PoL

謝罪おにぎり


 焼き色の付いた固い表面がパリッと音を立てた。白い餅がのびのびと膨らんで食べ頃を主張している。
 七輪の上にある三つの餅を湯気が立ち上る餡子の上に箸で手早く乗せて配膳カウンターに移すと、エプロンを巻いた店員が次の注文表と引き換えに三人前のぜんざいを座敷席の家族連れに運んでいった。


 パルデア地方のチャンプルタウンという街。
 海の出入り口である西側に面したマリナードタウンと北のナッペ山の登山道に挟まれた交通の要の街である。
 昼夜を分かたず派手で明るい東側のハッコウシティよりもスケールがぐんと下がった雑居ビルが立ち並び、人通りは途絶えない。

 そして往来激しい飲食店街の名物と謳う私が働くこの老舗は、バルやレストランや屋台とも毛色が違う匂いは行き交う通行人の空きっ腹を刺激し、素通りさせずその場で足踏みをさせる。
 どうやらとある学生が学食よりここの方が安いと吹聴したらしい。暖簾を潜って忙しなく出入りするのは地元民から学生からスーツのサラリーマンまで人を問わない。今の時期ともなれば尚のこと。
 それがこの宝食堂という店だ。


 今は夕方のゴールデンタイムだった。まとめて数枚手渡された殴り書きの一見暗号めいた注文表を見る。一番上にはカウンター席でざる蕎麦一人前。湯切りをしながら手前のカウンター席を見ると、ヨレヨレのくたびれたスーツ姿の男性がテーブルの木目を数えるようにじっと待っている。思わず横目でクスリと笑った。

「お待ち遠さまでした」とカウンターに差し出すとスーツのサラリーマンは見慣れた晴々しない顔を上げて「どうも」と蕎麦を受け取った。

「いらっしゃいアオキさん。今日はおにぎりじゃないんですね」
「……この後ジムバトルなので、手早いものをと」
「なら間に合ってよかった。お蕎麦で足りなければ天ぷら付けましょうか?」
「天ぷらは胃がもたれるので大丈夫です」

 ──いただきます。
 アオキさんは急いでいるとしても、こうして毎回手を合わせてから残さず綺麗に食べてくれる。その時だけは凝り固まった表情がほぐされて、本来の表情が伺えるようで見ていて微笑ましい。仕事でいつも疲れている顔をしていても、その瞬間があるから宝食堂の面々や街の人からは結構好かれている。

 次の注文の材料を手に取ると「ヨシノ」と呼び止められた。
 料理長である女将さんがゴーヤーチャンプルを皿に盛ってカウンターの客に出しながら「料理を作るのは少し待って」と言った。目線を執拗に私の後ろに向けて入り口を指している。

「さっきのアカデミーの生徒さんが来たから座敷席から下げられる皿を下げといで」
「え? 今アオキさん食べ始めたばかり……」
『焼きおにぎり二人前! 強火:大文字レモン添えー!』

 宝食堂お約束の合言葉に強く振り向く。
 入り口に立っていたのはまごう事なき学生服の子供。アカデミー生だった。

「あいよ! 今日の子は気骨がありそうだから頑張ってよアオキさん!」
「……」

 手元を見据えるアオキさんの手にはたった今割ったばかりで薬味を摘んだ箸と蕎麦つゆの入った椀。その奥には全く手付かずの蕎麦がお盆の上に鎮座していた。

 アオキさんの表情の機微は元から薄いが、元から漂っている哀愁がさらに濃くなったような、なんとなく残念がっているように感じられた。名残惜しそうに立ったアオキさんにそろりと近くに寄って小声で囁く。

「お蕎麦、あとでおかわりサービスしますから頑張ってくださいね」
「……ありがとうございます」
「いいえ、こちらこそいつもご贔屓にしてもらっておおきに」

 相変わらず声は小さく控えめだ。食事を中断して畳とテーブルの片付けを手伝ってくれるお客さんの雑踏に負けそうな感謝の意を受け取ると、こちらに向かって歩いてきた今日の挑戦者がアオキさんの目の前で立ち止まる。ハーフパンツの膝小僧が眩しい女の子だ。
 顔の横に垂らした三つ編みを揺らしてアオキさんを見上げる目は、調理場に立つ女将さんが言うように確かに力がある。
 
