一六三七年の遠雷

虚を数えて


 ようやく書類の山を平地へと戻した頃。
 山鳥毛という報酬を受け取った芙蓉の本丸は連隊戦前の遠征が主軸の日常に戻りつつあった。山鳥毛を編成した部隊のみは連隊戦は継続して練度上げに励んでいる。元々落ち着きがあることや年長者の気質のせいもあり、顕現したばかりだが部隊長の頭角を早くも見せつつあった。
 そこで焦りを見せたのは薬研に稽古をつけてもらっていた包丁や、部隊長を立て続けにこなしては悩みの種が尽きない和泉守だった。山鳥毛を見て尻に火がついたのか、朝餉の場で「桶狭間への出陣の要を認めます」とご機嫌な芙蓉の声を聞くと口を揃えて「俺が行く!」と身を乗り出して立候補した。
 今は和泉守が率いる第一部隊が桶狭間の歴史を守っている真っ最中である。

「──さてさて、業務を始める前にこの大荷物の開封から始めないとね」
「普通こんないっぺんに届くかい?」

 執務室には書類の山がなくなった代わりに、荷物の山脈が出来上がっていた。

「連隊戦があったから仕方がないわ。松井、悪いけど先に開封しておいてくれる?」
「いいけど主は?」
「煙草切らしちゃったから部屋から取ってくるわ」

 そう言って芙蓉は煙管を持つ素振りだけを見せてひらひらと手を振り執務室を後にした。「それは後ででよくないか……?」と扉に向かって小言を吐くと、仕方なさそうに松井江は荷解きを始めた。

「本当にすごい量だな」

 改めて全体を見回し、手っ取り早そうなものから手をつけた。小さい小包を開けると荷物の量が多い理由が判明する。ほとんどが売った枡のお礼の品だった。
 もちろん購入した全ての本丸から来たわけではないが、律儀な審神者も多くいたものだと感心しながら次々と開けていく。芙蓉の嗜好品を理解してか、刻み煙草が多い。きっと手放しで喜ぶだろう。中にはどさくさに紛れて「慕っています」と書かれた文まで紛れていたので、それは丁重に捨てる。

 本丸は基本男所帯で、総代は存在自体がよく目立つ。真面目と律儀を隠れ蓑にして女性の審神者に下心を抱く輩も審神者の中にはいる。芙蓉は空気を読むのも上手いが逃げるのも上手く、味方も作りやすいがそこそこ敵も作りやすいからまだ全然いい方だが、これが優しい・愛想がいい・あやふやな物言いをする女審神者となると目も当てられない。近侍の刀剣男士の苦労も一入だった。

「いや待てよ……僕はなんの心配をしてるんだ一体」

 ふと我に返って、大きな箱に手を伸ばす。差出人を見て「えっ」と短く声を上げた。
 相模の総代からだった。結構な頻度でかなりの資材を融通しているから、そのお礼だとすぐにわかる。とりあえず中身だけ見ようと手前に引き出す。両手で抱えないといけない箱の大きさに似合わず、意外と重さはさほど感じなかった。開封すると、松井江の頭の中は怒涛の疑問符に埋め尽くされる。

「これはお礼なのか……?」

 笠に合羽、行李──そして手紙の一式。まるで今にも旅支度でもするかのような揃いの良さだった。添え状までついている。「いつも助かっている」という旨の内容だが、その礼が旅道具の一式というのは、どういう意図があるのか松井江は全く理解が追いつけなかった。
 相模からの荷物はとりあえず端に退けて、もう一つの大きな箱を開封することにした。こちらはすぐに差出人がわかる。時の政府からだ。
 重要書類は松井江が見ることはできないから、普通の書類と仕分けている最中だった。
 一通だけ異様な雰囲気の封筒が松井江の手に止まる。重要の印はどこにも見当たらないが、八つの検印や検閲済みとの赤々とした判が押された書類封筒だった。普通の押印一つだけならまだしも、八つも押されて主張しているとそれだけで物々しい。本当に重要ではないのかと疑いさえ出てくる。
 少し考えた後で、思い切って中身を取り出して固まった。

