそのフライドチキンが食べたいのだ。

「スーパーマーケットより遠いから嫌?めんどくさいなら私が買いに行くよ」
「そういう話ではありません。もう結構です。」

そう言うとズミは家の鍵と財布と買い物用の鞄を引っ掴んでリビングを出て行った。
きっとフライドチキンは買ってきてくれないんだろうな、と思いつつ寝転がっていたソファから起き上がりのろのろと玄関まで歩み寄る。整っただけの仏頂面が私ののろまな動きを注視していて、むずがゆい。

「いってらっしゃい」
「...行ってきます」

玄関で靴を履いた状態でさっさと出かけず、私がそれを言うのを、ズミはじっと待っていた。
私に見送られると、ただでさえ寄っている眉間のシワを深め、この男を知らない人が見たら怖気付いてしまうような顔で出て行った。
閉まる鍵の音を聞いて私は息をつく。

ズミはめんどくさい。
彼女でもない女がいってらっしゃいを言わないと言うまで出かけない、というよりも言わせるために引きずり出す。おかえりなさいも言わないと言うまでただいまを言ってくる。
日常のどうでもいいことに割と突っかかる。
彼は料理の才能と引き換えにしたかのように、人間とのコミニュケーションはどうしようもなく不器用だった。

ドアに耳を当て彼がアパートの階段を降りていく音を確認した私は、寝室のサイドチェストを勝手に開けた。
やっぱりここに入っていた。
引き出しの中には私があげたガラクタたちと、彼が駆け出しの頃に得たメダルに紛れて小さな箱が鎮座していた。
先日偶然、彼が宝石店から出たのを見たのだ。
本命への想いを送る相手がいる彼と関係を続ける程私はふてぶてしくない。
腹の底が若干モヤモヤするのは不器用な彼に先を越された悔しさだ。それと少しの、彼は私が好きだろうという自惚れが外れた小っ恥ずかしさ。
窓から薄く差し込む夕日にかざすと、趣味の悪い指輪は若さを雑に消費した私を嗤っているように思えた。
彼の人生で恐らく唯一の不誠実である私は、今夜終わりを迎えるのだ。


▽▽▽


「上品な味がする...いや、おいしいよ」

私の作った料理を口にした彼女の感想がそれであった。
彼女が食べたいと言ったフライドチキンの店まで行った。しかし気が収まらず、結局スーパーで材料を購入し家で私が作ったフライドチキン。
皿に行儀良く載せられたそれをナイフとフォークで口に運ぶ彼女の表情は、私が望んでいたものではなかった。だが、それは彼女が望んでいたものではなかったのだから彼女は悪くない。
私は彼女に喜んで貰いたかった。これは私のエゴだということは分かっているが、私は彼女に求められたかったのだ。
料理は私が彼女にできる唯一の奉仕だ。
人間関係などなるようにしかならないと半ば放棄している私にとって、彼女の望むデートも、プレゼントも、楽しい会話も、どうすればいいのか見当がつかない。彼の笑顔はいつもさわやかで素敵と彼女が褒めそやす画面に映る男の笑顔を真似ても、鏡に映る私は情けない顔にしかならなかった。
だが料理は違う。彼女は私の料理を好きだと言う。彼女が唯一といっていい程純粋に好きだと言ってくれる。私の料理が好きだとはもう数えられないほどの人に言われてきたが、彼女の好きは特別だ。私を舞い上がらせて、心臓を鷲掴んで離さない。そんな力がある。
私たちの関係は酷く歪だ。休日を合わせて私の家で数時間を共にし、たまに映画などを見る程度でお互い一緒に何かをするわけでもなく、最終的に性欲を満たせば愛を囁き合う仲でもないため2、3言交わせば眠りに落ちる。
以前一度最中に私の口から愛しさが漏れ出したことがあったが、彼女がそれから何か考え込むように上の空になって以来、私は彼女への気持ちを無理やり自分の中に押し込めている。そのくらい、私は彼女と一緒にいたかった。
何年間も関係をもっていても、彼女からは体の関係、所謂セフレとしか思って貰えていないのだ。最初から今までずっと。
今思い出しても最低な始まりであった。
彼女に好きな男がいるのは知っていた。いつも好きな男の話を世界一幸せ者の顔でして、でも報われないのと切なげに笑う彼女に、私は恋をしていた。
知っていて誘ったのだ。酔った振りをして、酔った彼女とホテルに入った。私は彼女の恋心をめちゃくちゃにしたかった。何か勘違いをして私の方を向いてしまえばいいと思った。
結局彼女は私に靡きもしなかったし、一夜の過ちの責任を取ると言った私に彼女が言ったのは、「ズミ、セフレになってよ」という私が望んでいた言葉と一キロ程度ズレたものであった。
私はどうすればよかったのだろうか。
彼女の望んだ物でないこの料理は、フライドチキンとして作ったつもりであったが、その実フライドチキンではないのかもしれない。現に食べ終えたその皿を、私の舌は何が正解なのか考えあぐねている。

