消化作業03 /




生徒会発足する前後の安形と浅雛






 安形にとって世界は、どちらかと言えば退屈なものだった。見え透いた嘘も、小っちゃな真実も、三角関数の公式も、皆同じような価値しか持たず、ただ己の前に声もなくひれ伏す。
 別にそれが嫌なわけでもなかったのだが、退屈でつまらない世の中はゆっくりと彼の横を流れ、倦怠感だけを強めていった。面倒臭い、が口癖になったのはいつからであっただろうかと考えたが、彼自身明確な答えは出せず漠然と、遠い過去からだった気がする、としか言えなかった。



 生徒会室のソファの上で目を覚ます。夢を見ていたような気がするけれど、ただの気のせいかもしれない。頭の片隅にぼんやりと霞がかかり、記憶を曖昧にさせる。夢の記憶など、安形は大して必要とはしていないけれど。
 ぐあ、と欠伸を漏らしながら上体を起こすと、未だぼやけた視界に、黒く艶やかな髪が入ってきた。お、と漸く彼は覚醒し、口元ににたりと笑みを広げた。
「来てたのか、浅雛」
 安形の質問に、戸口に立っていた浅雛菊乃は、はいと短く返事をする。ひやりと冷たいアルトの声が、安形の鼓膜から耳小骨を緩やかに振動させた。
 まぁ座れよと安形がデスクを指差すと、浅雛は迷わず会長席からもソファからも遠い席を選び、座った。しんとした空気を身体に貼りつけたまま彼女は鞄から過去の生徒会の議事録(引き継ぎの時に渡されたのだろう)を取り出し、ぺらぺらと捲り出す。たまに付箋をページの端に貼っては、じっくりと文字の羅列を目でなぞっている。
 安形はソファに寝そべりながら、興味深そうにその光景を見つめていた。
「何、おまえ、過去の議事録とか参考にするのか?」
 彼の問いに浅雛は目線を上げ、何か問題でも、と抑揚のない声で訊いた。その声に怯むこともなく、安形は制服のネクタイを緩めながら、別にと答える。
 浅雛は僅かに眉をしかめたが、特に苦言を呈するでもなく作業に戻った。色分けしているのか、黄色と青色の紙を、考えながら貼っている。
 細い指だな、と安形はふと思った。固そうだが、ぽきりと良い音を立てて折れるような気がする。
「……見られていると、気が散る」
 ぽそりと零れた浅雛の言葉に、まーまーと安形は笑った。目を離す気など彼にはなく、ただねっとりと粘着な視線を送る。
 やはり浅雛は不機嫌そうに眉間に皺を寄せたが、安形がそれを見て見ぬ振りをしていることに気がついて、重たい息を吐き出した。
「用があるなら、はっきり言え――いや、言ったらどう、ですか」
 敬語に慣れていないのか、浅雛の言葉はたどたどしい。満足に口を利けないことがフラストレーションを生むようで、彼女の眉間に刻まれた溝はより一層深いものとなった。
 安形は喉の奥でくつくつと笑い、タメ口で構わねーよと寝癖のついた髪を緩慢な手つきで整えた。しかし寝癖は未だ取れず、ぴょこんと髪が跳ねている。浅雛は呆れたように立ち上がり、彼の元まで足を進めた。足も細かったし、腕も細かった。それでもぴんと伸びた背筋は美しく、身体に針金が通ってるみたいだ、と安形はぼんやり考えた。
 細い指が、乱雑に跳ねた髪に触れる。どうにか撫で付けようとしているが、余程頑固な寝癖らしく、あらぬ方向を向いたまま元に戻らない。浅雛の表情は更に不機嫌さを増し、安形はそれを見てまた笑った。
「――面白ぇな、おまえ」
 安形の手が、浅雛の華奢な手首を掴む。彼女は驚いたように目を丸くし、そして慌てたようにやめろと言い放った。食い込むほどの力ではない、しかし、細身の女子高生にとっては充分過ぎる力で、抗うことさえ能わない。
 ぐい、と安形が腕を引いて顔を近付けると、浅雛は表情を硬くして怯んだように背を反らした。吐息が鼻先に触れそうになる。何をしようと思ったわけでもなかったが、間近で見た彼女の顔は冷淡で、それがまた安形の琴線に触れた。
「――よろしくな、浅雛」
 ゆっくりと噛んで含めるようにそう言って、彼が至近距離で笑ってみせる。すると浅雛の表情から温度がふ、と消えて、おやと安形が思う間もなく、掴んでいない方の手が音も無くすっと伸びてきた。しかも人差し指と中指とが立てられている、目潰しの構えだった。
「うぉっ!?」
 その手があまりに本気の勢いを纏っていたため、慌てて避ける。その際、掴んでいた手を放してしまったため、浅雛は安形から素早く距離を取った。圧力から解放された手首を忌々しそうに一瞥し、彼女は口を開いた。
「生徒会長のくせに、随分と粗悪で知性や品性の欠片も無い愚挙に及ぶものだな。いっそリコールされたいのか? 優秀だと聞いていたが、行動が痛々しすぎて犯罪レベルだ。頭の良い馬鹿なんてただの馬鹿よりタチが悪くて、気持ちが悪い。生理的な吐き気さえもよおす」
 流れるような悪口だった。触れても温度を感じないような、むしろ絶対零度の冷たい声なのに、そこにはきちんと怒りが滲んでいて無機質ではなかった。
 ――へぇ、
 冷え冷えとした罵声を聞きながら、安形はまた笑った。今度はからっとした笑い声だったため、浅雛は訝しげに柳眉を歪める。やはり頭がおかしいのかとでも言いたげだったが、薄いその唇が開く前に安形はソファにどかりと腰を下ろして両手を挙げた。もう何もしないという安形の意思表示を汲み取ったのか、あるいはもう彼に言葉を発するのが億劫になったのか、浅雛は息を吐き出して再びデスクに戻った。帰らずにまた仕事を始めるというのも安形にとっては意外でまた少し、笑みを深くする。

 彼にとって世界は退屈で易しすぎて、それでもこの日、どうにも興味ひかれる対象を見つけた。一筋縄ではいかない難問に直面したようで、面倒くささより闘志が勝るなんて久し振りの感覚だ。
 生徒会の結成式を翌日に控えた、午後だった。




さいん、こさいん、たんじぇんと
(最善、小細工、男女間)





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安形……?











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