「……なんだこれ」

 内容と言えるような情報が一切ない。だがそれ以上の問題が松井江の手の中にある。紙の束はそのいずれも原本ではなくクリップでまとめられたモノクロの複製と開封された封筒だった。見るからに手紙であったそれは内容のほとんどは黒線でひた隠しにされ、おおよそ手紙とは言えず、黒線模様の紙切れとなって手元に届いていた。同じ審神者同士ならこんな数の検閲なんていらない。さっきのように平然と恋文が届く緩さなのだ。必要になるのは寧ろ審神者以外からの場合だった。そうなると必然的に限定されてくる。芙蓉の故郷がある現世しかない。

 ──もしかして芙蓉が家族の話をしたがらないのは、したがらないんじゃなくて、できないのではないか?

 何も語れないのではなく、何も知らされない。
 心の不安を煽るには十分すぎる仕打ちだが、でもそれだけであんなに取り乱すだろうか。政府にしても、こんなことをすれば審神者から反感を買うだけなのだから、こんな行いになんの意味があるのかと思考を巡らせながら一枚ずつ捲っていく。文章全てに黒線が被さっていていて、やはり理解には至らない。とうとうまともに読めるものなど一枚もなかった。
 最後に添えられた封筒を手に取り、裏返す。見慣れた名前に、見慣れないものがくっついていることに気がついて、時が止まったようにそこだけを見る。

「──姉嵜……芙蓉……?」
「その通りよ」

 全く気配を感じなかったから、勢いよく振り返った。どれほどその名前に気を取られていたのだろうか。扉には刻み煙草を持って戻って来た芙蓉が立っていた。

「……私、姉嵜芙蓉っていう名前なの」

 ゆっくりとした口調で言う芙蓉の顔は、取り繕ったような笑みをしていた。

「驚いた? 貴方が元主達の佩刀だった時代には、苗字を持つ女性っていなかったでしょう?」
「すまない、覗くつもりじゃなかったんだけど……」
「いいのよ。私が今まで言ってなかっただけで、隠すようなものじゃないもの」

 コツコツと歩く音が、静かな執務室にやけに大きく響く。そうこうしてるうちに、松井江の横に芙蓉が並び立つ。「いい?」と一言断りを入れて、松井江の手からそれを受け取った。

「主──」
「酷いでしょう? 人の書いた手紙をこうして土足で踏みにじったりなんて、普通だったらできないわよね」

 何も言わせないと思わせるような言葉の被せ方だった。松井江は口を閉ざす。前みたいに思わぬところで芙蓉の弱点を突いてしまわないよう、次の言葉を待った。

「でもそれって常識の観点から見てのことなのよ。管理する側からしたら、この行いは必要な措置なの」
「こんなものがかい……?」

 まさかの政府を擁護する発言に、思わず眉を顰めた。

「そうよ。お互いを見張れる政府役人の親類血縁者や審神者を多く輩出してる一族と比べると、私みたいな一般的な家から審神者になった者は特に厳重な管理が求められるのよ。この手紙みたいに」

 論より証拠だった。目の前に提示されているのだから、反論のしようがない。

「遡行軍に現代が脅かされている今、どこからの綻びも許されないわ。時代を行き来して過去を書き替える可能性を持つ審神者の管理には、慎重に慎重を重ねたものを要するの。私もそのうちの一人に過ぎない、」

 ぐい、と不意に芙蓉の手を引いてその先の言葉が途切れた。

「ねえ、頼むからそんな顔で説明しないでくれ」
「貴方が聞きたがってた話の一部なのに?」
「……まるで自分に言い聞かせてるみたいだ。僕はそんなことをさせたいわけじゃない」
「意地悪なこと言ったわ。ごめんなさい。言い聞かせるまでもなくちゃんと頭の中では分かってるの。けど血の繋がった家族との溝が深まっていくのが、どうしても恐ろしかった。でもね、ただ漠然としょうがないって思うより、無理やりでもちゃんとした理由の方が私の中でまだ飲み下せるのよ」

