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レイジングジャーニー


『ただいまホウエン地方カナズミシティ沿岸沖にてポケモンの暴走が確認されております。航路を変更して空港へ向かい──…』



「まじか」

 機内アナウンスに思わずハッキリとした返事をしてしまった。


 カントー地方からホウエン地方に向かう飛行機に乗っていて、到着まであともう少しというところでのトラブル発生だった。詳細は伏せられているが、滑走路で暴れてるならまだしも沖で暴れているから遠回りするというのはあまり聞いたことがない。

 不安や好奇心に染まった周囲の声に釣られて飛行機の窓の外を眺めると、機内アナウンスの言うとおり遠くの空が淀んで暗くなっていた。
 ここまでの影響を及ぼすポケモンなんてそうはいない。そんなことができるポケモンなんて伝説や幻クラスのポケモンくらいで、天変地異の前触れに等しい。


 それにしても私をホウエンに呼び出したダイゴさんからは「とりあえずホウエンに来たらデボンの本社まで来てくれる?」というメールを最後に連絡が途絶えていた。圏外にいるのかと疑ってしまうが、そこで冗談じゃないのがダイゴさんだ。また私に言ったことを忘れて石でも探しに行ったのか。さすらっていると言う割には忙しい人なのに、いつでも本社に行って必ずいるわけじゃないだろうに。私に対してそういうところが存外適当な人だ。
 

「……」


 ふとあの暗い空を見て思った。「あの中にいたりして」と。
 だがほとんどの時間を洞窟の中で過ごしているような人が沖に出るとは思えない。申し訳ないが、私の中のダイゴさんはそういう人なのだ。

 両手で大事に抱えているタマゴの孵化装置に視線を落とす。
 このタマゴは、カントーに帰省した際に会った両親からもらったタマゴだった。乳白色と紺色のバイカラーのタマゴには、オレンジ色の大きい水玉模様が散らばっている。毎度毎度タマゴを見ては思うが、ポケモンのタマゴというものはすさまじい色味をしている。

 このタマゴをくれた母は「ちょっと暴れん坊かもしれないけど、ハンナそういう子好きでしょう?」と言っていたから、きっと好戦的なポケモンが生まれるに違いない。


 数年ぶりのカントーへの帰省は故郷だというのに踏み入るには緊張した。それ以上に数年ぶりという空白期間を経て父と母との再会だった。月に数回は電話をしていたからお互いのことはわかってはいたつもりだけど、これだけ長い間姿を見せないとなると心の準備が必要なほどだった。
 自分の我儘で始めた旅だったから、なおさら。



 世界各地を飛び回っている父と母は今ガラル地方に拠点を置いているらしく、見せてくれたポケモンは全部私が会ったことのないポケモン達だった。

 ガラル地方についてはシロナさんから少し話を聞いていたからとてもタイムリーな話題で、ダンデさんについて聞いてみたものの、まだチャンピオンカップの季節ではないみたいであまり情報を聞くことはできなかったが、母はジムリーダーのキバナさんという人が「本当にかっこいい」とか「ファンになっちゃった」と言っていて、そのせいでジムリーダー周りにやたら詳しくなっていた。
 心なしかキバナさんについて語る母の声には謎の熱が篭もっているように思えて、隣で聞いていた父の視線が複雑な感情を含んで迷っていたのが微笑ましい。

 リーグカードと呼ばれるブロマイドを見せてもらうと、見た目は多少チャラいが確かにかっこいい。「これはお父さん勝ち目が…」と言うと、うっすら涙の幕が見えたので急いで否定した。
 

 こっちと違ってガラル地方はジム巡りをエンターテイメント化した「ジムチャレンジ」というものになっていた。
 今がまさにその時期で「ジム戦の様子が度々テレビに映されている」と。ジムリーダーも完全にランキング化されていて個々の強さが他の地方とは段違いであり、キバナさんが位置するトップジムリーダーともなれば、他の地方のチャンピオンクラスと対面を張れる強さを持つらしい。
 シロナさんに勝ったばかりだというのに、上には上がいると世界の広さに辟易しそうになった。

