PoL

上手くいく保証はない


 ハッコウシティでの買い物を終え、チャンプルタウンよりも色合いが鮮やかなタイルに降り立つ。

 テーブルシティへやってきた。


 タクシーから降りるやいなやなにかの塊のように集団になった制服の子ども達が私達の真横を走り抜けた。勢いに若干怖気づくと、後ろから生徒たちを追いかける先生の間延びした声が遠くから聞こえる。
「あっ」と思うより先に「先生が待て言うてんで!」とチリちゃんが子どもたちの背中に声を張ってピタリと全員の足が止まった。

「すみませえん、ありがとうございます」と数回ぺこりと頭を下げて生徒達の元へ行く先生の白衣を見送るチリちゃんを見て、無意識に「すごーい」と拍手を送っていた。
 チリちゃんが振り向く。ヒーローインタビューのような気恥ずかしさを見せていた。

「チリちゃん意外と子どもの面倒見いいよね」
「別に普通やろ」
「そう? たまに話に出てくるポピーちゃんだっけ、結構小さい子とも話してるよね」
「大袈裟やて。子ども相手やで? そない気い張るようなもんちゃうやろし、いうてポピーは全然手え掛からへんで。それに比べるとさっきの子ら1年生やからな。そのまま街の外行ったら危ないやん」

 たしかに、この前のアオイちゃんのような頼もしさとは少しまだ届かないような。さっきの子達はまだ年端もいかないような危うさはある。

「まあどっかのヨシノはんは身一つで地方をも越えてるもんなあ」
「どっかの誰かさんって伏せるところじゃないの?」
「うちら二人しかおらへんのに伏せる意味あれへんって気づいたわ」
「親しき中にもデリカシーっているんとちがう?」
「ヨシノ〜行き先そっちちゃうで。腹減ったんかー?」
「……」

 自然とお店が並ぶ方に足が向いたところでチリちゃんからの静止がかかった。声からニヤニヤしているのが伝わる。

「なはは! そんな口への字に曲げんでもええやん!」
「チリちゃんから見てうちそないにさっきの子らと変わらんの?」
「ごめんて。ほら案内するから手繋ぐで」
「この流れで?」
「エスコートは任せろって言うたやろ。行くで」

 そう言い、いつものグローブに包まれていない手で私の手を取られた。観念して軽く握るとしっかりと握り返されて、チリちゃんは歩き始めた。

 ハッコウシティと同じように広いテーブルシティを迷いなく闊歩するチリちゃんに手引かれながら街を眺めて進むと、生徒とそうでない人がバトルコートでバトルをしてるのが見えた。その向こうでは空飛ぶタクシーが忙しなく飛び立っているし、カントー発を謳うクレープの屋台もある。

 ジョウトからパルデアに渡ってからというもの、私の行動範囲はこじんまりとしている。朝起きて、宝食堂に行って仕事をして、買い物をして家に帰る。当たり前といえばそれは当たり前ではあるけれど、さっきの子供達といい、眼の前のチリちゃんといい、行動の躊躇のなさには純粋に憧れる。


 私の旅立ちの一歩目はどんなものだったか。
 置屋から飛び出して、足が棒になるまで走り続けた夜の38番道路が私にとっての一歩目になる。

 不思議と恐怖とかはなくて、怖いポケモンに襲われることもなく。ただ無我夢中で走ったせいで、アサギシティに着いたと思ったら実はモーモー牧場だった時の絶望的な生々しい徒労感は未熟な私によく刺さった。
 家を飛び出した時は理性が研ぎ澄まされたようにそれしか頭になかったのに、現実に一気に引き戻された後で気づけば声を上げて泣きじゃくったりもして。突然私が現れてびっくりしたであろう複数のミルタンクに囲まれて慰められていた。

 暗黙の了解と独特なルールに守られている花街から出たらこんなに自分は無力なんだと思い知らされてしまって、なんとも情けない人生レベル1の出だしである。
 牧場の人には頭が上げられないほど迷惑をかけたし、世話にもなったけど、とても青春を振り返ってみたいなノリで人に話せるものじゃない。

 そんなものだから、颯爽と道を行くチリちゃんもアカデミーの子ども達もみんな本当に眩しく見えて堪らない。その眩しさに私の陰りを足したらいけないとすら思ってしまう。

 私は間違った選択を取ったとは思わないものの、それを素直に打ち明けられずにチリちゃんに不安を与える自分に嫌気が差した。でもなぜかとてつもなく謎の勇気がいる。別にお客さんが語るような面白おかしい武勇伝にしたいわけでもなく、必死だったことには変わりない。