 腕の中にある紙の束に視線を落とす。無機質なモノクロの模様だが、宛名の筆跡を見てどうしてもこみ上げる懐かしさがあった。

「もう、来ないものだと思ってた。私から伝えられることなんて何もないのに。何年も音沙汰ないのに。本当に馬鹿よ。……これを見て受け取りを拒否する審神者も少なくはないの。でもね、こんな模様紙でも両親から少しでも気にかけてくれているって事実が嬉しいのよ。だから私も同じように馬鹿なの。こんなものに縋りついて。なんて書かれてあるかすら、わからないのに」

 顔を上げた芙蓉は紙の束を引き出しに仕舞った。一言じゃ形容し難い表情は松井江を黙らせるには十分だった。

「松井、このことは誰にも言わないでね。皆に知られたくないの」
「……わかった」

 言わないことしかできないことが、無性に腹立たしく思えて仕方なかった。だがそう返すことが、松井江の精一杯だった。

「……松井にばかり、こんなことさせてごめんなさい」
「今は貴方が隠し下手でよかったと思ってるよ」

 そう松井江が告げると、身体の正面に何かを受け止めるような小さな衝撃があった。背中に手が回っている。芙蓉に抱きつかれていた。心躍るものではない。芙蓉がこんのすけによくやるようなごく自然に出た行為のようだった。

「松井から見て私の境遇は過酷だって思う?」
「まだ、なんとも。でも普通ではないと思うよ」
「そっか……そうよね。まだ何も打ち明けてないのにする質問じゃなかったわね」

 ──最近、主は涙が滲んだ声が多い。
 でもそうじゃなくて、元々がこうだったのかもしれないと松井江は思うようになっていた。今まで何もなかった方がおかしいのだ。

「松井が前に言ってくれた私を知りたいって言葉は、忘れてないわ。ずっと耳に残ってる。だけど私から貴方に何も返せてなくて、心配ばかりかけさせてごめんなさい」

 松井江の胸を借りている芙蓉の顔をうかがい知ることはできない。だけど声を必死で絞り出していることだけは嫌でもよくわかった。次の言葉を選ぶように、ゆっくり呼吸をしている。ようやく落ち着きを取り戻した顔を見せた芙蓉はいつもの気丈さを取り戻していた。目には力がある。

「でも松井には私の背中にあるものより今の私を見て欲しいの。私を知りたいなら一緒にいて。本心よ」

 声音には力と不安定さが同居している。言葉に気圧されて松井江は息を飲んだ。そんな松井江を目にして、芙蓉はふと笑うように表情が柔らかいものになる。

「今私が言えるのは、ここまで。心の内を明かしたら、私が私でなくなってしまいそうで怖いから。……そろそろ和泉守達が帰ってくるわ。それまでにこの荷物の整理をしちゃいましょう?」


   * * *


 そろそろ帰ってくるとはなんだったのか、あれから一時間以上は経過していた。

「そういえば遅くないか?」
「言われてみれば遅いわね」

 小さな荷物は一通り全部開封し終え、お茶を飲んで一息ついているところだった。端に避けられた荷物を見て「あら」と芙蓉が立ち上がった。

「相模の総代からじゃない」
「中身がよくわからないものだったんだけど……旅支度みたいな」
「旅支度……?」

 思い当たるものがあるのか、手早く中身を確認すると少し肩を跳ねさせて固まり、深く息を吐いた。

「あの人は……平然とすごいものを送ってくるのは流石よねぇ」
「これがすごいものなのかい?」
「すごいものよ。どこの本丸も喉から手が出るほど欲しがるわ」
「それが? ……人間の価値観ってよくわからないなぁ」
「これはどっちかっていうと刀剣男士の方が欲しがるわよ。松井もそのうち欲しくなる。この第一号は……歌仙か小夜が使うことになりそうね」
「どういうこと?」
「最近は当たることが少ないけど、相模の総代との演練の時のことを覚えてない? 蜂須賀の様子が他の本丸とかなり違っていたでしょ」
「ああ……確かに。それにやたら強かったね」
「過去の時代へ修行に出してああなったの。試験的だったものが有効と実証されたから、どんどん修行に出る刀剣男士が増えてるのよ。それでも最前線の本丸が優先だけど、それが棚ぼたでうちにやってきたってこと。お礼を言わないとね」
「へぇ……」