 そしてチャンピオンリーグという呼称ではなく、チャンピオンカップと呼ばれている。
 ジムチャレンジを勝ち上がったチャレンジャーはジムリーダー達とトーナメントで競い合い、勝った人だけがチャンピオンに挑戦できる徹底的なまでにジムリーダーに強さが要求される仕組みになっていて、勝ち上がってくるのを待っているのはチャンピオンだけという図式。

 ジムリーダーは勝率が悪ければ容赦なくマイナーランクに落とされるシビアさが際立っている。
 真っ先に頭に思い浮かんだのはデンジの存在で、イッシュ地方のチャンピオンリーグに挑戦しに行ってみようかなと言っていたが、純粋な強敵を求めるんだったらガラルに行った方がいいんじゃないかと思ったけど、人に指図されたくない性分には多分お節介だろうから言わない。


 「でもその仕組みだと、四天王はいないの?」と聞くと、やっぱり四天王の役職はないらしい。ただ他地方の四天王をスカウトしてジムリーダーにさせているという人もいるみたいだった。こんなにも仕組みが違うリーグがあるんだと思うと、一度見学がてら行ってみたくなる。

 殿堂入りの間を後にしてシロナさんと歩きながら話した時に「リーグはチャンピオンによって雰囲気がガラッと変わるわよ」と言っていた。同時に「あなたがチャンピオンになったら、このシンオウリーグの雰囲気がどんな風に変わるのかしらね」とも。
 からかっている様子ではなかったし、案外変えるなら思い切り変えてしまいなさいと受け取ってもいいような気がしてた。正直気が早い会話だなと思いながら聞いていたが、シロナさんもダイゴさんと同じくらい結構唐突なところがあるからある程度早めに身構えていても損はない。

 ただ唐突と言ってもシロナさんがダイゴさんより優しい点は、ちゃんと予告があるところだからまだ救いがある。




『大変お待たせしました。ただいまより着陸態勢に入ります』


 機内アナウンスで目が覚めたように窓の外を見る。
 やはり目立つのは常に火山灰を吹き出しているエントツ山。周辺の灰を被った山林を見て、ホウエンに来たんだなと実感する。

 いつの間にか結構迂回していたようで、空もだいぶ暗くなり、さきほどの場所からはかなり遠ざかってホウエンに降り立つための空港の滑走路が見えていた。





  * * *




「カナズミシティってこんなに高層ビル多かったっけ!?」

 空港のホテルで一晩過ごしてカナズミシティに入り、地下鉄から地上に出て思わず足が止まった。
 記憶の中のカナズミシティはもう少し控えめな高層ビルの中にデボンコーポレーションのでっかいビルが堂々と鎮座していたが、それから数年経った今やそこもかしこも背が伸びて空が随分狭くなっていた。イッシュ地方のヒウンシティの摩天楼を思い出すほどに様変わりしている。
 でもその中でもやっぱり貫禄という点でビル郡の奥に鎮座するデボンのビルが今でも一際目立つ。その奥の遠くの空には、まだ薄ら黒く昨日の雲が残っていた。

 行き交う人のスーツ率の高いことと思いながら、久々の街を記憶と比べて眺める私の視線は忙しない。時間帯が昼に差し掛かっているからビジネスマン向けのキッチンカーの屋台が軒を連ねていて、誘惑が思いのほか多い。私のお腹が「デボンじゃなくてキッチンカーへ行け」と意志を持ったように音を鳴らして命令している。


「まいど!」
「おじさんありがと〜!…よし、買い逃しはないね。本当はマラサダも食べてみたかったんだけどな〜、まあいっか」

 食欲には抗えない。デボンに向かうことそっちのけで両手いっぱいにランチを抱えてベンチを探すことにするけど、端から見ると上司に使いっ走りさせられたように見えるボリュームだ。ちょっと買いすぎたから先に一つだけパンを口に咥えて食べると、ボールからギルガルドが出てきた。進んで自分も手伝うと主張している。ありがたいけど、つまみ食いをする下心が丸見えな目をしているので、問答無用でボールに戻してリザードンに手伝ってもらうことにした。

