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その後のブーケ

「あなたに頼まれたやつ会社宛に送ったけど何かまずかった?」

 ダイゴくんからの連絡の用件はこれ以外には思い当たらない。
 チャンピオンと辞して世界を転々と飛び回り、いろんな事柄を吸収している彼は私の親戚にあたる。
 人当たりが良くてスマートな振る舞いをするから一見爽やかな好青年だが、ある日いきなりチャンピオンになったかと思ったらある日いきなりやめてしまったり、彼の心の大半を占める割合で愛を注いでいる石のためなら洞窟でも地中でもその身ひとつでどこまでも行く。親であるムクゲさんですらたまに連絡がつかなくなったりすることもままあるような行動力のある自由人だ。
 そんなことだから、こっちから電話をかけても大半が向こうからの掛け直しになる。

「家か現在地に送って欲しかった? 知らないそんなの。そもそもカナズミの実家かダイゴくんの家ならまだしも現在地とかなんで私が知ってるのよ。そっちの会社に送りつけた方が面倒がないし気楽に決まって……わっ」

 鉄柵から離れて振り向くと、両腕を組んでこちらを眺めるフリードがいた。
 すぐ戻ると言っていたが、本当にすぐ戻ってきていた。それに気づかず通話をしていたことにはちょっと申し訳ない気持ちもあるけど、無言で後ろに立っていたのはさすがに人が悪い。

「あ、ううん。ちょっとびっくりしただけ。……フリード、戻ったなら戻ったって言ってよ」

 電話口を押さえて小声で言うとなんとも面白くなさそうな顔をされた。
 もっと言うなれば、見えない順位をつけられて少し傷ついたような顔をして私を見ている。フリードは「続けてどうぞ」とツンとした目線で言い、私の隣で鉄柵にもたれた。正直「家に送ってくれ」と言われた瞬間に切ってもいいようなクレームまがいの電話だけど、続けていいならと会話の続きを促すことにした。

「……それで、ダイゴくん今どこにいるの」

「カロス? なら近いじゃない。あなたのお父様への顔見せも兼ねて自分で取りに行ったら? どうせ最近会ってないんでしょ?」

「そんなの電話を掛けてもほとんど圏外にいるダイゴくんが悪いわ。なんで男の人ってそう変に落ち着きがないの? みーんなそうなの?」

 これは隣にいる誰かさんにも当てはまると思い、隣を見る。さっきの不機嫌そうな顔から一変、「返す言葉もございませんが、しょうがない」と顔に書いてあった。そういうところは正直ではあるからまあいいかと思えるし、応援してもいいかなと感情的な折り合いは付く。当たり前みたいな顔をされてたら、多分そうはならない。

 しかし電話の向こうからは「そんなのは僕のせいじゃなくてこの世に僕の好きなものが溢れてるのが悪いから。僕に言うのはお門違いだよ」と堂々とフリード以上に開き直った最悪な模範回答が飛んできた。あの澄ました顔で笑いながら言っているのが容易に想像つく。
 相対的に見て、フリードのがマシなのだと思えてくるのが不思議だ。

「……まあすぐ手元に来なくても、そっちの輸送でどうとでもなるでしょう? 厳重な梱包方法まで指示して、なんの価値があるんだかね」

「あー、はいはい今人といるからそういううんちくは遠慮しとく。またね」

 通話終了ボタンを押すと横から手が伸びてきた。

「……堂々と盗み聞きするほど得な話じゃなかったと思うけど?」
「今のは?」
「ただのクレームよ、クレーム。なんか古い時代のピートブロックっていうのがどうしても欲しいんだって。あの変わり者にあの塊がどう映って見えるのかしら」
「そっちじゃなくて」
「ダイゴくんのこと?」
「実家とか今どこにいるとかまたねとか、随分親しげなんだな」
「んん……?」

 ──なんかあからさまに顔がしけてる。でもそういえばダイゴくんのこと話したことなかったっけ。

 ただそもそもの話、そんな親戚関係なんて聞かれたならともかくわざわざ人に話すタイミングも理由もない。私がフリードの顔を眺めるばかりで何も言わないことに「なんだよ」と不貞腐れ気味に苛立ちの端っこを覗かせた。

 思えばフリードに個人的な関わりのある異性の話をしたことがあまりなかった。アカデミー時代はおろか、ホウエンの天気研究所にいた時だって私は資格試験の勉強でそれどころではなかった。今みたいな間が空く前は付き合いを重ねていたものの、こんな嫉妬とか露骨な態度で示すことはなかったから「フリードってそういう顔できたんだ」と、率直に思ってしまった。

 もちろん誤解は解くけれど、別れを求めた時と違って今は私の心身をじわじわと追い込むものがない。私の心にこういう誤解すら楽しむ余白ができたことに寧ろ嬉しくなった。あの時と逆転した立場になってわかる。フリードは余裕のなかった私をこういう目線で見てたのか。結構な趣味をしてたんだという目でつい見てしまう。

 理由を待たされるのがつまらないフリードは、逆ににこにこと一人で勝手に解釈を巡らせる私になんと話していいのか難しい顔をしている。

 私から別れてと切り出したとはいえ、なんだかんだお互いここまで気を引っ張ってきたくせに。実は自分だけ次の相手を見つけて一人でさっさと先に進んでいるとフリードは勘違いをしているのだ。
 今の勘違いといい、少し過保護気味なリコちゃんの護衛の件といい、二人も子供を預かる責任を任されたことといい、

