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∴窓辺に咲いた黒い花


※番外編です。



資料室の片隅に寄せられた箱。
多分、研究所に訪れた子達が読んでいたものであろうその本に、自然と手が伸びた。
何年もその場から動かされずに置かれたせいか厚い埃が積もっていて、指でなぞった場所から表紙が覗くと窓を開けて埃を軽く払い、タイトルを確認した。


「カロスの伝記か…」

…暫くの沈黙。
今日はオフだし、研究所の中でゆっくり過ごそうと思っていたからちょうどいい暇つぶしになるかもしれない。恋愛ものはあんまり得意じゃないし、オフにまで自ら研究漬けになるような本は避けたい。

手に取った埃っぽい本を片手に、早速ソファーのある給湯室へと足を運んだ。
お湯を沸かしている最中に、中身をパラパラとめくって流し読みをして気づいた。この本、現代文字よりちょっと古い文字の本だと。ページをめくるたびに埃っぽい臭いが鼻を掠めて若干咳き込む。指も紙を触ったせいで少し粉っぽい。
伝記だし多少堅苦しいだろうなとは思ってはいたけどこんな古書だと思ってなかった。通りで何年も手を付けられなかったはずだよ。一人納得してケースから取り出し眼鏡をかけて読み始めた。

読んでる途中、吹きこぼれたヤカンに慌てて飛び起きて中断するもようやく三分の一まで読み進むことができた。わからない単語は無視して読んでいるが、幸い話は自分の中で繋げることはできているから苦ではなかったものの、やっぱり淡々と書かれたものを延々と読むのは疲れる。


ソファーを一人で陣取って読みふけること数時間が経つけど、珍しいことに誰も給湯室へ来ないことに気づいた。ソファーに横倒しになった状態で時計を見ればもう夕方で、窓からは西日が差し込んできている。

「研究行き詰まってんのかな…」
マグカップの中はもう空だし、本もキリのいいところだし。少し手伝いにでも行こうかなと本を顔からずらした時だった。「ハンナ?」とドアから顔を覗かせたプラターヌ博士がやって来た。


「今日オフだったでしょ?出かけてなかったんだね」
意外だよ。と棚に向かって歩いていく博士の手元を見てコーヒーを飲みに来たんだなと理解した。
こういうところが博士は結構マメな人で、忙しい時を除いてコーヒーを飲むときは絶対自分で入れてくるのだ。

「今日はゆっくりしようと思ったんですよ。誰もここに来ないから今から手伝いにでも行こうかなって思ってたんですけど手足りてます?」
「そうだねえ…ありがたいけどオフの子に手伝わせるのも申し訳ないから遠慮しておくよ。ありがとうハンナ。」

手際よくフィルターを設置してコーヒーを入れる博士に「どういたしまして」と返して、再び本に目を通すと博士の声が上から降ってきた。


「なに読んでるのかと思ったら…」
若干呆れているような気がするのは、気のせいではないみたいで。
顔を上げると向かい側に座る博士と目が合った。

「そんな真面目でお堅いものよりハンナはもっと恋愛小説とか読んで学んだ方がいいと思うんだけどなあ…」
「た…たまたま気になって読んでみただけですから!」
「本当かい?最初出会った時みたいにナンパされてコロコロ男について行かないように気をつけるんだよ?」
「お前が言うなオブザイヤーに認定しますね。」
「ンン…次の調査地どこにしようか…」
「スミマセンデシタ。以後キヲツケマス。」


変な汗をかいたと背もたれに寄りかかると博士は笑った。
「若い子がいるとやっぱり研究所は明るくなるね」と。まるで前に誰かがいたんじゃないかと思うような目で言うもんだから、気になったけど博士が次に言った言葉でこの話題は終わってしまった。



「ところでカロスの伝記はどうだい?それ、面白い?」
「まあ…面白いもなにも、あれです…普通ですね…」
「僕のオススメ小説貸そうか?」
「いや!なんかすごく見ちゃいけない気がする…!年齢的に…!」

体の前に両手でバツ印を作ると「別に怪しい小説じゃないんだけどな〜」と博士が落ち込んだ。

「あ、でも…」
「ん?」
「一番最初にあったカロスの王とフラエッテの話が少し気になったかな」
「ああ、王と最愛のポケモンの話ね。…ハンナ、リザードンもいいけどもっと現実の男にも興味を持った方が…」
「大丈夫です私は正常です。そうじゃなくて、これに似た話をシンオウの図書館で見たんですよね…なんだったかな」


眉間を抑えて思い出そうとする。
ものすごいシンプルな昔話だったと思うんだけどなんだったっけ、と断片的に思い出していく。そんなに長い話ではなく寧ろ短い話だった記憶がある。

「へえ…どこの地方もそういう話ってあるんだね」
「特にシンオウ地方って神話が多い土地ですからこういうの多いですよ。
…たしか『人と結婚したポケモンがいた。ポケモンと結婚した人がいた。昔は人もポケモンも同じだったから、普通のことだった。』…ってやつだったと思うんですけど」
「なんか言葉遊びみたいだねー」
「…このカロスの王とフラエッテって死なないみたいなこと書いてありますけどもしかして意外とその辺ウロチョロしてたりして」
「まさか。流石にそれはフィクションだと思うよ?」
「どうでしょうね〜」


その後、「こんなところで油売ってたんですか」と、息を切らしてやって来たコゼットさんに博士が連れて行かれたことでこの話の終止符は強制的に打たれることとなり、私も自室へ戻るかと立ち上がる。

「そういえば明日早朝に出るんだった…」
今日は早めに寝るかと給湯室を後にした。




明かりの消えた給湯室の窓に、小さな影がひとつあり
誰にも気づかれずに咲いた黒い花は、そっと影に姿を消した。

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