 咥えたパンには野菜やら肉やら見た目より多く挟まっていて、気を抜いたらこぼしそうな予感がする。味わっている余裕はなさそうだった。荷物を抱え直してベンチ探しを再開しようとすると、不意に後ろから声をかけられた。


「雰囲気が変わりましたのねハンナさん」


 鈴を転がしたような透明感と説得力のある声。声質から女の子だとすぐにわかった。
 身体ごと振り向くが、抱えたランチと咥えたパンのせいで自分より背が低いであろう姿が見えない。困ったけど打つ手なく口だけ動かして待ち呆けてると「もう!」と手に持っていたランチを奪われた。
 ようやく姿が見えた女の子は頬をこれでもかというほど膨らませてこちらを睨んでいる。


「こっちですわよ、こっち!本当にそんなに食べられるんですの!?節度ある食事を心がけないと身体を壊しますよ!」


 心底信じられないと思っている口調で、ぐうの音も出ない正論を盾に怒っているのはカナズミジムのジムリーダーであるツツジだった。

 昔は紺色のワンピースを着ていたが、今もシックな服装は替わらず白いパフスリーブのシャツに濃灰のワンピースを重ね着していた。濃いピンクのリボンとカラータイツはこだわりなのか変わっていない。こうして会うのは数年ぶりだった。私の成長期が未だに終わらないせいもあるけど、相変わらず可愛い背丈をしている。


「あ〜ふふひ、ひはひふひ」
「呑気に喋ってないで早く食べちゃってくださいな。食べ歩きだなんてお行儀悪いですよ」

 ツツジがランチを半分持ってくれたおかげで片手がフリーになったから食べ終わるのはすぐだった。咀嚼する私を見上げてくる目はツンとしているが悪意はない。この子はたまにキツいことを言うが善意からなのでこの街で彼女を慕う人は多い。現に私も、ツツジのことが好きなのだ。


「ごめんごめんありがと。久しぶり〜ツツジ、元気?」
「変わりなく、ですわね。あなたがここにいてびっくりしました」
「いやーダイゴさんに呼ばれてさ」

 ダイゴさんという名前に一瞬反応を示したが、私の顔とランチの山を交互に見比べて言った。

「呼ばれているのに…その量のご飯を?」
「キッチンカーの魅力と吸引力に抗える人間はいないんだよ」
「理解はしかねますが、あなたが言うと説得力がありますわ…でもその並外れた欲求と行動力があるからこそチャンピオンを制することができたんでしょうね」
「お?耳が早いね」
「当たり前です。チャンピオンを倒したなんて一大事ですもの」
「ありがと。でもここで立ち話もいいけどどっかベンチない?お腹減ったんだよね。ツツジにも少しあげるからさ」
「えっ…い、いいんですの…?」
「こんなにあるんだからいいよ。一緒に食べよ」


 実を言うとさっきからツツジが私の左手からぶら下がっている袋のロゴをチラチラ見ているのに気がついていた。素直に好物だから欲しいと言わないおしゃまなところが、少しシゲルと似ている。妹がいたらこんな感じなんだろうか。


「しょうがないですわね。こっちです、着いてきてください」
「ほいほい」
「ハイは一回です」
「はーい」
「あなたって人は…こっちは昨日まで大騒ぎでしたのよ?ベンチに着いたら話しますが、私もこれからダイゴさんに用があるんです。一緒に行きませんか?」
「あれ?そうなんだ。ちょうどいいね」


 ツツジに連れられてやってきたのは記憶のままの姿の噴水広場だった。近くにはトレーナーズスクールもあって、受講生が通りすがるたびにツツジに挨拶する姿があった。
 さっきまでいたビジネス街の大通りとは打って変わって人通りは落ち着いていて、食事を取っている人も珍しくはない。ゆっくりとした時間が流れていた。


