消化作業02 /




最終回後ボス⇔ヒメ妄想
無駄に長いです





咥内の熱でゆっくり融けていくチョコレートは、毒のようにあまい。舌に転がして粘膜へ浸透させて味覚という味覚に訴える。甘い甘い、あまい。口に出さず呟いたはずなのにいつの間にか言葉になって、空気を、鼓膜を、震わせる。
机の上に置いた小さな箱の中では、丸くて小さい、ココアパウダーに身を包んだチョコレートが、あと五つ並んでいる。弾丸みたいや、と思った。確かに何かを、撃ち抜かれた気がした。

『本場のチョコレートです。』

添えられていたメッセージカードには、それしか書かれていない。文字の上に指を滑らせて甘い息を溢すと、何度も書き直した跡が紙上にあることに気付く。届けられなかった言葉の端を辿ろうとしたけれど、それがどれほど無意味であるか、知っていた。本場のチョコレートです。それが、すべてだ。
メールを打とうとしてスマホをベッドの上から引き寄せたけれど、充電が切れていた。暗いままの画面に映った自分の顔を見ているとやる気を削がれ、結局またベッドにスマホを投げ捨てる。もうホンマ、阿呆みたいや。





おにづかさん、と弾むような声に呼ばれて振り向けば、同じゼミの男子学生がにこにこと笑いながら駆け寄ってくるところだった。ちょっとかあいらしい顔をした、関西方面出身の同学年だ。わたしは大教室から出ようとしていた足を止め、何? と首を傾げた。
「今日、ヒマ? ゼミの同学年飲みせぇへん?」
鬼塚さん来てくれたら皆喜ぶねんけどなーっちゅーか俺がめっちゃ喜ぶ、と続けた彼にわたしはあー、と頭を掻く。断る理由は特になく、飲み会自体も割と好きだ。どうしようか迷ったけれど、何人か挙げられた面子を聞いて結局、行くことにした。
二人で教室棟から出てくると、二月の冷気が肌を刺した。五限終わりの構内は人が疎らで閑散としており、寒さがより色濃く際立っていた。おろしたての真新しいマフラーに鼻の先まで埋めてみるも、纏わりつくような寒さに身が縮む。雪でも降りそうやなと声に出さず漏らすと自ずと脳内、と言うか、胸中に拡がるのはいつか一緒に雪合戦をしたあの時のことで、乾いた風に触れていた頬が急に熱を持った。東京よりも少しだけ寒い国に居るであろうあの男は今、元気だろうか、まだ、半ズボンなのだろうか――甘いあまいチョコレートのにおいが咥内に蘇る。唐突に会いたい、なんて、思うことはもう何回もあって―――。
ぼんやりとした意識のまま、あたたかいものを食べたいという会話をしつつ正門を抜けようとしてふと、本当にふと、流れるような自然の流れで足を止める。足下に軽く落としていた視線を顔ごと上げて、進もうとしていた方向とは逆側に向けてそうしてその瞬間、ああ、とわたしは声を漏らした。ああ、もう、なんで……――、
正門の外側、学名が書かれた門の隅の方に立っていたその男は、わたしと、それからわたしの隣に並ぶ彼の顔に、何度か視線を往復させてから、何とも言えない表情を浮かべた。唇を尖らせて目を泳がせて、鼻の穴を少し拡げる。そんな顔は記憶の中とちょっとも変わらなくて、喉の奥がきゅう、と締まって空気の出し入れがなんだか難しくなった。
「えーと、ですね、なんか、スミマセンですね、」
なぜか敬語のその男が背中を見せたので、わたしは慌てて一歩を踏み出す。遠退こうとしているが、そんなの、絶対、許さへん。ごめん今日は行けへん、と同じゼミの彼に早口で告げると、彼は苦笑を浮かべてひらひらと片手を振ってくれた。
あ、ヤバい、走り出しそうやんアイツ。そう気付いて、前の男の早歩きが走りに変わる前にわたしの方が走って手を伸ばして、彼のダウンベストを引っ張った。待って、なんていうかわいい言葉が言えれば良かったのに、わたしの口から出たのは「逃げんなや!」だった。ぴたりと、前の足が止まる。
「ひっ、久し振りやな――……ボッスン、」
そう呼べば、足を止めた彼はゆっくりと振り返る。少しだけ泣きそうに見えて、わたしは首を傾げた。「……何やの、その顔?」
「…………別に、だって、おまえ、別に、おまえに、彼氏がいたってだな、」
「は? 彼氏?」
「関西弁で、楽しそうに話してたろ……」
ああ、とわたしは頷き、次いでいや、と首を横に振る。さっきのゼミの彼のことを言われているということはわかったが、彼氏ではない、決してない。
違うのか? と今度は彼が首を傾げたので、違う違うとわたしは苦笑を漏らす。目の前の本人は知らぬことだけれど、わたしは待つと勝手に決めてしまった、この、鈍すぎてどうしようもない男の帰りを。
会いたい、とほんの少し前に思ったばかりなのに、いざボッスンを前にすると言葉がつかえて出てこない。未完成な言葉を千切って千切って吟味して、けれど結局発するべき綾もなくて黙りこむ。しかし感情は思考となって渦巻いて、片っ端から浮かんでは消えていった。

