新チャンピオンの帰還
「あ〜やっと着いた〜!」
キャリーバッグを引く手を離し、土産の入った袋を地面に置いて両腕を高く高く上へ伸ばす。凝り固まった関節からパキパキと開放的な音が鳴る。
シンオウからの長い帰還はホウエンを経由したため寒暖差も激しかった。さらにカントーへも寄ったことによって旅疲れもピークに達してきている。
「もう早く帰って今すぐベッドに潜りたい…泥のように眠りたい…」
ヒヨクシティからチップを渡して車に乗せて途中まで運んでもらい、ようやくここまで辿り着けた。
13番道路のゲートをくぐりあたりを見回すと、たった数週間留守にしただけなのに疲労も相まって懐かしさに打ち震える。だが今はとにかく早く研究所に戻って寝ることを優先したかった。
「えっと、こっち…はノースサイドだ、あぶな。サウスサイドストリートは右だけど…どっかこの辺にタクシー落ちてないかなあ…」
13番道路のゲートからプラターヌ研究所までは意外と道のりが長い。
ミアレシティは10等分に切り分けたホールケーキのように大通りが延びているため、距離は近くても実際は回り道しなければならないことが結構ある。
ゲート付近は外部との入れ違いが激しいためタクシー乗り場も待機所も隣接しておらず、しばらく歩かなくてはならない。ゴーゴーシャトルは近くにあるが、この荷物だと当然利用はできそうになかった。
途方に暮れていると、ハンナと目が合ったゴーゴートがトコトコとこちらまで寄ってくる。ダメだ、こんないい子にこんな重い荷物と私を背負わせて悠々自適に過ごすだなんてできない。良心が痛む。
「ありがとう、大丈夫だよ」と手持ちのオレンの実をあげてバイバイとハンナが手を振ると、ゴーゴートは素直にオレンの実を咥えて自分の待機しているスペースへと帰って行った。
「仕方ない、タクシー乗り場までは頑張ろう」
* * *
「ンン…やっぱり迎えに行こうかなあ…」
プラターヌは窓から外をチラチラと落ち着かない様子で覗いていた。
「一体今日だけで何回言ってるんですか博士、もうすぐ帰ってきますから準備手伝ってください!」
「ごめんごめん、わかったよコゼット。これはテーブルの上に運ぶのかい?」
今日はハンナが帰還する日だった。
プラターヌはシロナとハンナの試合をはるばるシンオウ地方まで応援しに行っていたが、試合が終わった後はお互い別の予定があったため軽く挨拶だけ済ませて急いで先にカロスへ戻っていた。
大事な妹弟子の試合を見るために急遽シンオウ行きを決めたから、帰ってきてからは自分の不在によって滞っていた仕事の処理に追われて、今の今までてんてこ舞いもいいところだった。
「研究で大変な日々が続いたけど、でもこうして喜ばしいことがあるのは嬉しいなあ」
ほがらかに笑いながらプラターヌが言うと、その場にいる研究員は一様に笑い返した。
「本当ですね。こんな風に誰かを祝うために頑張るのって久しぶり。いつだったか昔もやりましたよね…アランは元気にしているかしら。本当はシンクロナイザーの研究もアランに見せてあげたいってさっきコゼットとも話していたんです。今どうしてるのかしら」
ソフィーはそう言って隣の部屋の方向を見る。その部屋には、完成間近のメガシンカに必要不可欠なメガストーンがどのポケモンに対応しているかを判別する装置が置かれていた。
「……そうだね、僕も同じ気持ちだよ。でもアランはきっと元気にしているさ。あの子は強いからね」
プラターヌはかつてこの研究所で一緒にメガシンカの研究を助手として手伝ってくれていた、ヒトカゲを連れた少年に思いを馳せる。先に手伝いをしていたガブリアスもその名前を聞いて近寄ってきた。なんせこのガブリアスはフカマルだった頃にアランが拾ってきた子だ。かなりの期間を一緒に過ごしてきたのだから、気にならないわけがない。
謎の多いメガシンカをさらに紐解くために旅立ったアランは、もう長い間連絡が途絶えていた。「便りがないのは良い便り」とは言うが、彼の実力に関しては心配はしていないものの、何故だか時折無性に、僅かに不安がよぎる。
最近はハンナがこの研究所にやってきたからか、気になる頻度が増えたように思えた。特にアランと同じヒトカゲから進化したリザードンを連れているから、口にしないだけで気にしているのはみんな同じだというのはプラターヌ自身も気づいている。
ハンナは「ダメな時はダメ」と投げ出す時は徹底的に放置して後から解決に向けて頑張れる呑気な性分だから息抜きがやたらうまいが、アランはいい意味でも悪い意味でも真面目だった。
真っ直ぐに目の前の課題に向き合い、ぶつかってもぶつかっても探求し続ける。その実直さは美徳でもあるが、たまにプラターヌが自分の息抜きにアランを引き連れることがあった。自分のポケモンを大事にしていて真面目で、行動にも無駄があまりないが、少し自分の状態を知って休むということが苦手な印象だと思っていた。
