一六三七年の遠雷

兜の蹴り跡


「……わかりました。ではまたご連絡いたしますね」

 静かに受話器を置くと、机についていた肘を離して椅子に深く背を預ける。今日はとにかく電話が多い日だった。
 政府の役人から備前国以外の審神者まで、内容は重要なものについてからこんのすけのグッズを作らせてくれまで千差万別。後者は「勝手に作ってろ」と思わず怒鳴りつけてやろうかとも思ったが、執務室の床で無防備に丸いお腹を上にして寝ているこんのすけを見て手の平がぐるっと回転した。
 気づいた時にはそろそろと忍び足でカメラを構えて、こっそり撮影した写真のデータをしっかり送っておいた。審神者の中にはこんのすけに対して熱狂的に可愛がる者もいる。正直わからないでもなかった。特に芙蓉のこんのすけは愛嬌に絆される。それにこれで少しでもこの本丸に益が入れば、純粋に嬉しいのだ。

「……何をしてるのか触れない方がいい?」
「一部の審神者が喜ぶ広報活動の一環よ」

 松井江がこの執務室で近侍として仕事をし始めて何度かの四季が過ぎていた。
 執務机の横に追加された机で実務をする姿はすっかり板について、机の上には几帳面に定位置管理された必要最低限の文具が置かれている。当初は新人がいきなり近侍になることである程度の反発は食らったものだが、何食わぬ顔でそれらを撥ね除けた松井江は「これが務まるのは自分しかいない」と言った言葉以上の働きを見せてくれている。今や誰も文句をつけるものはいない。

 そんなこともあったなと、背もたれのストッパーを外してぼうっと天井を見上げていると、次の電話の呼び鈴が鳴る。この流れが午前からずっとだった。立て続けに鳴る呼び鈴にとうとう松井が「借金の取り立てでもされてるのかい?」と遠回しにうるさいと言ってきたので、諦めて受話器を持ち上げると、まだ変声期を迎える前の少し高めの声音が喋りづらそうに喉を鳴らしていた。

「はい、私よ」
『こんにちは芙蓉さん。今忙しかったですか?』
「ご機嫌よう山城のお坊ちゃん。今別の電話を終えたところだから大丈夫よ」

 今度の電話の相手は山城国の審神者だった。
 一回り歳下のこの少年は本丸の所属国こそ違うが、気が合うのでたまにこうして連絡を取り合っていた。審神者としての能力が優れているので頼りになることも多い。何よりこの歳で政府から成績優良の太鼓判を押されているから演練のいい手合わせ相手にもなる。審神者としても刀剣男士達としても交流が盛んな本丸でもあった。

『そうなんですか? すみません突然電話をして』
「いいわよ全然。気にしないで。そっちはなんか元気がないわね。何かあったの?」
『ああいえ、今日第二部隊が出陣先から帰還したんですが……複数負傷者を出してしまって』
「大変だったわね。無事?」
『はい。まだ目を覚まさない者もいますが、一命は取り止めています』

 一命を取り止める。重傷者が出たことを指していた。激戦を制した帰還した刀剣男士の傷の程度はそれぞれだが、帰還報告と併せて負傷者の報告も上がる。手入れで回復させられるのは審神者以外にいない。斬撃を受けた出血多量で意識もない刀剣男士を目の当たりにした時の生きた心地のなさはいつになっても慣れないし、あまり味わいたくない。

「そう……貴方も無理をしないで」
『ありがとうございます。それと芙蓉さんに情報を共有しておきたいなと思ったのが一つあって』
「あら、天下五剣を鍛刀するコツ? さすが第一部隊を名だたる名刀で固めているだけあって説得力が違うわね。是非ご教授いただきたいわ」
『違う違う、違いますよ!』
「なんだ違うの。じゃあ悪い話ね」

 天下五剣という単語に松井江が手を止め、眉間に皺を寄せて芙蓉を見ていたが、話が戻ったのだと察すると元の業務に戻った。

『悪い話……まあ、そうなりますね。これは政府に報告を上げたばかりなんですが、遡行軍の行動に不可解なものがあって』
「へえ?」
『歴史改変の鍵となる対象者に直接手を出そうとしたんです。今までになかった行動なので気になって』
「……なるほどね」
『驚かないんですか?』
「驚いてるわよ。顕現したての蛍丸が引き戸と間違えて執務室の扉をブチ破って来た時と同じくらい」