 チリちゃんは答えを見つけるのが上手だから、母と決別したあの時の限界だった自分の選択を「ああしたらよかったんじゃないか」と答えを出されてしまったら、もしそこから全部が間違っていたとしたら、私が私を保てなくなるような気がして怖くて話せない。一番自分で理解しているこの言い訳がましさがチリちゃんとの間に歪な線を引いてしまっている。
 そうハッコウシティで気づいてしまったけれど、いつしか習慣づいた自分で自分を追い詰めて保つような足元不安定な私の自己をチリちゃんは「ポテサラ買うてきたからなんか合うもん作ってや〜」って、いつもの調子で私を別の方に目を向けさせてくれるのも確かで。
 さっきはチリちゃんは私にわがまま言わせてくれると言ったけど、私はもっとチリちゃんのわがままを聞きたい。私もそっちに目を向けたい。

 しばらく歩くと広場に出て、チリちゃんの足が止まってどうしたのかとふと顔を上げる。

「お、やっと顔が上がった」

 チリちゃんがそう笑って言った奥に、さっきはタクシーで空から見下ろしていたアカデミーがそびえ立っていた。

 見上げても階段の上にまだまだ上がある。テレビで見るスケールよりずっと大きくて、白を基調とした街を彩る色鮮やかなタイルが日に当たってチカチカと光を反射している。あちこちから出ているフラッグガーランドに止まって身を寄せ合っているチルット達と目が合った。

 厳かで静かでひと気のないスズの塔よりもずっとずっと賑やかで高さも迫力もある。天辺は太陽で眩しくて見えないけれど、学び舎としてはこれ以上ないほど何も起こらないわけがない期待感を抱かせてくれる外観をしていた。

「う……わぁ……大っきい……」
「タクシーの中でも言うてたな」
「だって大きいんだもん。スズの塔は見慣れてたけど他でこんなに大きい建物見たの初めて! 一緒に撮ってもいい?」

 スマホロトムを取り出すと、ひそりとチリちゃんが耳元で囁いた。

「実はな、ラジオ塔のがもうちょっとだけ高いんやで」
「うそ!?」
「嘘」
「……チリちゃん私で遊んでない?」
「下向いてタイルとにらめっこしたってつまらんやろ? 写真撮ったら次は階段登るで」

 口喧嘩まではいかない会話を交えながらシャッターを切る瞬間だけお互い無言になる。画角に文句をつけて撮り直したりして満足した後、着いていくとどんどん人気がなくなってきていたなと思ったら。
 アカデミー校舎の感動とは一変して、なぜか檻のような物々しい雰囲気のある門の前までやってきた。私達の後ろにはひそひそと声を潜めて話すアカデミー生が数人がこちらを見ている。

「え……? なにここ」
「何って目的地やけど?」
「ここが……?」
「せやで」

 チリちゃんは別に臆することもなく平気そうに入っていくから手を繋いでいる私も入っていくが、腰が引けている。何されるのかが全く見えてこない。

「チリちゃん刑務所にでも行くの?」
「刑務所て! 普段チリちゃんが何しとると思ってんねん!」
「え?」

 暗い通路から出口に出た。一気に視界が開けて眩しさが強い。
 タイルで彩られていたテーブルシティとは違い、一面草が多い茂っている。真横はまさにパルデアの大穴を取り囲む断崖絶壁で、一本道の先を見るとこの景観とは全く場違いな人工的な建物が佇んでいる。

「あれって……」
「チリちゃんの職場」

 ということはポケモンリーグだ。
 テーブルシティにあると思っていたから、まさかこんな街の外れにあるとか思わなかった。
 屋上に面している部分がバトルコートだろうか。えらく簡素でなにもない。たまにテレビで見るような観客に囲まれての試合風景ではないことだけは確かで、必要な人だけが必要な時に来る場所といった雰囲気の建物だ。
 この細道を通り抜ける風しか聞こえない中で、あそこで戦うんだと思うとナンジャモちゃんが言っていたチリちゃんの面接試験の雰囲気が伝わるようだった。

「リーグがあんなところにあるって初めて知った」
「まあ目立たん所にあるのは事実やけどな? 刑務所なんて言うからびびったわ。そんなもんがアカデミーの横にあるわけないやろ」
「だって門の雰囲気やばかったから」
「それに関してはぐうの音も出ん」

