王道(消化作業05) /



美術教師

女生徒
で、藤鬼
シリーズもの
この時の藤崎目線




その時のことをふと思い出す際、まず記憶の端に現れるのは抱き締めた温度よりもむしろ、あの日の夕暮れだ。溶けたトマトのような、潰れたほおずきのような、赤らんだ橙の熟れた太陽。触れば熱をはらんでいそうなその夕方に、何もかもをすべて奪われそうで――ずぶずぶと意識が、融かされていった。
そんなつもりはなかった。抱き締めるなど、自分にとっても予想外だった。思わず伸ばした腕は彼女の背中に回り、引き寄せた身体が胸の中に落ちてきた。
腕の中の薄い身体、夕日に染まった頬の色、吸い込んだ晩秋と初冬の混じったにおい、―――消えてほしくないのに、消したい。そんな自分は今も、何も答えを出さず、狡いままで。




スクリーントーンを削りながら、おい、と藤崎は声を発した。それに顔を上げたのは、近くの机で作業をしていた漫研所属の二年生、早乙女浪漫だ。彼女は黒目がちの大きな瞳を藤崎に向け、なぁにとペンを持つ手を緩めた。
藤崎はカッターを机上に置き、作業してきた原稿を改めて見直した。ああもう駄目だ限界だ。
「――なぁロマン、これは一体何ジャンルだ?」
「見ての通り、恋愛路線の少女漫画よ?」
「見ての通り、じゃねーよ!! 主人公のジョブチェンがおかしいぞこれ!?」
「主人公は、魔王なの。少女漫画においても、主人公の成長は大切な要素よ」
「50ページ読み切りの途中から主人公が魔王って!! 変身が唐突過ぎて成長も何もねーよ!! 相手役の男子をおいてけぼりの展開だぞ!!」
「安心して。相手の男の子も成長するわ」
「いやもうパターン読めたよ、精神的成長とかじゃなくて変身するんだろ唐突に!!」
一通り突っ込みを終えた藤崎は、先程浪漫が淹れてくれた紅茶を一口、喉に流し込んだ。既に冷めた紅茶は渋みが強くて思わず顔をしかめたが、それでも寒さで滞っていた血液が循環をし直す感覚がする。
漫研の部室はやけに寒くて、どうも暖房器具が備えられていないらしい。手がかじかんだら絵も描けないじゃないかと思ったが、学校の予算がつかないのであろうことは容易に想像がついた。
「じゃあ王子、あと二ページお願いね」
ひょいと原稿を渡され、藤崎は苦笑を浮かべながらそれを受け取る。
「……二十四を迎えた教員に、『王子』はキっツイぞ」
その言葉を聞いて暫しきょとん、と首を傾げていた彼女であったが、すぐに微笑って真っ直ぐな視線を藤崎に向けた。
「私にとって、王子は先生でもあるけれど、やっぱり、王子だもの」
「あ、そう?」
「――あ、でも、先生と生徒というのも、王道よね」
「……………………あ、そう?」
コマ割りの線を、意味もなく指でなぞる。直線で結ばれた画面の中では、決して上手いとは言えない――むしろ絶対的に下手な浪漫の絵が自由奔放に振る舞っている。やりたいことを好きなだけ好きなように自由に自在に、色んなものを、ねじ曲げて。こいつらはこんなにも窮屈なコマの中に居るのに、俺の方が絶対、窮屈だ――そう考えて藤崎は、何かを諦めるように天井を仰いだ。そこに夕焼けはもちろん無いのに、なぜだか目蓋の裏が赤く灼ける。
その時不意に、部屋の扉が開かれた。見えない夕日に向けていた視線を、首ごとそちらに向き直して見れば、立っていたのは笛吹和義だった。
「ボッスン、」
「声」がタイプされる。うん? と少々疲れが滲んだ声でそれに応えた藤崎に、笛吹はゆっくりと告げた。
「ヒメコが、熱を出して倒れた」


保健室の近くでたまたま養護教諭に会い、話を聞いてみると、鬼塚一愛は結構な熱を出しているが、帰ろうにも鬼塚家に誰もいなくて迎えを呼べないとのことだった。学期末の三者懇談の時期で(そのため、担任の中馬も今は手が放せない)、放課後とは言えまだ早い時間であったため、両親の帰宅はまだなのだろう。
そのまま事務室に向かった養護教諭に礼を言い、藤崎は保健室の扉を開けた。薬品のにおいと、洗い立てのシーツのにおいとが、混じって鼻につく。真っ白な空間はすっぽりと自分を呑み込んで、そうして不安な気持ちを心の隅に少しだけ作り出す。
保健室の奥、カーテンで仕切られたベッドの上に、彼女はいた。あの夕暮れが記憶から、頭なのか胸なのか、柔い部分をつつくけど、少し深めに息を吸って、いつも通り、を顔に貼り付けた。
藤崎の気配に薄ら目を開けた鬼塚の、額に貼り付いた前髪を大丈夫か? と問いながら指先で退ける。額は熱くて、先程まで冷えきった部屋にいた彼にとの温度差は、顕著だった。これは、結構、つらそうだ。
「タクシー呼ぶか? ちょっと待ってろよ、今、」
「っ、行かんで、」
背中を向けた次の瞬間、パーカの裾を緩く引かれた。えっ、と声を漏らして振り返ると、濡れた瞳が彼を捉えた。いつも通り、が剥がれそうになって慌ててまた深めの呼吸をするけれど、赤らんだ頬があの時の――抱き締めた際の彼女と重なってまた意識がずぶずぶと侵され始める。
鬼塚?
掠れた声で呼ぶと彼女は薄く唇を開き、その隙間から淡く言葉を紡いだ。
「……あんたはいっつも阿呆面しとるし、て言うか阿呆やし、知らんうちに人の内に入ってくるし、デリカシー欠けとるし、変なとこ突き放すし、そのくせ…………優しいとこばっか見せよる、から、ホンマは、ホントに、だいっきらい、やった」
「おい、――鬼塚、」
「でも、」

でもアタシ、ボッスンのこと、めっちゃすきや。

いつも通り、なんて、はじめから出来るはずもなかった。本当は気付いていたのかもしれないし、気付いていなかったとしても今、気付かざるをえない状況だ。パーカを掴む細く華奢な手を自分の掌で包み、柔く緩く、淡く脆く、握る。剥がれ落ちた教師としての顔はもう取り繕いようもなくて、そしてそれは今までの自分ですらなく、もう何かしら別のものになった気さえした。たとえば、魔王とか。
すきや、と熱にうかされたように鬼塚は繰り返し、そして次いで、ごめん、と告げた。好意を告げてそれを謝るなんて――藤崎は頭を垂れる。
「俺こそ、そんなこと言わせて、ごめんな」
その言葉は声にならず、ただ真っ白な空間に呑まれた。
狡い自分は、答えを出さず、そのままで。





完熟シャーベット
(王道と言うにはあまりに惨い。甘くて冷たく、融けてゆく。)














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