そんな真面目なアランが連絡を絶つ。
アランのご両親には連絡が入っているみたいだから、消息不明という訳ではない。ただそうなると、余計何が起こっているのか心配になる。
だけどその見えない不安を他の研究員にまで広げるわけにはいかない。
「さぁ、準備もあともう少しで終わることだし、僕達もコーヒーでも飲んで一息入れようか」
手を軽く叩いて提案すると、切りのいいところを終えた者が賛成とコーヒーを淹れに給湯室へと向かう。すると、研究所の玄関ブザーが部屋に響いた。
「あれ?まだ時間には早いけど…意外と早く着いたのかな?」
プラターヌは再び窓から玄関付近を覗き見る。だがそこにいたのは、予定されていた人物ではなかった。
思わずその見かけた姿にプラターヌは目を丸くする。
「大変だ…」
呆気に取られたプラターヌの呟きにソフィーが反応して振り向く。
「どうかされたんですか博士?」
ソフィーの問いに、プラターヌは口を半開いたままだった。そして窓の外から目を離さずに言う。
「…カルネさんが来てる」
その場の研究員一同が「ええ!?」と一斉に窓ガラスに張り付き騒めいた瞬間であった。
* * *
「突然お邪魔しちゃってごめんなさい。どうしてもミアレに立ち寄れる予定が組みづらくて…事前に連絡を入れようとも思ったんだけど、空き時間ができたのがちょうどこの研究所の目の前だったものだから」
言っていることは恐らく本当だった。
カルネのマネージャーであるミナミも先ほど後ろ姿だけ見えたが、時間が押しているのかタクシーを捕まえてサウスサイドストリートの外壁に沿って13番道路ゲートの方面へ向かって行った。
「忙しいのにわざわざ来てもらえるなんて光栄ですよ。でも研究所へはなぜ?サーナイトのメガストーンでしたら、この前データを取らせてもらったのに」
「いいえ、今日ここへ来たのは研究への協力ではないんです」
「というと?」
プラターヌが尋ねると、カルネは悪戯っぽく笑って言った。
「もう、わかってるくせに。ハンナ、優勝したんでしょう?」
カロスのチャンピオンである彼女は当然ポケモンリーグ協会に属しているため、情報の伝達も早い。他地方のチャンピオン戦であろうとチェックに余念がないあたり、マネージャーであるミナミのサポートもあってのことだろう。女優とチャンピオンの両立を確立しているこの強かな女性は、同じく考古学者とチャンピオンを両立するシロナのことを気にかけていたに違いないとプラターヌは思った。
そしてそのシロナを打ち破ったハンナのことも、当然気にしているのだ。
「時間がなかったからお祝いのお花もないけど、どうしても会っておめでとうって言いたかったの。人生の中でも特別な瞬間だと思うから。……もしかして不在にしてたかしら?」
「いや、もうすぐ帰って来ますよ」
そうプラターヌがウインクで返したのと同時に、研究所に先ほどと同じ長いブザー音が鳴る。「ほらね」とプラターヌが言うと、笑って二人は席から立ち上がった。
玄関ホールまで行くと、プラターヌ達よりも先に降りて来た研究員達がハンナを囲んでいた。清々しい騒がしさの中心にいるハンナは笑ってこそはいるが、疲れが見え隠れしている。ドア付近に置かれている荷物を見て「やっぱり迎えに行った方がよかったな」と少し申し訳なさそうにプラターヌはカルネと共にハンナの元へ歩いて行く。
「ハンナ〜!!見たよチャンピオン戦!本っ当にお疲れ!おめでとう!」
「ありがとうコゼットさん……このまま何時間でも寝たい……」
「何言ってんのみんなお祝いする気満々で待ってたんだよ」
「13番ゲートからタクシー捕まんなくて歩いて来たんですよ〜?5分でいいから〜」
「あんたの5分は5時間でしょうが!ほら、シャキッとする」
「無理〜もう今は何もできない〜溜まった報告書も見たい本も映画も全てにおいて今は睡魔に従うことが優先されるんすよ」
「報、告……?ハッ」
「報告」の二文字を耳にしたコゼットは一瞬表情を無にして引っかかりの正体を思い出した。自分に寄りかかるハンナを両手で起き上がらせようとするが、自分よりはるかに背が高いハンナの上体を起こすのは研究漬けの人間には無理に等しい。
「思い出した!あんたシンオウ行く前に提出した報告書!なんなのアレ!報告書は小説じゃないわよ!ちゃんと書かないと今度こそ罰金取るよ!」
「お金払うから許して……」
「その歳で罰金を妥協案にするな!ロクな大人にならないわよ!起きなさいってば!」
コゼットに寄りかかる形で項垂れるハンナにプラターヌは近づこうとすると、横にいたカルネが前に出る。面白可笑しそうに目を細めて笑う彼女は目が合ったコゼットに人差し指を立てて静かにと促した。