 横道もなにもない草の絨毯が一直線に続いているだけの道に、ひゅうと風が高い音を立ててテーブルシティに続く門へ吹き抜けた。道を間違えて来てしまって押し戻されるような場違い感に引き返したくなったが、チリちゃんは私の背中をぽんと押した。

「ヨシノはさっきから遠くを見すぎや! 別にリーグに行くわけちゃうで。足元見ぃ、足元。ヨシノ大人気コンテンツやん」
「えっ……? えぇ!?」

 ポケモンの方が私を見物しに来てると言っても過言ではない。
 いつの間にか可愛い面子の小さいポケモンが無邪気にわらわらと集まりだして私とチリちゃんが注目の的になっていた。
「なにしてるの」と問いかけるように全員こっちを向いている。

「ここらに好戦的なもんはおーへんし、人懐っこい子しかおらんさかい。人も少ないし、触れ合うにはちょうどええと思って」
「チリちゃんどうしよう!?」
「どうしようやあらへんわ。とりあえず屈んだらええやん」
「こ、攻撃とか……」
「せんせん! この子らぜーんぜんそういうことしてこん! エサちらつかせたらそのまま家まで来るんちゃうかってくらい無害。とりあえず立ったままやと見下ろしたまんまだとあれやし屈んでみたらええと思うわ」

 アドバイス通り恐る恐るその場に屈んでみると黄色いパンみたいな子がぽてぽてと身体を揺らして歩いてきて、私の足にすり寄ってその場でそっと丸くなった。

「えっすごいすごいすごい、なんかすべすべしてる!」
「そらパピモッチやからな」

 ほんのりパン屋っぽい匂いがしないでもない。まるっこい頭と網目模様の背中を撫でてみると、この警戒心の薄さにおやすみ3秒で寝だした。

「この子実は野生じゃなくてどっか飼い主いない!?」
「パピモッチはそういうポケモンやねん。ちょいスマホ貸して」
「いいよ? はい」

 チリちゃんに渡すと何かのアプリを入れてるようだった。すぐに手元に返ってくると、アイコンがひとつ増えている。

「ポケモン図鑑……?」
「今のヨシノに必需品や思って。写すと勝手にいろいろ教えてくれるで」
「へえ〜! ありがとうチリちゃん。今見ちゃお」

 パピモッチにカメラの照準を合わせるとパピモッチの項目が呼び出された。
 図鑑といっても文字がたくさんというより、見て楽しむ感じが項目の表紙から現れている。町中を歩くパピモッチの写真が画面いっぱいに出てきた。パピモッチ自体がずっと人間に保護されてたらしいのなら、この野性味のなさにも頷ける。でもここまでになると本当にどうやって生きてるのか不思議でしかたがない。可愛いからそれ一本でここまできたのか。

 ワッカネズミも可愛いしずっと一緒な二匹を見るのもいいなあと思うけど、私の家が賃貸なことを考えるとあの前歯はちょっと怖いかもしれない。

 重さによって部屋に出してもいい基準があるらしいけど、チリちゃんは私の部屋でドオーを出したことがない。結構な大きさがあるしお腹で這ってるから出せないのかも、という事情があるのかもしれない。

「ヨシノ〜こっち来てみ」

 後ろからの声に振り返ると、図鑑とパピモッチたちに夢中になってた間に大きな木の生えた亀のような巨大なポケモンの上にチリちゃんは胡座をかいてくつろいでいた。
 ひらひらと手を振って「早く」と促されて駆け寄る。

「この子チリちゃんのポケモン?」
「せやで、でかいやろ。登れる?」
「いけるけど二人も乗っかって大丈夫?」
「全然問題あらへん、よっ」

 大きく生えた甲羅の角に背を預けていたチリちゃんに手を引かれて私もそのポケモンの上に乗っかった。手や膝をつくと意外と草の上みたいにふさふさしてる。

「ちょうどええからドダイトスの日光浴しとったんやけど、ちょっとあれ取ってみ」

 言われて見ると木の実っぽくないサイズの、上の方に小さい房の毛が生えたピンクがかった丸いものが葉っぱと枝に引っかかっていた。近寄ってみるとぷうぷうと小さい寝息が微かに聞こえる。生きてる木の実なわけがない。取ってもいいのかもう一度チリちゃんを見るとキメ顔のゴーサインが出た。

 おそるおそる両手でそっと持ち上げるとぬいぐるみと違う重みがあって、想像以上にぽよぽよしていて柔らかい。生まれたての子を相手にするように緊張していたけれど、微かに甘い香りがすると自分の頬が緩むのを感じた。

