PoL

わるぎつねとは限らない


「営業なら見た目にも気を使うべきでは?」


 すり減った靴底を指差しながらトップに言われたのが昨日のこと。
 悪意はなく、“できて当然なことをわざわざ言わせないでくれ”といった期待を捨てきれない顔で言われたのだ。

 トップチャンピオンであるあの人に、営業とジムリーダーと四天王の三足の草鞋という言い訳は通用しない。
 チャンピオンとリーグ委員長とアカデミーの理事長という同じく三足の草鞋を履き、あれだけ澄ました顔で「手が抜けないのが欠点」と自負して人を試すように無理を言ってくるのだから溜まったものではない。
 仕事なんて程よく手を抜かないと、常にフルパワーでやればすぐにパンクするに決まってる。手加減しないをポリシーにするのはいいが、程々に頑張るこっちのポリシーも尊重してほしいものだ。

 定時退社を促してくれた勤怠管理者からは最近の激務具合から同情半分といった感じではあったが、わざわざ自分からノー残業デーと周知しなくても堂々と帰ることができると内心しめしめと思った矢先にチリさんに捕まった。
 ヨシノさんにどんなポケモンがいるか教えた方がよいか考えるあたり、よく気の働く人だ。自分と違いすぐ顔と足に感情が出るが、まだ若いのに仕切り上手で清々しい物言いを許してしまえる雰囲気を纏う彼女は正直少しだけ羨ましくはある。
 しかしトップからは「チリがいてくれると物事をいい感じに回してくれるんですよ」と評されているので、彼女なりに苦労する部分が多そうだから羨ましいだけでなりたいとは思わない。

 いやそれにしてもくたびれた。
 なんだって営業先のトラブルはこうも一斉に起こるのだろう。トラブルなんてないのが一番だけど、起こるなら一つずつ順番に起きてくれたらいいのに。どうせだから腹を満たしてから帰ろうと、途中串焼き屋台の甘辛い匂いに足が吸い込まれつつも宝食堂へと足を進めている。炭水化物とカロリーが欲しい。

 宝食堂の扉に手をかける手前、立て掛けられたメニューの看板の下に数個ほど転がっている木の実に気づいた。素通りするには何らかの意図を感じて出来ず、屈んで手に取る。モモンの実にマゴの実。どれもこれも食べ頃でポケモンが好みそうなものばかりがまとまってごろごろと置かれていた。

「あ! また置かれてる!」
「……また?」

 声を上げたのは店前で呼び込みをしている店員だった。

「どうもアオキさん!」

 休憩から戻ってきたばかりだと言う店員が「最近こうして店の前によく木の実が置かれてるんですよ〜」と困惑したように言った。

「そんな昔話みたいなことが……」
「多分ポケモンのいたずらだと思うんすけどね! でも入り口に置くってことは俺に気があるポケモンでもいるのかな?」

 冗談めかして言う店員の笑顔が眩しい。

「……律儀なポケモンもいるんですね。その行動力を見込んで自分の代わりに営業回りをして欲しいものです」
「まあまあそう卑屈にならないで! アオキさん、見るからに腹減ってるでしょ? 入って入って」
「失礼します」

 呼び込みをするくらいだから当たり前ではあるけど、なんでこの人こんなに元気なんだと木の実を拾う店員に促されるまま店に入った。
 その時に感じた視線に振り返るには、あまりにも疲れて気力がなかった。


「アオキさんいらっしゃい!」
「どうも」
「いつものかい?」
「お願いします」

 チリさんとのタクシー道中で話題に上がったヨシノさんは女将さんから伝えられた注文に笑顔で頷くとお茶を差し出した。

「お疲れ様ですアオキさん、今日は早く仕事が終わったんですか?」
「はい。勤怠の調整で」
「最近忙しいですもんね。熱いから気をつけてください」
「いただきます」

 いつものおにぎりを量産している女将の横について海苔を巻いている後ろ姿を見た。
 そういえば、最近チリさんは視察の空いた時間に調味料やらなんやらを買う姿をたまに見かける。自炊をするタイプではないと思っていたが、同じく最近ヨシノさんの話題を振られることも増えた。

 お茶を啜ると女将からおにぎりと「ついでだよ」と野菜の炒め物を出してくれる。まだ人が疎らな時間帯だからか余裕があるらしくヨシノさんが女将と入れ替わりに味噌汁をよそって出した。

「ポケモンを捕まえるんですか」と聞くと「チリちゃんから聞いたんですか?」と返される。少し気恥ずかしそうにしている。

「元々タクシー代高いって話だったんですけど……でも夜道の防犯的にも心強いよねってことでそういう話になって」

 確かに、防犯にはいい。
 たまに街中で技を覚えたてでとにかく誰かを眠らせたくて堪らない悪戯好きのポケモンがうろつくこともあれば、ポケモンを使って悪事を働く人間もいる。丸腰で出歩くよりよっぽど安全だからまともな意見ではある。