 アオキさんと挑戦者の女の子がバトルのコートに移動するのを視線で追うと、ジムバトルを聞きつけた見物客がそぞろと店内にやってくる。みんながバトルコートに注目する中でただ一人、私に向かってひらひらと軽やかに手を上げた。バトルの最中は女将さんもスマホのカメラを片手に応援になるから、気兼ねなくそちらに駆け寄る。

「まいど〜ヨシノ、邪魔するで」
「いらっしゃいチリちゃん。見物?」

「せやねん」と気さくに笑う彼女は流暢なコガネ弁を話して振っていた手をいつものようにポケットに突っ込んだ。長い緑の髪の毛を後ろで揺らしながら堂々こちらへ歩いてくる。
 私がチリちゃんと呼ぶ彼女は、口数すくなのアオキさんと話しているといつの間にかするっと会話に入っていることが多い。自然と話すようになっていくうちに見かけたらこうして声をかけるようになっていっていた。

「噂のルーキーやさかい視察や視察。毎回テーブルの片付けご苦労さん」
「ううん、お客さんも手伝ってくれるから」
「実はハッサクさんも来とるんや。終わったらここで食べるさかいカウンター席取っといてもろてええ?」
「いいよ。ちょうどアオキさんの席もカウンターだから隣にしとくね」
「またおにぎり爆食いしとるんか? 健診また引っ掛かるでって言うとき」
「ハズレ。今日はお蕎麦。始まるタイミング悪かったから後でおかわりのサービスするつもり」
「食いっぱぐれでバトルとか間ぁ悪いなぁ、おかわりのついでに野菜の天ぷらでも付けたりや」
「胃もたれするからいいですだって」
「胃もたれぇ? ほんまに大丈夫かいな。トップからのプレゼントやのうて胃薬渡した方が断然ええことした気持ちになれるで」

 そういうと脇に挟んでいた書類を手に取った。ずっしりとしているのがわかる程度に、今にも紙が破れそうなほど重々しくお辞儀をしている。

「見てみいこの封筒の厚さ。中身なんなんって聞いたらプレゼントですって笑顔で言いよった。アオキさんが普通に「いらんわボケ」って軽く突っ返せるタイプやったら自分がこんな気い揉まんで済むんやけど違うやん? パッと渡したらそのままスーッと逝ってまうて。ヨシノ助けてや〜」

 チリちゃんの口調は軽くても、目は迫真だ。もう既に頑張っているであろうアオキさんには強く生きてほしい。そう思いながらチリちゃんの手にある書類に哀れむ目線を送っていると「どうもですよ」と遅れてハッサクさんもやってきた。

「こんばんはハッサクさん。今日の子ってそんなに注目されてるんですね」
「ええ、破竹の勢いでジムバッジを集めているんですよ。アオイさんは小生の授業も真面目に受けてくれていますが……おや、始まりますね」

 遮るような歓声が湧き上がる。そこからチリちゃんとハッサクさんの間に会話はない。ハッサクさんがチリちゃんをふざけた女性と言うように普段は口がよく回るけれど、こうして大真面目に黙っているのは実を言うとあまり見ない。

 チリちゃんと会うのだって付き合いがいいんだか悪いんだかわからないアオキさんの参加率がいいからと、たまにこの食堂へわざわざ足を運んで四天王の面々や上司と思わしき黒髪の人が集まって飲み食いしてるくらいだった。両手で数えられるくらいしか会っていないけど、チリちゃんはなかなかに存在感が強い。
 人をよく見ているというか、聞き出すのが上手な人だな、楽しいなと思っていくうちにどうにもこうにもお客さんという目で見れなくなっていった。ネイルをしたばかりの自分の爪のような、いつの間にかふとした時に少しでも見えたら嬉しい存在になっていた。その感情がどういうものかを知らないほど私も子供じゃない。自覚をすればするほど無視できなくなるそれは片想いそのものだった。

