vsシロナ_02
「何年とチャンピオンに君臨し続けた私にとっての恐怖がたった一つだけあるとしたら」
ガブリアスの痛烈な一撃がエルレイドを捉えた。
フィールドの岩石にリバウンドし、地面に叩きつけられてたエルレイドは立ち上がる様子もなく、限界を迎えた。
「私に向かって苛烈に迫り上がってくるあなたよ。ハンナ」
『エルレイドの置き土産成功ならず!チャンピオンのガブリアスの力が優った!』
シロナさんの独白に、こめかみに汗が伝う。私のことが怖いだなんて夢にも思っていなかった。
ガブリアスはエルレイドを難なく否してしまった。冷凍パンチを食らったはずなのに、まるで問題ないと言わんばかりの一撃だった。結果はいつだって無情で、目の前に広がる光景を熱っぽく伝える実況も、今だけは煩わしいとさえ思った。
「エルレイド戦闘不能、ガブリアスの勝ち!」
「ありがとうエルレイド。後は任せて」
(参ったな…エルレイドだって強いんだけど、冷凍パンチを受けてあそこまでピンピンしてると落ち込んじゃうな)
平然を装ってエルレイドをボールに戻した。相手がシロナさんの相棒のガブリアスであることを加味しても、壁があまりにも高すぎることを思い知らされる。一番ショックなのはきっとエルレイドのはずだ。終わったら、とことんエルレイドの気が済むまで特訓に付き合おう。
すると、シロナさんが「ねえ」と口を開いた。
「四天王戦から今日まで、未練がないほどカロスで遊び回ってきたわけじゃないんでしょう?」
シロナさんの優しい声音にはハリーセンも恐れ戦くほどの棘がびっしり敷き詰められていた。上品な言い回しのトラッシュトークに思わず顔が引きつる。シロナさんは優しいというイメージといえば確かにその通りだが、本気で相手をするとなるとそのイメージは見事に打ち砕かれることだろう。
優しさだけで10年以上もチャンピオンという玉座を守れるわけがない。勝ち星を数えることすら諦めるほど、ことごとくチャンピオン夢を見るチャレンジャーや死に物狂いでシロナさんに食らいつく四天王を蹴落としてきたのだ。貫禄から生まれた言葉には重みがある。ただでさえこのデタラメな強さを見せつけるチャンピオンを倒さなきゃならないという大試練の真っ最中だというのに、いろいろと試されすぎてこっちは発狂したくなる。
だけど挑発に乗ってしまってはこれまでのものが全部水の泡になる。あくまで冷静でないと、この人の相手はできない。
(シロナさんの残りは1体。目の前にいるガブリアスのみ)
シロナさんは焦っている。そんな素振りは全く見せないが、確信していた。
今この瞬間、チャンピオンとチャレンジャーという力関係はあるものの、同じフィールドに立つ以上、戦っていると何が起こるかがわからないからどうしたって焦りもする。だけど私のことが怖いと言ったシロナさんの言葉を聞いて、高揚感とは裏腹に自分でも驚くほど落ち着いている。お互い様だと知ったら、シロナさんの機微が手に取るようにわかった気がした。
「行くぞギルガルド!」
自分を鼓舞するように威勢の勝った声と共に放たれたのはギルガルド。
急ピッチで調整中に進化させて、初めてこういう場に出るというのに、この観客と波打つような声援にも全く臆していない。凛とした姿勢で確固たる自信を感じさせ、いつものように手を組み佇んでいる。
(本当は有利な対面にできるルカリオとも戦わせたかったんだけど…責任重大な役割があるからなあ)
ギルガルドと目が合う。
この暴れん坊将軍であるガブリアスの勢いを止める手立てを、置き土産をするはずだったエルレイドと、このギルガルドに一任しているのだ。この後に控えている突破する要のリザードンに繋ぐために、ただで転ぶわけにはいかない。
* * *
「ギルガルド…厄介ね。でもルカリオにぶつけてこなかったのは何かガブリアスに対しての秘策があるからかしら。まあ仮にルカリオに対して出されたとしてもさすがに交替するけれど」
シンオウには生息していないギルガルド。
特性のバトルスイッチで攻守共に優れ、専用技であるキングシールドは攻撃を防ぐ効果を持ちながらバトルスイッチの切り替えでもあり、その上物理攻撃を防ぐごとに攻撃力を著しく下げさせる追加効果がある。
「ハンナのことだから、きっとキングシールドを覚えさせているでしょうね…さて、どうしようかしら。ねえ、ガブリアス」
ガブリアスは微かに唸って応えた。