「自分で捕まえたこともないし仲良くなれるか不安ですけど」
「……ヨシノさんであれば普通に問題ないと思いますが」
「本当ですか?」

 顔には少し不安が見え隠れしている。二十歳過ぎなんて小さい子みたいに考えなしで踏み出すには難しくなり始める年齢だから無理もない。
 チリさんの後押しがあってのことだろうが、チリさんは即決が潔すぎるし、ああなろうと思えてなれるものではない。

「捕まえること自体はチリさんがサポートしてくれるのでは?」
「あ、そうじゃないんです。なんかこっちの都合で捕まえちゃっていいのかなって思ったりして。ポケモンはポケモンで生きてるだろうし……」
「ポケモンから懐かれることもあるので急いで捕まえることはないですよ」

 何かあと自発的になる一押しが欲しいと顔に書いてある。
 とはいえ、別にポケモンを捕まえるのは悪いことではない。寧ろこの世界で今まで全く関わっていないことの方が珍しいことこの上ないまで言えるのだから。

「……これは防犯とは別ですが」

 タクシー代とかポケモンがいた方が心強いという損得的なメリットとは別に、自分自身がポケモンと一緒に暮らしていると常に身に染みることがある。

「一緒に過ごすとなったら、仕事帰りとかゴミ出しとかちょっとしたことでも、世界で一番自分の帰りを喜んでくれるのはありがたいですよ」
「……!」

 声には出ていないが「何それいいな〜!」といったキラキラした目だ。どうも今までなかった新しい視点の意見だったらしい。

 話もそこそこに黙々と食べることに集中することにした。
 ヨシノさんもヨシノさんで、必要以上に会話をしてくることはなく程のいいところで「ごゆっくりどうぞ」と持ち場に戻っていった。足取りはなんとなく楽しそうに見える。

 いつものように静かに一人で食べる時間になったかと思いきや、店の入り口が騒がしくなってきた。
 見ると入り口にアカデミー生が立って店内の何かを探すように見回している。受付の店員も困り果てて女将さんの方を向いて両手を上げて何かを訴えていた。

「ジムチャレンジかい?」
「にしては受付してないっぽいですけど……」
「もしかして初めて挑戦しに来たんじゃないだろうねあの子」

 厨房内で女将とヨシノさんはどうしたんだろうと様子を見ていた。
 スマホを覗くが、ジムのスタッフからジムチャレンジャーの挑戦受付の新しい通知は来ていない。初めての挑戦はあながち間違いではないのかもしれなかった。もしかしたら本当に最初のジムチャレンジで右も左も分からないのかもしれない。

 少年がこちらを見た。自分と目が合うと反応を示したように距離を詰めてくる。
 最低限ジムチャレンジを受けるまでの行程くらいは教えてあげないといけない。とりあえずジムの受付は済ませたのかを聞くだけ聞いて、バトルは明日以降になるとだけ手早く伝えよう。
 顔を上げて「あの」と声をかけたが、年に一回吹くかどうかもわからない先輩風はうんともすんとも吹かなかった。少年は自分に目にも止めず、置き物の横を通り過ぎるようにすーっと素通りした。

 自分に手を振られていると勘違いして振り返したら実は真後ろにいた人に振られていた時のような、なんともいえない行き場のない「あ〜あ」という感情と盛大に空振った徒労感が目線を天井に向かわせる。
 今日はもう誰とも話したくなくなった。帰りたい。

 そんな中年男の本気八割程度の呟きを真に受けたのか、ボールから出てきたカラミンゴが心配そうに静かに自分の背後に立った。


「──あれ? いらっしゃい。ジムチャレンジしに来たの?」

 心に少し傷を負った横で、ヨシノさんに声をかけられた少年は嬉しそうに首を振った。
 歳はアオイさんと同じくらいか少し上に見えるのに、見た目と仕草がチグハグな印象を受ける。それとは別に、双方ニコニコしているからなのか首を横に振るか縦に振るかでしか返事をしない少年と難なく談笑してコミュニケーションが取れている事に素直に感心する。自分とトップが同じことをしてもああはならない。首を振れば振るほどにこっちの空気が重くなっていくに違いない。

「なんだ知り合いなの?」
「この前この子と一緒にご飯を食べたんです。お腹空かせて劇場に座り込んでたから」

 ヨシノさんの知り合いだとわかり、中断された食事に細々と戻ることにした。課外授業といっても全員がジムチャレンジをするわけではない。疲れているとこれだからいけないと思っていても、一言も言葉を発しない少年はやはり気になった。

「今日もおいどにかわいい尻尾つけてるの? お洒落さんだね」

(おいどとは……?)
 チリさんみたく、たまに不思議な言葉が出てくる。つい口に出てしまいそうになったのを口の中の物と一緒に喉の奥に引っ込めると、背後にいたカラミンゴがずいっと大きく一歩前に出た。 

