六道(消化作業06) /




教師と生徒シリーズもの
地歴公民教師

女生徒
で、リョウハル








藤崎佑助と椿佐介は、血縁上の兄弟だ。そうと知るまで――そうと知れてからも――紆余曲折はあったが、お互いが居るからこそ天涯孤独ではないのだと、安堵とも歓喜とも或いは何かもっと別のたとえば懐旧ともつかない思いで心の底から、泣いた。
彼らの実父母に関しては、藤崎の継母である藤崎茜が詳しかった。藤崎も椿も教員を目指していると聞いた彼女は目を丸くし、そうして困ったように微笑していた。





*****

「リョウちゃん」
聞き慣れた柔らかい声に呼ばれ、桐島亮輔は振り向いた。彼の跳ねた毛先が春の突風に吹かれ、静かに揺れる。目を細めて風をやり過ごした彼は、数メートル離れた生徒昇降口で手を振る女子生徒を見つけ、片手を上げて応えた。
「おぅ、ハル」
波瑠は亮輔の幼馴染みで、妹のような、存在だった。長い睫毛に縁取られた瞳は黒く潤んでおり、ハーフアップにされた髪も同じ色をしている。細い体躯は昔と変わらず、けれど確かに大人びてはきていた。
「今、帰りか?」
そう訊ねながら彼女の元へ足を向けると、波瑠も亮輔のところへ早足で向かう。彼女が真新しいローファーでコンクリートを蹴ってとんとんとん、と小気味良い音を亮輔に近付けた。
その、皮革のローファーは、亮輔が買い与えたものだった。
彼らは同じ施設で育った。波瑠の物心がついた時にはもう隣に亮輔が居るのが自然であり当然でありむしろ摂理のようで、だから彼女は高校を決める時も亮輔と同じところに行きたい、と選んだ。もちろん校風も偏差値もすべて考慮に入れた上でやっぱり良い学校だから、と決定したのだが、そこに彼の存在が大きく介入したことは否めない。決して安くはない制服は、近所のOGから貰った。けれどせめて入学祝いに靴だけは、とエナメルでなく本革のものを亮輔が買ってきたのだ。波瑠は入学よりも前に何回も何回も真新しく光る靴を室内で履いては鏡の前に立ち、歩いて回って背伸びして、そうして込み上げる喜びを靴の底で踏みつけた。喜びが何か別の想いにならないように何度も幾度も、繰り返してはまた改めて、磨り潰した。
もちろん亮輔がそんなこと知っているはずもなく、下ろし立てのローファーが対面した彼女の足にぴたりと嵌まっていることに、ああやっぱりよく似合う、とただ柔らかな笑みをこぼす。
「アカネと図書館で試験勉強してたの」
「アカネ? ――ああ、藤崎茜か」
「リョウちゃんを見たら、アカネ、走って逃げちゃった」
「なんだそれ、地味に傷つく!」
強気で正義感が強く、けれど照れ屋な藤崎は、波瑠と仲が良かった。高校で初めて出会った彼女たちの付き合いは浅かったが、それでも二人で笑い合う姿を亮輔はよく見かける。廊下で会えば普通に話すくせにと彼は唇を尖らせたが、波瑠はただ曖昧に微笑うだけだった。
並んで歩き始めた二人に、背中から夕日が差す。濃い影が進行方向に向かって伸びるのを俯けた視線で追いながら、春だねと彼女が唄うように言った。なんだよ駄洒落かよオヤジだな。違うよ、そういう発想のリョウちゃんのがオジサンだからね、言っとくけど。……それは、ただの事実だ。うん、そうだね。ヤメロ傷つく。――そう言った彼の横で、真っ直ぐな黒髪が春風に靡く。たっぷりと夕暮れのにおいを含んだ風は、点と点とを繋ぐように迷いなく、二人の間をすり抜けていく。
ふ、と亮輔は歩みを止めた。
「…………はるだな、」
「うん、春だよ」
「うん、」
亮輔よりも数歩進んでからようやく、彼が立ち止まったことに気付いて波瑠が振り返る。大きな瞳が夕日を背負った彼を捉えて、そして彼女は小さく唇を開いて首を傾ぎながらリョウちゃん? といつものように呼んだ。
――たったそれだけのことだった。けれど亮輔の胸に、或いは腹に頭に、急に予感のようなものが湧いて出て、それは、予感なのに確信めいてざわざわと、羽音のように鳴り響く。ああだって、昔から彼女は一緒に育って、だから妹、のような存在で、加えて今俺たちは別々の立場になって――……なのにこの瞬間、そんなことさえ、呆然と立ち尽くすその目の前でゆるゆると瓦解していった。彼女の黒い髪と瞳、細い体躯、柔らかい声、瞬きに震える睫毛、自分があげたローファーでアスファルトを蹴る足――そのすべてが静かに静かにゆっくりと、唐突だけれど本当は、きっともっと以前から、亮輔の何かを揺り動かしていたのだ。
「どうしたの、リョウちゃん」
「ハル、その呼び方は、」
もう、多分、ダメなんだ――力ない声でそう告げて、そんなことを告げた自分に動揺する。認めてしまえば終わりだ。けれど認めなくてもきっと、
――いつか、この予感は恋になる。