私の言葉の意味を噛み締めて、ジッとギルガルドを注視している。出方を伺いたいが、ギルガルドはゴーストタイプも含むために優秀な補助技をこれでもかというほど持ち合わせていて、受け身になるのは少々骨が折れる。
それに事もあろうか、ハンナは進化やフォルムチェンジを熟知している研究者でもある。ギルガルドはこの上なくハンナ向きのポケモン。
(下手な事をされるより、ガブリアスから先制した方がこちらとしては美味しい…かもしれない)
「いいわね。こういう難しい局面」
口角が上がるのを感じる。
その姿がモニターに映し出されて、殊更自分が今この瞬間を楽しんでいるのだと実感する。
「ガブリアス、ストーンエッジ」
* * *
フィールドは元々の原型を留めない程激しく隆起していた。
ガブリアスのストーンエッジは規格外もいいところで、地面を突き破った岩石の塔がギルガルドに向かって迫り来ると言っても過言ではない。初見で「ヒエッ」と思わず声が出てしまった。力業のバーゲンセールにドン引きしてしまう。
「おニューのフィールドがめちゃくちゃじゃん!」と小言を漏らしつつも、このまま迫られっぱなしは気が収まらない。
だが正直、“しめた”と思った。
ストーンエッジによってそびえ立つ岩石は、フィールドに濃い影を作り出している。ギルガルドの考えも同様で、ドラゴンダイブを翻して避けた瞬間にブレードフォルムに切り替えた。
「影撃ち!」
岩石の間から数多に伸びる黒い手がガブリアスの胴体を鷲掴むと、ガブリアスの有利な足場に成り得る岩石をなぎ倒しながら空から地面へ真っ逆さまに引き摺り下ろしていく。
岩石が派手に崩壊する中にガブリアスを放り投げてギルガルドは構える。
「やるよギルガルド!金属音!」
ギルガルドの刀身から発する金切り声の様な不快音はガブリアスを飲み込む。長くしつこい耳につんざく音波は岩石にヒビを入れて四散させ、あれだけ隆起していたフィールドは徐々に砂化し、なだらかなものへと変貌させていく。
ガブリアスは残った岩石の隙間から飛び出して姿を現した。隙間に忍び込んで金属音に耐え切っていたのだ。ギロリとギルガルドを見据える。
シロナさんのエースであるガブリアスは間違いなく窮地に立たされている。
金属音で特防を下げられ、さらにギルガルドに攻撃をしたら攻撃力がさらに下がるリスクを抱えている。非接触であるストーンエッジでゴリ押す手もあるが、ガブリアスからしてみれば相性不一致であり岩タイプ技を半減してくるギルガルドには効果が薄い。しかも防御が優れたシールドフォルムでは、ほぼかすり傷のようなダメージでしかない。
「恐ろしいわ、ハンナ。末恐ろしい」
シロナさんはゆっくりと言う。
きっとこの後に出てくるリザードンのための布石だとすでに気づいていて、何をしようとしているのかもお見通しなんだろう。
「この場面を作り出すためにガブリアス以外の5体を、4体で相手をしたというの?」
言葉に反して、シロナさんは穏やかに微笑んでいた。
はっきり言って非常に怖い。嵐の前の静けさのようなプレッシャーに、鼓動が早まる。このプレッシャーに飲まれたらダメだと自分に言い聞かせながら答える。
「私、ガブリアスのことをリザードンだけで突破することが理想だったんですよ。そうなったらいいなって。だから腹太鼓覚えさせてフレアドライブをさせたり火力を上げることばかりに固執してました」
「そうね。オーバから聞いていたわ。まるで化け物を討ちに行くような技構成をしてるって」
「は?」
私の戦う相手にそんな機密事項を漏らすだなんてどういう神経をしているんだあの四天王は。
オーバは後でバリカン持って死ぬほど追いかけ回してやる。軽く咳払いをして続けた。
「…でも旅をして、シゲルやサトシやいろんな人達の夢を追う姿を見て考えが変わりました。その理想を少し切り崩して、現実に近づけようって」
私とシロナさんの間には、ゆっくりとした時間が流れていた。
この対話は、今の私達にとって、多分必要だと思った。
「そう…ハンナは、理想を切り崩してこの場面を手に入れたのね」
目を閉じていたシロナさんは、そっと瞼を開いた。グレーの瞳が私を見据えている。
「私も同じよ。あなたのリザードン、私のガブリアス、1対1での戦いを望んでいたの。だからこの状況は私にとって不本意なのよ。だから私も…」
ゆっくりと上がった左手の指に、目を見開く。
シロナさんの指に、煌めくモノが見えた。
「───理想を少し、切り崩そうかしら」
たった一言で、空気がピンと張り詰めた。
(…来る!)
