引導 /




国語教師

女生徒
で、椿と鬼塚
(と美術教師藤崎)







地平線に溶けていく夕陽を窓ガラス越しに眺めながら、わたしは密かに息を吐いた。別に教室の中には他に誰もいないのだから、密かに、なんて吐かなくてもいいのだけれど。
机の上のプリントは、無味乾燥(使い方、合ってるやろか)な言葉で埋められている。細い線で書かれた丸こい字が、なんだかわたしには不似合いな気がした。
あり、をり、はべり、いまそかり。空いたスペースにラ変動詞を並べ、いかにも、ぎょうさん書いてありまっせ、という風を装う。
「……アホくさ」
シャープペンシルを時計の秒針に合わせてかちかちとノックし、チュウさんまだかいな、と小さく溢す。すると、教室の扉が音を立てて開いた。
期待を胸にそちらを見たが、残念ながら、立っていたのは国語教師の椿だった。真っ白なワイシャツに、ださいニットのベスト、ファッション性のないボータイ、地味な色のボトム、そして、くたくたのベルト。相変わらず、センスが感じられない。
わたしはわざとらしく大仰に息を吐き出し、机に突っ伏した。
「あんたは待ってへんっちゅーねん」
「……ほぉ。僕は、教科会で来られない中馬先生の代わりで来たんだがな」
「えっ、ホンマ!?」
わたしは頭を上げ、割と整った椿センセーの顔(センスがないのが勿体ない)を見た。むぅと不機嫌そうにひそめられた眉間は、どことなくあの美術教師に似ている。わたしは思わず、少しだけ笑ってしまった。
で、と椿はわたしの机の横まで歩いてきて、書けたのかと訊いてきた。わたしは机の上の原稿用紙を裏に引っくり返してから、彼に手渡した。
「……一応、埋まってはいるみたいだな」
「せやろ? もうええやろ?」
「ラ変動詞の羅列が見られなくもないが……まぁ、もう日も暮れるし……女生徒をいつまでも残しておくというのも、」
「おお!! 何や椿センセー、意外と話わかるやん!!」
「君なぁ……居残りさせられている理由、解っているのか?」
吐息混じりの椿の言葉に、わたしは顔をしかめた。そして、未だ人の骨の感触が残る自分の拳を見つめる。
「……人を殴りました」
「うん、」
「でも、反省文を書かされる意味はわかりません」
「うーん……」
殴られなきゃわからないヤツってのもけっこう居るぜ――鬼姫という悪評に苛まれていた時、副担任である美術教師に言われた言葉だ。あいつが覚えているかは判らない。言葉なんて、言われた方が咀嚼して胸に留めるものだ。
その言葉を着飾って、すべての暴力を正当化しようとは思わない。それでも、今日振るった拳が間違っていたとは思わない、思えない。
とん、と椿が指先で机を一つ叩く。細く、けれど骨張った指。思い出したのはやはり、あの副担任の手、だった。
「僕は中馬先生に、詳しい話を聞いていない。職員会でも、詳細な情報は与えられなかった。――何があったか、訊いてもいいか?」
椿は真面目だ。堅物で、しかも暑苦しい。――けれど、ちゃんと"先生"、だ。厳しくて、そして優しい。
胸がきゅうと締まる。鼻の奥がつんとして、気を抜けば涙が一気に零れてきそうだった。
「……アタシと藤崎が付き合うてるて、噂立てられそうになってん」
「藤崎……? って、美術のか?」
こくりとわたしは頷き、机の上に転がるシャープペンシルに目を落とした。ゆっくり息を転がして、圧し潰されそうな心臓を落ち着かせる。せりあがってくる不安が、口から出てきそうだ。
なんでまたそんな噂が、と不思議そうに椿が言う。
「アタシが、よぉ美術準備室に行っててん。別に、普通に話してただけやのに、あいつには、そんな気さらっさら無いのに、――生徒には手ェ出さんて言うてたのに、」
腹、立つわ。アタシの気ィもあいつの気ィも知らんのに勝手な噂立てよう思て、軽い気持ちで人の心荒立てようとして―――ほんま、腹立つわ。
気がつけば、涙が目の端から流れていた。淡い色の付いたシャープペンシルに落ち、濡らす。ついで零れたわたしの嗚咽は、冷たい机の表面を滑って、床に転がった。
「おにづか、」
ゆっくりと、わたしの頭を撫でる手の感触。不器用で、優しい。
それが藤崎の手だったら良かったのにと思ってしまう。ごめんなさい、椿センセー。

地平線に溶けきった夕陽はもう明かりを与えてはくれない。
世界に夜が落ちてくる。




不可侵領域に踏み込む愚者には引導を。
(お願いだからこの気持ちは放っておいてよ。)






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このシリーズしつけぇ(^p^)











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