「変わったね〜カナズミ。ビルが増えてるし高くなってるしびっくりした」
「ホウエン地方きってのビジネス街ですもの。発展なんて当たり前ですわ」

 ツツジにお目当ての袋を渡すと「ありがとうございます」と言ってさっそく中身を出す。蓋を空けた瞬間に目が輝いたのを私は見逃さなかった。平然を装ってるつもりでいるけど、この子内心むちゃくちゃ喜んでる。


「まあそれもそうか。それでさっき言ってた大騒ぎってもしかして沖でポケモンが大暴れしてたってやつのこと?それ一口ちょうだい」
「ご存じでしたの?」
「乗ってた飛行機が航路変えてたからね。でも沖ならカナズミシティ自体にはなんも被害出なさそうじゃない?」

 ツツジが一口分切り分けているのを見て「あー」と口を開けて待っていると、意外にも素直に私の口へ運んでくれた。うん、美味しい。

「何を呑気なこと言ってますの…暴れてたのは伝説のポケモンですよ?沿岸まで攻撃の余波が来て大変でした」
「ハア!?まじで?えーっと海だから…カイオーガ?」
「ええ、三分の一正解です」
「三分の…一?」

 嫌な予感に聞き返すと、ツツジは遠い目をして答えた。

「グラードンとレックウザも来ちゃいましたの」
「うへぇ…」
「出現した理由が全く不明なので、対処してくださったダイゴさんなら何かご存じかと思いまして」
「伝説の闇鍋か?同窓会か?大変だったね」

 我ながら他人事のように答えてしまったが、他にかける言葉がない。
 伝説ポケモン同士の戦いともなれば酷烈の他に言いようがない。一歩進行方向を間違えたらこの街が消し炭にされてたかもしれないのだ。こうして何事もなく日常生活にすぐ戻れるように対処をしてくれたダイゴさんの功績は大きい。後でじっくり本人から聞くことにしよう。


「わかってくれて嬉しいですが、そんな闇鍋も同窓会なんてたまったもんじゃありませんわ…」
「ハハハ…もうしばらくはホウエンでそういうことは起こらないでしょ。……そりゃダイゴさん連絡返さないはずだわ。もうデボンに戻ってんのかな」


 ゴミを捨てに行こうと立ち上がるツツジを止めてゴミをもらうと、隣で昼寝をしているリザードンの尻尾の火に食べ終わったゴミを燃やしてもらった。時計塔を見るとどこの会社でも午後の始業時間になろうとしている時間だった。そろそろ頃合いかもしれない。


「ハンナさんはダイゴさんに何の用事が?」
「それがわかんないんだよね。必ず来るようにって呼ばれただけで」
「必ず…なら早めに行った方がよろしいんじゃなくて?」
「それもそうだね。食べ終わったし、行こうかな」

 最後のゴミを燃やして立ち上がった。食後の眠気が来る前に歩き始めた方がいいかもしれない。

「あえて何も言わずに見てましたけど…食べるの早いですね」
「美味しいものは美味しいうちに食べなきゃって使命感がある」
「素晴らしい心構えですわ。量は見直した方がいいと思いますが」
「善処する」
「する気ないですねその口ぶりは」

 即答するも、すぐに見破られてしまった。


「じゃあ行こうか」


 たいして気にする素振りも見せない私にため息をついて仕方なく笑うツツジは、しっかりとした足取りで横に並び立ってついてきた。




  * * *



 近代的なビルが立ち並ぶ奥にどっしりと構えているのがデボンコーポレーションだった。
 ガラス張りの近代的なビルとは真逆のレトロな石造りの意匠で、存在感がある。玄関には大企業の看板を背負った硬い表情の守衛がいて、静かに目を光らせて出入りする車や来訪者達を見ている。
 こんな大企業に入るにはあまりにもラフすぎる格好だから、引き留められないか少し心配になったが隣にいるツツジのおかげでその心配はなかった。

