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昼下がりの面影



 カロス地方の中心地であり「美食の街」を誇るこのミアレシティは朝から晩まで人の行き交いが途絶えることはない。
 
 昼過ぎになり少し人通りが落ち着いてきたプランタンアベニューだったが、突如路地裏から鋭い突風とともにポケモンが街路に転がり出てきた。
 そして街路であろうがバトルは止まることはなく、路地裏から転がされて躍り出たゴロンダの巨躯は道路脇の柵に当たって再び立ち上がる。黒い目元は路地裏の奥を激しく睨みつけていて、加えている笹は真ん中からポッキリと折れてしまっている。ゴロンダを受け止めた柵の丁度真後ろに停車していたタクシーは逃げるように一目散に走り出していった。落ち着いてきていたオープンテラスの席からは歓声が沸き上がり、通行人は足を止めてバトルの方へ視線を注目させる。どこぞの野良バトルとはいえ、テレビよりもよっぽど気軽に臨場感を味わえるのだ。

 路地裏から必死の形相で走り出てきた男のトレーナーが「スカイアッパー!」と叫ぶと同時に、路地裏の奥から橙色の翼竜が滑り出るようにゴロンダの直上に現れた。
 狙いを定めたゴロンダはカフェの外壁を蹴り上げて一気に跳躍する。スカイアッパーが翼竜を捕らえた。が、空中で小回りが利く翼竜は回転を効かせ、長い尻尾でゴロンダの腕を打ち払う。さらにもう一回転を加えた勢いに乗せて今度はゴロンダを石畳へ悠々と叩き落とした。

 まずいと頭を抱えるトレーナーの背後から、今度はゼェゼェとひどく息を荒げる背が高い女が覚束ない足で走って男の横を通過した。肩を上下させて脇腹を押さえている。汗を拭って壁に手を着いて顔を上げると、ゴロンダのトレーナー以上に鬼気迫る顔で空を滑空するリザードンを恨めしそうに睨み上げた。


「ハァッ、ハァッ……リザードン、火炎放射!」


 掠れた声を張り上げる。
 瞬間的に熱の塊がゴロンダ目掛けて放たれ、道路にたむろする見物人達は声を上げてその様子を見守った。祈るように相棒の様子を見に駆け寄ったトレーナーは、目を回して四肢を丸投げにしたゴロンダの姿に落胆する。
 勝敗を決した野良バトルに、周辺の見物客の熱が上がった。だというのに、勝利を収めたはずの女は依然として険しい表情を緩めることはない。文句のひとつでも言わせろと言わんばかりに声を荒げて言った。


「ハァッ……、待ってって……言ってるのに、フィールドじゃないとこで始めたからってどんどん場所移動すんの、しんどすぎるんだけど! リザードンさあ、私を乗せてくれたって、よかったんじゃない!? 食後でこんな走ると思わないじゃん!?」

 
 「まじで腹が痛いんだけど」と脇腹を押さえた女、ハンナは堂々と苦言を呈する。それを聞いてもなおふてぶてしい表情でリザードンは隣に降り立つのだった。そんな二人の元へ、ゴロンダをボールへ戻したトレーナーが歩み寄る。


「君強いな。路地裏に入っちゃえばこっちのもんだと思ったんだけど、甘かったよ」
「まあね。再戦はいつでも受けて立つから。……あ、今度はちゃんとフィールドでね。今回みたいな路地裏大移動はもうパス」
「ハハハ、わかったよ」


 ハンナはゴロンダのトレーナーのに火傷治しを渡すと、男は「ありがとう」と賞金をハンナに手渡した。散々走り回されて不機嫌そうだったジト目も、この時ばかりはにんまりと笑っている。
 とある平日の昼下がりのバトルの見物人達が口笛を吹いて立ち上がり、両者の健闘を称えたのだった。



  *  *  *



「あ〜疲れた……リザードンもお疲れ。いい運動だったんじゃない?」


 見物人達も徐々に散っていき、ゴロンダのトレーナーを見送ったハンナはリザードンに向き直る。すっかり機嫌は平常に戻り、息も整っている。
 「さて、ソフィーさん達はもう先に戻ってるかな」と、プランタンアベニューを見通す。

