∴今宵の一杯
※お酒が出てきます。飲酒は二十歳になってから。
「博士からお電話いただけるなんて、どうかされました?」
チャンピオン防衛戦まで残り僅か。
シンオウチャンピオンのシロナはトバリシティのアイスクリーム屋の前でフレーバー選びに頭を悩ませていたところだった。
電話の相手であるナナカマド博士はかつてのシロナの師事であり、同じく数日後に対戦するハンナの師事でもある。だがこうして電話をかけてくるのは、珍しいことだった。
「なに、大した用ではないんだがな。今プラターヌがシンオウにきているんだが、久々に懐かしい顔触れで今晩一緒に食事でもどうかと思ってな」
プラターヌは、カロス地方のミアレシティに研究所を構えるシロナの兄妹弟子である。会った回数は多くはないが、ハンナがプラターヌの元で研究をしているというのは聞いていた。
「プラターヌ博士が…懐かしいです。でも私が行ってハンナは大丈夫ですか?」
そう。チャンピオン防衛戦の相手はハンナ。兄弟弟子同士の対決になるのだ。そんな時に対戦相手の本拠地に自分が行っても大丈夫なんだろうか。
「ハンナは今サバイバルエリアに篭っていてな。しばらくは帰ってこんと行っているから問題はなさそうだ。シゲルも付き添っているしな」
「あらそうなんですか?まあ、あそこが一番最終調整には打ってつけよね。…わかりました。今晩お邪魔させていただきます」
電話を切ると、シロナはあることに気づく。
プラターヌも来ているということは、ハンナの応援だろう。それはいい。カロス地方のミアレといえば、美食の都。プラターヌが手ぶらで博士の元に来るはずがないのだ。研究員の時に何度か食事に誘われたことがあったが、恐らく食に関するセンスや嗅覚が磨き上げられているんだろう。チョイスが絶妙だった覚えがある。
全ての人に教科書通りの対応ではなく、その人の好きなものと今食べたいものを嗅ぎ分けるのが非常にうまい人だ。
肝心のナンパには連敗していたが。
「何か持ち寄った方がいいわよね…」
「あの〜シロナさん?フレーバーはお決めになられましたか…?」
困り気味な店員はコーンを持ったままずっと待ってくれていた。
「あらごめんなさい!ん〜、じゃあやっぱりトリプルで上からベリー、クッキーバニラ、チョコミントの順でお願いできるかしら?」
「フフ、毎回悩むなら最初からトリプルにしたらいいのに」
「好きなものを選ぶ時が楽しいのよ。でも毎回悪いわね」
「いいえ!みんなの憧れのチャンピオンにこんな一面があるって知れて役得です!はいどうぞ」
「ありがとう。いただくわ」
シンオウは寒冷地なので他の地方に比べると年中空気がひんやりとしているが、アイスは別だ。どんなに寒くても食べたくなる。夏だけだなんてもったいない。
年中通して食べられるバニラは最早家と同じだ。春は桜やベリーやさくらんぼのフレーバーが豊富になるし、秋になれば芋やかぼちゃや熟した蜜などの甘くてもったりしたフレーバーを楽しめる。ナッツも捨て難い。冬は夏と違い爽やかとは真逆なより濃厚でどっしりしたチョコやティラミスなどのフレーバーを温かい部屋で食べるのが何よりの贅沢で楽しみなのだ。たまにパチパチする変わり種もいい。
しかもスモールからキングサイズまで大きさがあって、シングル、ダブル、トリプルと量が選べる上にカップかコーンかまで選択肢がある。なんと素晴らしい多様性のあるデザートだ。これがたった数百円。しかも大満足。好きにならない理由がない。
「そういえばさっき持ち寄りがどうとか言ってましたが何を買われるんですか?」
「そうねえ…改めて考えると迷うわね」
「シロナさん、時間は有限ですよ」
「あなたに言われるととても説得力があるわ」