 そう言うと芙蓉は執務机に向かい受話器を持つ。ダイヤルを回すと、先方はすぐに出てきた。

「もしもし。備前の芙蓉だけど」
『やぁ、そろそろ電話が来る頃だと思っていたよ。送ったものについてだろう?』
「話が早くて助かるわ。貴方の主はいるかしら」
『いるよ。少し待っていてくれ。すぐに連れてこよう』

 電話に出てきたのは相模の総代──かずらの近侍であり初期刀である蜂須賀虎徹。
 事あるごとにうつつを抜かす主を慣れたように引っ張り戻して、芙蓉からの電話であると伝え受話器を持たせた。

「御機嫌よう葛。修行道具ありがとう。貴方に一言お礼を言わなくちゃと思ってかけたんだけど、取り込み中だったかしら」
『いや、今次の編成を練っていたところだ。芙蓉ならすでに修行道具をどこからか大量に掠め取ってそうだとも思ったが、喜んでくれて嬉しいぞ』
「貴方私を強盗か何かだと思ってない?」
『心なしか演練でお前の刀剣達に会うと、うちに目ぼしいものはないか探られてるような気持ちにはなる。落ち着かん』
「安心して? 全本丸の中で品行方正さはうちの右に出るものはないって知らないのかしら? うちは之定が一振りを筆頭に上品潔白なのよ。少しは貴方も見習って欲しいくらいだと思ってるわ」

 言い切った時だった。執務室のドアを蹴破る勢いで帰還した第一部隊の和泉守と包丁が我先にと転がり込んできた。

「ちょっと主ぃ! 和泉守が俺の誉を横取りしたんだけど!!」
「お前が戦闘中に女に脇目振ったりするからだろうが!」

 体格差があるのにもみくちゃの状態で怒鳴り合っている。受話器の向こうから盛大な笑い声が芙蓉の耳を突いてきた。

「和泉守は本当に男なのか!? 目の前に人妻がいればかっこつけたいに決まってるだろ!? その羽織に書かれた誠の文字は飾りか〜!?」
「馬鹿かてめえ! あれは人妻じゃなくて戦場を練り歩く娼婦だって言ったろ! お前みたいなガキを相手にするやつらじゃねえんだよ!」
「嘘ぉ!?」

 芙蓉が絶句し、受話器の向こうと隣にいる松井江からはついに耐えきれず吹き出す声が上がる。帳簿を手に持った芙蓉が机を一度だけ強めに叩くと、執務室は水を打ったように静粛する。和泉守達に「ちょっと静かにしててもらえる?」と鋭く言うと、二人とも背筋に物差しを充てがったように直立した。

「フフ……、品行方正と言った側から、すごい瞬間にやってきたね……?」
「笑い事じゃないわよ全く……風紀の乱れを感じるわ」
「あとで言って聞かせようか」
「お願い。とびきりきつく言っておいて。一期にも」
「いいよ」

 一期一振の名が出ると包丁が前のめりになって抗議した。

「いち兄に言うなんてひどいぞ主! 俺の味方してよー!」
「薬研にも伝える必要がありそうね」
「やめて嘘ですごめんなさい!!」

 床に額を擦り付ける勢いで頭を下げてきた。「やめなさい!」と言えばすかさず「だってぇ!」と声を上げる。埒が明かないので静かに座って待っててと言い、電話に戻った。受話器の向こうからは快活な笑い声が上がっている。

