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夢見がちの彼は誰


 殿堂入りの記録が終わった。

 シロナさんが言うには殿堂入りの間までの長い道のりをまた引き返して、今度はヒーローインタビューが待ち構えてるらしい。いい加減チャンピオン戦から休憩なしでヘトヘトの状態だから、そろそろ休ませて欲しいとこのスケジュールを提案したリーグに苦言を投げたくなってきた頃だった。途中でナナカマド博士は別の道へ別れたのが羨ましく思えてくる。
 この後勝負処でお祝いがあけど、ただでさえ泣き疲れたせいもあって、もしかしたら途中で力尽きて寝てしまうかもしれない。

 意識せずに漏れた溜息に前を歩くシロナさんが立ち止まり振り返った。


「大丈夫?」
「あっはは…正直疲れちゃって。今すぐ寝たい…シロナさんなんでそんなピンピンしてられるの〜?って感じですよ」
「そうねえ。でもあのくらいのプレッシャーに耐えないとチャンピオンなんてやってられないわ」
「うっ…身に染みます…」


 シロナさんのド正論がギュッと私の胃を鷲掴む。
 強くなるとは言ったが、これは精神的にも鍛えなきゃいけないやつだと悟った気がした。


「ただ私があなたを恐ろしいと言ったのは本心よ。このプレッシャーはチャンピオンの共通の悩みの種となる。私も、ダイゴ君も、あなたの出身地であるカントーのワタルさんも。そしてハンナ、きっと貴方も。…と言っても、一人例外がいるけどね」
「例外なんているんですか?」

 やけに含みのある言い方だった。シロナさんは公平に人を見るから、こうした物言いは少し珍しかった。

「もちろん。ガラル地方というところにいるダンデくんという若い青年なんだけど、負けたことがないし、寧ろ楽しんでるって聞いたわ」
「へぇ〜そらすごい…」


 チャンピオンともなれば、他地方との交流も少なからず必要になる。
 地域によっては各地のチャンピオンや四天王から公認ジムリーダークラスのトレーナーを集めてトーナメントを開く催しが開かれたりする。シロナさんの言うダンデというチャンピオンとは、恐らくそういった催しの中で出会ったんだろうと推測できた。


「うーん…なんか反応がイマイチ。ハンナって無敗って言葉に意外と興味ないのよね」
「興味はあるけど…なんか無敗ってだけだとあまり。それを言ったらシロナさんだってチャンピオンとして長い間無敗を誇っていたわけだし」
「ふふ、ありがとう。でもハンナが興味を引くポイントがひとつあってね、ダンデくんはあなたと同じリザードン使いなのよ」
「え!?」
「さあ、そろそろ出口よ」


 ようやく自分達の足音以外の音が拾えるようになってきた。カメラやマイクを持ったリポーターのような人達が大挙して待ち構えている。その光景を見ただけでさらに気が滅入ってきた。


「うっわ…帰っていいかな」
「だーめ。これもチャンピオンに勝ったものの責務よ」
「私インタビューよりさっきのダンデさんの話をもっと詳しく聞きたい」
「ハンナ、もうひと踏ん張り」
「殺生な〜!」
「さあ、いってらっしゃい!」

 シロナさんに軽く背中を押されて取材陣の前に躍り出ると、フラッシュの洪水が私を包んだ。





  * * *




「──……あれ、夜…?」


 目を開けた時、目の前にあったのは見慣れているが懐かしいナナカマド研究所の私とシゲルの相部屋にある二段ベッドの天井だった。私はカロスに拠点を置いてるからご無沙汰だから今やすっかりシゲルの自室と化している。
 二、三度瞬きをして身を横に寝返ると、ブラッキーが耳をぴくぴくさせてまた寝息を立てた。身体の模様が通常の黄色ということは、私のブラッキーじゃなくてシゲルのブラッキーが私に添い寝をしている。


「インタビュー終わって勝負処で祝いしてもらってたらふくご飯食べて…その後どうなったんだっけ…」

 隣のローテーブルには乱雑に私のカバンとグローブが置かれている。
 腕を額に乗せて気づいたが、寝巻きに着替えていない。誰かに寝かされたということだ。


「……だめだ、オーバをバリカン持って追いかけてたとこまでしか思い出せない」
「追いかけている最中に突然糸が切れたように寝ちゃったんだよ」
「!!」
「全く、リザードンに担がれてここまで運んでもらったんだから、朝になったらお礼言っておきなよハンナ」


 二段ベットの上段から聞こえたのはこの部屋のもう一人の主であるシゲルの声だった。ご主人の声に反応したブラッキーが目を覚ました私を見るなり頬をひと舐めして上段のシゲルの元へジャンプして上がる。
 「ごめん、起こしちゃった?」とブラッキーに声をかけるシゲルの声はハッキリしていて、寝起きのものじゃない。