「構えてギルガルド!」
声を張り上げる。
「ガブリアス、メガシンカ」
フィールドに一際眩しい閃光が迸る。
徐々に姿を現すそれは、まさしく遠いカロス地方で見慣れたメガシンカだった。
ガブリアスのメガシンカはプラターヌ博士から聞いてはいたが、見るのは初めてだった。全身から過剰なまでに生えた無数の棘に、手はあの特徴的だった大きなカギ爪とヒレの形からカブトプスのように大鎌へと変貌させた。元のスマートな体からあちこち強靭さに磨きがかってより攻撃的な見た目になり、圧倒される。
あのシロナさんがリザードンのために取っておきたかったほどのものだから、恐らく攻撃力は元と比べ物にならないほど飛躍的に上がっているはずだ。でも、全ての能力が上がっているとは限らないはず。
進化とは、成長とは、必ずしも全てが良い方に働くわけではない。飛躍的に上がるものがあれば、失うものや退化するものだってある。
ただでさえ事例の少ないメガシンカ。慎重にどこがどう変わったのか見極めないと一気に形成逆転されてしまう。
───『君とシロナさんのバトルを見られないのは残念だけど、シロナさんとの対戦はきっと楽しいものになるからね。期待していいよ』
ふと脳裏に浮かんだのは戦う前のダイゴさんとの通話だった。
あのキーストーンとガブリアスナイトはきっとダイゴさんから渡されたものだろう。本当にあの御曹司は厄介なことばかりしてくれる。冗談抜きで鬼に金棒じゃないか。
これではまるで「化け物を討ちに行く」が、あながち嘘ではなくなってきたような気さえしてくる。
「ギルガルド…ああ、話が早くて助かる。それでいいよ」
身構えていたギルガルドは、メガシンカしたガブリアスを見てキングシールドをいつでも発動できる状態になっていた。
ギルガルドは普段、物怖じすることがない。そのギルガルドがこの状態なのだ。身震いしたいところを我慢して構えているのを見ると、申し訳なくなる。
「な〜にが末恐ろしいだよ…」
こっちからしてみれば、今回のチャレンジャーが私でなくてもきっと今頃「勘弁してくれ」と泣いてるところだ。
(それにしても、シロナさんもこっちの出方を伺ってる。というより、長考してる?…珍しい)
ただでさえ下がった攻撃力を補う補助技がないことが要因だろう。
キングシールドを張ったギルガルドに攻撃を加えたら、またさらに下がってしまうのだ。ガブリアスの高い攻撃力といううま味が消え去る。挑発を覚えたポケモンならキングシールドを封じ込めることが可能だから、ギルガルドを難なく突破できたであろう。だが物理攻撃に徹底したガブリアスを相手にしたギルガルドはあまりにも脅威に成り果てた。
そしてここから勝負が動き出すとしたらどうするのか。シロナさんは短期決戦を望むはずだ。
ならば、どう出るか?