 昼前、ハンナはソフィー達と「たまには豪勢なランチを食べない?」という提案に乗っかって少し昼には早いタイミングで街に繰り出していたのだ。その帰りにバトルを仕掛けられていたのだが、路地裏に入ってしまったあたりからソフィー達とはぐれてしまった。
 ポケギアで連絡を取ろうにも、大したやりとりではないにせよ、端末を通して情報が筒抜けと判明したダイゴとのやり取りの後からあまり使うことに積極的にはなれない。

 途方に暮れて先に戻ろうと回れ右をしたところで、さっき向いていた方向からハンナを呼ぶ声がして振り返ると、ソフィーと一緒にコゼットが片手を上げて手を振っていた。

「はぐれちゃってすみませーん! 先に戻ってるかと思って今研究所に帰ろうとしてました!」
「路地裏に入ってくからびっくりしたじゃん。で、どっちが勝ったの?」
「わかってるくせに〜」
「あんたそういうところよ……って言いたいけど、冗談じゃないから腹立つわね」
「コゼットさん私のこと嫌いか……?」
「急に病むじゃん」
「ほら二人とも、そういうのは後にして早く戻るわよ」


 ソフィーに促されて足早に研究所に向かう。少しむくれるハンナをよそにリザードンは自らボールの中へ帰って行こうとしたが、ボールに戻る一歩手前で一瞬動きを止める。「どしたの?」とリザードンの様子を気にかけると、リザードンの視線はソフィーに向けられていた。彼女がつけている香水が気になっているのかと思ったけど、そうでもないらしい。威嚇してるわけでも、睨んでいるわけでもない。ただじっとリザードン自身になにかを懐かしむような視線を送るソフィーを見て、やがて飽きたのかさっさとボールの中へ戻っていった。


「ソフィーさんがぼーっとするとか珍しいですね。リザードンがどうかしたんですか?」
「ううん。なんでもないの。ごめんなさいね」


 正直「やっぱり」と思った。プラターヌ研究所の人達はリザードンを見る目が少し他の人とは違うという違和感を、ハンナはその時確かなものだと感じた。

 理由は明確だった。アランの存在だ。
 以前アランはハンナに「プラターヌ博士に自分のことは伏せていてほしい」と言ったのだ。どうしてと聞いても、ろくな答えなどなかった。きっとあの頑固な性格じゃきっと教えてくれないに違いない。かといって博士を含む研究所の皆は、ハンナの前であまりアランのことには触れようとはしない。名前に触れてはいけない、とまではいかなくともどう扱えばいいのかという気は感じていた。


(それとなく感じてたけど、博士がくれたこのリザードナイトとか二種類も持ってたのって、多分先輩に渡そうとしてたからだよね……)


 メガシンカの研究とはいえメガストーンなんて貴重な代物だ。多忙とわかりきっているカルネさんにだって協力を求めるほどで、そんな物をちゃんと二種類も揃えるのだって大変なのに。ハンナが来たタイミングで揃えられるわけがない。

(──ずっと前から用意してたんだろうな。『自分のことは博士に言うな』って、何やらかしたんだよ先輩。メガストーン私がもらっちゃったんだけど)

 プラターヌとアランの間に起こったことはわからない。それに「博士に自分のことは言うな」というアランの言葉も別に破りたいわけではない。だけど人が喜ぶことを率先してやるプラターヌのことを思うと、少しだけ心がモヤついた。
 アランが今リザードナイトXを持っているということは、ダイゴが以前言っていたフラダリという人から貰ったんだろう。絶対変な条件を付けられているに決まっている。そうじゃなければいつもあんなトイレを我慢したようなしんどい顔をしていない。

(先輩は根は真面目なんだし疑り深いし一見すると気難しいんだけど、つついてみると案外素直だったりするからなあ。でもどうしてフラダリとかいうきな臭いのに加担してるんだろ)

 そもそもフラダリ財団とはどういった組織なのか、いつもの癖で調べようとして手がポケットに入る手前で止まる。このタイミングで調べたらまずい。でも自分の頭で考えれば考えるほど、アランが何をしたいのかがまったく見えてこない。