 再び松井がなんの話をしているんだと訝しげに芙蓉を見た。

『ああ……僕のところでも似たようなことがありました。ドアノブを引っこ抜かれただけですけど、あれは驚きますよね』
「ふふ。まあ、話を戻すけど遡行軍も切羽詰まるとなりふり構ってられないのよ。そこまで気にすることはないと思うわよ?」
「そうですか?」
「そうよ。逆に遡行軍側からしたらこっちなんていつも意表を突いてくる邪魔者なんだから。こっちが焦る以上に、向こうが焦ってるのよ。お互い長丁場の戦いになってるんだもの。あれだけ数が多ければ中にはせっかちな遡行軍だっていると思わない?」
『せっかちで焦ってる……そうですね、ありがとうございます。少し気が楽になりました』
「どういたしまして。ああそうそう、さっき小耳に挟んだんだけど、今度墨俣に集ってる遡行軍に対して攻勢を仕掛けるそうね」

 この電話の前に出た話題だった。山城に居を構えた前線を行くこの年若い審神者は歴史改変の感知に優れているため、後手に回りやすい他の本丸に比べて先手を打ちやすい。自然と出陣回数が多くなる本丸だった。

『芙蓉さん本当に耳が早いですよね。そういうのってどこから聞いてくるんですか?』
「上にはうるさい人が大勢いるけど、お友達になればそれなりに情報は入ってくるものよ。こっちの札と資材一式と特上刀装をそっちに送るように手配しておいたから是非使って」
『え? いいんですか?』
「ただでさえ消耗が激しいでしょう? 武装が薄くなったり手入れができなくて継戦力が落ちたら元の子もないし、資材はいくらあっても困らないから」
『ありがとうございます……! お礼を用意しなくちゃいけませんね』
「いいわよお礼なんて」
『そんな。珍しいことを言いますね』
「もう貰ったから」
『え……?』

 心のからの礼が一転、不安そうな声が受話器の向こうから聞こえてきた。

「そっちの攻勢の後に政府主催の連隊戦があるのは知ってるわね」
『ええ、概要はまだ知らないですが』
「こっちの資源を貴方のところに回すかわりに、連隊戦の時に貴方のところに入る三倍枡を全部私のところに回すように手配しておいたからよろしく」
『……ええ!?』
「別件の攻勢作戦に参加する本丸にも資源の融通を利かせてるから、それくらいはね?」
『芙蓉さん、最初から三倍枡が欲しかっただけなんじゃ……?』
「あら資源欲しくないの? 貴方のところ、遠征の回りが途切れ途切れになっているようだけど」
『それは欲しいです』

 そこだけ妙に前のめりな声だった。

「よかった。攻勢任務頑張ってね。何かあればまた言ってちょうだい。助け舟は出すから」
『はい。では失礼しますね』

 何度目かの受話器の上げ下ろし。
 両腕を高く上げて体を伸ばしていると、松井江がいつの間にか飲み干していた湯飲みに新しく淹れたお茶を注いでくれた。自分の拘りが異様に強いところには参っているが、こういう気遣いができるところには感謝している。

「どこもかしこも出陣出陣で大変ね」
「僕は遡行軍より貴方のやり口の方が怖いなぁ」
「冗談。正当なやり取りよ。タダよりも怖いものなんてないんだから。……それにしても政府主催の催しはいいけど駆け込みで出陣を要請するくらいなら日程を所属国ごとでばらけさせてくれてもいいのに。あちこちから似たような電話ばっかり。さすがに疲れるわね」
「今日はずっと電話対応しっぱなしだろうから、僕の方で報告書や申請類の処理をしておくよ。判を借りていいかい?」
「ありがとう。……ねえ松井、もしこっちの言うことを聞かない審神者がいたらどうする?」
「フ、怒鳴りつけるね」
「すごく心強いわ。いざとなったら変わってもらうから」

 そう言って再び受話器を持ってダイヤルを回そうとした時だった。
 扉を強めに叩く音が執務室に響いた。芙蓉が返事をする前に慣れない様子で扉を開けたのは和泉守兼定。最近新しく第一部隊の部隊長になった打刀だった。

「入るぞ主。今日の出陣の報告書を渡しにきた」
「ありがとう。同じような定型文に加えて電話ばかりでうんざりしてたところよ」
「じゃあこれはいらねえか」
「眠れない夜にでも読んでおくわ」
「俺が部隊長になって初めての出陣報告書で眠くなるたあいい度胸じゃねえか……」
「嘘よ。貸して」

 報告書はそれなりの情報量を含んでいるので人差し指ほどの厚さの紙の束になることもしばしばだが、紙を捲る早さに驚いて絵に描いたような二度見をした。「ちょちょちょちょ!」と和泉守が慌てて制止して、不満を漏らす。

「おい、ちゃんと読んでんのか?」
「読んでるわよ。戦果は問題ないけれど、負傷が多いわね。歴史も……」
「歴史は変わってねえよ!?」
「変わってないものの、あと一歩遅れてたら大惨事。危なかったわね」
「……なんでそういうところはきっちり見るんだよ」
「慣れよ、慣れ。普段は白い項目が黒いんだもの。目立つでしょう?」