『とんでもない会話が聞こえたんだが、大丈夫か?』
「もう忘れて。それで修行道具についてだけど、本当にもらっていいのね? あんな貴重なもの、私絶対手放さないわよ?」
『もちろんだ。これからも世話になるんだからな』
「いい加減、その私から資材を貰う前提なのはそろそろどうにからならいの?」

 呆れたように返すと、寧ろ葛は堂々と「どうにもならん!」と返した。

『金ならいくらでもあるが政府から大量に買うにもおまけで厄介ごとが付いてくるし手続きが面倒だ。それに今は連隊戦のせいで万屋は繁盛中だし手一杯だろう? その手間を省くためなら俺は貴重な修行道具をいくらでもお前に差し出す』
「そんな言葉を私も言ってみたいものね。こっちからばら撒けるものなんてせいぜい資材だから……ただそれも皆が頑張ってくれたものだし、そう考えると貰った物の価値に見合うだけのものではあるけどね」
『そりゃあそうだ。資材はどこの本丸にとっても生命線だろう? 修行道具なんて限定的なものが俺のところにばかり集まっても仕方ないからな。戦力を分散させないといけないことを上がわかってくれない。おかげで修行道具一式が有り余ってる状態だ。価値観がおかしくなる』
「貴方は上からモテるものねぇ……修行道具はいらないから資材をくれって、逆に何をしたらそうなるのよ」

 葛はとにかく役人の女性から評判がいい。総代であるから目立つのはそうだが、一番の戦果を挙げていて尚且つ下の人間や刀剣男士を引っ張る力があるのだ。彼がまとめている相模国の審神者からも慕われている。人前に立つ才能があるのは間違いないが、そうは言っても貢がれ方が少し行き過ぎではないかとも思っていた。

『知らん。悪い気はしないが……でもそんなところで公私混同されてもなあ。芙蓉からもなにか言ってくれないか。俺が話すよりよっぽど説得できそうだ』
「買いかぶりすぎよ。少なくとも私にそんな発言権はないわ」
『そんなことはない。話が通じると評判だ。正直羨ましい。俺は力はあれど他の総代の皆は会話をしようとしない。こんなに会話が続くのも芙蓉くらいだ。結婚するか?』
「貴方は人生で一体バツが何個付けられるのか記録でも残すつもりなの? 貴方と結婚なんて絶対嫌よ。そういうことを軽々しく言うからどんどんバツが増えるし同僚から死ぬほど嫌われるんじゃない」

 結婚というキーワードに包丁が反応して「人妻チャンス到来!?」と詰め寄ってくるのを和泉守が羽交い締めにして止めている。隣ではなんの話だと訴えてくる松井江の視線が痛い。それにさっきから電話の向こうで蜂須賀の呆れた諌める声と溜め息が交互に聞こえてくる。この世に顕現した刀剣男士として彼は一番の苦労人に違いなかった。

『蜂須賀にもそう言われるが俺は不思議でならない。全員俺に言い寄っては引き波みたいに俺から離れていく。意味がわからない』
「あらそう……まあ気にしたところですでに女の敵だからそういう口は慎んだ方がいいんじゃない? あと、日本は一夫一妻制だといい加減理解した方がいいわよ」
『生まれる国を……いや時代を間違えたか』
「そうやって自分以外のせいにするところからまず悔い改めなさいな。それじゃあね」

 ほぼ一方的に音を立てて受話器を置いた。長く息をつくと横から「……主、今のは?」と神妙な面持ちで松井江が尋ねる。松井江には悪いが、夜遊びから帰った年頃の娘を玄関で待ち構える親はきっとこういう顔をするのだろうと芙蓉は思った。横では和泉守によって羽交い締めに加え、手のひらで口までしっかりと塞がれた包丁がいる。

「今の流れで真に受けないでよ。あんなのと結婚なんてしないわ。バツ七の男なんてこっちから願い下げなんだから」
「さっきから言ってるそのバツってなんだい?」
「ああ……それね。離婚って意味だけど、貴方達の時代の言葉だと離縁ね。成人してから毎年取っ替え引っ替えで七回も離縁してるような人にたぶらかされる方がおかしいわよ」
「七回ッ!?」