 これだけ大きな会社だと受付場も一人二人では間に合わないんだろう。長い受付テーブルには四人も並んでいて、それぞれ隙を与えない身のこなしで来訪者を捌いていく。
 漏れなく全員様子が整った受付嬢のお姉さん達の内の一人に要件を伝えると、まだそんな笑みを隠し持っていたのかと思うほど眩しい笑顔で「少々お待ちください」と返された。


「笑顔にも比較級と最上級があるんだな…」
「何を言ってますの…?」


 しばらくすると内線で確認していたお姉さんが受話器を片手に綺麗な弧を描いていた眉を下げて「…申し訳ありません、大変申し上げにくいのですが」と私達に向けて謝罪し始めた。


「その、ツワブキはさきほど急遽カロスに向かったと…秘書が申しておりまして…」
「え!?」
「大変申し訳ございません!」
「いやっお姉さんは悪くないけど…悪くないけど…!」

 お姉さんも心から困り果てた顔をして謝っている。そんな顔をしないで欲しい。こっちもすごく申し訳なく思う。だけど、この行き場のない怒りをぶつけなきゃいけない本人がカロスへ飛んでしまった。
 この場で冷静なのは隣でやりとりを見ていたツツジだけだった。

「ハンナさん、明らかにお昼ご飯の量を減らしておけば間に合ってましたわね」
「あンの石オタク〜〜ッ!!許さん!!」
「聞こえないフリしないでくださいな」

「随分にぎやかですな。何かありましたかな?」


 ツツジに袖を引っ張られて慌てて振り向くと、仕立てのいいスーツに身を包んだ男性と秘書がこちらにゆっくり歩いてくる。髪は白髪混じりの薄灰色で、初老を迎えそうな年齢に見える。

 そしてそう、ダイゴさんの面影がある。後ろの受付嬢達や守衛が口々に揃えて「お帰りなさいませ」と迎え入れているから、余計にこの男性の正体に確信が持てる。



「もしかして…」
「社長のツワブキムクゲさんですわ。ご機嫌よう、騒がしくてすみません」
「やあツツジさん、我が社に来てもらって嬉しいですよ。街が大変と聞いて急いで帰ってきたけど、まさか有名人まで来ていたとは」
「え!?あ…いや、どうも、始めまして。ハンナといいます」
「当然知っていますよ。先日はおめでとうございました。私もテレビで見ていましたからね。何かの縁にしてもこうして直に足を運んでくださっただなんて、こんな光栄なことはないですよ」

 そう言って私に軽く会釈をする姿に、慌ててこっちもお辞儀で返す。

 突然のフリに驚かれるのは慣れっこなのか、顔のシワを濃くして笑うのはこの会社の社長であるダイゴさんの父親だった。ダイゴさんと比べると、お喋りが好きなのかもしれない。



「社長、お戻りになられたのですね」
「ああ、今ね。それよりダイゴが何かしたのか?」
「お客様とのアポがあったんですがさきほど急遽カロスへ向かってしまいまして…」

 受付嬢の発言に今度は眉間にシワを寄せる。秘書に小さく何かを伝えて、私とツツジに向き直った。

「それは申し訳ないことを…ダイゴには後で私から言っておきます。お詫びをさせていただきたいので少しお時間を頂いてもよろしいですかな?」


 私とツツジは顔を見合わせて歩みを進めるムクゲさんに着いて行った。




  * * *




「デボンって化石の復元にも精通してたんですね〜」


 お詫びという言葉に裏が含まれているんじゃないかと身構えていたが、杞憂だった。簡潔に言ってしまえば社内見学のようなもので、社長室で少し話して、せっかくだからと社長直々に各フロアを見せてもらっている。

