PoL

introduction2


 エンジュシティを象徴するもの。

 かつてルギアの拠り所であった焼けた塔。
 今も昔もホウオウの止まり木であるスズの塔。

 そして、忘れてはならない歌舞練場。

 十五歳から二十歳までの少女が入り乱れるあの狭い花街で、私自身が華として夜のお座敷を艶やかに彩り奉公する時代があった。


   * * *


 ──おはようさん。今日もハッコウシティに泊まりやから明日そっち戻るわ


 絵文字のない必要最低限の文面はチリちゃんからのメッセージだった。
「わかった」となんとも味気ない返信を返そうと思ったが、ついさっき出来上がったカレーの鍋を見てその4文字は消される。

 カメラアプリを開き、一番美味しそうに見える角度から一枚写真を撮る。見やすいように加工して、再びメッセージ画面へと移行した。


 ──あーあ(カレー鍋の写真)
 ──今夜いっぱいおかわりしちゃお


 ──残せ残せ残せ


「チリちゃんカレーに対して必死すぎるわ」

 私から送ったプルプル震えるコジオのスタンプに既読がつくと、チリちゃんとのやり取りはそこで終わる。身支度を終えて、カレーとご飯をタッパーに詰めてランチバッグに入れ、カレーの鍋は冷蔵庫へ仕舞う。

 今の時刻は朝の7時。今日は少し早めに家を出た。



 私がチリちゃんに合鍵を渡してから早くも一週間が経過していた。
 私一人分しかなかった食器がと生活用品が二人分に、少しだけ余裕のあったクローゼットの中身にチリちゃんの着替えが増えた。

 チリちゃんから聞くリーグの仕事は想像するだけで忙しそうとは思っていたけれど、二日連続で連泊など想像を裏切らない多忙さの一片を私生活で覗き見している。今がまさにアカデミーの課外授業の真っ只中だから、余計に拍車が掛かっていた。

 一定数以上のジムバッジを集めた挑戦者のジムチャレンジの視察に、四天王で手分けをして地方をあっちにこっちに縦横無尽に駆け回っているのだと。
 生徒が一斉に課外授業に出るから視察のデータを集約するのも大変な作業になる。どうしてもリーグ内での仕事の時間が視察を終えた夜に後回しにされて、時間が大圧迫されがちだった。

 「無理してない?」と聞くと「そら今はするやろ」と返ってくる。

「そうじゃなくて、テーブルシティの方が近いしうち遠いでしょ?」
「せやけど起きた時にヨシノの気配あったら寝覚めがちゃうねん」
「チリちゃん結構甘えたがり?」
「悪いんか?」

 なんて電話口で言うものだから、「好きなようにしていいよ」と言って昨日は電話を終えた。

 たまに自宅に帰っているみたいだけど、自炊をするわけじゃないからほとんどホテルと用途は変わらないと言っていた。
 それでもジムチャレンジは後半になるにつれて突破数は激減するから、今が一番忙しいだけで、今を乗り越えたら少しは楽になる。チリちゃんは話題の最後に「チャンピオンランクに挑戦する者が現れれば楽しいんやけどな」と付け足していた。


 それはそうと、仕事で行ってるチリちゃんにこんなことを言うと怒らせそうではあるけど、流行の街ハッコウシティに行けることが私としては正直羨ましかった。

 というのも、挑戦者の数はアオキさんがセーブしてくれているけれど、私は私で宝食堂も課外授業でジムチャレンジの影響を受ける忙しさは一緒なのだ。チャンプルタウンのジムは立地上、そこそこ挑戦しやすくフリッジタウンやベイクタウンと比べると行きやすい位置にあり、カラフシティと近いため挑戦者はすぐにやってくる。

 そして私は最近、食品や日用品以外でお金を全然使っていない。
 つまり遊んでいない。
 この前チリちゃんと初めて飲みに行ったが、あれは私が信じられないほど早くに潰れてしまったからノーカンに含めたい。

 だからこそ今日はいつもの時間より前に出ていた。

 アパートから少し歩くと最寄りには劇場がある。
 その隣の「なぎさ」という喫茶で朝ごはんを食べるつもりなので歩く足取りは軽い。結局お金を使い道が食べ物になってはいるけど、自分以外の誰かが作ったものだから今の私としてはそれだけで特別に嬉しい。

 カレーは今朝作ったから、仕事が終わったら帰りにサラダ用の野菜買って帰ろうかなどと考えながら道を進むとすれ違うサラリーマン越しに男の子が見えた。


 アカデミーの制服に身を包んだ男の子が劇場の真ん中にある檻の中をじっと見つめていた。
 背丈からして、この前アオキさんに勝利したアオイちゃんという子より頭ひとつ分大きいくらいだ。

 全く見知らぬ子ではあるけど、田舎道に建っている真っ赤な鳥居のような存在感があってなんとなく通りすがりに見ていた。そうでなくとも側から見たらどうしたんだろうと思ってしまう。他の通行人もチラッと見てしまう程度には目立っていた。

 もしかして課外授業がうまくいってないのかもしれない。
 全員が全員、アオイちゃんのように快勝を連ねるわけではない。後半になればなるほど突破率は急激に下がっていくし、ジムの推奨レベルに合わせているとはいえアオキさんは強い。
 ジムチャレンジでアオキさんに敗北する生徒の子達の姿を何人も見てきたから、そう思うとじっと見てしまって悪いことをした気持ちになった。

 心の中で頑張れと励ましながら通り過ぎようとした時──男の子がこちらに振り向いた。

 鼻をひくつかせてスッと立ち上がる。こちらを見ているようで、絶妙に目が合わない。でも目線は明らからに私の方を向いていた。軽やかな2段飛ばしで階段を駆け上がると柵越しに私の前に立った男の子の目線がどこに向かっていたのかがようやく判明した。

 子供とはいえ2段飛ばしで一直線に近づいてくる迫力に怖気付いてしまって歩を止めてしまったが、「あの……?」と控えめに声をかけても彼の目は私のランチバッグに釘付けになっていた。

「お腹減ったの……?」

 声をかけてもうんともすんとも返事は返ってこないが、かわりに正直なお腹から「御明察」と言わんばかりに大きな音で返事を返してくれた。

 とはいえ今日の私の昼ご飯だ。自分で言うのもなんだけど、楽しみにしていた。賄いで作ることもできるけど気分的にカレーが食べたかった日だった。
 でも飲食店で働く身としては目の前の空きっ腹を隠そうともしない成長期の男の子を見放すのもなんとなく忍びない。でも家に帰ればおかわりできるほど食べられるのだから渡してもいいのでは?

 ──いやちょっと待って。
 この子は私とほぼ同じような背丈だけど、このお弁当の量は明らかに男の子換算すると多分腹五分目どころの量ではない。
 お腹いっぱい食べると午後の眠気がキツいからと、私のお昼ご飯はいつも量を少なめにしていた。

 スマホのLPの残高を確認する。給料日からそう経っていないのである程度の余裕はある。
 少し悩んだ末に、恐る恐る男の子にとある案を持ち掛けた。


「よかったら、あのお店で一緒に食べる……?」

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