 痛いところを突かれた和泉守は苦虫を百匹くらい噛み潰したようにじっとりとした目で芙蓉を見た。
「顔立ちがいいからどんな顔をしても様になるのね」
 特に気にするでもなく報告書をざっと流し見て、隣で黙々と処理をする松井江に手渡した。とりあえず不備がない。

「別に責めてるわけじゃないわ。初めての隊長だし、実際にやってみると難しいでしょう? 部隊をまとめ上げるのは」
「そう……だなぁ。野郎、こっちの気も知らずに好き勝手言いやがる」
「そういうものよ。使命はあれど心と言葉を持ったんだもの。それぞれの過去や主張もあるから、ある程度はうまいこと受け入れたり受け流してなんとかバラバラにならないように頑張ってちょうだい」
「主張なあ……こういう時に国広が頼りになるんだが」

 堀川国広はこの本丸にはいない。以前他本丸との演練時に、少し喋ったのだと言う。やはり元主の腰に一緒に据えられただけあって、波長が合うのだ。どちらかというと聞き上手ではない和泉守はわかりやすく堀川国広の顕現を待ち望んでいる。

「堀川は確かに緩衝材の役割がうまいけど、今いない人をアテにするのはやめなさい」
「へいへい。土方さんのようにはいかねえか」
「私の本丸に必要なのは土方歳三じゃなくて和泉守兼定の方だから。それを忘れないでね隊長さん」
「だぁー! わぁってるよ」

 むず痒い顔で反論する和泉守に芙蓉と松井は笑っていた。

「初めてにしては上出来よ。同じ隊内に最古参のベテランがいるから、いざとなったら頼って」
「いやそれは本当にありがてえ」
「初めての隊長と報告お疲れ様。あとで手入れしに行くからみんなにもよろしく伝えておいて」
「ああ、わかった」

 和泉守がくたびれた様子で後ろ手をひらひらと振る。執務室を退室すると、服の装飾を扉に挟んで苛立つ声が扉の向こうから聞こえてきた。顔はキリッとしているが何故だかどこか締まらない。

「部隊長か……」

 和泉守を見送ったままぽつりと呟く松井江は、かつて近侍を兼ねて第二部隊の部隊長をしていた。
 近侍という立場上、自分以上に戦績を積んだ刀剣男士に指示を出さなければいけないこともある。刀剣男士達は総じてプライドが高く、誇りを持っている。だから自分より弱い奴に指示されることを嫌う者も少なくない。文句をつけられる前に経験を積ませる必要があった。

「懐かしい?」
「まあね……豊前達がいなかったら大変だったなと思って。出陣すれば当然敵と戦う。本丸に帰ると報告書作成の後に膨大な書類と戦う。手入れされながら処理したりもしてたから、休まるのは寝てる間だけだったからねぇ」
「それに貴方が部隊長として初めての出陣をした時、もっと酷かったわよね」

 一瞬松井江の眉が引き攣った。反対に芙蓉は楽しそうに笑っている。

「いい加減忘れてくれないかい……?」
「いやよ。私の中で元気を出したい時の笑い種だもの」

 全員ボロボロだったが無事に帰還したことを歌仙とこんのすけで喜んでいたまではよかったのだ。全員揃って帰還した中で一際ボロ雑巾のようになっていた松井江が突然同じ部隊に編成されていた同田貫の兜をボールみたいに思い切り蹴り飛ばすと瞬く間に挙句殴り合いに発展した。お互い真剣を使っていないから不問にはしたものの、結果的に怒鳴り合いの末に足を踏み外して池に落ちて共倒れで終わった。

「あの時の松井、正直訛りがキツすぎてなんて言ってるのか全然わからなかったけど、ものすごく怒ってることだけはよくわかったわ。あれ八代弁っていうんですってね。あの後歌仙から聞いたわ」
「主……」

 松井江にとって初めての部隊長としての初陣は大失敗に終わっている。その要因は編成が大いに起因しているが、当時のあの編成を知るものは全員口を揃えて「闇鍋」と称するほど酷いものだった。

「そう怒らないで。笑い話でしょう?」
「彼とは今でも馬が合わないよ」
「同じ打刀なんだからそう言わないの」

 今となってはどちらも指折りの練度となっている。月日が経てばお互いの角も摩れて少しずつ丸くなっていっているので、仲良くは無理でも協力はし合えるまでにはなっていた。

「さて、電話が来ないうちに承認だけでも終わらせようかな」

 松井から判を返してもらい申請書類を手に取ると、謀ったように電話が鳴り出す。仕方なのないように判を松井に再び渡すと、芙蓉は受話器を取ったのだった。



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