抜錨
「やってますね。進歩はどうです?」
後ろから降りかかった声。
目の前には苦戦してその場で息を整えようと必死なウデッポウ。その向こうの桟橋には、停泊中の船が一隻停泊している。
それを見て「難航中でーす」と歯を見せて言うと、ザクロは笑った。首に掛けたスポーツタオルとラフな格好から「朝のランニング中ですか?」と聞けば頷いて隣へやって来る。
ザクロに勝利した翌日早朝。
待ちきれないウデッポウに叩き起されたハンナは海岸に来ていた。
「ジムの入り口から見えましたよ。ハードなメニューをだいぶやり込んでいるようですね、ウデッポウが逃げ出さないかヒヤヒヤしてましたよ。これ差し入れです」
ハンバーガーが溢れるくらい大量に詰め込まれた大きな紙袋をハンナに渡してザクロは続けた。
「完成はしそうですが命中があやふやですね。」
「命中は回数をこなせばなんとかなりますよ。リザードンもヒトツキも最後まで付き合えるだけの体力は有り余ってますけどウデッポウの体力の方が心配かも…フラフラだしちょっと休ませようかな」
そう言ってハンナが休憩しようと浜辺にいる三匹に声をかけた瞬間、糸が切れたようにウデッポウはその場で伸びてしまった。体力の限界まできていたようで、ヒトツキの巻布に運ばれてハンナの元へ戻ってきた。
「初めてにしてはよくついて来てくれた」と木の実ジュースを口の端から少し飲ませてから寝かせてあげると、後ろからガサガサと不吉な音がした。振り返って見てみると、紙袋に深々と突き刺さるヒトツキがそこにいて、辺りにはさっそく食べ終えて出た丸まった包み紙が転がっている。巻布には既に何個かバーガーが握られていて、必死で止めてくれていたであろうザクロが本の挿絵のように静止したままハンナの様子を伺っている。それに気づいたヒトツキはようやく動きを止めたのだった。
そして食べ物に関する抜け駆けと散らかすことは、ハンナの前ではタブーだと思い知ったのもこの時だった。
* * *
膝の上に置かれた2種類のバーガー。どちらを先に食べようか顎に手を添えて真剣に悩むハンナの横には、散らかしたゴミをせっせと片付けるヒトツキの姿があり、リザードンの尻尾の炎に持ち込み燃やして処理している。
「リザードンの尻尾の炎にあんな使い道が…」
ザクロが感心してその様子を見ていると、ゴミ処理の最終手段ですとハンナが答えた。
「ゴミ箱って案外なかったりするからこうでもしないと…サンタみたいなゴミ袋抱えて次の街を目指すとかってなったら目も当てられないですしね」
「なるほど…」
「そういえば私達ばっかり食べちゃってて言うのもあれだけどザクロさんは食べないんですか?」
「僕のことは気にしなくて大丈夫ですよ。体型維持のためです」
最後の一つはヒトツキと半分こにしてあの大量のバーガーを食べ終えた。あれだけバーガーが山のように詰め込まれていた紙袋も大食らいが二人もいればあっという間に減っていくもので、中身が空っぽになったこの大きな紙袋にもの悲しさを感じる。
再び出た包み紙の山をリザードンが軽く焼き払ったところで本題に戻った。
「いっそのことリザードンがジム戦でやったように肉薄するのはどうでしょう」
「んー…肉薄はウデッポウには不向きかも。リザードンみたいな機動力があるわけでもないし、ヒトツキみたいに機転が利くわけでもないし。一歩間違えれば一方的にボコボコにされる未来しか見えないや…せっかくこれだけ頑張って技が完成したとしても博打じゃああんまりですよ」
アラン達といつか一緒に見たズミのカメックスを参考にしようにも、ハンナの両手で抱えられるようなウデッポウと、メガシンカした相手の猛攻に耐えられる重量級のカメックスじゃあ正直参考にできる部分の方が圧倒的に少ない。
飲み干した空のカップを流木の上に置いてハンナは立ち上がった。空にはキャモメが悠々と泳いでいる。それを見上げたハンナはリザードンを見やって言った。
「数打っちゃ当たるは、本気で突っ込んでくる相手には通用しないからなあ…」
「覚えがあるんですか?」
「そりゃあだって…空からの攻撃の理不尽さはする方もされる方も、リザードンと何年も一緒にやってきたからよく理解してますよ。リザードンになる前は翼なんてなかったし。ねえ、リザードン」
ニタリと笑いながら「翼がなくても生えてもお前は人一倍どころか一生分苦労したよね」と言うと、うるさいと言わんばかりに頭を甘噛みされた。慣れてるのかハハハと笑い流すハンナをよそに、見てる方は気が気じゃないと言う表情で見ていたザクロが「では、」と聞き返した。