「シゲルもしかしてずっと起きてた?」
「まあね。誰かさんが僕のベッドを占領しちゃってるからずっと天井とにらめっこしてた」
「ごめんってば〜今から元の場所に戻ろうか?」
「いいよ。僕も意地悪だった」
「はーい。じゃあこのまま寝るわ」
「…そうだね」

 肯定するシゲルの声は少し落ち着きすぎていた。
 このまま寝ようか考えた後に、固く目を瞑って眠気を軽く追っ払う。もう少しだけシゲルと話していたくなってきたのだ。

「なんとなく目が冴えちゃってる感じ?」
「…ちょっとね」
「ほんとにちょっと〜?」
「茶化すなよ」
「ごめんごめん。こんだけ寝つき悪いってことは何かあるんでしょ?」


 お互い聞きづらいことや言いづらいことはお互いに引き出し合うのが知らないうちに染み付いた私とシゲルの暗黙のルールだった。
 シゲルは変に大人ぶってたまに遠慮するから、これをするのはほとんど私の方だ。



「……ねえハンナ、殿堂入りだけしてチャンピオンにならなかったのはなんで?」
 部屋の静けさに後押しされたように、シゲルは恐る恐る声を出して言った。

「シゲルは私にチャンピオンになって欲しかった?」
「うん…あ、いや、ハンナの意志を尊重したいからどっちでも僕はいいと思ってるんだけど、なんでだろうって思って。勝負処でもぼかした答えしか言わなかったから」
「今さり気な〜く『うん』って言ったでしょ〜!!可愛いなあシゲル君はぁ〜!」
「聞いたんだから真面目に答えてよ!あと上のベッド蹴るな!ブラッキーが起きる!」


 やっぱりシゲルは下段を覗き込まない。
 ベッドの柵に手をかけているのはわかるけど、それ以上はしてこない。私とシゲルの仲だというのに、今更変に線引きされているとでも思っているんだろうか。
 聞いてもいいのかダメなのかを考えすぎて、失礼なんじゃないかとかっていう結論に至ってそうなシゲルが少しおかしくて、ちょっと吹き出してしまった。


「なに?もしかしてハンナ笑ってない?」
 少し不機嫌そうな声。そろそろ真面目に答えよう。

「そんなわけないじゃーん。まあでも、そうだなあ…私シロナさん大好きだし、憧れだし、勝って嬉しいんだけど、実際にあのフィールドで戦って自分の未熟さを思い知っちゃったんだよね」
「勝ったのに?」
「そ。私こんなにチャンピオンと戦うことが大変だなんて知らなかった。初めてだから知らなくて当然だけど、多分私でこれならシゲルから見ればもっと未知の領域なんだと思うな」
「……うん」
「殿堂入りの間で結構追い詰めるほど悩んだんだけどね、シロナさんが引退するかもしれない時、私を次のチャンピオンに指名するつもりなんだって。だから今大事なものを全て投げ打って無理にチャンピオンになる必要はないって言われてね。それまでにもっと今以上に強くなりなさいって言われたから、もっと頑張ろうって決めた」
「そっか」
「まあ、内定ってわけじゃないし暫定だから指名された後でもっかい戦うことになるんだろうけどね」


 シゲルからは否定も肯定もない。
 恐らくシゲルの中で納得したんだろうと思った。


「……ハンナが勝った時、気づいたら泣いてたんだ。あれだけリーグでの戦いは僕にとって悔しい思い出になっていたはずなのに、感動したんだよ。僕の中の思い出の認識をハンナが変えてくれたんだ」


 上段が少しだけ軋む音がして、ベッドの柵からシゲルが少しだけ顔を覗かせた。
 穏やかに笑っている、いつものシゲルの顔だった。


「チャンピオンリーグ優勝おめでとう、ハンナ。これからも応援しなきゃね」
「ありがとうシゲル。今日はいい夢見れそうだよ」
「夢を見るのはいいけど、朝はちゃんと起きなよ?明日はカントー行ってご両親に会うんだろ?」
「ハイハイ、ちゃんと起きますよ〜んじゃおやすみ」
「うん、おやすみ」


 

  * * *



(翌朝)


「起きろハンナ!なんで起きられないくせに飛行機のチケットを午後の便にしてないんだよ!」
「ん゛ー…起きてる…」
「うそつけ!起きてるのは夢の中でだろ!?本当に乗り遅れるよ!」
「もう出発してる…」
「現実の飛行機が君を置いて出発しそうなんだから早く起きて!」

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