再起動(消化作業10) /



美術教師

女生徒
で、藤鬼
(と、男子生徒笛吹)
シリーズもの







多分、いや多分というよりは絶対、彼らがいなければ自分はまだ狭い室内に閉じ籠っていたと思うんだ。何も見ず。何も語らず。息を吸って吐いて飲んでまた吐き出して、断罪か贖罪かもしくは無、を求めて、ただそれだけで生きていた。死んでいるように、生きていた。
割られた窓から風が這入って肌に触れて、そこで久しぶりに、生き返った。赤いキャップと、靡く金髪――目に鮮やかな色は今もまだ、目蓋の裏に焼き付いている。



屋上から灰色の空を仰ぐ僕の頬に、雪が触れた。積もりそうにはないが、はらはらと舞う粉雪は、それでも途切れず空から降ってくる。上着を着てこられれば良かったのだが、終業式が終わってそのまま屋上への階段を駆け上がり出した鬼塚一愛を追ってきたので、そんな暇もなかった。
ヒメコ、と呼べば、柵に凭れていた彼女はゆっくり振り向いた。もしかしたら泣いているかもしれないと思ったけれど彼女の瞳も頬も乾いたままで、ただ、寒さに耐える頬が赤く染まっているのが目についた。
「アタシのせい、なんかな」
ぽつりとヒメコが言う。僕が首を傾いで応えると、ボッスンがおらんくなったの、アタシのせいなんかな、と彼女は言い直した。
「……いや、タイミングの問題だろう。ヒメコとの噂がなくてもきっと、ボッスンは今日、居なかったはずだ」
そう言ってからふと気付く、そう言えばヒメコが「ボッスン」と口にするのを久々に聞いた、と。


僕らが所属する学園生活支援部――通称、スケット団は、ボッスン曰く「俺の私情を存分に挟んでいる」部活だ。僕がソトに出たことをきっかけに、創部した(部員が一人足りないことに後で気付いて、帰宅部のクラスメイトに頼み込んで名前だけ貸してもらったことは、結構有名だ)。俺の高校時代は上手く仲間を見つけられなくてさ、だから今、おまえたちと会えて、良かったぜ。そう言って笑った彼はひどく幼く見えて、たとえば、もしかしたら、自分たちと同じく十代なのかもしれないと思ったけれど彼はやっぱり「先生」で「大人」で、薄い膜のような透けた壁が、僕らの間には確かにあった。
「オトナ? 俺が?」
先月、美術準備室でテスト前課題をやりながらぽつりとそのようなことを僕が告げると、ボッスンはまじまじと僕の顔を見て、それから得意そうに笑った。「ままままじで? そう見える?」
「スミマセンやはり俺の勘違いでした」
「撤回早ぇよ!」
彼は椅子の背凭れに大きく体重をかけ、腕から肩から背筋から、上半身をこの世界の規則から解き放つように伸びをした。ぎし、と椅子のどこか中心的な部分が音を立てて軋む。
先生で、大人、ねぇ――訝るような自嘲するようなそれでいて哀しむような、そんな声で呟いたボッスンの表情はよく見えなくて、僕はなぜか、ああそう言えば、と話題を逸らしてしまった。
「ボッスン、最近、絵を描いているだろう? よくこの部屋に籠っているし、手が汚れている」
一瞬、そう訊ねた後のほんの一瞬、室内の雑多な空気が静まり返ってしん、と澄んだ部分だけが濃度を高くした。え、と思って天井を見上げて窓の外を見遣って、特段変わった様子もなかったので尚のこと、え、と戸惑う。
そこでようやく、ボッスンがこちらを向いた。僅かに眉を下げ、黄色みのある瞳が細められ、口許にはアンバランスな笑みを浮かべている。ああ、と薄い声で答えた彼は赤いキャップを頭から外して、癖っ毛をがしがしと掻いた。
「…………………約束、したからな」
「約束? 誰と?」
「ん? あー…………元、ヤンキー?」
「そうか、…………うん、そうか」
彼の顔が赤い。なのに表情は冴えなくて、いつもの破顔をこの日はまだ――と言うかこのしばらくの期間、見ていなかった。
美術準備室はいつも優しい温度に浸されていて、だからたまに勘違いをしそうになる。ここは甘ったるい夢の中だと。僕はまだ狭い狭い自室に閉じ籠って何も見ず何も聞かず、何も、発せず、膝を抱えて眠っているのではないだろうかと、そんなことを、考えてしまう。


屋上の空気は冬に侵され冷たくて、そうかこれは現実なのかと思い知る。冷気をふんだんに含んだ風が対面する彼女の髪を揺らし、ちらちらと舞う雪の中に金色の光を撒き散らした。目が眩みそうだ、ソトの世界はあまりに色に富んでいる。
――色。
ふと頭の中で何かに触れて、思わずヒメコの手を取った。はっ!? と彼女が奇声を上げたのも構わず、そのまま手を引いて走り出す。
「ちょおっ、スイッチ!?」
ヒメコが答えを求めるけれど、走っている上に彼女の手を引いていて、おまけに寒さで指がかじかんでいるものだから、文字を打とうにもかなわない。ならばと口を開いて声帯が震えて、けれど結局出来なくて、勇気もろとも呑み込んだ。甘くない。僕を取り巻く現実は、決して甘くない。だが彼と彼女には、多少甘いことがあったっていいじゃないか。
――こんなの、柄じゃないな。
そうは思っても、足が止められない。戸惑うヒメコを連れて向かったのは、彼女も途中から見当が付いていたと思うが、美術室だった。手を放して、その奥にある美術準備室に、ヒメコの背を押す。彼女は不安げに少しだけ振り向いたが、僕が小さく頷くと、細く息を吐き出してから大きく一歩、踏み出した。
美術準備室は殆ど片付けられていたけれど、思った通り、キャンバスが一つだけ残っていた。覆っていた布を捲って、ヒメコはそのまま、動きを止めた。鮮やかな黄色が、彼女の肩越しにちらりと見えて、何が描かれた絵であるのか、僕は悟る(既に予想はついていたが)。
ボッスン――、
声にならない音の連続が漏れ聞こえて、それはどこか僕のパソコンの声に似ていて、けれどふと、いや違う、これが僕の声だったと気付く。
ヒメコが声を上げて泣いている。ようやく泣けた彼女は膝から崩れるようにその場に座り込んで、そこに在るいつかの約束を、涙という薄い膜のような壁に覆われた瞳で見つめている。僕の頬も、知らず濡れていて、喉の奥が静かに鳴った。
美術準備室は暖房も点いていないため、外とそう変わらず寒いはずなのに、なぜだろう、優しい温度に浸されていた。




アオハルハイウェイ
(こんなにも速く早く飛ばしているのに、僕らの春はまだ遠い。)






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あと三話(予定)。

















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