軽いのか重いのか不思議な足を引き連れて、田宮楽器店に練習後向かった。帰宅時間ということもあって、ぞろぞろと駅方面から人が商店街に流れ込んできていた。飲み屋の提灯や看板が賑やかに点っている。

 大人たちの波を抜け、楽器店に入ると店主の田宮さんが出迎えてくれた。店内は彼の趣味のクラシックが流れている。ベートーヴェン作曲【交響曲第九番 第四楽章 『喜びの歌』】。ベートーヴェンが作曲した中でも有名な曲だ。

「鳳くん……」
「こんばんは。佐倉さんの具合はいかがですか?」
「……心の問題、だな」
「心の問題、ですか?」

 鼈甲色の眼鏡を押し上げ、田宮さんはため息を吐き出した。

「あの子と連弾したんだって?」
「はい」
「……余計なことをしてくれたもんだ」

 予想だにしなかった言葉を投げられ、豆鉄砲を食らった鳩のように思考が停止した。【余計なこと】……連弾が?

「やっとピアノの呪縛から解放されたあの子を君は地獄に突き落としたんだ」
「え……」
「分かるだろ? あの子には特別な才能がある。そのことで長年苦しめられてきた。高校入学前、あの子は受験を理由にピアノを辞めた。解放されたあの子は生き生きとしていたよ。でも──高校に入り、君と出会った。ピアノに対して意識が変わったと喜んでいた矢先、コンクールだって? ──あの場所は、あの子にとって地獄そのものだ」
「佐倉さん、コンクールに出たことがあるんですか!?」
「聞いてなくても無理はない。たった一度だけ、あの子は出たよ。その【一度】で、全てが狂ったがね」

 店内に流れる【喜びの歌】が地獄への誘いのように聴こえた。


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