「約束したとはいえ捕まえてもいないウデッポウにそこまで考えるのはリザードンと重ねてるからですか?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも私ウデッポウのこと思ってた以上に気に入ったから、どうせ私と同じ道を踏むんなら限界までとは言わずにアホみたいに強くしてあげたいって思っちゃうじゃないですか」
「…貪欲に研ぎ澄まされた強さですね。通りで一撃一撃が重いはずだ」
「それは誰のこと?」
「あなた達のことですよ。褒め言葉として受け取ってください」
「照れちゃうなあ」
「そこでです。これを見てください」
ザクロが差し出したのは、一枚のデータディスクだった。随分古く見えるもので、外装のケースにはヒビが入っている。だが肝心の中身は新品同様でまだ使えることは見て取れる。
「これ、昔の技マシンですよね…?これがどうかしたんですか?」
なんだか懐かしいデザインをしている。現在の技マシンは何度でも使えるため外装も頑丈で高価だが、昔の物は使い捨てだったのだ。これはその使い捨ての技マシンと同じデザインをしている。なんの技が入っているのかは文字が擦れていて読めない。
「水の波動の技マシンです。僕は使う機会はこれまでもこの先もないのであなたに渡そうと思ったんです」
「技マシン…か。ウデッポウ、昼寝はもう済んでるでしょ?こっちおいで」
パチリと目が開き、起き上がってハンナも元へやって来る。バレてたのかと言いたげだ。「疲れは取れた?」と膝の上へと移動させると無反応で返された。無言は肯定で取ると一言伝えて更に続けた。「技マシンを使えば一瞬で技を習得することが出来るけど、どうする?」と。
使うか使わないかは、ウデッポウの判断に任せることにした。ハンナとしては正直どっちでもよかった。使えば晴れて仲間になって足早に次のステップに行ける、使わなかった場合はそれらの工程の速度は通常通りになるという程度だった。
ウデッポウは少し間を置いて、思案した。そして目を開いてその一瞬、ディスクに自ら触れた。ヒビ割れたケースはパリッと乾いた音を立てて二つに割れて、ディスクが剥き出しになる。
ウデッポウが次に進むことを望んだ。
「ジム戦の時、ずっとハンナさん達から目を離さずに見ていたんですよ」とザクロが言ってる間に習得が完了した。ザクロさん達と戦うリザードン達を見てなにを思ったのかが、少しだけわかった気がした。逸る気持ちが抑えきれないのか、用済みとなったディスクをウデッポウが思い切り上へ自慢のハサミで打ち上げる。
宙で回転しながら、日を反射してきらめくそれを目掛けてウデッポウは右腕のハサミを構えて撃ちだす。
一瞬だった。太陽の光を反射していた円盤は、圧縮された水によって一瞬にして無数の光を反射する欠片となり、少し遅れて発生した波動がその欠片を更に散り散りにしてしまった。
それを見たハンナは感嘆の息を漏らした。図鑑にあった説明と今見た光景は確かに合致している。
本来の水の波動より上の威力が発揮しているのも確認した。
「…さてウデッポウ、これから完成した技の威力を上げていくつもりだけど私も次の街に進まなきゃいけないの」
片手に握られているのは、今まで散々フラられまくったモンスターボール。
もう片方は海を指差している。
「ウデッポウに判断を任せる。一緒に来るか、ここでさよならか。技マシンでの習得は予想外だったけど、それを抜きにしてもウデッポウとは一緒に行くつもりで私は付き合ったつもり。だから後はウデッポウ次第。ゆっくり考えて」
ウデッポウのジト目がハンナのジト目がかち合う。
それからヒトツキ、リザードンとゆっくり見定めるように視線を移していく。ウデッポウは自身のハサミを見て、習得する前についた生傷を眺めた。一人燻っていた時に技の失敗でハンナに出会い、完成の目標を見つけた。気絶するまで自身を追い込んで、目の前の彼らは進んで的の役を買って出た。そしてザクロが現れて、結果的に魔法のように形に仕上がった。
これはこれで満足だ。
──だけど技は出来たが、その先は?それを一体なんのために振るうのか。
もう昼前だというのに浜辺だけが静かだった。さっきまで桟橋に停泊していた船は、水平線の向こうへと消えようとしている。
その浜辺で、一瞬だけ強い光が瞬いてまた静寂が訪れた。
「──よろしくね、ウデッポウ」
「…ハンナさんよかったですね」
「ありがとうザクロさん」
ザクロは終始笑顔だった。きっとこうなるだろうと思ってた、と言って座り込むハンナの手を取った。
ハンナの目の前にいたウデッポウの姿はない。代わりに、傷ひとつないボールを見据えてから、ザクロの手を握り返して立ち上がる。またハンナも笑顔だった。