鳴動 /




美術教師

女生徒
で、藤鬼
(シリーズ的なやつです)






流れ星ってなんだかこの世から逃げていくようだと、窓の外の夜空を見ながら鬼塚一愛はふと思う。その尻尾を掴まえて無理やり願い事をしても叶わないような気がして、彼女は降ってくる星をただ見送った。




校舎から出ると、冷たい風が全身に吹き付けた。晩秋と初冬の狭間にある季節は薄れていく色彩が寂しく映り、心の分厚い壁も萎んでいく。折り畳んだ傘をぐるん、と一回転させると、小さな雨の粒が汗のように散った。
げほ、とマスクの奥で空咳をし、肩を縮める。テスト期間中にひいてしまった風邪は数日経っても未だ治らず、喉がいがいがした。
雨上がりの空は近い。重厚な雲がすぐそこまで迫ってくるようだ。押し潰されそう、という不安を抱いたまま厚ぼったい雲を見上げていると、鬼塚ー、と天から声が降ってきた。視線を移動させて屋上に目を向ければ、大きく手を振る彼がいた。それを抑えようとする椿先生の姿まで見えて、わたしは思わず笑ってしまった。
掻き消えた不安の色を思い出さないように、わたしも両手を振る。遠くにあるはずの、柔らかい彼の表情まで見えた気がして、傘から散った雨粒が目蓋に落ちたのが、涙なのかもしれないと思えた。


「雨の日も自転車なんやな」
荷台から声を掛けると、まーなーと彼は軽く返した。前を向いたままなので、彼の声はどこか遠くに行ってしまいそうだ。
掴まる位置をはかりかねて彼のパーカーを摘まむように持つわたしに、腰持て腰、と彼が振り向く。他意はないんやろな、と痛いほど感じられて、わたしは恐る恐る彼の身体に腕を回した。丸みのない、しかしあたたかい体躯にしがみついていると、意識しなくても、放課後の美術室で抱き締められたことを思い出す。気づかなかった頃の方が幸せでした、なんて柄にもなく考えてしまい、それはこの心地好い体温の所為なのかもしれない。
車輪が水溜まりの上を滑る。跳ねた水滴に、わたしたちはどう映っているのだろうか。ぎこちなく預けたアタシの身体は、やはり不自然に傾いとるんやろな。
「おまえん家遠いなー」
ペダルを踏み締めながら言う彼に、ほんならとわたしは眉を寄せる。
「家まで行かんでええよ」
「は? 違ぇよ。風邪ひいてんのに無理して帰ろうとしてんな、っつってんだよ。いくらでも乗せてってやるからよ、チャリだけど」
「……ありがとう、ゴザイマス」
「棒読み!」
けたけたと笑う彼が風を防いでくれるから、わたしは寒くない。とっぷり沈んでいく夕日を横目に見ながら、あほう、と静かに呟いた。いくらでもて、あんた、もう居らんくなるやんか。背中に吐き出した言葉は彼の耳には入らず、夕焼けとともに溶けていく。あほう。わたしはもう一度呟き、彼の鼓動を聞いた。

家の数メートル手前で、彼はわたしを下ろした。彼もサドルから下り、自転車を止める。
わたしより高い位置にあるその顔を見上げると、なぜか心配そうな顔をされた。
「おまえ、顔赤くね? 熱あんのか?」
「――……違う違う、夕日の所為やて」
「そっか? ならいいんだけどよ、」
あんま無理すんな、と彼の声が鼓膜を震わせる。脳が痺れる。胸が痛い。心の襞を優しく撫でていくその震えは、流星のようにあっという間に去っていくのに、いつまでも尾を引いているから、困る。
マスクに隠した乾いた唇を舐め、年上のくせに無垢そうな猫目を見つめる。ん? と小首を傾ぐ様はやはり、いとけなくて、いとおしい。
「あ、おまえ、夢あんだって? スイッチが言ってたんだけど、先に身体壊したら意味ねぇからさ、」
「ふじ、……ボッスン、」
声を遮ってそう呼ぶと、彼は目を丸くした。よく届くようにとマスクを外し、不格好な言葉を重ねる。「あんな、アタシ、ボッスンがどこか行くの、ほんまはめっちゃ厭や。でもアタシが居づらくしたんもわかってるし、ボッスンがアタシに居場所与えてくれたみたいにアタシも――、」
そこで不意にぐいと腕を引かれ、凭れるように彼の胸に落ちていく。あつい。先程までの体温との違いに戸惑っていると、背中に彼の震える掌が触れた。ぎゅう、と強められた腕の力に息が止まる。彼の腕の中はやけに酸素が薄くて、ぼぅっとする頭の中、煙草のにおいと夕暮れに染まる美術室を思い出していた。
息を詰めていた数秒間、永遠とも刹那ともつかない時間の後、彼がわたしの肩を掴んで引き剥がした。覗き込んだ顔は夕焼けより紅くて溶けそうで、え、と声を漏らすと彼は更に頬を赤らめた。
「――――っ!? うあ、ああああああああああああああああああああああああああ!?」
絶叫を残して慌てて去っていく彼の後ろ姿を、わたしは呆然と見送る。狼狽した様子も震えた掌もいつかとは違っていて、何なん? と思わず溢す。
そんなに、厭、だったのだろうか――鉛のように落ちてきた考えに、頭を緩く振る。本当に、何も気づかない内は楽だった。
掴みかけた流れ星を手放すように、わたしは温もりの残る掌を開いた。空っぽだったけれど、確かな煌めきが見えたような気がして、また少し視界が滲んだ。




昼と夜との鳴動
(そこに確かな夢を見る。)






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進みが遅いorz











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