ああ、もう、大体にしてなんで、この男は今さらそんなヤキモチめいた感情を抱いているんだ、本当に今さら、今さら。勝手だ勝手だ、みんな好き発言をして去ったクセに。ああホンマ、間の悪い男や、勘違いなんかしよって、全く、なのにわたしは今でも、こんなに、こんなにも―――、

チョコレート。ダウンベストの端をわたしに引かれたまま、不意にボッスンが言った。
「……へ?」
「だから、チョコレート。食ったか?」
「あ、え、食べました、けど?」
唐突に海外から送られてきた、『本場のチョコレートです。』とだけ書かれたカードが添えられたチョコレートは、シンプルながらもこ洒落た外装で、母が食べたがるのを押さえてわたしがひとりじめをした。丸くて甘くて、とびきり美味しかったのになぜか、心臓がどろどろに融けていくような、そんな錯覚を覚えた。
あれは毒で、弾丸だ。
「……カード、もうちょい何か言葉なかったん?」
「何書けばいいかわかんなくて、」
「あ、さようで」
「じゃあ直接会って話すかー、……って」
「……………あ、さようで」
耳が、あつい。だって彼の言い分はまるで、わたしに会いに帰ってきたみたいだ。勘違いしたらあかん、何せ相手はこのボッスンや。そう言い聞かせて、息を吐く。
いつの間にか周囲に夜が降りている。藍色の空は、世界と呼ぶにはあまりに優しく、そして、脆い。ぴんと張り詰めた寒気に迂闊に触れれば、先程のボッスンの息のように融けて消えてしまいそうだ。
チョコレート。また、ボッスンは先程と同じことを同じように不意に呟く。
「チョコレート、を、」
「ああ、うん、だから食べたて。美味しかったわ、ありがとう」
「いや、うん、そうなんだけど、そうじゃなくてだな、」
「あん?」
「――その、俺は、チョコレートを、ヒメコにしか送ってないで、ございまする」
「何でさっきからちょいちょい敬語なん? しかもちょっと不自由な!」
「ニホンゴワスレタ」
「嘘つけ! たまに連絡するけどペラっペラやないか!」
「うっせーな! 会うの久々だから緊張してんだよ悪ぃか!」
ボッスンは両手で顔を覆って、くっそーとくぐもった声を漏らした。そんな彼の姿を見ながらわたしはようやくダウンベストから手を離し、何なん、と息を吐くような小さな声で訊ねる。何、それ、と。
だから! とボッスンが顔から手を退けるとそこには赤い頬があって、何だかまた、喉の奥がきゅうとした。
「だから、ほら、今、二月だろ」
「いやそんなん知っとるけど。何なん? アタシのこと月日も分かれへん女やと思ってるん?」
「違ぇよ! ――だから、今は二月で、俺はチョコレートを送って、それはおまえだけで、」
「はい?」
「だから、端的に言うとだな、」
「もう早よ言えや!」
「だから、つまり、」

阿呆みたいや。こんなにも簡単な言葉を告げることに、わたしたちはこんなにもままならないなんて。
ボッスンが口にした言葉は、それはまるで、甘くて甘くてあまくてわたしを焦がす、毒で弾丸で、わたしは、思わず、泣いた。





微量の毒で心臓に銃創を
(二月の冷気に触れて言の葉は枯死しました。)







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いつかのバレンタインに書こうとした話。
前半と後半で書いた時期が違うので、ちぐはぐ感がひどい。










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