「地震…一発に掛けた力のゴリ押しだろうなぁ…」
私が呟いたのと、シロナさんの決断は同時だった。
「ガブリアス、ストーンエッジ!」
再び地面が突き上がる。
だがさっきと違うのは、獲物に命中させるために狙っているのではなく、ギルガルドを閉じ込める幾重にも重なる支柱のような岩石がギルガルドの逃げ道を阻んだ。
そして当のガブリアスは飛び上がって狙いの的を定めるように、空中からギルガルドが閉じ込められているらしい箇所を見下ろしている。こっちからは何も見えないのに、しっかりとある一点だけを見ているガブリアスにはギルガルドの場所がわかっている。頭の突起物のセンサーのせいだろう。ガブリアスは不気味なほど凝視している。
「しまった巻き込まれたッ…!キングシールド間に合え!」
「ドラゴンダイブ!」
満を持してガブリアスが滑空する。音速ポケモンと言われる所以にあるその滑空速度。当然ながら目で追い切れない速さのドラゴンダイブが、岩石を貫通した。瞬く間にギルガルドが閉じ込められた岩石は真ん中からボッキリと折れて巨大な土煙を立てて崩壊した。
接触したら攻撃力がかなり下がるというのに、そんなものはこの際くれてやるということなのか。そんなことまでしても問題ないほどメガシンカしたガブリアスの攻撃力は反則的な高さになっているのか。
「…ッギルガルド無事!?」
声を上げる。
突風が吹き荒れ土煙が払われたフィールドには、信じられない量の瓦礫の中でキングシールドを展開してダメージを退いているギルガルドと、馬乗りになったガブリアスがいた。
今の攻撃は免れたが、恐れていたことが起きてしまった。
ガブリアスが馬乗りになっているということは、ギルガルドが地面に密着している。
キングシールドが連発できないのに対し、ガブリアスは地震をいくらでも連発できるという事実は、ギルガルドの絶対的な敗北を意味する。それに地震自体が直接的な攻撃じゃないから攻撃力も下がらない。
この凶悪なツラをしたメスのメガガブリアスにキングシールドや影撃ちという悪足掻きは一切通用しない。無駄だ。正真正銘のギルガルドにとって最後の攻撃チャンスだ。
シロナさんと目が合う。
どちらが先に攻撃を仕掛けられるのか、技の即撃ち勝負の合図だった。
「金属音!!」
「地震!」
女2人の怒号がかち合うと、突如襲った振動によって身体が地面に弾かれたように宙に浮いた。
ガブリアスの地震が重苦しい地鳴りの音を立てながらフィールドを激しく揺さぶる。シロナさんも片膝をついて必死に揺れに耐えながら、険しい顔でフィールドの勝負の行く末を見ている。
あの耳を押さえつけたくなるような金属音が聞こえない。
顔をしかめる。ガブリアスの素早さが勝ったということだ。揺れが収まると、瓦礫の中に目を回して横たわるギルガルドの姿が視認できた。
「ギルガルド戦闘不能、メガガブリアスの勝ち!」
『メガガブリアスがエルレイドに続きギルガルドを突破!チャンピオンの貫禄を見せつけます!』
ギルガルドをモンスターボールに戻すと、少しだけボールが震えた。
「よくやったよギルガルド。最後のキングシールドでガブリアスの攻撃力を下げることができたんだから、本当によくやった…やっぱりお前は強いよ。ありがとう」
返事みたく安心したように震える。疲れて眠っているらしい。
ギルガルドの役割は、ガブリアスを倒すことでもダメージを与えることでもない。“金属音を浴びせること”と“キングシールドに接触させること”にあった。そしてギルガルドは、そのどちらも果たしてくれた。
ガブリアスの技も竜星群はないと見て間違いないから、ダーテングもようやく休める。
私は深呼吸をして、覚悟を決める。
手筈は整った。5匹全員、各々が責務を全うして、やれることは全部やり尽くした。
あとはもう、こいつに全てがかかっている。
全てはこの時の為に。
傷だらけの古びたモンスターボールを手に構える。
「用意はいい?玉座をブン獲る時が来たよ」
先程のギルガルドのボールと違い、力強く主張する震え。
満足して笑う。威勢良し。私も心の準備なんて、とっくに出来上がっている。
「さぁ、真打だよ。お望みの対面だねシロナさん」
