微動 /




美術教師

女生徒
で、藤鬼
(※シリーズ的なものです)






厚ぼったい雲が、空を覆っている。温もりの無いコンクリートに寝転がってそれを見上げる藤崎の膨大な退屈感をも吸い取って、より重量感を増したようにも見えた。
たなびく紫煙は空に向かってゆっくり立ち上っていくが、雲の圧倒的な存在感に気圧されてすぐに霧散した。雨のにおいを含んだ風が、鼻先を掠めていく。
煙草もう止めれば、なんて、実家に帰る度に二つ違いの妹に言われるが、どうも引き返せそうにない。舌以上に脳が、その味を覚えてしまった。
「――寝煙草は危険ですよ」
不意に聞こえた声に、ん、と意識を向けて見ると、笛吹が立っていた。彼のその瞳にどんな景色が映っているかは、眼鏡に遮られて判らない。
藤崎は咥えていた煙草のフィルターを指先で摘まみ、溜め息混じりの煙を肺から吐き出した。曇り空よりも薄い色をした煙がひどく覚束無く見えて、瞬きによって生じる微細な風にも耐えきれないのではないかと思える。しかし紫煙は、彼が瞬きを躊躇っている間に、音も無く消えた。
藤崎は今度こそ本当に溜め息を吐いて、ゆっくりと上体を起こした。携帯灰皿に煙草の火を押し付けて揉み消し、笛吹に再び目を向ける。
「よくわかったな、ここに居んの」
「当たり前だ。俺の情報網には、開盟の生徒だけでなく、教師の情報も抜かりなく引っ掛かる」
「普通に怖ぇ!!」
て言うか屋上は生徒立ち入り禁止なんだけど、と漏らしながら笛吹の背後に意識を向けた時、藤崎は思わず目を瞠った。気づかなかったことが不思議なくらいの存在感を示す彼女はやや戸惑ったような表情を浮かべながら、笛吹の背中に隠れるように立っていた。
おにづか、と小さく溢した声が湿った風に流される。
「ん? ん? 二人とも何を気にしているんだ? 三人で会っている分には、特に噂を気にすることもないだろう?」
「おっまえ……、」
わかっていて、連れてきたのか――藤崎は睨むようにじとりと笛吹を見たが、彼はどこ吹く風で眼鏡のブリッジを指で押し上げた。
アタシ、と笛吹の陰から、鬼塚が細い声を上げる。
「アタシ、知らんかってん、藤崎がここに居るて――だから、もう、教室帰るから、」
「待て」
逃げようと後退った彼女の手を、笛吹が掴む。頭脳派の彼の力は大したものではなかったけれど、鬼塚は振りほどくことが出来なかった。
スイッチ、と泣きそうな顔で鬼塚が非難するように呼ぶ。しかし笛吹としても、その手を離すわけにはいかなかった。思いの外冷たい鬼塚の肌の感触に戸惑いつつも、キーボードにそっと片手を滑らせる。
「ヒメコ、ボッスンから話があるそうだ」
「えっ」
思わず驚きの声を上げたのは、藤崎の方だった。心当たりが無かったからではない。まだ漏れていないはずの情報を笛吹が指しているであろうことに、驚愕したのだ。
笛吹は、ゆっくりと手に込めていた力を緩めた。鬼塚はそれでも逃げようとしなかった。ただ、二人の空気に圧倒されるように小さく息を吐き出し、解放された手を見つめている。
無言の空間に流れる空気が痛くて身を縮めると、笛吹が探るような視線を向けてきた。藤崎は携帯灰皿をデニムのポケットにしまい込み、わーったよと立ち上がる。
「話すよ、ちゃんと」
「――そうか」
それでは俺はこれで、と笛吹は颯爽と去っていった。その背中を呆然と見つめていた鬼塚は、あのさ、という声が聞こえて慌てて正面を向いた。もう隠れ蓑はない。久方ぶりに対峙した二人は暫く、無言のままお互いの目を見ていた。
数分、もしかしたら数秒のことだったのかもしれない、永遠にも似た時間に終止符を打ったのは、額を濡らした一粒の雫だった。雨や――鬼塚が空を仰いだその刹那、藤崎が口を開く。
「        。」
「―――へ?」
不意を衝かれた出来事だったが恐らく、声は聞こえたと思う。それでも彼女の脳は、彼の言葉の意味を解そうとはしなかった。ぷつりと捻じ切れた思考の端に、彼の声が立ち止まる。
立ち尽くす彼女から目を逸らし、藤崎は一歩、踏み出した。骨張った手を軽く彼女の頭の上に乗せ、髪の感触を確かめる間もなく離す。惜しい、と思うのはあまりに後ろめたくて――藤崎は目を細めた。
「――早く教室戻れよ」
そうして彼女を残して、冷たいコンクリートの上を進む。学校という名の閉鎖空間のてっぺんは思いの外心地よかったけれど、もうここには来られないかもしれない――ふと、そんなことを考えた。
チャイムがどこか遠いところから聞こえる。ふと灰色の雲を見上げれば、雨が頬を伝った。




微動だにしない瞳
(「俺、学校辞めんだ。」)


あの時僕は、謝るべきだったのかもしれない。
泣かないでくれと抱き締めれば良かったのかもしれない。
少なくとも僕は、君に触れたかった。






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久々にこのシリーズ書こう!!と意気込んだまでは良かったのですが、何とも残念な感じに。
続きます多分。











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