PoL

いざチリちゃんの家


 強風によって空に旅立っていってしまったププリンへの未練はあるけど、それはそれとしてショーウィンドウに反射する私の今日の服が可愛くてちょっと元気が出た。

「何笑てんの」とチリちゃんも立ち止まってガラスに反射する姿に気づいた素振りで隣に寄って軽く手を挙げると、店の中にいるアカデミー生がなにかびっくりしながら手を振り返していた。

「チリちゃんの知り合い?」
「いや、知らん顔やな」

 ガラスの反射越しに顔を見合わせた。お互い「え?」って顔をしている。

「知り合いじゃない人に手を振ったの!?」
「え? ヨシノ笑っとったからヨシノの知り合いかと思ったんやけどちゃうの?」
「えっ違うよ!? 私ただお洒落してきてよかったな〜ってガラス見てただけで……」
「なっはは気まず! 詫び投げキッスでもしたろかな」
「やめてチリちゃん罪を重ねないで」
「人聞き悪ぅ」
「もしあの子が面接しに行ったら投げキッスしてきた人が面接官だったらもっと気まずいよ!」
「たしかに……ってもうおらんやん」

 先に気まずさを感じ取ったアカデミー生はもういなくなっていた。「なんやねん」と溢しながら流した髪を直すチリちゃんをガラス越しに眺めた。

「ほなチリちゃん家行こか」

 何気なく言われた言葉に頷いた時、私の中でちょっと待ってとストップがかかった。

 私がこれから行くの、チリちゃんの家だ。
 チリちゃんの家に行くと誘われた時にテーマパークに行くみたいなノリで「行く!」って言ったけど、よくよく考えてみたら私誰かの家に入るのなんて初めてなことに今更ながら気づいてしまった。

 どうしよう、緊張してきた。「ほなチリちゃん家行こか」の一言で完全に緊張のスイッチが入った。やばい、どんな顔したらいいのかわからなくなってきた。もう歩き出してしまったから、さっきのショーウィンドウのところまで戻ることはもうできない。

 逆にチリちゃんが私の家に初めて来た時どんなだったっけと思い返すも、アルコールに大敗した私を絶対に家に帰す人命救助みたいな感じだったから全然参考にならない。あれは責任感が違う。

 チリちゃんにいろんな話を振られたり道中で食べ物買ったりしながら着実にチリちゃんの家までの距離を縮める間、私は生返事しかできなかった。
 何かを察したであろうチリちゃんが私の手を握ってどんどん階段を登ってカードキーを取り出して、ガチャッと音を立てた。
 私の家よりも重厚そうな扉が開いて、いざ招かれん。


「──広くない!?」
「家入るまでド緊張しとったのにテンション爆上がりしたな」
「あっ、お邪魔します……」
「よそよそしい〜。いつものあれは言わへんの?」

 あれとは。
 チリちゃんは頑としてそれを言わなければ上げないと言わんばかりに私の目の前に立ちはだかった。
 あれって、間違いなくあの言葉。

「……た、だいま」
「言えるやん。おかえり」

 今日一日一緒に出掛けられたのも嬉しいけど、なんだかチリちゃんをチリちゃんとする要素の一部を分けてくれたような気がして、嬉しさが私の周りをスキップしてるような、不思議な気持ちに満たされた。

 合鍵をもらった時のチリちゃんは嬉しそうに笑っていたけど、こんな感じだったのかなと。

 家に上がると部屋がいくつかあって、廊下の端にポケモンフードの大袋があったり、ホースやブラシが突っ込まれた大きなバケツも置いてある。

 そして一番奥の大きな部屋に入ると、服に埋もれたソファーにはドオーのぬいぐるみが控えめに鎮座してお出迎えしてくれた。
 前に言ってたドオーのぬいぐるみ、本当にあったんだ。両手で持ち上げて抱きしめて冷蔵庫に向かったチリちゃんを探すと、ふと自分が通ってきた通路の扉の数を改めて見てしまった。どう見てもソロの部屋の数じゃない。これはファミリーの数だ。

「ここって一人暮らし用の部屋なの……?」
「それは知らん」
「えぇ……?」
「えぇ言われても、いきなりリーグ勤務が決まったからここしか空いてへんかっただけやで」
「あ、そうなんだ。散らかってるけど家具すっごいお洒落だね……?」

 部屋のソファーを照らすようなルームライトはしばらく使われてなさそうにコンセントが抜かれて「長い暇をもらってます」といった雰囲気がある。

「家具揃えるん面倒臭いわぁ〜言うたらトップが「チリ、そういう時はインテリアコーディネーターに任せましょう」って言いよったから、そのまま頼んますってことでこうなった」
「ひぇ……」
「それまでず〜っとあちこちふらふらしとったさかい、衣食住の住の手配を丸投げにするからその辺どっかてきとーにええとこよろしく〜ってな。チリちゃんくらい強けりゃそれなりにバトルで稼げたし」
「ひえぇ……」
「口でひえぇ言うやつほんまにおるんやな」
「家具だけでいくらかかったの……?」
「丸投げしたから見てへんけどまあ元は取っとるやろ」