確固たる自信を持って言う。
挑発的なジト目がモニターに映し出されて、四方八方からシロナさんを見下ろす。
「───待っていたわ。楽しみましょう、ハンナ」
そしてシロナさんも、不敵な笑みで迎え撃つ。
私は腕を振り上げた。
「存分に暴れてこいリザードン!」
軽快にボールから放たれた相棒は逞しく翼を上下させて青空に舞う。
「ようやく会えたな」と言わんばかりにメガガブリアスとリザードンは相見えて一瞬睨み合うと、リザードンは大きく旋回する。
私はメガバングルを空に掲げた。
「リザードン、メガシンカ!」
メガバングルのキーストーンとリザードンの尻尾の先にあるメガストーンが反応して、強烈な光が2人を繋いだ。みるみるうちにリザードンの姿形が変貌を遂げていく。
そして青空を照らしていた太陽がさらに眩さを増し、フィールドのコントラストと熱を一段と上げた。
メガシンカを果たしたリザードンが咆哮を上げる。
極端に伸びた一角に、一回り大きくなった背中の大きな翼、より飛行能力を高めた両腕の翼。メガリザードンXとは違う、リザードンの正統派進化のような姿に会場が湧き立った。
「そう、そっちのリザードンなのね」
シロナさんは嬉しそうに笑みを浮かべた。
炎・飛行のままの進化を喜んだのか、ストーンエッジが効果抜群なのが嬉しいのかと言われると、恐らく両者とも意味の取れる笑みだろう。
ガブリアスが両手の大鎌を振り上げる。
「ストーンエッジ」
大鎌を地面に突き刺した瞬間、ギルガルド戦の時のようなストーンエッジが空を飛び回るリザードンを追い掛けて連なるように岩石が地面から突き破って出てきた。飛行の自由を奪おうと、確実にリザードンの未来位置を予測したところを狙っている。
それに攻撃力が下げられたことも意識しているんだろう。意図して、より鋭利なものになっていることで著しい攻撃力の低下をカバーしている。
だが結局、地面から近いところでしか飛行の影響は出ない。リザードンが小回りが利く身体を翻してスタジアムの天井を超えて飛び上がる。
「ソーラービーム!!」
日照りによる炎天下であることは、リザードンへの追い風のようなものだ。
陽光が強まると、何十連もの光の柱がフィールドに降り注ぎ、ガブリアス諸共剥き出しになった岩の塔を串刺しにして粉砕し、一掃した。
シロナさんも私も、これで理解する。
ギルガルドの時のようにフィールドを、地の利をいくら活かそうとも意味がない。
「驚嘆に値するわ」
シロナさんは言う。
「ここまで追い詰められたの、いつ以来かしらね」
そうは言うが、どう見ても追い詰められたという顔じゃない。
「ウソやめてよシロナさん。これからでしょ?」
「これから…そうね、何を言っているのかしら私ったら」
負けじと言葉を返すと、シロナさんは肩を震わせて笑った。
私は知っている。いつか昔テレビで見たチャンピオンリーグ戦でシロナさんが追い詰められた時も、似た様に笑って返り討ちにしていたのをよく覚えている。あの時、蜂の巣にする勢いで放ったガブリアスのストーンエッジは今でも忘れられない。
「こんなに楽しい勝負、簡単に終わらせないわ」
シロナさんからのプレッシャーが最骨頂まで膨れ上がった。
嫌な予感がして、すぐさまリザードンへ指示を出す。
「リザードン、エアスラッシュ!」
「ストーンエッジで肉薄するのよガブリアス!」
ガブリアスが地面を畳返しの様に捲り上がらせてリザードンへ襲いかかる。
リザードンは空気を裂いて一直線に飛んでくる石礫を尻尾で蹴散らすが、バラバラと散る破片の向こうから新たな石礫が襲ってくる。ここまでくると、もう後がないシロナさんとガブリアスの行動全てが恐ろしい。
だがなぜだか、このリザードンとガブリアスの戦いに違和感を覚える。理由が自分でもわからない。わからないが、空中戦でリザードンとドックファイトを仕掛けようとしてくるガブリアスのことが、無性に気になるのだ。
リザードンのエアスラッシュはメガシンカしたことにより威力も増しているが、ガブリアスはさっきまでの地面を突き破って出てくるストーンエッジとは形状を変えて、より鋭利な大量の石飛礫がエアスラッシュを受け止めて相殺した。ガブリアスは真っ直ぐにリザードンへドラゴンダイブを仕掛けてきている。