 だからこうして隣に立っている時は必死で平静を装わないといけない。
 昔から女の園で生きた私の歪んだ恋慕の芽は絶対に迷惑になるし、なにより嫌われたくない。チリちゃんとの間にある他愛のなさに漂うゆっくりとした不安感を感じるのは私一人だけでいいと。
 その先は望まない、誰とも分かち合えない一方的な片想いをするために、私は必死だった。

 いっそ画面の向こうの人だったらどれだけいいんだろう。だって目の前にいて話しかけてくる。信じられない生殺しだと思う。書類を渡されてアオキさんが死ぬなら私は今までに何度もお墓のお世話になってる。雑誌の表紙になってるのを見かけて「チリちゃんや!」って大声で喜んでレジに持っていく清々しいオタクのようになれたらどれだけ楽しいだろう。

 そう悶々と考えているうちに、フィールドはうねる炎に包まれて私の煩悶は掻き消された。

 私はポケモンも持ってないし、ボールすら持ったこともない。
 目の前で繰り広げられるこのバトルだって、観戦の回数を重ねるごとにだんだん今どっちが優勢なのかがぼんやりわかってきた程度だ。だから熱狂できるほどのめり込んで見ているわけではない。だからやっぱり本職の人は見るものが違うんだなと思う。
 じっとフィールドを見据えるチリちゃんの横顔をちらりと盗み見ると前髪が揺れて鬱陶しげに指で流してた。徐々に挑戦者の女の子が優勢になっていくジムバトルを見てるフリをしてその仕草を見ていたら、不意に手を掴まれた。

「へっ……、ぇ」
「コラー! アオキさんシャキッとしなさいよ! 腹ペコのお客が待ってるよ! いいとこ見せてちょうだい!」

 思わぬ不意打ちでびっくりして上擦った声が出てしまったけれど、それ以上の大砲のような女将さんの声援で誰もこちらに注目はしていなかった。尻叩きをされたのを皮切りに、アオキさんがムクホークをテラスタルして観客の熱気がさらにヒートアップしていく。
 そんな中で自分の手を握ってる手に目が釘付けになっていた。グローブの革の感触だけじゃない、四本指ごと握られている生々しい体温にどぎまぎしているとハッキリとした小さな声が耳元に降ってきた。

「女将さんも応援しとるんやからちゃんと見とき」

 そうわざとらしくも平坦に呟くチリちゃんはよからぬことを企むように笑っていた。
 テラスタルしたラウドボーンの炎に火傷を貰ったムクホークお得意のからげんきも、ラウドボーン相手には通用しない。つばめがえしで報いるも挑戦者のラウドボーンが上回る結果となった。
 けれど両者を称える声援の最中、もうそれどころじゃなかった。だってジムバトルのあの瞬間から終わるまでの間ずっと手を握られたままだった。
 いつもみたいにふざけてよと思いながら、普段と違う一瞬のはにかみを見てしまった。


「ほな、一旦チャンプルジム行ってもうちょいしたらまた来るさかい。席よろしく頼むで!」

 そう言い残された私は「また来る」と言ったチリちゃん達をどういう顔でまた迎えたらいいのかも全くわからず、みんなの歓声に見守られながらのジムバッジの授与も、ただの景色になってしまって生返事しか返せなくなっていた。
 予約札は何度も落とすし、お客さんの椅子に躓くし、挙句完全に手元が狂ってしまって、アオキさんにサービスするはずの蕎麦を茹ですぎてしまった。

 女将さんとアオキさん両方にごめんなさいと謝るにも、心の中の謝罪の次に数え切れないほどの「だって」を頭につけて言い訳をさせてほしい。堪らない気持ちでぐだぐだ言い訳を心の中で述べてチリちゃん達を待ちながら、私はせっせとアオキさんへの謝罪おにぎりを作り続けた。

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