(自己防衛ばかりに気を取られ、ますます弱くなっていく僕を踏み潰してくれ)



俺の横で死んだ虫に哀悼を捧げる後輩の横顔を、俺はじっと見ていた。
白い肌、長い睫毛に、すっと高い鼻、整った眉に綺麗な髪…こんなこと言うのは不謹慎だが、悲しみに暮れる孫兵の顔は綺麗だった。
孫兵が目を閉じている間、俺はずっとその横顔を堪能した。

俺は孫兵のことがずっと気になっていた。
こいつが涙を流しているとき、抱きしめて慰めてやれたらと何度思ったか。
この長い間秘めた思いを伝えられたらと何度思ったか。
だが臆病な俺は孫兵に手を伸ばすこともできず、ただ薄っぺらい慰めの言葉をかけることしかできない。
この重い気持ちを、口に出すこともできない。

今の関係が壊れるのが怖かった。
孫兵に拒絶されるのが何より恐ろしく、それならもどかしくても、今のままでいた方がいいと思った。
俺だけが我慢すればいいだけの話だ。
そうして体内に溜めた思いを、時々一人で吐き出していた。
そんな虚しい時を過ごして、さらに思いを募らせていく。


そのまま時は流れ、俺は明日卒業だ。
俺と孫兵との関係は相変わらずで、普通の、先輩と後輩だった。
俺は卒業しても孫兵の顔を忘れないように、委員会中や行事で一緒にいるときには、脳裏に焼き付けるように孫兵を見た。
見るだけで手は出せない。
俺は孫兵の感触を思い出せるほど、あいつに触ったことはなかった。
あいつの体温とか、肌のきめ細かさ、髪の柔らかさとか、長い間思い続けていたのに知らないことが多すぎた。
そして知る間もなく、俺は卒業してしまう。

孫兵はこれからどんな風に生きていくのだろう。
毒虫や毒蛇を使うのが得意な立派な忍者になって、そのうち誰かと結婚するんだろうか。
町娘?くのいち?それともどこかの城のお姫様とか。
孫兵は容姿がいいから、きっともてるはずだ、まぁ、趣味がアレなんだけど…。
俺なら、その趣味ごと、孫兵を愛せるのに。

すっかり片付けられて何もなくなった自室で、そんなことを考えていた。
すると、

「竹谷先輩」

突然、襖の向こうから、頭に思い描いていた人の声がした。
正直かなり驚いたが、気づかれないようにいつも通りに返事をした。

「入っても、いいですか」

孫兵の方から訪ねてきてくれるなんて。
俺は迷わず招き入れた。
孫兵は俺の前にちょこんと座り、じっと俺を見つめた。
その大きな瞳に、吸い込まれそうになる。

「なにか、用か」
「…先輩、ご卒業、おめでとうございます」

孫兵は消えそうな声で言った。

「あぁ…ありがと、な」
「……」
「……」
「…あの」

暫しの沈黙の後、孫兵がぽつりと呟いた。

「僕、先輩に言いたいことがあって来たんです。ですが、これを言ってしまうと、先輩に迷惑をかけてしまうかもしれません…」
「孫兵…?」
「先輩、聞きたい…ですか?」

なんでもいい、孫兵の声がもっと聞けるなら。
しっかりと孫兵の声を覚えて、いつでも思い出せるようにしたい。

「聞きたい、…言ってくれ、孫兵」

俺がそう言うと、孫兵は一瞬目を逸らし、体勢を整えた。
そしてまた、俺を見つめる。

「先輩…僕は…」





「先輩のことが、好きです」


少し頬を赤くしている後輩を目の前にして、これは夢ではないかと疑った。
何も言えず、固まっていると

「ごめんなさい、明日お別れだというのに、こんなこと言ってしまって…」

「でも僕は、ずっと先輩が、好きだったんです」

ずっと?

