瞳焉 /




国語教師

女生徒
で、椿丹







大学時代、初めて付き合った彼女に、椿くんは恋愛に対して潔癖すぎるよ、と言われたことがある。そんな意識はなかったし、未だにぼくの恋愛観のどこに問題があるのかもわからない。だから、直せと言われても直しようがなく、そのまま振られた。
――などという思い出を今さら俎上に載せるつもりはないけれど、たまにふいと頭の隅を掠める。ぼくは何か間違っていただろうか、という苦い後悔と共に。



「懺悔と後悔は似ていますね」
文庫本を静かに閉じ、不意に丹生美森が言った。
甘ったるい声ではあるけれど、鼓膜にへばりつくような不快感はない。むしろそよそよと爽やかで、出来ればじっ、と耳を澄ませていたいと思う。
「うん?」
ぼくは小テストを採点する手を止め(なぜこんなにも古典の文法は出来が悪いのだろう)、彼女の顔を見た。
一体何の本を読んでいたのかと思えば、まさかの懺悔録だった。女子高生が読むものでもないだろうに。そう指摘すると、あら、椿先生が濫読はいいことだと仰ったんですよ、と彼女はぼくの言葉を盾にする。
「神様のお許しを得る為には、おいくらくらい必要なのでしょうか」
「君なぁ……金で解決出来ないこともあると、何度も言っているだろうが」
「はい」
「うーん、本当に解っているのか?」
赤ペンで小テストの右下に点数を書き込む。96点。やはり八木がトップだなとぼくが嘆息を漏らすと、椿先生には後悔していることございますか? と問われた。
「――それは、許しがほしいこと、ということか?」
「いえ。単に、悔いていることはおありですか、と訊いています」
「うーん……、」
真っ先に思い浮かんだのは、血縁上は兄である(戸籍上は他人であるが)藤崎佑助のことだった。そう言えば出会った当初は諍いばかりだったな、と思う。しかし後悔しているかと問われれば、そういうわけでもない気がした。
――あ、と次いで頭を過ったのは、件の大学時代の彼女だった。思い出として思い出せるのはもう、別れた時のあの言葉だけで、仕種も表情も靄がかかったように曖昧だ。ぼくはこんなにも非道い男だったのか。
顔を上げれば、丹生が瞬きもせずこちらを見ていた。十代特有の希望に満ちた瞳が眩しくて、ぼくは苦笑を浮かべる。
「大学時代に、ちょっとあったな」
「大学、ですか……」
彼女は僅かに目を伏せ、まだ見たこともないであろうキャンパスライフに思いを馳せるようにひとつだけ瞬きをした。「どのような後悔を?」
「うむ、自分のどこが悪いのか、訊ねなかったこと、だな」
「悪いところ?」
「あー……だから、その、だな、恋愛観、というものが、潔癖すぎるらしいのだが、それがさっぱり……」
「まあ、椿先生の恋愛観ですか?」
「ああ。――好きな者同士でないと付き合えないとか、単に恋人が欲しいだけで無理やり恋をするのは如何なものかとか、そんなことだったと思うが……、」
何がいけなかったのだろう、とぼくは首を傾げる。
すると丹生が、ふわりと微笑った。
「私は、とても素敵だと思いますわ」
ゆったりとした口調で、彼女は言う。私も、そうありたいと思います。
向けられたその笑顔があまりに綺麗で、ぼくは思わず息を呑んだ。吐き出すのも躊躇われるような不器用なタイミングで静かに二酸化炭素を漏らし、そうか、と掠れた声で呟く。ええ、と丹生は頷いた。
「有難う。」
上滑りしたトーンでそう告げて、再び小テストに視線を落とす。まる、まる、まる――丹生美森は、100点だった。
気が付くと、丹生は帰り支度を済ませていた。さようなら、と見事な角度で礼をした彼女は、そのまま去っていった。さようなら。誰にも届かない挨拶が、教室に滲みる。
彼女の瞳の色を思い返しながら、ぼくは目を閉じた。




瞳焉に請う懺悔
(君に恋をしたことを、今、人生で一番後悔しているんだ。)


そんなぼくは、やはり非道い男なのだろう。






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書きかけのままずっと放置していましたが、ようやくお目見え。
残念な感じでしょんぼりです。













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