 三人は口を揃えて驚愕の声を上げる。「そうよ」と平坦に答えると、各々信じられないと顔を歪ませていた。特に包丁は「そいつを殺らなきゃこの世の平穏は一生訪れない」などと使命感に駆られた顔をしている。

「そんな……人妻好きとして不幸な人妻を生み出す男の存在なんて……! 許さん!!」
「……それで、和泉守達は報告書を渡しに来てくれたんでしょう? 二人で来るなんて仲がいいじゃない」
「それのことだけど、検非違使が出たんだって」

 和泉守から報告書を受け取って先に見ていた松井江が言う。

「検非違使が出ちゃったの? 災難だったわね。しばらくは桶狭間に行くのは控えないと」
「待て待て、二人だけで話を進めないでくれ」

 小夜を除く第一部隊の面々にとって、検非違使との邂逅は初めてのことだった。小夜に「あれは倒さないといけない」と言われたが、遡行軍を食らう彼らを見て、攻撃するのに戸惑ったらしい。

「検非違使ってなんなんだ? 見た目はどう見ても敵だが、やってることは俺達と同じじゃないか?」

 包丁も同じことを思っていたのだろう。ほぼ和泉守が代弁してくれたのかずっと横で相槌を打っていた。

「検非違使はね、結果だけ言えば敵よ」
「やっぱなぁ〜! そうだと思ったよ」
「お前もわけわかんないって言ってただろうが」
「喧嘩しない。ちなみに聞くけど、その検非違使はなんか喋ってなかった?」
「はぁ? あいつら喋るのか?」
「たまに声を上げるのよ。自分達は許されるべきだって。うちも出陣中に何度も遭遇してるし、こんのすけの映像記録にも残ってるわ」
「なんか急に怪談じみてきたな」
「怪談じゃなく、事実なんだけどね」

 松井江が苦笑う。許されるべきと叫ぶ検非違使と遭遇したのは他ならない彼だった。芙蓉は冷めたお茶を飲み干すと、屋根の上で日向ぼっこをしていたこんのすけを呼び出して検非違使についての記録を引っ張り出した。

「私たちって歴史を修正する立場とはいえ、やっていることは辻褄合わせのようなものじゃない? もし遡行軍がなにかをしでかしてしまっても、歴史の改変が起こらない範囲で事情の切り貼りをする。遡行軍は明確な目的がない限り直接対象を狙うことは少ないけれど、対象を殺されるように仕向ける工作活動をする。だから私達はさっき言ったように歴史の転換点で変化がないように未然に防ぐか、辻褄合わせをしないといけない。これは受け売りけど、歴史は守ることも大変だけど変えるのも大変ってことよ。ここまではわかる?」
「俺達は正史通りにするための歴史の裏方ってことか?」
「それでいいわ。じゃあ本題の検非違使はどうかしら。実際に和泉守達が見たという検非違使達の行動ってどうだった?」
「なりふり構ってなかったよ。節操なしっていうか。でも絶対に敵を排除するぜって感じだった」

 包丁はそれをごく間近で目撃していた。突然目の前の空間が歪んだと思ったら、そこから検非違使達が殺到したのだ。自分の身を守る横で、本来なら桶狭間で死ぬはずだが、正史上生きていても問題のない一般人が容赦なく斬り殺された。

「その通り。歴史の異物を実に機械的に、徹底して排除するのが検非違使なのよ。遡行軍だけじゃなくて刀剣男士、その時代の歴史でその日死ぬはずだった人が生きていたら突然横槍を入れて問答無用で狙われる対象になる。そこが一番の問題になるのよ。……ここまで話したけど、あまり気分のいい話ではないでしょう。大丈夫?」