伊達に何時間ものアイス選びに付き合ってるわけじゃない。
確かに、適当なものを持っていくのも嫌だった。特にシロナが一番の年下になるわけだから多少気を使う。
「研究所内での食事だからお酒も入ると思うのよね」
「でしたらトバリデパートの地下にあるヒウンアイスはどうでしょう?」
「ヒウンアイス?あれはイッシュ地方のものじゃないの?」
「ついこの間から店舗が入ったんですよ。イッシュ地方の名物アイスなんですけど、お酒が入る食事なら個人的に一番有名なフレーバーじゃなくてバニラをお勧めしますよ」
「ヒウンアイスといったらあのバニラソーダ味よね…?なんでバニラなのかしら」
「ヒウンアイスのバニラソーダのバニラはあっさりめのバニラなんですよ。一方ただのバニラはそんな有名フレーバーの影に隠れがちなんですが、すっごく濃厚でコクがあって美味しいんです。ウイスキーやブランデー、ワイン、ベリーや抹茶とかチョコのリキュール、あとカントーやジョウトの焼酎などをすこーし垂らして食べるとお酒の香りとバニラが混ざって最高なんです!」
店員のアイデアは止まらない。楽しそうに次々に提案していく。「週一でお酒と一緒に食べるのが一番の楽しみなんです!」という彼女。
「なるほど…博士は甘いものがお好きだし、いいかもしれないわね。カシブの実がまるごと瓶に入ったお酒がたしか私の家にあったはずだけどそれも合うかしら?」
「絶対合うと思います!ていうかそのお酒、まるごとカシブの実が入ってるって私の記憶が正しければそれすごく高いお酒ですよね…?」
「貰い物なのよ」
「うわぁ〜さすがチャンピオン…」
「じゃあ決まりね。早速家に帰って急いで探してこなくちゃ」
「楽しんできてくださいね!」
「ええ、ありがとう」
アイス屋を後にしてシロナは急いで帰宅する。
「──お酒、どこにやったかしら」
あの散らかった部屋から、急いで大捜索しなければ。
* * *
「やぁ博士、お久しぶりです。急に押しかけてすみません」
濃紺のコートを靡かせて言った伊達男は、相変わらず厳しい顔の師に柔らかく微笑んだ。
「構わんさ。遠路はるばるよく来たなプラターヌ」
「ハハハ、そりゃあ可愛い妹弟子の晴れ舞台を近くで応援してあげたいですしね。それに久々に博士ともお会いしたかったですから。やっぱりこっちはカロスに比べると寒いですねー、ハンナは元気にしてますか?」
「昔と変わらずよく喋る男だ。ハンナは今シゲルと一緒にサバイバルエリアに篭ってる」
「ヒエ〜!よくやるなあ」
「そっちにいる時もなかなかな場所の調査を任されていたと聞いたが?」
「それはそれは大助かりでしたよ。おかげで研究が捗りますし、それに若い子がいると研究所が明るくなるんですよね」
「そうだろうとも」
ナナカマド研究所は大都会のプラターヌ研究所に比べると随分広い。
廊下には、毎年ナナカマドが主催するサマースクールの写真が広い範囲に飾られている。その範囲と枚数は長年やってきた功績を物語っている。その中にあの特徴的なジト目の女の子を発見すると思わず口に出した。
「あれ、ハンナが写ってる。こっちにはサトシ君も」
見知った顔を見てふと立ち止まった。やはりハンナは他の子ども達より頭ひとつ大きいが今よりも少し小さいような気がする。困ったような顔で「毎年身長が伸びている」と言っていたのは本当だったのかと頷く。サトシが写った写真を見ると、今のシトロン達とは違うメンバーで旅をしていた様子がわかる。ハンナが言っていたタケシとヒカリはこの子達のことを指していた。
「お前も毎年子ども達を集めて交流する機会を設けているのだろう?」
「ハンナから聞いてました?とは言っても、先代からの恒例行事なんですよ。でもこうして写真に写っているこの中からチャンピオンが生まれると感慨深いんですよね」