私の感じている違和感は、リザードンにとってはまた捉え方が違うらしい。闘争心を限界まで煽られているリザードンの尻尾の炎が青く渦巻き膨れ上がった。
リザードンの青い炎は怒りの象徴と言われている。そしてその怒りの矛先はガブリアスに向けられている。
「何にキレてんのリザードン…?そのまま火炎放射!」
真っ青な炎が目と鼻の先にまで迫ったガブリアスを飲み込んだ。
見ているだけで灼熱の有様だった。真正面から受け止めたガブリアスは一瞬熱さに怯むも、瓦割りで火炎放射を振り切った。火傷にはなっておらず、体勢を整えたガブリアスは再びドラゴンダイブで果敢にリザードンの距離を詰めて行く。
「…あれ?」
この言い得ぬ違和感に、眉を顰める。以前と何かが違う。
いつもならとっくに追いついているはずだ。リザードンに追いつきそうで追いつかないガブリアスを見て、私は気づいた。
(…わかったかもしれない)
この気味の悪さの正体が見えた気がする。
あのガブリアス、メガシンカをしたことによってガブリアスの利点であった素早さがガタ落ちている。
攻撃力は破格の上昇率を見せつけているが、リザードンとの空中戦で感じていた違和感の正体は、ガブリアスのスピードが全くリザードンに追いつけていないことだった。メガシンカする前のガブリアスの絶妙にリザードンが追いつこうとも追いつけないあの素早さを、私もリザードンもよく知っている。
いつも軽々と追い越して上から攻撃をバカスカ叩きつけてくるくせに、いつものようにやって来ないから手加減されてるとリザードンが勘違いしてバカにされている様な気になっている。だけどそれはそれでいい。
青い炎になると酸素濃度を高くしてる分バテるのが少しだけ早まりそうだけど、炎自体の温度はびっくりするほど跳ね上がる。
「ドラゴンダイブ!」
「負けるな!火炎放射!」
真っ青な火柱に臆せず、全身に炎を浴びながらガブリアスはリザードンにドラゴンダイブをお見舞いした。互いの技が交錯してすれ違うと、まずいことに気づく。
ガブリアスの迷わず向かう先にあるのは、地面から突き出たままの瓦礫と化したストーンエッジの残骸。ガブリアスの目線が一瞬、後方へ離れて行くリザードンの姿を視認した。
「避けろリザードン!」
咄嗟に出た焦る声にリザードンがガブリアスの方へ振り向いた。
ガブリアスは残骸を足場に、再びリザードンに向かって足場の岩石を破壊する勢いで飛び掛かる。猛烈に迫るガブリアスの腕はすでに技を繰り出す準備ができていた。
「瓦割りよガブリアス!」
リザードンは迎え撃つ余裕などなく、真っ向から直撃された瓦割りによって地面へあっという間に叩き落される。
シロナさんとガブリアスの猛攻は止まらない。流れるようにシロナさんは指示を続ける。
「ストーンエッジ!」
歯を食いしばる。鬼かと思った。
ここぞとばかりにキレのいいガブリアスの技と動きが、視覚から私の心臓を握り潰してくる。
「ヤバいッ…!急所は守って!」
思わず祈る。攻撃力は下がっているとはいえ、効果は絶大の岩タイプの技。しかも急所に当たりやすいストーンエッジ。祈らずにはいられない。
墜落したリザードンは、自らの翼ではなく地面から突き出るストーンエッジによって再び空に打ち上げられる。あまりの怒涛の攻めにリザードンの受け身ができない。ガブリアスはまだ猛攻を続ける気だ。今度は地面からではなく、石礫の状態のストーンエッジを当てにいくつもりだった。ガブリアスの周囲に、無数の石礫が燻るように形成されて漂っている。
「ウッソでしょ…!?まだ来んの!?」
リザードンは空から引力に任せて落ちている。意識はあるようで、なんとか状況から脱しようとしている。が、ガブリアスに容赦など当然のようにない。弾丸のように撃ち出されたストーンエッジは瞬く間に上空にいるリザードンへと迫る。このフィールドからは生きて返さないつもりなのかと問い質したくなるような猛攻。
ここまで岩技で一方的に攻められるとリザードンが耐えられない。脳裏に浮かぶ「敗北」の文字に、背筋が一瞬にして凍りつき震え上がる。