 ナナカマド研究所やプラターヌ研究所よりも機材が充実していてデボンの財力と研究力の強さを思い知る。これだけの分野を徹底して深く調べられて根気よく開発する環境があれば、数ある企業のトップに躍り出るのも頷けた。
 ツツジはもっぱら化石に目が釘付けで、夢中なあまり研究員へ質問が途切れずその場から離れようともしない。


「化石復元に興味がおありですかな?」

 その言葉は私よりツツジにかけてあげた方がいいような気がする。概ね同意してるであろうムクゲさんはそれでも私から目を離さなかった。


「実は少し前に化石を手に入れたんですよ。予定が詰まってたんでカロスに戻ったら復元センターに持って行こうと思ってたんです」
「なら丁度いい、ここで復元させませんか?」


 ムクゲさんの提案に目を丸くすると「先ほどのお詫びと、殿堂入りのお祝いですよ」と研究員へ準備をするようにさっそく指示をする。手際というか、行動が早い。私もボックスから化石を引き出して手渡すと、すぐ復元に取りかかった。20分もあれば終わるらしい。


「もちろん、私は社長なのでお詫びがこれだけなんてことはないです」
「ゲッ…」
「うん?どうかしましたか?」
「すみません、ダイゴさんとの会話の悪い癖が…」

 思い出したのはシロナさんと戦う前に掛かってきた電話。
 なにか親切をされるたびに「実はこういう裏があったんだよ」と、気づいたときにはもう自分自身でなんとかするしかないという前にも後にも引けない状況がこれまでに何度かあったことを話すと「知っていますよ」と、日頃の業務の忙殺を忘れるような笑いを見せた。


「ダイゴからハンナさんの話を聞くことは多いですから。随分後輩であるあなたを可愛がってるようですね」
「なんやかんやで付き合いが長くなってますからね。いろいろ難題吹っかけられますが、助けられてます」
「……本当は?」

 それだけじゃないでしょう?と視線が訴えている。社長と名乗るだけあって、話し相手の表情の機微には鋭い。
 この人相手に、安っぽいウソは一切通用しないのだからと観念して答えた。

「……よく私がブチ切れてますね」
 正直に答えると「やっぱり」と眉を下げて困ったようにムクゲさんは再び笑った。



「そうだと思いましたよ。いつも楽しそうに話すけど、内容を聞いてるとなかなか不親切だなと思っていましてね。よくめげずに立ち向かってるなあと」
「もう慣れましたけどね。今さら親切になられても逆に気持ち悪いです」
「ダイゴの話の通りだ、大変タフでいらっしゃる」
「それって褒めてます?」
「もちろん。美徳ですよ」
「デボンの社長にそう言ってもらえると誇らしいですね」


 いまだに熱が引かない様子のツツジをガラス越しに、社員の休息所の昇降式バーテーブルを挟んでムクゲさんと喋っていた。しばらくすると、さっき化石を預けた研究員が復元したはずの化石を抱えて私の元にやってきた。やや困った顔をして抱えたものを差し出している。

「こちらの化石なんですが一つの塊の中に二体分の化石がありましたので表面の一体のみ復元をしましたがよろしかったですか?」
「二体!?あ〜だからあんなに重かったんだ…そんなこともあるんですね」
「珍しいことではありませんよ。番いだったり兄弟だったり…その時の状況のいろんな要因で他の個体と一緒になることがあるんですよ」
「へえ〜!でも今回はこの子だけで大丈夫ですよ。ありがとうございます!」
「こちらこそ、顎の化石はホウエンじゃあまり出てこないから参考になること多かったです。では化石はボックスにお返ししますね。これが復元したチゴラスが入ったボールになります」
「ありがとうございます」

 手渡されたモンスターボールをそのままホルダーに取り付けると、意外そうに研究員が口を挟んだ。

「おや、今ボールから出さないんですか?」
「もしここでこの子が暴れまわったらどうなると思います?」
 私の逆質問に、少し間を置いた研究員は「失礼しました」と笑みを見せた。
「…素敵なことになりますね」
「ですよね」



