喧嘩を売られたかった人
「キラフロル機嫌なおしてってば」
岩壁に突き刺さったキラフロルに呼びかけるが、うんともすんとも言わなければあの青い花は微動だにしない。
ご立腹になったきっかけは主に私にあるけれど、元はと言えば一度ならず二度までも背後で盗み聞きをしていた芸のないフリードのせいにある。軽はずみで言ってしまった「帰る」の一言でカイリューのボールではなく、意図しないところでキラフロルが飛び出てきてこの有様になった。こうなったら斜めになったご機嫌が元に戻るまでが長い。
ということで、もう少しこのブレイブアサギ号に居座ることとなった。といってもフリードに対する怒りはもうとっくに冷めていて、今は船の甲板からフリードと肩を並べて岩壁のキラフロルを眺めている。
結構頑固なところがあるけれど、キラーメだったキラフロルは私の最初のパートナーだ。私のフリードに対する気持ちも知っている。でも喧嘩しつつも顔を見ては馬鹿馬鹿しいくらい好きを再確認してしまう私の心境まで知らない。
それをひた隠しにしていたからこそ、キラフロルからしてみればなんかすごく私がキレてるようにしか見えないのだろう。
誤解を解くにしても、「言葉で強く言い合ってるけど、実は顔がいいなと思いながら喧嘩してるよ」とか。これはほんの上澄み部分だけど、なんかすごく純粋に私を思ってくれてるキラフロルに上澄みの下にある下心的な汚泥部分を言いづらいのだ。私と違って捻くれてないだけに。
キラフロルはフリードがパルデアまで来ていることに喜んでいたから、長い空白期間のある喧嘩別れは絶対に許さない。仲直りをするまでああやってテコでも動かないつもりでいるのだろう。「どうして好きなのに喧嘩するの」と抗議の表れだった。
喧嘩しても結局雨降って地固まるだろう程度に考えていた私とは違いだいぶ可愛い。でも頭でわかってることをしないあたり、ポケモンって人間より賢いなと思えたりする。
「フリード達はこの先どこに行くの?」
「まだ決まってない。今の時点ではルッカ先生には会わないといけないってだけだけど、その後は成り行きだな」
「そうなんだ」
「アステルは?」
「え? 私?」
私はどうと言われても、この先どうするも何も予定は決まりきっている。
「普通に明日は仕事だけど……明後日も明明後日も……」
「…………」
長い沈黙が甲板に漂った。フリードが額を抑えて悶え苦しむように何かの事実を噛み締めている。
「……お前すげえよ」
「何が!? 急になんなの」
「天気研究所で資格取って今も働いてることが。実を結んでるだろ」
「……そう? ……そうかも」
「あんなに苦戦しまくってたのに」
「なんか嫌な方の期待をしてた言い方……いや、してたわね実際。まあ苦戦するに決まってるでしょう? 私はフリードとは勤勉の方向が違って実技寄りだったし」
興味の対象が目の前に現れた時のフリードなら「研究させろ」、私なら「戦わせろ」だった。だから授業で顔を合わせてたまに話すことはあっても、活動範囲が違うから学生時代はこんなに話すことはなかった。
「確かにアステルから見て俺は勤勉かもしれないが、俺に企業は合わなかったからなあ」
「別にそんなの、フリードにとって企業の箱が狭かったってだけでしょ」
「相変わらずバッサリ切り捨てるなぁ。男前か?」
「なんで? いいじゃない、今こうして自由気ままに冒険家してるんだから」
今のさっきで私がいないところで楽しそうにしているのを知って複雑になっていたけれど、ホウエンで再会した時に会社を辞めて旅に出たと聞いた時に思ったことは「楽しそうで何より」だったのは確かだったから。
「もしかしたら今日会ってたのは目の前のフリードじゃなくて、心身が腐りきったでろでろのフリードを拝んでたかもしれないでしょ。さっきも言ったけど、私は今のあなたの方が好きだから。あなたがつまらなそうに話す企業がどうだったかなんて興味ないの」
「心身が腐りきったでろでろの俺」
「そうなってたらご自愛くださいで今日は終わってたかもしれない。よかったわね」
「アステルのそういうところは結構安心するぞ」
「そうなの?」
「離れてる間にヤバい男に引っ掛かる心配があまりない」
「別れ際に思わせぶりな言葉吐いて去った連絡不精が言うとなかなか味がある言葉ね。どうりでダイゴくんに大してあんな感じになるわけだ」
「いや、ま、まぁ……その話はやめにしないか?」