「ああ、カルネくんのことか。一瞬混乱しかけた」
「もう博士はハンナのことで頭がいっぱいじゃないですか」
こんな怖い顔して、その実子ども大好きなのだから微笑ましい。そこが大きな魅力でもあるのだが。
「そうそう、今晩はシロナ君もここに来るからな」
「え!?そうだったんですか?丁度いい、いっぱいお土産持ってきてるんで開けちゃいましょう!」
「ああ、期待してるぞ」
* * *
少し遅くなってしまった。
なんとかお酒を見つけ出してアイス屋にオススメされたものを持って来た。
「ありがとうウォーグル、助かったわ」
シンオウの空は寒かっただろう。だがおかげでアイスは解けずに済んだはずだ。
ウォーグルをボールに戻して早速研究所に向かうと、扉が開いた。中から懐かしい顔が覗く。私を見るなり、パッと明るい表情で出迎えた。
「やぁシロナ!僕のこと覚えてるかい?」
「もちろん!お久しぶりねプラターヌ博士」
「ハンナから聞いている通りだ、前も綺麗だったけどうんと綺麗になったね。さぁ博士が中で待っているから入って!」
早速入るとすでにいい匂いが廊下まで広がっている。
いつだかハンナが言っていた。ナナカマド研究所には料理がうまい人がいると言っていたが、その人が作っているんだろうか。だが研究所にしては普段の騒がしさがあまり感じられない。人が出払っているのか。
食堂まで来ると、意外にも博士がキッチンに立って料理をしていた。
「ああシロナ君、来たか」
「ご無沙汰してます博士。遅くなってすみません」
「なに、気にするほどじゃない。今完成したところだ」
キッチンをカウンター越しに覗く。
匂いの正体はハンバーグだった。ソースまで手作りという手の入れよう。ナナカマド博士の趣味に料理なんてあっただろうか。それにしても香りがいい。胸いっぱいに香りを堪能して、素直な感想を伝える。
「本当にいい香り…博士、料理お作りになられるんですね」
「意外だよね〜!僕も見習わないと」
「わしもやり始めたのは最近からだぞ。普段から料理をしている研究員があんまり楽しそうに作ってるもんだから、興味が湧いてな。下手の横好きだ」
博士は謙虚だった。だけど、嬉しそうに目を細めている。
「いいえ、横好きなんてとんでもない!とても美味しそうですよ。ちゃんと分量も計ってやられているからすごいです」
「シロナはその辺大雑把だもんねー、僕も人の事を言えないけど」
「むぅ…そういえばハンナもカレーを作っては失敗していたな。見た目は普通なんだが味がないと騒いでおった」
「あの子もその辺大概よね。人の事言えたものじゃないけど」
「あれれ?もしかして僕ら兄妹弟子、料理できない?」
「シゲルは別だろう…多分」
サバイバルエリアにいるハンナとシゲルが同時にくしゃみをした瞬間だった。
* * *
「博士は案外こういうとここだわるんですねえ」
きちんと綺麗に盛られたハンバーグを見てプラターヌとシロナが感嘆の声を出した。
「実はハンナからプラターヌのところの研究員から渡されたというワインの土産をもらってな。辛口の赤だから、肉料理がいいだろうと思って作ってみたのだ」
「それでか!そういえば渡してたところを見たなあ」
「へえ、綺麗なラベルねえ。カロスはやっぱりこういうセンスに長けてるわ。ワインなんて久々に飲むから楽しみだわ、冷めないうちにいただきましょう?」
「ああ、どうぞ召し上がってくれ」
こういう食事に一番慣れているプラターヌから「乾杯」と言うと、ナナカマドやシロナもそれに答えた。
ハンバーグを一口分取って口に含むと、全員ゆるやかに酒が進み始める。
「美味しいな〜毎日なんて贅沢言わないから研究の合間にこういうの食べられたら最高だね。シェフを雇いたくなっちゃうなあ」
