胎動 /




国語教師

美術教師
で、椿と藤崎







屋上の扉を開けると、細くたなびく紫煙が目に入った。生徒が吸っていたならば厳重注意が必要だが、幸いなことにそれはぼくの同僚だった。
柵に凭れ掛かって煙草を燻らす彼は、ぼくと同期の教師で、名を藤崎佑助という。担当は美術で、出身は芸大と聞く。ぼくとは血続きの関係になるが、その辺りは説明が面倒なので(これは藤崎の言い分であり、決してぼくの言葉ではない)、職場では口外していなかった。
「煙草は、喫煙スペースで吸え。副流煙は有害だ」
ぼくがそう言うと藤崎は口許に薄く笑みを浮かべ、「ここは俺にとって喫煙スペースなんだよ」と飄々と言ってのけた。そんなこと許されるかと言おうとしたが、もう言葉にするのも飽き飽きしたやり取りなので、口を噤む。どうせ、生徒はここにやって来ない。
生徒は屋上に入るのを禁ず、というのが校則であり、つまり教職員が屋上に立ち入るのは禁じられていない。そんな屁理屈を盾に、ぼくと藤崎はこの空間を頻用していた。堅物なおまえがなぁ、と藤崎は笑うが、若手にとって国語科研究室(ひいては職員室)というのは針のむしろに近い。心休まる場所が、ぼくには必要だった。
「そういや、鬼塚がさ、」
ふと思い出したように、藤崎が口を開く。
鬼塚と言えば結構な有名人で、藤崎が副担任を務めるクラスの女生徒だ。鮮やかなまでの金髪と'鬼姫'という悪評で敬遠する教師も多いが、彼女の根は明るい。
「鬼塚がどうしたんだ?」
「椿センセーの授業は解りやすいけど、びっくりするくらいつまんねー、って」
「な、何っ!?」
「良かったな、解りやすいってよ」
「いや、注目すべきはそこではないだろ!!」
びっくりするくらいって何だ、びっくりするくらいって。
項垂れるぼくを前に、煙草の火を携帯灰皿に押し付けながら、藤崎は笑った。悔しいから、彼に対する生徒の評判を思い返してみたが、どれも誉め言葉にしかならないものばかりだった。――いや、一つだけ。
「……君のことを、やに臭いと言っている女生徒がいたぞ」
「うっ、」
「出来ればあまり近付いてほしくないそうだ」
「ぐあっ……ちょ、それはひどくね?」
「ふん、」
ぼくは小さく笑い、柵に凭れたまましゃがみこんだ。コンクリートは陽に当たって温くなっている。
藤崎先生はやに臭いけれど、椿先生も煙草のにおいがする。それは移り香ですか? ――彼女はそんなことを言っていた。
靡く黒髪を目蓋の裏に思い起こすと、少しだけ胸が苦しくなった。
「……藤崎、」
「んあ?」
「君は、女生徒に惹かれたことがあるか?」
「はあ?」
藤崎は盛大に眉をしかめ、何だそれとぼくの顔をまじまじと見た。言わなければ良かった、と"びっくりするくらい"後悔したけれど、一度発した言葉はぼくの手元に戻ってこない。
忘れてくれと言おうとしたところで、まぁあれだ、と先に藤崎が口を開いた。
「ヒト対ヒトだから、惹かれない方がおかしいのかもしれねーな。でも、」

俺は生徒には手を出さねーよ。

藤崎はそう告げて、僅かに顔をしかめた。その表情の意味をぼくは量りかねたけれど、とにかく彼は、ぼくに牽制を掛けているようだった。
知ってるよ。ぼくはそう言って、俯いた。知ってるよ、おまえがどう考えているかぐらい。
空が青い。だから彼女の顔を見たい。
風が冷たい。だから彼女の声を聞きたい。
藤崎と話した。だから彼女の温もりを感じたい。
脈絡の破綻した想いに駈られながら、握られた手の感触を思い出す。これは―――こんなの、恋、みたいじゃないか。
取り返しのつかない想いに溜め息を溢すと、俺もあるよ、という声が頭上から聞こえた。え、と思って見上げたけれど、彼は何事も無かったかのように二本目の煙草に火を点けていた。
温もりのない煙が立ち上った。




胎動する純心






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リアタイで国語教師椿は没にするとか言っていたくせに、書いてしまった(^ω^)
未だに椿丹か椿雛か決めていません。どちらがいいかなぁ。










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