 チゴラスの性質を考えると、今この場でボールから出したらまずい。こんなところで暴れでもしたらチャンピオンの賞金もろとも全て消し飛ぶ大損害を与えかねない。
 「借金地獄のジリ貧チャンピオン」という世にも珍しい肩書きのチャンピオンが生まれてしまう。
 
 ツツジも気が済んだのか、目を輝かせたまま私とムクゲさんの元に戻って来た。
 すでに窓のブラインドの隙間からはオレンジの西日が差し込んでいて、夕方になっていることを知らせていた。


「よし、そろそろカロスに帰ろうかな」
「あら、アスナさんに会いに行きませんの?会いたがっていましたよ?」


 アスナはホウエンを旅していた時に仲良くなった同世代の子だった。
 今は立派にジムリーダー業をこなしていると思うが、出会った時はまだジムリーダーになる前で、随分元四天王である祖父について尊敬と目標を夢語られたのが懐かしい。

 思い出した頃にお互い連絡し合っていたものの、私は旅を続ける傍ら研究所に所属する身となり、アスナもジムリーダーになってから連絡の頻度は減った。向こうから私に電話をかけても電波が届いてなかったり、私からかけてもジム戦中で留守にしていることが連続することが多かった。
 繋がったらまず最初にお互い大変だねと笑う。そんな仲だった。

 でもこうして連絡する頻度が減っても、別に悪いことだとは思っていないのだ。頻度が減る分、話すネタには事欠かない。


「私も久々にアスナに会いたいけど、さすがに研究所からずっと休暇もらってる状態だからね。博士も私の応援で抜けてたし、私の担当地域あるし。早く戻らないと」
「そうですか…では私の方から元気でしたと伝えておきますわ」
「うん、よろしくツツジ」
「また会いましょうハンナさん。ムクゲさんも御機嫌よう」


 リボンを揺らして歩く小さい後ろ姿を見送って、その場には私とムクゲさん、そしてムクゲさんの秘書だけが残った。

「ハンナさん、カロスへはどうやって?」
「飛行機の予定ですよ」
 私の回答に「それはそれは」とムクゲさんは笑う。秘書に向けて軽く手を振るえば、秘書はその場から翻してどこかへ行ってしまう。

「では我が社の輸送機でお送りいたしますよ。そっちの方が早くてゆっくりできます。もちろん、その航空券の払い戻しもこちらがしましょう」
「ず…随分太っ腹ですね!?いいんですか?」
「非礼のお詫びはこれだけじゃないとさっきも言ったでしょう?ケチなことは好まないんですよ」
「さすが大企業の社長…」
「ハンナさん、今後も何かあれば我が社を頼ってくださいね。もちろん、ビジネスとしてでも大歓迎です」

 差し出されたムクゲさんの手は、握手の意があった。
 少し困惑しながらも、慎重に言葉で返していく。

「自惚れを承知で聞きますけど、私はムクゲさんにとって有益ってことですか?」
「あなたはまだ若いが、このご時世チャンピオンともなればいろんな企業からいろんな話がくる。あらゆるものがビジネス化されていく。手を取るためには、こういう手段もあるんですよ」
「……やっぱビジネスマンって怖いなあ〜私まだその手の話はさっぱりわかんないや」
「私は社長ですからね。…ちなみに戦った時のシロナさんとどっちが怖いですか?」
「その質問はずるいですよ。断然シロナさんです」
「ハハハ、それくらいの気概があれば大丈夫ですよ。ダイゴの無茶苦茶な後輩教育もまあいい方向に働いてると見ていいでしょう」
「ダイゴさんの味方が増えちゃったなあ」
「何を言いますか。ダイゴも私も、あなたの味方ですよ」

 私は「降参」と上げた両手を、ムクゲさんに片方差し出すと、ムクゲさんはうっすらと微笑む。


 握手を交わした時には、もう空のには暗雲一つなく夕焼けが空を染め上げていた。


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アニポケの時間軸では最強メガシンカAct3あたりになります。
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