校長室から出て暫く廊下をぼんやり歩いていると、腕を組んで仁王立ちをする女子生徒が待っていた。緩くウェーブがかかった赤茶のマッシュボブを見てああ、と亮輔は苦笑する。
「アカネ」
「待ってたわよロクデナシ。どういうつもり? って言うか、どうするつもり?」
既に七時を回った校舎は、人気が薄い。それでもと思って亮輔は、茜の腕を引いて近くの自習室に入った。室内には、水をたっぷり含んで滲んだような、そんな月明かりがしっとりと差し込んでいる。茜は窓の外にある月を数秒、泣きそうに眺めてから、亮輔の手を振り払って対峙した。
「リョウスケ、あんた、校長に何て説明したの?」
睨まれた亮輔は幾度か目線を彷徨わせて癖っ毛を掻き、やがて口を開いた。
「説明っつーか……、事実だけ、言った」
「事実って? ――……まさか、ハルがすきです、って?」
「ばっ、おまっ、ばっ……!!」
「だって、事実じゃない」
赤くしたり青くしたり、彼の顔は忙しい。茜は目を眇めてそんな様子を見ていたが、彼がちげぇよ、と呟くので堪らずに大きな溜め息を吐き出した。ロクデナシ、と彼女は口にして手を上げたがそこで亮輔が、まだちげぇと言い直すとその手は力を無くして宙で止まった。彼女は振り上げた右手を緩く握り、そのまま彼の肩の辺りを軽く殴る。
「『まだちげぇ』?」
「あぁ、今は、まだ。だから、噂されてたみたいなことは、本当に、何もねぇんだ」
「『今は、まだ』?」
「だって今、アイツは生徒で、」

俺は教師だ。

茜は彼の言葉を聞きながらふと、穏やかな笑みを湛えた友人のことを思い出した。リョウちゃんが先生になった時、私は本当に嬉しかったの、だって昔からずっと言ってたんだよ、俺は教師になるんだーって。図書館で勉強する合間、彼女は、波瑠は確かにそう言って微笑ったのだ。それが兄に向けるような思いとは違うのだろう、と気付かないほど鈍いわけでもない。茜は波瑠の笑顔を見ながらくるん、と手の中のシャープペンシルを一回しして返答を探し、亮輔の馬鹿馬鹿しい言動と優しい声を思い出して一瞬胸が詰まったりもしたけれどようやくただ一言、そうなんだ、とだけ小さな小さな声で答えることができた。
ままならない。波瑠の恋も亮輔の優しさも茜の淡い想いも、全てがすべて、噛み合わない。それでもこの時、茜はようやく本当の意味で、二人のしあわせを願えた。それもまたままならないと知っていたが、ごまかすようにまた彼の肩を殴ってロクデナシ、と口にした。センセイ、と久々にそう呼んでみたがそれはどうしても、苦かった。
月が泣いているような夜だった。


***

それでも瞬く間に広まった噂に耐えきれなくて亮輔は学校を辞めざるを得なかった。当時のことを思い出すのは正直、偲びない。それでも彼らは、何かに罪を感じながらも、結ばれた。決してながい期間ではなかったけれど、それは彼らの永遠となった。

「ねぇハル、リョウスケ。あの子たち、二人とも教師になるって」
茜は二人の写真に向かい、ぽつりと言った。「楽しみ、だよね?」
どうか彼らが、その道を強く強く、足音を鳴り響かせて歩めますように。




六道を闊歩する
(そこは地獄にもなり損ねたしあわせ。)













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