「ご馳走さま。ズミ、あのさ、私に話すことあるでしょ?」
「話すこと、ですか...」
「うん。」

食事を終えた彼女に問われ、内心穏やかではなかった。心当たりがある。私は恋人でもない彼女の指を測り、指輪を買ったのだ。
給料3ヶ月分という一般常識だけで購入したそこそこ宝石が付いた指輪。
私はもう自分の中だけに想いを留めておくことが耐えられなかった。それこそ、想いを一時的でも物に置き換えて落ち着かなければならない程。
あれは私の想いの塊だ。彼女は見つけてしまったのだろうか。サイドチェストを開けては下らないと懐かしむ彼女に見つかってしまったのかもしれない。
どう思われただろうか。はたまた見ていない可能性を考えると、どう切り返すべきか。

「今日で終わりにしよう。ううん、もうここでさよならしよう」
「は...何故?」
「何故って、不誠実だからだよ」

思案する私を、彼女は置いていく。
彼女の表情が引きつって、信じられない物を見る目で私を見ている。
気持ち悪いと思ったのか?重いと思ったのか?めんどくさいと思ったのか?どう思われても構わないから別れを告げないでほしい。胸がドクドクと嫌な音を立て、愛しさが全身を巡って酸素が薄れ、苦しさに変わっていく。
私を置いていくのか?好きな男ができたのか?私が一番ナオキを愛しているのに。何故私ではいけないのか。覚束ない足取りで彼女に近づく。
呑み込んできた想いたちが胸の奥から湧いてきて、今にも彼女に詰まって捲し立ててしまいそうだった。

「誰に、対する誠実さでしょうか。あなたの想い人?今更あなたが私と関係を断ったところであなたが不誠実なことをしていたことに変わりはありませんが」
「そうじゃないよ、うわっ!何、離してよ」
「終わらせません」
「え?」
「私はあなたとの関係を終わらせるつもりは無い!!」

きっと彼女は私との関係を終わらせたところで、何もなかったかのように幸せに暮らすのだろう。
では私は?私は彼女を失った世界で幸せになど生きて行けない。
もういっそここで死んでしまいたいと思った。彼女の中で永延になりたいと思ってしまった。
情けない私が映る瞳に、薄い膜が張って、揺れていた。

「痛い。離して」
「...すいません」

現実に呼び戻され肩から手を離す。
行く宛のなくなった私の手は宙を彷徨ったが、呆れた彼女の柔らかい手が私の手を掬い、甲をなでる。
ナオキに触れられるとたまらない気持ちになる。
愛しい気持ちを受け取ってほしい、ずっと触っていてほしい、私を愛してほしい。
でも少し、ほんの少しだけ、こんなどうしようもない男に触れないでほしいとも思う。

「ズミ、誰かと婚約するんじゃないの?随分大層なもの買ってたでしょ」
「しません。あれはあなたに買ったものなので。それとも婚約していただけますか」
「いやだよ。ズミと結婚したらすぐ疲れちゃいそう」
「仕事も家事も苦労はさせません」
「疲れるのはそこじゃないから嫌。それに私、好きな人がいるっていつも言ってるでしょ」
「...そのホウエンの男がそんなに好きですか」
「好きだよ。彼のことがずっと好き」

喉から手が出る程欲しい言葉が吐き出され、受取手のいないそれは部屋に霧散する。
かの男を好きだと言う彼女の表情が、私は世界で一番好きで、世界で一番嫌いだ。
聞かなければ良かったと後悔するも、もう遅い。
腹から心臓へ何かが這いずってトゲを刺していくような感覚が、私のさみしさをつついてたまらない。
辛くて、苦しくて、縋りたくて。彼女を抱きしめようと動かした手を彼女にやんわりと握られてしまう。

「今日は帰るね。また落ち着いたら連絡して」

彼女の手が私の手から離れた瞬間一気に体から熱が引いて、もう一歩も動けないような気になる。
立ち竦む私を他所に、ナオキは帰り支度をしている。帰ってしまう。行かないでくれ。