未だにコゼットに寄りかかって耳元で抗議するハンナの背後に、つま先を差し出してそろりと近づいたカルネはチューニングするように軽く喉を鳴らした。
「ハンナ、小説を書いたの?」
コゼットは目を見開く。カルネは声が少しだけソフィーに近づけていたのだ。
「だって淡々と書くの飽きるんですもん。カロスの大女優だって泣いてスタオベからの拍手喝采レベルの超大作ですよ」
その大女優が今まさに目の前にいるとは知らず堂々と言い切るハンナにコゼットは肩を震わせる。
「そう…そんな大作なら報告書で読むより是非演じてみたいものね」
「演じ…?ソフィーさんそんな趣味あった……け……」
顔を上げて振り返ったハンナは虚を突かれた。眠気でぼんやりしていた視界のピントが合う。
「でもそれ以上にあなたの優勝劇、粗はあってもなかなかドラマチックだったわ」
目の前の親愛の情に満ちた声を持つ女性はくすりと笑う。
まさかこんなところで再会すると思わなくて、ハンナは目を丸くして凝視した。
「え、え…!?カルネさん!? わー眠気覚めた!ソフィーさんかと思った!」
コラッと横から本物のソフィーの声が上がる。
カルネは気にせずハンナの手を取って微笑んだ。頭の天辺から爪の先まで手入れされている女優の手にドキりと心臓が跳ねる。大女優とこんな間近で接することなんて初めてだった。ドギマギするハンナと違い、カルネは真っ直ぐハンナの目を覗いて言った。
「久しぶりねハンナ。シロナさんとのバトルを見てどうしてもあなたに会いたかったの」
「い、忙しいはずなのに見ててくれてたんですか!?」
「ええ、シロナさんとガブリアスとても強かったでしょう?勘所を押さえてても倒すのが大変なのに、リザードンの戦いぶりは見てて気持ち良かったくらいよ。本当におめでとうハンナ」
「ありがとうございます!……なんとか勝ってきました!」
お互い笑いあって握手する。カロスのチャンピオンからの手放しのお褒めの言葉にハンナが歯を見せてはにかんでいると、下から恨めしそうな声がした。
「ハンナ……再会はいいんだけどそろそろ私を離してくれない?」
「おっと、コゼットさんちょうどいいサイズだから忘れてました」
「アンタあとで覚えてなさいよ」
「すんません、あとでお土産渡すから許して〜」
「も〜しょうがないなあ」
「しょうがない」とは言いつつ、口元は笑っている。「お土産奮発してよかった」と胸を撫で下ろしていると「お疲れ様だったね」とプラターヌが入れ替わりでやって来た。
「ただいま戻りました博士!…あ、長い休みありがとうございました」
「何言ってるの、必要な休暇だよ。ご両親にはちゃんと会えた?」
「元気そうでした〜!お母さんからポケモンのタマゴも貰ったんであとで見て貰っていいですか?どうもカロスにはいないポケモンみたいなんですよ」
「本当かい!?いいよ、大歓迎さ」
そう言って、カバンの中から孵化装置に入ったタマゴを取り出す。まだまだたまに動く程度で、孵るのは当分先だ。タマゴは定期的に検査がいるが、この研究所でも検査は可能だ。当分の間は研究所を拠点にして動くことになるので遠出の野外調査はできない。
「まあ、野外調査はできなくて今は寧ろ丁度いいかもしれないね」
「え?そうなんですか?いつもあれだけ野外調査助かるよ〜って言ってるのに」
意外そうにタマゴをプラターヌに渡すと、受け取りながらにこやかにプラターヌは言った。
「……報告書のやり直しに集中できるでだろう?」
「アッ……」
さっきのコゼットとの会話をプラターヌは聞いていた。
シンオウに行く前に全部終わらせると言った割には報告書が一向に回ってこないのを頭の片隅で不思議に思ってはいたのだが、思わぬところで答えを得ていたのだ。
「このままお祝いして報告書のやり直しをするか、報告書のやり直しを今やって後腐れなくお祝いをするか、どっちがいいかい?」
「あっはははは……、で、でも今カルネさん来てますし……」
「カルネさんなら今さっきミナミさんから電話来たからもう行ったわよ」
ソフィーは少し呆れ気味に言った。
「ウソォ!?早っ!!」
「ほんとー。あ、この塩漬けもーらい」
「コゼットさんもうお土産漁ってる!」
「下書きだけでもいいから、先にやってきなさい」
ソフィーの援護射撃はプラターヌに味方した。
「うっ、正論……はーい」
プラターヌが肩を落とすハンナの後ろで玄関にいる研究員にウインクをすると研究員は頷いて静かに外に出て行く。ハンナが自室に戻るのを全員が見届けると、一同は一斉に準備に急いで取り掛かった。
最後の準備は、食欲が誰よりも凄まじいハンナに合わせた大量のオードブルを運び込むことだった。
しかし下書きをする前にお腹をすかせて給湯室へ行くハンナと大量のオードブルを玄関から運び入れる研究員が鉢合わせるのは、数分後のことである。