「この子どこから来たの〜? すごい可愛い」
「今さっき飛ばされて来たのが木に引っ掛かったんよ。顔がゆるゆるになってんで」
「これはなっちゃうよ〜」
「あ、起きた」
「え!?」

 やわらかな赤い目がぱちぱち瞬いた。何かが楽しいのか寝起きにも関わらず笑っていて、もれなく目が合うもの全部に笑顔を振りまいて傍観者じゃなくされる。全身からいっぱいの愛らしさを向けられてえへへとつられて笑ってしまう。
 道端で会ったポケモンに運命を感じて連れて帰っちゃったドラマが前にあったけど、まさにそんな感じで抱きしめたらいとも簡単に陥落すると直感した。

 笑い返されたことが嬉しかったのか、手のひらの上から私の膝の上にゆっくり飛び跳ねたはずみで胸に飛び込まれ、いよいよ私の中の庇護欲がくすぐられるどころか弾け飛んで魂が昇天しかけて声にもならない声を上げて悶えてしまった。

「完全にメロメロにされとるやんけ。これは決まったんとちゃうか〜?」

「かわいい……」と率直な言葉で伝えるも「見ればわかるわ」と軽くいなされた。
 チリちゃんが鞄の中を探っているから、私は私でスマホを取り出した。ププリンの項目を出すとふうせんポケモンとある。写真はどれもこれも確かに地に足がついていない。「ププリンっていうんだ」と説明にスワイプしたら、

「あー! あかんヨシノ! ププリンしっかり抱いとかな!」

 突然背後からかかった切羽詰まったチリちゃんの大声に肩が大きく跳ねた。
 ププリンをしっかり抱いておけと言われてすぐに自分の腕の中を見る。いない。「え!?」と直ぐ様顔を上げると、空中を不安定にふわふわと浮いて私の周りを飛び跳ねていた。が、その奥で他のププリンやらハネッコが怒涛の勢いで空に巻き上げられている。

「え、なにあれ……って、あ、あ……!?」

 嫌な予感よりも先に猛烈な風を切る音が草原を走った。

「あ、あ待って、え!? うそ! 待って!? どこ行くのー!?」
「アカーン! ボール当たらへーん!!」

 パルデアに上陸して恐らく一番であろう私の情けない大絶叫は突風にかき消され、チリちゃんがなりふり構わず同時に何個掴んだのかわからない量のモンスターボールを咄嗟に投げるも間に合わず。
 こっちの必死さに対して終始何もわかってなさそうなにっこにこな笑顔のまま、無慈悲な突風にププリンはあっという間に遥か空の彼方上空に吹き飛ばされていった。


 さっきまであった手のひらの重みがなくなり、スカスカな空気を掴んでは呆然としていた。何が起きたのか頭がなんか追いつかない。
 正直ショックどころではない。「え……?」と最早言葉すら出てこないままチリちゃんに問いかける。「こんなことってある?」みたいな目で見ていると、言いづらそうに口を開いた。

「先に捕まえとったら……ある程度距離が離れると勝手にボールに戻るようになるんやけど……ちょっと遅かったみたいやなあ」
「そんなぁ……」
「まあ落ち込むわなあ、でもまたどこかで会えるかもしれへんで?」
「あの突風に飛ばされて……?」
「風向き的にそのうちセルクルタウンとかチャンプルタウンに飛ばされてくるんとちゃう? チリちゃんあんま天気詳しくはないけど」

 そうは言うけど、あの突風で巻き上げられたププリンと草むらにいたププリンとハネッコ達の漫画のような無情なまでの吹き飛ばされ方を思い出すととても会えるとは思えない。

「ぷ、ププリ〜ン……捕まえたかったぁ……」
「お〜泣くな泣くな、突風でリーグの窓によくププリンがシュートされまくっとるくらいにはよくあるさかい、そのうちヨシノの家にも来るかもしれへんで? 今日はもう酒買ってチリちゃん家帰ろや」
「それ慰めてるのかよくわかんないよ〜!」

 と、さっきチリちゃんが投げたボールを拾い集め、半泣きで帰りしなにお酒を買おうとコンビニに寄って、お酒コーナーに向かう途中の食玩コーナーで見つけてしまったププリンのぬいぐるみキーホルダーを、未練がましくも買い物かごに入れた。

「また会えたらいいなってお守り代わりにする」と言うと、チリちゃんには「諦め悪くて最高やん」と笑ってくれた。

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