「あんたさっきから静かだけどトイレにでも行きたいの?」
「ねえー違うんですけどー」

 無意識にアランとまったく同じ顔つきになっていたことにもショックだけど、同じ表現をしてきたことにも重ねてショックを受けてあからさまに溜息をつくとコゼットは指を差して言った。


「だってずっと難しい顔してソフィーさん見てるじゃない」
「だから違いますって……いや違わないわ」
「どっちなの」
「いやさっきソフィーさんすごいリザードンを見てたじゃないですか」
「そうだね」
「懐かしそ〜にしてたから、もしかしてソフィーさんの元彼かなんかがリザードンを連れてたのかな〜、とか考えてましたね」


 我ながらそれっぽい嘘をつけることに心の中で賞賛した。
(どうだ先輩。お前にこんな即興の嘘はつけないだろ。ついたところでどうせ「下手くそ!」って散々言われてバレるタイプでしょ)


「アッハハハ!! ないわハンナ、あんた見る目なさすぎ。ソフィーさんがそんなバカでもわかるような安い女の行動をするわけないでしょ!」
 

(前言撤回。これからはこれまで通り誠実に生きていこう。ごめん先輩)

 まさかこの一瞬でバレるより手酷い返しを受けるとは思わなかった。それにしても遠慮のない笑い声で「見る目なさすぎ」は言い過ぎではないか。コゼットは研究所の中以外でも個人的なやりとりが多いし結構気が合う部分もあるけれど、こうして一歩踏み込むどころか衝突事故のような返しがたまにあるのだ。


「ひっどくないですか!? 今の聞きましたかソフィーさん! ……ソフィーさん?なんでこっち向かないの?ねえ」

 負けじと前を歩くソフィーに話を振るも、肩を震わせるばかりでちっともハンナの方を向こうとしない。


「はぁ〜食後に笑わせないでよハンナ。ソフィーさんのために説明するとね、リザードンを見てたのは別に元彼がどうこうじゃなくて、あんたが研究所に来るよりずっと前にいたアランて子がヒトカゲを連れてたからよ」
「は? え、ちょ……」
「コゼット」
「いいじゃない。寧ろハンナが知ってなかったことの方が意外だったし、リザードンを見て懐かしいって思ったのはソフィーさんだけじゃないしね。同じ研究所にいるんだからさ」
「それもそうだけど…」


 困惑するソフィーを見て「こういうところだ!」とコゼットに叫びたくなった。
 みんなが触れるか触れないかを考えあぐねているのに、ホイッと口から答えを出す。しかし普段はそれに振り回されることはあっても、今はありがたいとさえ思ってしまった。
 

「ずっと前にいたってことは研究所を出て行ったってこと?」

 こんなチャンス滅多にない。一番知りたかった部分に触れられると切り出した質問に、ソフィーが首を横に振った。

「いいえ、そうじゃないの。アランは協力的な子で、メガシンカの調査の旅がしたいって言ってて。私達も応援して送り出したんだけど、それっきり連絡がね……心配してはいるんだけど、博士はアランならきっと大丈夫だって」


(めちゃくちゃ心配をかけてるじゃん!ダメじゃん先輩!ホロキャスター持ってるくせになにやってんの)
 知りたかったこととはいえ、語末が弱まる彼女を見てハンナは自分で顔が引きつっていくのを感じた。よく平然と自分のことは伝えるななんて言えるなと心の中でアランに糾弾したくなる。今度会ったら絶対事情を聞き出してやると心に決めた。