「避けて!」
喉が張り裂けそうなほど叫んだ。リザードンと目が合う。訴えかけるように私はリザードンを見つめた。
───だが私の思いに反して、リザードンは抵抗をやめて落ちるスピードに身を任せ、目を閉じる。
「うそ…!?なんでっ…」
シロナさんもその光景に目を見開いていた。
ストーンエッジは全弾リザードンに命中した。翼や腕、足、胴体など、殆どの部位に命中している。
そしてそのダメージが致命的になり、リザードンのメガシンカは解かれ元の姿へ戻される。会場の全ての人の落胆が伝わった。
落ちる勢いも相まって、相当なダメージを受けているはずなのに、なんであんな真似をしたのか、私はまるで理解できない。
それ以上に、リザードンが自分の意志で私を裏切ったのかと一瞬頭を過る。信じたくない。涙が出てきた。
あんなに一緒にいたのに、あんなに戦ったのに、あれだけの時間を旅したのに。なんで?と堕ちるリザードンから目を離さずにいると、目を開けたリザードンと再び目が合った。
ハッとして強く瞬いて涙を押し出すと、僅かに潤む視界の中でハッキリとピントが合う。力強く私を見るリザードンの目は、まだ諦めていない。
目の前に立ち塞がる憧れて止まなかった相手を、絶対倒すまで屈せずに戦い続ける頑固で勇敢な精神の発露だ。私は泣きそうな顔になっていたことに気づいて、激しく自分を奮い立たせるようにシロナさんとガブリアスを睨む。シロナさんは一瞬目を見開いた。
───まだ勝負は終わってない。
メガシンカが解かれたことにより、日照りが次第に弱まる。
「…楽しい時間だったけれど、これで終わりにしましょう」
余裕を持ってシロナさんは言う。
ガブリアスはさっきよりも弾数を増やしたストーンエッジで再び迎え撃とうとしていた。
「来い…!軌跡を起こしてみせる」
私も負けじと喰らいつく。相棒の捨て身の勇気を絶対無駄にはしない。
「やるよリザードン!オーバーヒート!!」
拳を突き上げ、乾いた喉から限界まで叫ぶ。
これが最後の攻撃になる。
伏せて残された技はひとつ。とっておきの最大火力の炎。リザードンの身体から湧き出るように炎が放出される。
そして最後の一押し。
リザードンの尻尾の青いままの炎が膨らみ、収縮し、一気に塞き止められたものが弾け飛ぶように爆発的に巨大な劫火となる。
日照りの残光に照らされ、火の粉を散らしながら急降下する炎はフィールドを青く染め上げた。
私もシロナさんも息を飲んだ。
これ以上ない頼もしさに、炎の青色を反射した目は、シロナさんを射抜いた。「まだ負けてない」と。
「猛火…!?」
目の前の光景にシロナさんの輪郭に汗が伝う。
ガブリアスはストーンエッジを発射するが、この灼熱の塊の前に溶けて消え去った。
「ただじゃ済まされない一撃を、ただ待ち惚けて受け入れるわけにはいかない!ガブリアス、ドラゴンダイブ!」
ガブリアスの足に血管の筋が浮かび上がる。一歩も引く気がない姿勢で、地面が破裂したような音を立てて跳び上がり、リザードンを迎え撃つ。
炎の勢いは収まるどころか収拾がつかない。
ガブリアスを正面から押し切ったリザードンはそのまま炎で飲み込み、ガブリアスを掴んだまま落下のスピードを緩めることなく、ガブリアスが力を振り絞って噛み付いてくる痛みに耐えて突き進む。ガブリアス諸共地面へ一直線に衝撃を与えた。
轟音と炎が私とシロナさんの顔を、昼間よりさらに明るく照らす。
砂埃が立ち昇る中、あれだけ吹き出していた炎が次第に収縮していっていったのがわかる。視界が晴れた時、まだメガシンカが解かれていないガブリアスとリザードンは向き合って睨み合っていた。
その時間が、やけに長く感じた。私とシロナさんは、固唾を飲んで互いの相棒を見守る。
そして決着の時は来た。
ガブリアスが足を一歩前に突き出す。リザードンも私も、身構えた。
しかし力強かったその一歩を踏み出した足は、一歩、また一歩と進めるたびに次第に震えていき、とうとうメガシンカを保てなくなり、元のガブリアスの状態に戻った。低い唸り声を出し、歯を食いしばってガブリアスはリザードンを剣呑に凝視する。
だがそれも長くは続かなかった。
