餅と餡子の女
「手際ええなぁ。女将さんが気に入るはずだわ」
ヨシノを初めて見た時の印象といったら、その辺の使いやすい言葉を借りてミステリアスなタイプの子というものだった。
「ありがとうございます。アオキさんのお知り合いですか?」
「歳近いやろ? 普通でええで。アオキさんとは同僚やねん」
「すごい、じゃあリーグのエリートさんだ」
「それほどでもある」
「アオキさんの謙遜とどっちが本当?」
「うちの方を信じとき。それより自分どこから来たん?」
「私パルデアっぽくない雰囲気してた?」
「せやなあ。オリーブオイルとトマトっぽさはあれへん。餅と餡子のがイメージに合う」
「それ私が今ぜんざいを作ってるからじゃなくて?」
「バレたか」
「残念。また当ててみてね」
「それ景品あるんか?」
「当たったら考えてあげる」
四天王の面々での飲みで初めてヨシノと会った日、「あの気難しい料理長が同じ厨房に人を雇ったんですか」と意外そうにハッサクさんがアオキさんに聞いていた。珍しいことにアオキさんもそれよりも前に料理長の女将さんに自ら尋ねたらしい。
しかし気難しくあれどそこは単純明快、女将さんは「ただ気に入ったから」だと答えたそうだ。その日の店内から上がる最初の話題はもっぱらヨシノのことだった。
街中の食堂内であっても指先の仕草や立ち姿が静かで、なんとなく目で追ってしまう魅力があった。
そしてどこから自分への目線が向けられているのかを理解しているかのように、自然と目が合い柔らかい笑みを向けられる。不思議と惹き付けられる子だった。
事実、自分も食べて飲んで話しながらも視界のどこかで姿を探していた。もし目が合えばふざけて笑って手を振って、たまたま目が合った風を装う。
このパルデア地方においてテーブルシティという学園都市の特性で様々な地方から人が集まり多種多様性が成り立っているものだけど、その中でヨシノは自分が知っている限りでは上司であるオモダカと同じくらい素性がなかなか見えない人だった。
仕事以外で仕事なんてするつもりは全くないが、プライベートでここまで視線泥棒をされられたのだ。どんな奴かとことん突き詰めてやろうと思い至ってつぶさに観察したり話しかけたりするも、すぐさま打ちひしがれる事になる。
面接官という仕事柄、チャンピオンランクへの挑戦者自身の経歴を調べ上げ、その手札で相手の人柄であったり適正であったりを引き出して精査するものだ。しかし相手のチャンピオンになるという目的が明確に絞られているからそれ以外の話題は基本出ない。
対してお互い手札が0のフラットな状態で話すことに関してはヨシノの方が一枚上手であった。
ポケモンを1匹も連れていない上に、ライチュウの進化前がデデンネだと惜しいけど実は全然惜しくない勘違いをしていた辺り、アカデミーの入学生と同じくらいポケモンの知識もほとんどない。世間を知らないわけではないが、少し箱入り感のある偏り方だった。
ただ知らないなら知らないなりに、吸収しようと話に乗るのも流すのも上手い。話題に食らいつくのではなく物足りなさを感じる甘噛みをして、もっと強く噛んでもいいんだよとこっちの方から多くを語り始めてしまうように、聞き上手なのだ。
でもそこは名物宝食堂、常に忙しい回転率のため注文という横槍が入り、話が深くなる手前で「また今度」と笑顔で去っていく。こちらに多少のフラストレーションを残して仕事に戻るものだからか、彼女を目で追いかける人の多いこと。
仕事中に喋るのはダメだろうと言われたらそれまでだが、気になるものは気になるのだから仕方がない。話しかけすぎて女将さんの雷が落ちない程度に、客という立場に存分に甘えさせてもらっていた。
唯一わかるのはたまに出る自身と似た訛りくらいなもので、それでもたまにポロッと出る程度なものだから実際その地方から出てきたとも言いにくい。
何か後ろめたい理由があるのかもとも思っていた。でもどこか引っ掛かりのある存在だったから、いつか気楽に聞けるなら聞いてみたいと思った頃。日頃の善行か働きぶりが徳を積んだのか、予想外のミラクルが起きた。
自分の方から探してたと思っていた視線が、次第にヨシノの方から向けられ初めていたのだ。
* * *