「へ、へぇ〜随分お騒がせな人がいたんですねえ」
「あんたも充分人騒がせだと思うけど」
 コゼットのボソッと呟かれた一言に、すっとぼけた声でわざとらしく耳に手を当てて聞き返す。
「ん〜? 下からの声は聞き取りづらいなあ」
「背高いからって調子乗っちゃって……ソフィーさん、私今日からハンナに対してスパルタ教育していく方針転換します」
「ふふ、コゼットにできるの?」
「今固く心に誓ったところです」
 ソフィーの柔和な声に対して、コゼットの声に揺るぎはない。
「え〜やだやだ私褒められてぐんぐんやる気も技術も成果も伸びるからもっと褒めてほしい」
「伸びてるのはあんたの身長でしょうが」
「ひどい」
「そういいながら私の頭を撫でるのほんと舐めてるとしか思えないのよ」
「すごくいい位置にあるから……」
「申し訳なさそうに言う言葉じゃないのよそれ」
「というか、そのアランって人はいつ頃旅に出たんですか?」
「撫でるのやめたら答えるわ」
「え……」
「なんでそこでちょっと迷うの? どけなさいよー」


 載せていた手をさっとどかされたところで、改めてソフィーとコゼットがいつ頃だったっけと記憶を辿った。

「そんなに前じゃなかったはずなんだけど。いつだったっけな」
「そうね。旅に出たのはここ数年前よ。最初は連絡あったんだけど、途絶えたのは去年あたりからだったかしら」
「じゃあ割と最近お騒がせ屋になったんだ」
「そんな感じね。元気にしてたらいいけど。ガブリアスも寂しがってるしある日突然顔出してきたら喜ぶよ絶対」
「え? あのガブリアスって博士のポケモンじゃないんですか?」
「少し違うわね。アランが傷だらけのフカマルを保護して連れて来たんだけど、今は研究所のポケモンなの。でも博士が一番気にかけていたから、博士のポケモンって思うのも無理はないわ」


 そう言って、ソフィーは研究所の扉に手をかけた。いつの間にか研究所まで帰って来ていた。
 「さて、午後も頑張りましょうか」とソフィーとコゼットは白衣を手に取り持ち場に戻る。彼女たちに「私トイレ行ってきます」と言い、ハンナはそのまま玄関で立ち尽くしていた。
 かつてはアランが、ヒトカゲと一緒にこの研究所にいたのだと語ったソフィーとコゼットの言葉を思い出しながら。調査に協力したくて、期待を胸に進んだ彼を皆が見送ったのだ。


「メガシンカの調査をしたくて旅に出た先輩に、ポケモンのエネルギーの開発をしてるフラダリ……」


 頭の中でその二つを反芻する。どうしたものか、頭が全く仕事に切り替えられそうになかった。
 アランが研究所を避ける理由が本当にわからないのだ。別に嫌悪してる様子はなかった。代表と呼ぶフラダリとは頻繁に連絡を取り合ってくせに、どうしてそんな極端なことをするのか。


「そうだ、フラダリ財団について調べよ」

 こっそりと自室に向かいパソコンを起動させて調べると、問題のそれは検索結果の一番上にヒットした。元々は慈善事業団体だったらしいが、今はいろんな事業に手を出しては成功させている。
 だが、ダイゴが言っていたあの巨石について、メガシンカについていろいろ嗅ぎ回って平和利用をすると言っていたのに、肝心な単語が一切見当たらない。


「……どこにもメガシンカのエネルギーについて書かれてなくない? なんで? というかメガシンカのエネルギーの開発をしてるならプラターヌ博士との絡みは普通にアリなんじゃないの?」
「なにがアリなのか、聞いてもいいかしらハンナ?」


 突然聞こえた自分以外の声に肩が跳ねる。声の主から猛烈な圧を感じた。
 恐る恐る振り向いてみると、そこには滲み出る怒りを隠す笑顔を携えたソフィーが立っていた。彼女はなにも語らず、詮索もせず、ただハンナの部屋の入り口を塞いでいるのだ。無言の圧はハンナの背筋を伸ばさせ、ゴクリと喉を鳴らして固唾を飲ませる。


(やばい…時間見てなかった)


 「すいません」と一言が、自然と口から出てくる。ソフィーは笑顔でその謝罪を受け止めた。ソフィーは普段優しいが、実は怒ると一番怖かった。変に言い訳すると許さないぞという圧は、シロナと戦ったチャンピオン戦よりハンナを緊張させたかもしれない。

 観念して仕事に戻るために、白衣に袖を通す。待ち構えてる仕事にうんざりしながら、ソフィーと一緒に持ち場へ向かったのだった。
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