ぐらりと僅かにガブリアスの身体が傾いた。もう自分を支える力すら使い果たし、土煙を上げてその巨体は地面へと倒れた。
「───ッ!!」
目の前でガブリアスが倒れて、私は息が止まった。
思考も、身体も、全ての機能の何もかもが停止したような感覚になる。
倒れて動かないガブリアスをレフェリーが確認する。
そして旗を挙げて宣言しかけた時。体力が尽きたのはガブリアスだけではなかった。
気まぐれな癖に最後までらしくもない意地を張って、ガブリアスに根比べで立ち続けたリザードンは、ガブリアスが倒れたのを見届けてゆっくりその身を地面に伏した。
「──…ガブリアス、リザードン、共に戦闘不能」
レフェリーはゆっくり、だがハッキリと告げる。あれだけ歓声の上がっていたフィールドが、観客全員がレフェリーの判定に真剣に耳を傾けていて水を打ったように静まり返っていた。
ドクンドクンと、心臓が破裂しそうなほど鼓動をうるさく刻んで、耳まで脈打ったように熱い。
モニターに映し出されているシロナさんの明かされたポケモン達は全て暗いグレースケールに塗り潰され、私のポケモン達も同様にリザードンやエルレイドなど暗色が並ぶ中に、ダーテングだけが鮮明な色で表示されている。それを見て息を飲んだ。
ダーテングが控えにいたことをすっかり忘れていたから、それの意味を理解した瞬間に猛烈に視界が潤む。
「これによりチャンピオンの手持ちは0体。チャレンジャーの手持ちは1体。よって勝者、チャレンジャー・ハンナ!」
* * *
『長きに渡り不動の地位を築き守ってきたチャンピオン・シロナを、熱く劇的な最後で撃ち破り、シンオウチャンピオンリーグに新たな名前と歴史が刻まれました!』
未だに熱が立ち込めるフィールドに構わず、ボールに戻すことも忘れて無我夢中でリザードンへと駆ける。
涙が溢れて止まらなかった。自分の意思とは関係なく、次々に滂沱となって頬に熱く湿った筋を幾重にも作り出す。走る振動も相まって、戦いの終わったフィールドに涙が散っていく。
痛む身体に鞭打って自力で起きた橙の巨体に思い切り抱き着くと、恥ずかしげもなく、抑えきれずにわんわんと声を上げて泣き出した。
『皆さん、この素晴らしいバトルを生み出し、魅せてくれたチャンピオンと新チャンピオンを称え、盛大な拍手を!』
「リザードン、あんたってやつはぁ〜!!」
酷い顔をしている自覚はあった。鼻も顔も真っ赤にして、顔中の穴という穴から流れるものを全部流し、盛大に声が裏返ったことも気にならないほど泣き叫んだ。
リザードンはそんな私の顔を見て、呆れたように舌を出してベロリと一気に顎から顔面を舐め上げた。ざらりとした人より熱い舌の表面が顔中のものを一掃する。
「───あんな無茶して…ッ!」
だが、涙だけはどうしても収まりそうになかった。
涙で湿ったガサガサの声で語気が震えたまま告げると、リザードンの頭を引き寄せて抱き締めた。リザードンは嫌がることなく、それを受け入れて穏やかに目を閉じる。
「でも信じてた。ちょっとショックだったけど…リザードン、猛火を発動させるためにわざと避けなかったんでしょ」
リザードンは小さく唸る。
「全く…本当、小さい頃から気まぐれで困っちゃうなあ…」
鼻をすすりながら発した言葉にリザードンは不服そうで、「お前が言うな」とさっきより少し強めな声が腕の中から聞こえた。
「…だけど、一目惚れした私の目に狂いはなかったんだね」
抱き締める手に力を込める。
それはリザードンがヒトカゲだった頃に初めて会った時に言った言葉だった。リザードンは覚えていたのか、照れ臭そうに鼻から熱い息を吐いた。
「信じさせてくれてありがとうリザードン、ねえ、私達の夢叶ったよ…!」
焼き尽くしたフィールドに色鮮やかなテープが空から舞い散る中、鳴り止まない拍手に包まれて、私のシンオウチャンピオンリーグは華々しい結果を飾ることとなった。
一生忘れられそうにない、最高の瞬間としてシロナさんとの戦いの幕を閉じる。
それは同時にシンオウの大地での激戦を制した新たなチャンピオンとしての幕開けであった。
XY連載ようやく折り返し地点です。
長〜いあとがきは
コチラから