「ナオキ」
「なぁに?」
「もう少しここにいてくれませんか」
「私とズミはそういう関係じゃないでしょ?」
「そう、ですね」
「うん」

好きも愛してるも、もう喉奥のすぐそこまで出かかっている。吐き出したら終わりだとは分かっていたが、全て吐き出してしまいそうだった。


▽▽▽


指輪の件が無くても、そろそろこの関係にも限界は感じていた。今日のズミは本当にキちゃっている。
でもそういえばズミは最初からおかしな人だったと、この関係の始まりの日を少し思い出す。
私は、体だけの関係なんて彼は断ると、馬鹿げていると一蹴すると思っていた。
ズミは不器用で本当に馬鹿だ。好きな女に告白もまともにできないんだから。
そんなことはもう関係ないしどうでもいいか。
毎回一応取っているホテルの部屋に戻って、さっさとホウエンに帰ろう。それでもうおしまい。きっと今度カロスに来るのは純粋に旅行だけだろう。
美しい街の美しい友人を失うのはもったいないけど、さすがに身の安全には変えられない。

「ナオキ」
「今度は何?」

焦りのせいか、少し冷たい言い方になってしまったかもしれない。
彼の顔を窺うと、先程の怒りは何処へやら、瞳の感情は凪いでいて、薄らと口元が微笑んでいた。
早く逃げないと

「私はあなたと幸せになりたい」

玄関に急ごうとする私の腕を掴んで、彼は一方的に言葉を浴びせる。

「ズミ、もう帰らせて。気分がよくないの」
「聞いてください。聞いてくれたら帰します」

聞かなかったらここから出さないと暗に脅す男を最低だと罵る権利は私にはない。妙な優越感で無駄に長くこの関係に浸かっていたのは間違いだったと気づいてはいたから。
うっかり一夜を共にしたあの日から、いつ終わりを切り出してもきっと同じ展開になった気はするけれど。
ズミの唇が少し動き、何かを言い渋っている間にも私の気持ちはじりじりと玄関に向かっていて、体だけがこの場に張り付けられているみたいだった。
私は好きな男がいて、報われないのなら誰とも一緒にならずに死のうと思っている。
そんな酔狂を知っていてこの関係を続けているはずなのに、これ以上何を言うことがあるのだろうか。

「ナオキ、私に恋してください」

あまりに傲慢で、この男にしては素直すぎて、言葉が脳を滑って咄嗟に何も言い返せなかった。
ズミは泣く時大体怒っているが、今は薄く笑みながらも目に涙が溜まっていた。私がさっきわざと涙腺を弱めて出したのとは大違いの、綺麗な涙。私もこういう健気さがあれば彼に振り向いてもらえたんだろうか。
馬鹿みたいだな。私もズミも。馬鹿で頑固で一途で幸せになれない。
でも少しだけ、本当に少しだけ。私のせいで泣いているズミのことをかわいいと思ってしまった。...また会ってもいいかと思う程度には。

「私のせいで泣いてるズミはちょっと好きかな」
「......本当にいじがわるい」
「そういうとこが好きなんじゃないの?」
「私にそのような趣味は無い。ですが...そんなあなたも嫌いではないです」
「そっかぁ...かわいそうなズミ」
「ナオキ」
「うん?」
「好きです」
「うん」
「好き、ナオキ、好きです。愛、しています。また私に会いに来てくれますか」
「うん。また連絡してくれたら調整するね」
「本当に...?」
「......分かっててさっき引き止めたの?あ、そうだ。ホロキャスターの着拒解除しないと」
「は?」
「やっぱり今日は泊まってこうかな。もう疲れちゃった」
「私は全く構いませんが...そうだ、指輪を貰って頂けますか?私は持っていても使いませんので」
「嫌よあんな趣味の悪い指輪。あれはあそこに大事にしまっておくのがお似合いだわ」
「な...そうですか。では今度一緒に買いに行ってくれませんか」
「調子に乗らないで」
「私と結婚してください」
「順番の問題じゃないよ。それ言うなら付き合ってもいないでしょ」
「手厳しいな、そんなところも好きですが。好きですよナオキ」

セフレでなかったら会わないと、好意は邪魔だと、なんでこの男に好意を伝えさせないようにしていたか、私は今の今まで忘れていた。さっきの泣き顔になんで少し絆されてしまったか思い出した。
私はズミの好意を伝えるときの表情に弱いんだ。心から幸せそうに、好きだと告げる彼の表情が好き。
絶対に言ってやらないけど。
あぁ、多分近いうち私はダメになってしまう。

「そうだ、お皿洗うよ」
「結構ですので先に浴槽に湯を貯めておいてください」
「ズミのえっち」
「私たちはそういう関係でしょう」
「根に持ってる?」
「いいえ。いえ、少し」
「今日はずっといるよ」

愛し気に笑うズミから逃げたくて足早に風呂場に駆け込む。私はこんなにちょろい女だっただろうか?頬が熱を持って自分でびっくりしてしまった。
私がダメになるのは本当に近そうだ。


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