「どうかしましたかカラミンゴ」

 問いかけてもアカデミー生のある一点を瞬きもせずじっと凝視している。カラミンゴにつられてアカデミー生をちらりと盗み見た。
 彼は真っ赤に熟れた甘そうなりんごを数個ヨシノさんに差し出していた。「お礼なんていいのに」と言いながらもなんやかんや受け取ると、少年は歯を覗かせて満足げに笑っている。

 なんだ、お礼をしに来たのか。めでたし。とはならない。
 カラミンゴが見ているのはそこじゃない。
 視線を注意深く辿り、そして怒涛の疑問符が押し寄せて去る。思わず二度見した。
 少年の尻から出ている黒っぽい尻尾が、上を向いて千切れそうなほどブンブン左右に揺れていた。

 つけ尻尾のように布に詰まってる綿じゃなくて命が詰まってるようにしか見えないそれを指差して、ヨシノさんに「これ本物の尻尾ですよ」と伝えようにも、少年とヨシノさんの和気藹々っぷりを見ると自分がとんでもなく無粋に思えて、なんだか憚られた。


「アオキさん、カラミンゴもお腹空かせてるんじゃないの?」
「そういうわけでは……」

「!? ……!、ッ!!」

 リンゴを凝視してると勘違いした女将さんの言葉のタイミングでカラミンゴの姿を見たアカデミー生の少年は、ギョッと目を見開くと壁にへばりつく勢いで後退りした。いつだったかプロモーションか何かでVRホラーゲームをした時のナンジャモさんと同じくらい腰が引けている。

 瞬きすらしないカラミンゴの圧を跳ね返そうにもかなしいかな、自慢のカラミンゴである。右往左往でヨシノさんに泣きつこうにも泣きつけないといった顔を見せて少年は一目散に店から出て行ってしまい、心の中でものすごく謝り倒した。

 ヨシノさんはというと、こぼれ落ちそうな数のリンゴを両腕に抱えたまま、引き止める間も無くその後ろ姿を呆然と見送っていた。


「騒がしいねえ、注文は?」
「しないで帰っ、ちゃいましたね……」
「なんだいそりゃ。あの歳でひやかしじゃないだろうね」
「でも美味しそうなリンゴいっぱいくれました」

 ほら、と見せると女将さんが一つ手に取った。

「ほんとだ、蜜が詰まってそうないいやつじゃない。最近入り口に木の実が置かれてるって聞いてるけどあの子?」
「あ〜、入り口のお兄さんがいつも回収してたからそれで直接来たのかな」
「でもあの子なかなかいい目利きしてるじゃないか」
「……アカデミー生ってバイト禁止じゃなかったですっけ女将さん」
「別に取って食おうなんてしないよ。でもその学生に貢がれだか餌付けだかよくわからないことをされてるって、あんた何したの」
「疑われるようなことはしてないですよ!?」
「疑ったりはしてないけど……まあよっぽど空腹だったんだろうねえ。勝負に連敗して食いっぱぐれるなんて話も聞いたし。でも気をつけなさいよ」
「はぁい……」

「……」

 盗み聞きをしてなんだけど、安心して欲しい。
 ヨシノさんはゾロアの空腹を満たしただけです。

 食いっぱぐれた点で言えば、縄張り争いに負けた野生のポケモンからすると食べ物を与えてくれた人間なんて、餌を貰うために調子に乗って集るか、この世の慈愛に感謝くらいまでいくんじゃないだろうか。
 あのゾロアはきっと後者なんだろう。せっせと木の実を置くなんて恩返しをしてるあたり、恩を足蹴にしたら罰が当たると思ってるんじゃないか。

 わるぎつねポケモンなんていわれてるけれど、案外そうでもない一面を見れた。なんだか信憑性のあり過ぎるホラ話がそのまま広まり、ついには図鑑化されて決定的にされてしまったような。
 人間の姿になる時、尻尾まで化かしきれないのはゾロアークではなく、まだ子どものゾロアであると風の噂で聞いたことがあるが、実際野生のゾロアが人に化けた姿を間近で見たのはこの歳になって初めてだった。


「……ごちそうさまでした」
「ありがとうございます。お会計置いておきますね」

 ──言った方がいいだろうか。

「……」
「アオキさん? あれ? おーい」

 ──いや、やっぱり言うのはやめておこう。
 多分、余程感謝をしていただけであのゾロアに悪意はないのだから。

「いえ。なんでもないです……あと、さっきの仲良くなれるかって話ですが」
「? はい」
「すでに仲良くできていると思いますよ」


 不思議そうな顔をするヨシノさんに軽く会釈をして、珍客で騒がしかったその日の晩飯を終えた。

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