どうしよう。店内から微かにチリちゃんの声がする。
急いで水分補給するつもりでバックヤードに戻っていた最中に来てしまった。向こうから店に来るのを待ち構えるのとこっちから向こうの表に出るのでは心に必要な余裕と勇気の量は違う。そのせいで厨房に入るためのドアノブを捻る行為のひとつが非常に重い。
でも早く戻らないと。磨りガラスで見えない位置でゆっくり5回深呼吸する。念の為手のひらに人も書いて飲み込んでおこうかと保険をかけようと考えてる最中に扉が開いた。
「ヨシノ何してるの? チリさん達もう来てるから早く行ってあげな」
平常心そのものの顔をしたホールの店員、お兄さんのような先輩はそれだけ言い残してバックヤードに入っていった。
なんだか私だけが無駄に緊張をしてるような気がした。実際そうなんだけど。「チリちゃんはお客さん」と数回自分に念じるように言い聞かせて、先ほどより幾分か軽くなったドアノブを捻って厨房に入った。
予約札を置いた席を見ると、アオキさんがまたおかわりしたであろう蕎麦を啜っていた。その隣でハッサクさんがメニューを眺めている傍ら、チリちゃんは珍しくジョッキじゃない小グラスのビールをあおって飲んでいる。
女将さんに「戻りました」と声をかけて店内を見る。夜もいい時間になってきた頃になると宝食堂がその日の暖簾を下ろし、飲食店街が賑わい出す。そのため店内の客足もさっきと比べるとだいぶ落ち着いていた。
メニューに視線を落としたままのハッサクさんの方へ向かった。
「お決まりですか?」
「ああ、またお邪魔していますですよヨシノさん」
ジムチャレンジを見ていた時と違って目尻にシワを刻んでハッサクさんは穏やかに笑っていた。
「芋餅か天ぷら蕎麦で迷っているんですよ。アオキの蕎麦を見ていたら蕎麦も悪くないなと思ってしまってですね」
「アオキさん美味しそうに食べはるからなあ」
チリちゃんも混ざり、意図せず一様に視線を集められたアオキさんは少し居心地悪そうに背を向けてしまった。
「それはそうとヨシノ、今日上がりは何時なん?」
遊んでるような余裕を見せてチリちゃんが言った。隣でハッサクさんが「彼女は仕事中ですよ」と嗜めるように息を吐いたが、まるで気にせずニコニコと私の返事を待っている。
「ど、どうして……?」
「終わったら一緒に飲み行かへん? うちらの仕事はもう終わって帰るだけやけどチリちゃんもうちょい飲みたい気分やねん。時間が合えばやけど」
さっきの時と違って屈託のないいい笑顔。断る理由もないけれど、明日の仕込みの手伝いはいいからと女将さんの後押しもあり、その約束は取り付けられ、その時間がやってきた。
宝食堂の仕事着を脱ぐと仕事で抑え込んでいた緊張が一気に解放され、心のあちこちでのたうち回り駆け回り大暴れして全く落ち着かなくなってしまった。
ロッカーの鏡で髪型を見て、壁に掛かった姿見で前から横から合わせ鏡で後ろから何度自分の格好を確認しても、どこかおかしなところがあるような気がした。
そうしてもたもたしているうちに「あんたまだいたの」と更衣室に女将さんが入ってきた。
「ただでさえ遊びっ気ないんだから誘ってくれたのを待たせるんじゃないよ!」
「私からしたら遊びやないねん! 女将さん推しとか好きな人の前で雑な格好で歩けるん!?」
「あんた! そういうのはもっと早く言うんだよ!!」
反論されたことより、その内容に秒で飛びついた女将さんは気難しくはあれど、大なり小なり関係なく他人の色恋には大変心強いお節介焼きであり味方だった。
今はとにかく第三者の目が欲しい。靴を履いて女将さんの目の前に立って、くるりと一回だけ回った。
「髪変じゃない?」
「今っぽくてよく似合ってる」
「私服大丈夫そう? ダサくない?」
「心配しなくて大丈夫」
「お化粧濃すぎたりとか……」
「今の時間は暗いからそのくらいでいい」
「汗臭くない?」
「あんたゴミ箱の汗拭きシートの残骸が見えないのかい」
「後頭部に若白髪とか潜んでない!?」
「いいから早く行くんだよ!!」
「ごめんなさいありがとうございましたお先失礼します!」
待ち合わせ時刻から3分経過。
女将さんの大音声によって私は更衣室から一目散に飛び出して退勤したのだった。