あからさまに話題を逸らしたいフリードは露骨に方向転換をした。でもこのまま話し続けるとまたもや口論に発展しそうではあるから、大人しく乗っかる。フリードの顔には反省の色が濃く出ていたし、私も口論なんて望まない。
「……そうね。ちょっと腹いせに突っつくくらいはさせてよくらいの心持ちだったけど大人気なかったかもね」
「今でもリーグからスカウトきてるのか?」
「来てない。今の仕事始める前に丁重に断ったから。でもカロス地方のパキラさんはキャスターと兼業してるしチャンピオンのカルネさんなんて女優業と兼業してますよ〜とか色々提案出されたから結構大変だった」
リーグ職員ならまだしも、四天王やチャンピオンの専業は意外と少ない。ジムリーダーみたいに常に出突っ張りなわけではないから自分の出番が来そうな時にだけ呼ばれるなど、兼業してる人がほとんどだったりする。
カントーみたいなジョウトも隣接してる総本山になると専業になるけど、地方によって違うリーグの特色に左右される部分が大きい。
「挑戦者が来るわけではないとはいえ兼業を勧めてくるってすげえ世界だな」
「リーグからすると実力は大前提でちゃんと報連相ができるトレーナーが喉から手が出る程欲しいみたいよ。だから働いてる人は寧ろその辺信用できるんだって」
「四天王やチャンピオンでもすっぽかしたり失踪するやつがいるのか」
「そういうことなのかもね。でもそうでなくても親戚がいる職場ってちょっと嫌じゃない?」
「それは確かにそうだな」
「フリードは親戚がいるってわかってたら企業に入ってた?」
「特別イヤとかはあまりないがどうしてもそこじゃないとダメなら飛び込むけど他に選択肢あるなら外すかもな」
「でしょ?」
「でも俺が研究漬けの間にアステルはアステルでキラフロル達とあちこち爪痕残してきたんだろ? リーグを選択肢から外したのはちょっともったいないとは正直思ったよ」
旅をして得た数々のリーグの金色のトロフィーは全て実家に送りつけてある。私一人が住んでる部屋に置くには邪魔になってしまうから。
私も今のフリードに負けず劣らず自由にやってきていたのだ。学校という箱庭を軸に好きなだけ自由にやってきたから、初めて目の前に現れた今の仕事をするかフリードと一緒に行くかの二手の分かれ道への選択の後悔と今の充実さの間で揺れていたけれど。今日会えてよかったと思えるくらい好きの気持ちは変わらないまま、後悔は落としどころに収まった。
「そう言ってくれるのはありがたいし現状満足だけど……でもひとつ今の生活で不満を言うとすればパルデアはカントーやホウエンみたいに気軽にその辺の人とバトルできないのがねえ」
「強者の悩みかよ。船乗ったら即解決するぞ」
フリードの言ってることは一理ある。
護衛を頼まれたくらいなんだからそれなりの強者なんだろう。しかし私は断ったから、今まで通りそのままリコちゃん達の露払いをしつつ旅を続けていく。
フリードが。
「……」
「アステル? もしかして乗る? 乗るのか?」
「乗らない」
「だよな」
ちょっとした考え事をしていたせいでつい毅然と即答してしまった。
「フリード、ちょっと私に喧嘩売ってみて」
「は? 喧嘩を売れ? 突飛すぎる。どういう注文だそれ」
意味がわからないと目を瞬かせるフリードに期待を込めて「それか目合わせて」と言うと、覚えのあるフレーズにようやく私の意図が伝わった。訝しんでいた目の力が抜けていく。
「普通に言えばよくないか?」
「だって目の前に丁度いい相手がいると思って。なんでもいいから誘われたかった」
「受け身ジャンキーかよ……誘い文句の治安がカントーの暴走族と一緒だぞ」
「したくないの?」
「勝負だろ? いいよ、やろう」
「はい買った。じゃあ私のために頑張ってね」
フリードの正面に出て腰にするりと手を回した。腰のベルト周りを両手でまさぐられて一瞬たじろぐのをよそに、「すぐ終わったら許さないから」と探し当てたリザードンのボールに手を掛ける。
出てきたリザードンがきょとんとした顔でこちらを見た。フリードと違って落ち着いた気性をしているが頼もしい力も持っている。さっきフリードがマードックに呼ばれた時にリザードンとは一瞬顔を合わせだけだった。
私の目線まで下がってきた頭を撫でながら「私のこと覚えてる?」と問うと、目を細めて尻尾の火が一瞬強まった。手のひらに額を押し付けるような仕草に懐かしさを覚えている後ろでフリードが手を筒にして岸壁に向かって声を上げた。
「キラフロル! こっち来いよ、もう仲直りしたから」