「本当…博士、お店開けるんじゃないですか?このワインも美味しい…お酒持ち寄って通いたくなるわ」
「定期的に集まっちゃう?」
「無茶を言うんじゃない。嬉しいが買い被りすぎだ。わしは教わった身だぞ?」
そういう博士はなんやかんやで一番嬉しそうに笑っていた。
ナナカマドの師弟揃って食べるのなんてプラターヌもシロナも本当に何年ぶりだろう。
「試合前だからハンナとシゲル君がいないのが残念だけど、これはこれでいいね」
プラターヌはグラスを軽くひと回しして言った。
僅かに変わるワインの香りに顔が綻ぶと、シロナが同調して続く。
「そうねえ、子ども達が集まっても私達がこんな風に集まるなんてないものね。全員何かしら予定が入ってるから日が合うことなんてまずないし」
「シロナ君はチャンピオン業もあるだろうしな」
ワインを傾けていたシロナが困ったように笑った。
「チャンピオン業とは言っても、そう頻繁に挑んでくることはあまりないからほとんど考古学の研究に費やしていますよ。たまに他の地方のチャンピオンと交流も兼ねてエキシジョンに参加したりもしますけど」
その言葉にプラターヌが「そうなの!?」と驚いた。
「すごいな〜ハンナもいつかそういう風になるのかな」
「きっとなるんでしょうね。イッシュから帰ってきてからこの短い期間にとんでもない勢いで上り詰めてきたから、私もうかうかしてられないわ」
そう言ってシロナは不敵に笑う。
プラターヌはハンナが研究所へやってきた時に「実は近いうちにチャンピオン戦が控えている」とは聞いていたが、詳しいことはあまり聞いていなかった。
「そんなにすごい勢いだったの?」
プラターヌが聞くと、シロナとナナカマドは目を合わせて頷いた。
「すごかったわよ。今までリーグ参加そっちのけで旅に出てたりサバイバルエリアや勝負処で鍛え上げてたから無理もないわ。私も随分待ちくたびれてたもの。ねえ博士」
「四天王防衛戦まで快勝もいいところだったからな。普通ならあの緊張感の中で連戦してバテるだろうに、破竹の勢いとでも言えばいいのか…楽しそうに勝ち進むもんだからこれはチャンピオン戦まで行くんじゃないかと思ったら、本当に行ってしまった。イッシュでサトシ君達と旅をしてから妙にスッキリした様子になってたから、いい刺激になったんだろう。ただ以前にも増して食べる量が増えていたのが気になるがな」
「へぇ〜それは見てみたかったなあ。ただ食欲に関しては同感かな。見た目に反して本当によく食べるからねえ…どこにそんな入るのって思うよ」
プラターヌはハンナと出会った時の事を思い出す。
初めて会った時に食べていたミアレガレットを美味しそうに食べているなあと思っていたが、だんだん隣で見ていて様子がおかしいと思った。
まず一口がでかい。そして食べるスピードが段違いで速い。全然速度が落ちない。しかもコーヒーをプレゼントしたことにも気づいてない。これは断然色気より食い気の子だなと実感した瞬間であった。
「そうそう、僕お土産持ってきてるんだった!メェール牧場のチーズと僕が好きな白ワインだよ。シロナもさっき冷蔵庫に何か仕舞っていたよね?」
「私も持ってきてるのよ。バニラアイスとカシブのお酒だから、デザートにと思って。トバリデパートにヒウンアイスが入ったみたいだったから」
「それは嬉しい。カシブの酒は私も好きなんだ」
「博士は甘党だったよね。ヒウンアイスは僕も食べたことないから楽しみだなあ!」
「アイスにお酒をかけて食べるのがおススメなんですって」
「なんとまあ変わった食べ方だな」
チャンピオン戦まで残り2日になった。
僅かな時間の合間に、無駄に膨れ上がった緊張を解すお酒は格別だった。