「僕は勇気がないから、なかなか言い出せなくて」

違う

「卒業前日になってしまいました」

違う、勇気がないのは俺だ。
俺は結局、最後まで言い出せなかった。
最後まで、臆病だった。

「ごめんなさい、先輩、迷惑…でしたよね、こんな…」

俺はなんて

「今の…忘れてくださって結構ですから」

馬鹿なんだ


気が付いたら、孫兵を抱きしめていた。
初めてこの腕に孫兵を抱いた。

「先輩…?」
「俺も、だ」
「え?」
「俺も好きだ、孫兵が…」

腕に力を込める。
すると孫兵は、俺の背に手を回してくれた。

「…ありがとうございます、先輩」


ああ、なんということだ。
昔からずっと、俺達は思い合っていたというのか。
俺に勇気があったら、孫兵のこの感触を、もっと早く知ることができたのに。
もっと、色々な孫兵を知ることができたのに。
しかし不幸にも、明日は旅立ちの日。
天は、俺に最後に孫兵と思いを通じ合わせるというご褒美をくれたのか、それとも俺や孫兵に、これでもかという程の辛い別れを罰として与えたのか。

俺は嬉しさのぶんだけ哀しくて、孫兵を抱きしめながら泣いた。


それからずっと、明日になるまで二人でいた。
ずっと孫兵に触れていたかった。
隣に孫兵がいて、お互いに思い合っている。
幸せすぎて、辛すぎて、ずっと胸が痛かった。

残酷にも時は過ぎて、夜になった。
こんなにも夜明けが憎らしいのは初めてだ。
永遠に、このまま夜が続いて欲しかった。

俺と孫兵は、一つの布団にもぐっていた。
間近で見る孫兵の顔はやはり美しく、白い肌は暗闇の中でもよく映えた。
孫兵の大きな瞳に俺が映る。
まるで水面をのぞいているみたいだった。

「先輩」
「なんだ」
「最後に、お願い、聞いてもらえますか」
「ああ」
「…接吻、してください」

もう迷いはなかった。
なくすものはなにもない。
俺は孫兵を抱き寄せ、柔らかい唇に口づけした。
一旦口を離しても、またすぐ重ねる。
愛しくて愛しくて貪るように、呼吸をするのも惜しいかのように、夢中で孫兵を味わった。

「ん…せん、ぱ…」
「好きだ…好きだ孫兵…っ」

孫兵が限界を迎えるまで、ずっと口づけを続けた。
辺りがぼんやりと明るくなってきた時、俺は怖くて、孫兵を離すまいと強く抱きしめた。

「先輩、僕は幸せです」

「最後にこうして触れ合えました」

「大好きです、先輩」

「立派な忍者に、なってくださいね」

つくづく俺はみっともないと思う。
孫兵のほうがよっぽど大人だ。
俺は今、そんなふうに言葉を紡げないよ。
子供みたいで情けない、臆病な俺はどうしたらいい。
答えは見つからず、また涙が滲んだ。




そしていつものように憎らしい程に眩しい太陽が昇った。
俺は結局寝ずに、孫兵を抱きしめていた。
間近に迫る別れの時。
俺は名残惜しく孫兵を離した。


その後は、ひどくあっさりしていた。
孫兵はどうだか知らないが、俺は今にも泣き出しそうになるのを堪えながら、無理矢理笑顔を作っていた。
感情を制御できないなんて、俺もまだまだだなぁ、と呆れてしまう。
生物委員の後輩たちがわんわん泣いている横で、孫兵は僅かに笑みを浮かべながら冷静に俺を見つめていた。

「じゃあな」
「はい、先輩、お元気で」

もう一度、最後にもう一度口づけしたい衝動を抑え込んで、俺は孫兵の頭を撫でた。
少し照れ臭そうに笑う孫兵を見て、俺も自然と笑えた。



そして俺は同級生と共に学園を後にした。
あいつと過ごした日々、あの夜の出来事は、一生忘れない。
最期の時思い出して、いい人生だったと、思えるように。




お題:夜風にまたがるニルバーナ






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