「あらあら! 可愛い子ね。ふふ、長太郎も隅に置けないわね」
「はは……ただいま」
玄関の扉を開けると、祖母が出迎えてくれた。「具合でも悪いの?」佐倉さんの顔を覗き込みながら、心配する祖母に事情を説明した。
「則夫(のりお)くんの親戚の子……」目を大きく開き、祖母は何度も佐倉さんの顔を覗き見ていた。田宮さんと祖母は付き合いが長い。彼の幼少期から知っているため、下の名前で呼んでいる。また、祖母も音楽を嗜(たしな)んでいて、ピアノだけでなく、ヴァイオリンやフルート、琴と幅広い。
「私のほうから則夫くんに連絡入れておきましょう」
「ありがとうございます。お風呂沸かしてきますね」
「よろしくね、長太郎」
佐倉さんをソファーにゆっくりと下ろし、バスルームへ向かった。雨に打たれた彼女をそのままにしておくわけにはいかない。まずは体を温めないと。
お風呂のスイッチを押し、再びリビングに戻ると目を覚ました佐倉さんと祖母がソファーに腰掛け話していた。何となく室内に入りにくく、ピアノが置かれた部屋へ俺は移動した。課題曲の練習もしないといけない。佐倉さんの音色が引き立つように、彼女が気持ちよく弾けるように。何より──彼女が奏でる音に負けないように。
彼女の足を引っ張りたくない。連弾は二人で奏でるもの。彼女の音色は、誰が聴いても分かるほど優雅で美しい。その音を邪魔するような演奏はしてはいけない。彼女の独壇場ではなく、連弾の良さを伝えられる演奏を心がけたい。
そんな一心でピアノと向き合った。白黒の鍵盤上で指を踊らせていく。左右五本の指がそれぞれ音を紡ぎ、曲を奏でる。中盤に差し掛かった時、部屋のドアが開かれた。
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