 一旦止めて芙蓉は和泉守と包丁の様子を伺った。

「構わない。話してくれ」
 包丁も頷く。
「わかったわ。私たちは歴史の変化を阻止するか相殺しなければならないわけだけど、遡行軍がたまたまそこにいた人を歴史を変えるために殺して、本来死ぬべきはずだった人が生き残ったとして、さらにそこに検非違使が現れたら、さてどうなるかしら?」
「……さらに人が死んで被害数が増えるな」
「そう。辻褄合わせが難しくなってしまう。なぜなら検非違使は本当に異物を排除するだけの存在だから。私達も遡行軍も検非違使も、殺すことはできても逆に生き返らせることはできない。被害数は絶対歴史に残るものだから時の政府は評価をつけてかなり重要視するわ。だから結果的に検非違使達のやり方は未来から俯瞰して調整する私達にとって不都合しかないの。だから私達への攻撃の有無関係なく彼らは敵なのよ。邪魔なの」

 芙蓉の「邪魔なの」という言葉に「そっちが本音なんじゃねえか?」とぼやくが、当の本人はこんのすけを撫でて笑ったままだった。

「ねえねえ、なんで遡行軍って直接対象を狙わないの? そっちのが簡単じゃない?」
「そうでもないわよ。効率悪いもの」
「どうして?」
「たとえ歴史上の人物を殺したとしても大体世継ぎがいるし器を引き継ぐ後継者がいる。誰かが正史通りになるように情報操作するなり演者になる必要はあるものの、歴史の抑制力も働くし結果的にダメージは少ないわ。ただ対象の首を直接狙う、あるいは生き残らせるやり方が最高に威力を発揮するのは名前の後ろに変がついた時代を揺るがす歴史的大事件の場合ね。時代の流れが大きく変わってしまうから」
「失敗してもまた時代を遡るのはダメなの?」
「ダメじゃないわ。何度も時間遡行を繰り返す手もあるけど、ただそんなことをすれば今度は検非違使がやってくる。遡行軍以上に厄介な嫌われ者が。遡行軍に邪魔されながら歴史を正史通りに事を運ばなきゃいけないというのに、そんな相手を包丁は歓迎できる?」
「ムリ!」
「でしょう? 今回桶狭間に検非違使が現れたのは他の本丸の時間遡行からそんなに間が空いてなかったというのと、単純に詰めが甘かったのね。今頃政府からのお小言もらってる頃よ……後でフォロー入れてあげないとね」

 データベースから本丸の情報を見ると、まだ年若い審神者の年月の浅い本丸だった。顔写真の不安そうな顔が、いかにもそうだと思わせた。結果的に芙蓉の本丸が対処したが、このままこの未熟な審神者の本丸が続けて対処し続けていたら検非違使の餌食となっていた。

「話が逸れたわね。歴史を変えるなら一人を直接狙うより……例えば合意した会合を破談させたり、大きな流れを作ってしまえば、一人がやめろと叫んでも止められないものになるでしょう? そうなれば、あとは遡行軍が加勢して一気に流れに任せるだけだもの。私達でも止められないわ。一発当たれば大きいから、単体を狙うんじゃなく流れを作る方が結果的に効率がいいのよ。数だけは遡行軍の方が圧倒的に有利だから」

 特に会合は修復が難しい。合意したものを武力で破談されると困る。一番避けなければいけないものだった。それこそ時間遡行のやり直しも視野に入れないといけない。

「過去の人間は、どんなに強い武将でも、権力者でも、未来の人間からすれば皆等しく正史と改変された歴史の前には弱者なの。私達は彼らに正体をひた隠しにして歴史通りになるように見えない糸で操らないといけない」

 和泉守が唾を飲み込んだ。非常にわかりやすい。きっとかつての主と対峙した時のことを考えているに違いなかった。

「私達は歴史を守るという立場であって、正義の味方ではないのよ。それだけは、どうか忘れないでね」


× × ×


一六三八年二月二十六日

予想より帰るのが遅くなりそうだ。
一揆勢の勢いは兵糧攻めで弱まっている時期のはずなのに、そんな様子は見られない。先入観が油断を生んでしまった。追い込まれ籠城を強いられてしまった。



- ナノ -