「フリードって心配性になった?」
「……なんだよ急に」
「私のそういった心配をするんだなあって思って。気にしてないと思ってたから意外だったの。もしかして私を気遣って余裕があるように見せてた?」

 ぐっとフリードの顔が引き攣った。何か刺さるものがあったらしい。

「想像力が豊かな博士さん、今自分がどういう顔をしてるかわかる?」

 暗転したスマホロトムをフリードの眼前に突き出すと、フリードがスマホに映る自分の顔と鉢合わせた。しばらく目を瞬かせて、そしてスマホロトムから顔をずらすと複雑そうに私を見た。

「誤解を解く前に言うことじゃないけど、前より今のフリードの方が好きよ。対等な感じがして。人の弱点を見ると愛おしくなる感じわかる?」
「おまっ、お前なぁ……」
「あははっ」

 疑うのが馬鹿らしくなったのか、鉄柵に脱力して伏せてしまった。好意を言わされるのは好きじゃないけど、思った時には口にしたい。そのせいで調子を狂わせてしまったけれど、私も思わず声を上げて笑ってしまった。

「でも勝手に私を酷い人にするのはいただけないわ。ダイゴくんはフリードが想像するような関係じゃないし、友達でもないから」
「いやいやそれは言い過ぎだろ。あのノリで友達じゃないならなんなんだ?」
「親戚」

 親戚。シンプルにそう述べたが、一瞬「え?」という顔をして、目線が空を舞う。理解できたかなと思った頃にようやく「……は?」と気の抜けた声が返ってきた。

「ツワブキダイゴって聞いたことない? ホウエン地方の元チャンピオンだった人」
「ちょっと待て、待ってくれ待ってくれ……アステルの名前にツワブキって」
「ついてないわ。そんな近縁でもないし」
「頭の中が渋滞してきた」

 どうやら追加情報がさらなる混乱を招いてしまったらしい。難しい話ではないけど、私が引き起こしてしまった情報の渋滞だ。フリードの頭の中の交通整理をしてあげることにした。

「ダイゴくんと私は親戚。いい?」
「おう」

 まず押さえて欲しい前提である。ここにフリードから見て大きな誤解がある。

「で、私からダイゴくんに荷物を送ったらクレームの電話が来た。以上」
「……そうか」
「そういうこと。なんだと思った?」

 そう問われて、フリードは顔を歪めて沈思した。眉間には罪悪感が深く刻まれている。

「いや、言わない……悪い。勝手に勘違いしてた」
「それってまだ私を大事に思ってくれてるって思っていい?」
「当たり前だ」

 即答された。
「そうじゃなかったら、こんな勘違いしない」というフリードの言い分に、それもそうかと頷いた。想いの方向は同じだとわかっただけで十分嬉しい。

「私船に乗れないよ?」
「知ってる」
「遠距離ってことになるけど」
「覚悟に釣り合う気概を見せろって言ったのはアステルだ」
「……そうね」

 それは全部を手に入れようとしたフリードに言った言葉だった。
 あまりにも真っ直ぐで引っ張る力が強くて、その上言葉足らずなものだから無自覚に私の選ぶ未来を捨てさせようとした。だからそれに腹が立って別れを切り出した。怒りに任せて出た本音はフリードの中に今も留まっていたけれど、我ながら咲いた花に火をつけるような強い言葉を言ったと思って反省はしている。

 そのせいで私の心を肥やしにする撒かれた種のような関係性に戻ったと思っていたけど、再びその芽を大きくしたのはフリードだった。
「船がやばい」という至極一方的な一報だったし、結果的に私が飛行船の危機を救った形にはなったけれど、そこで私のフリードに対しての気持ちの再確認はすでに終わってる。もうブーケでもなんでも作れるくらい好きなだけ咲けと言わんばかりに気持ちは大きくなった。

 正直、自分が恋愛脳に毒されていると思ってなかったから嫌いになれないどころか好きという事実を受け止めるよりも、気づいた時の衝撃の方が大きかった。

「今日はよく俺を置いてけぼりにするんだな」

 また一人で思考していることを抗議するように鉄柵に掛かっていた私の手にフリードの手が被さり、私の手の感触を思い出すようにゆっくり掬い上げて握り込んだ。
 相変わらず私より高い体温なのが伝わって包まれている手がじんわりと温かくなっていく。手のひらのしわを親指でなぞるように優しく撫でられて、やっぱり恋人になる前に戻るのは無理だと悟った。どうしたってまだ好きで喜びが胸に湧き上がる。

「フリード」と小さく呼んで、指の動きに応えるように指先を滑らせた。

「勝手に私を他の誰かと重ね合わせないで」
「ああ」
「私がよそ見するのが嫌なら新しい思い出をちょうだい」
「いくらでも」
「私が寂しそうに見えるなら……」

 今私は私の胸の内にあるものを全部ひけらかそうとしてる。違う。フリードにそうさせられてる。自覚した瞬間、私ばかりが差し出すばかりは嫌だと胸の内に渦巻いた感情の奔流が邪魔をした。

「──寂しそうに見えるなら、フリードはどうしたい?」

 そう投げかけると指を絡める動きが止まった。途端にぐっと手を引き寄せられ、久しぶりにフリードの匂いをいっぱいに感じて瞳に熱が篭った。フリードの顔が見たい欲求に駆られて顔を上げるとやぶさかではない視線とぶつかって、そこでようやく頭の後ろに手が回されていたことに気づけた。


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