 家具の費用にコーディネート料など諸々を考えると目眩がした。四天王というエリート街道のリーグ職員恐るべし。とてもじゃないけど普通には出来ないことを平然とやり、そしてそれに応えて用意してしまうチリちゃんの上司の方もなかなかな豪胆っぷり。

 でも確か、チリちゃんはリーグの立ち上げからいたらしいから、そんな面倒まで丸投げできるトップさんとはそれなりに長い付き合いということになる。
 何度か宝食堂にも来たことがあるから見たことはあるけど、ちゃんと話したことはない。アオキさんの様子を見てると怖いのかなって思ったけど、その時のチリちゃんは全く物怖じせずに話していた。物腰は柔らかそうだけど普通じゃない感じの雰囲気があって、私は注文を聞くので精一杯ってところだった。


「ほんならなおすか〜」

 荷物と上着を置いて片付けを開始したチリちゃんがソファーから掛けっぱなしにしてたコートを取り上げると、ドラマや漫画で見たことあるような二人がけの有名な形をした黒いソファーの姿が出てきて目眩がした。

「チリちゃんこんないい部屋あるのになんで私の部屋に居着いちゃったの? 絶対不便なのに……」
「そんなん下心以外あらへんて。チリちゃんがそうしたいだけ」
「わあ、チリちゃんぽい」
「自分の好きにできるの大人の特権やん?」
「それはそうだけど」

 それはすごくわかる。私は間違いなくその恩恵を受けているから。

「それに上からも下からもいろんなもんに挟まれて毎日毎日馬車馬なチリちゃんはリーグ内で生粋の苦労人やねん。せやからこうしてヨシノを頼ってんねんで?」
「チリちゃんって苦労人なの?」
「は? なんでそこ疑うん」

 いかにも不服な顔で反論してるけど、今までに見た宝食堂での様子を思い返すと手を叩きながらものすごく大笑いしてる姿が真っ先に思い浮かんだ。声もよく通るし、気になってチラ見すると大体何かしらトップさんかハッサクさんから注意を受けているのを「へいへい」と受け流している。
 チリちゃんは確かにしっかりしているけど、トップさんやハッサクさんやアオキさんがいるからチリちゃんがチリちゃんのままで伸び伸びできてそうな気がしないでもない。

「どっちかっていうとハッサクさんとかトップさんの方がしっかりしてそうな気が……」
「逆や逆! リーグの支柱は9割チリちゃんが担ってると言っても過言やない!」

 チリちゃんがソファーを間に挟んで食って掛かってきた。私の返答次第ではソファーを大股で乗り越えそうな勢いのある反論だった。だけどソファーに食い込んでいるその足元にはいつ脱ぎ捨てたのかわからないTシャツが悲惨な皺を刻んで踏まれている。

「服も放りっぱなしなのに?」

 それに指を差しながら言うと、チリちゃんがノールックで引き抜いて洗うものをまとめるカゴにシャツを投げ入れ、弧を描いてゴールインする瞬間までの一連の動作を目で追って見てしまった。投げ入れ方が妙に手慣れている。
「ええかヨシノ」と語りだした。

「どっか秀でたらどこかが劣るねん。ドオーは守りが堅いけど足はどんなに張り切ってもえっちらおっちら歩いてるようにしか見えへんし日が暮れるくらい遅い。チリちゃんトップの右腕やって、ハッサクさんじゃ面接でけへん言うからチリちゃんが面接官をやって、アオキさんの貧相な声帯の代わりに呼び鈴係やって、ポピーの面倒も見とる国宝級の働き。せやから部屋が散らかってても欠点としては誤差の範囲や。完璧過ぎたらチリちゃんじゃないねん。OK?」
「わあ〜」
「わあ〜ちゃうわ。いうてこれでも綺麗になった方やで」

 そう言いながら、チリちゃんがウインクしながらコンビニの袋に手を突っ込んでいた。さっき買ったお酒にお手つきをしている。「飲んでもいい?」と、私に意図が伝わるまでパチパチするつもりらしい。丁重に袋の取っ手を結んで封をしたら、チリちゃんはしょもしょもと萎れた顔になり。

「えぇいもう開けるで!」
「あー!」
「掃除なんていつでもできるけど休みは今日明日しかない!」


 たしかに、今日は私にとってもチリちゃんにとっても貴重な二連休の一日目。それを言われると弱い。

 そして気づいたときには、私もノンアル缶をいい音を立てて開けていた。

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