PF

元ジョーイが見た一等星

 いい匂いに釣られてしまった。
 ラッキーと船内にいるポケモン達の健診を終えた頃、いつもよりも早めにミーティングルームに入った。

 テーブルの上に並んだ料理の数々を見て、小さく「おお」と声が出る。最近はリコやロイが仲間に加わったから、歓迎の印として食事が豪華になる機会が多い。食卓となるミーティングルームのテーブルにはマードックの気合いを感じる料理の数々が並んでいた。

 フリードだけでなくこの船自体がアステルによって見えないところで世話になっていた事実が明かされて、マードックが感謝を表す手段は必然的にこうなる。

 アステル。フリードの元恋人で、前に船を資金面で助けてくれたがフリードが原因で別れたと聞いたけど。再会したものの自分をATMと自虐したりして、でもまだ船のことは気にかけてくれている。色々言っているけどフリードに対してもまだ気があるんだろうなとわかる。
 これだけでも相当面倒な性格をしてるとわかるけれど、テレビに映ったこの船の方角だけを頼りにカイリューに乗って自分から向かって突撃してくるところだけは、私と気が合いそうと思ってしまった。

「──ルッカ先生に連絡してんだけどどうも返事が返ってこないんだよな……」

 扉の向こうから声がする。心の中でとはいえ、噂をすれば部屋に入ってきたのはフリードだった。後ろにはアステルと途中で合流したであろうオリオもいる。
 
「課外授業中なら返事する暇もないんじゃない? もう少し待ったら?」
「だとしてもだ……悪い、やっぱり昼休憩を狙ってみるからみんな先に食べててくれ」

 そう言ってフリードだけ引き返すことになって、ミーティングルームには女三人が揃った。それぞれが顔を見合わせて笑う。
「……自分は肝心な話を後回しにするくせに、人からの連絡がないと不安で仕方がないのね」とアステル。

「同感」
「ほんとそれ。じゃあ椅子も並べたし食べますか!」

 オリオが不敵に笑い「アステルはここ」と自分の隣へと促し、その隣に私を指されてアステルを挟む形で昼食を取ることになった。オリオによるとマードックはイワンコ達にご飯を与えてから来ると言っていたらしい。必然的に女子会のようになる。
 三人揃って食べ始めると、さっそくアステルが一口食べてわかりやすく目を輝かせて噛み締めるものだから聞いてみたくなった。

「美味しいでしょ」
「美味しい! 人の手料理自体が久しぶりだから余計に美味しい!」

 美味しいというたった一言の重みがアステルの生活背景で一気に増した。なんか思いがけず私生活への解像度がいきなり高くなって戸惑ってる自分がいる。

「アステル、フリードとはどうだったの? あの後ずっと二人でいたんでしょ?」

 オリオが純粋に気になったんだろう。直球な質問にご飯に伸びていたアステルの手が止まる。どう転ぼうが本人達の自由だとは思うけど、私も気になってはいた。
 当の本人はいろんな感情で殴られてきたような顔を見せているが多分、直感でしかないけど、これは悪い方の顔ではない。言おうと思っている言葉を頑張って探してる。自分に喝を入れるように両頬を手のひらでパチンと軽く叩くと、まだ少し各所が緩んでいるがだいぶ元のキリッとした顔に戻った。

「よりは……もどった……」
「おお! やったじゃん」
「なんで小声」
「いやなんか急に恥ずかしくなって……」
「それはいいけど冷めるよ?」

 ハッとして食事に頭を切り替えたアステルの赤く色づいた耳を見て笑いながら私とオリオも食事を始めた。
 急に恥ずかしくなる理由もわかる。いきなり出資していたことが判明して、いきなり船にやってきて、いきなり復縁したと忙しい限りだ。正気でできることではない。ただ、今は別に浮かれていいと思う。

「恥ずかしがらなくてもよくない? 戻ったお祝いにささやかながらあたしの好きな生ハムあげる」

 オリオがサラダボウルを手に取った。「そういうことなら」と私も自分のフルーツの乗った皿を差し出す。

「じゃあ私はイチゴ」
「ならキッシュもう一切れもあげる」
「え? そんなにいいの?」
「いいよ。まだあるみたいだけど」
「まだって?」
「俺からはデザートひとつ追加だ」

 ポケモン達へのご飯も終えてタイミングよく現れたマードックも流れに乗って持ってきたケーキを差し出した。オリオも欲しがっていたけど、余りはこのひとつだけらしい。

「私がもらっていいの?」
「いいから遠慮するな」
「ありがとう」

「いただきます」と受け取った。結構な量になったが、特に気にせず自分のスペースに置いて食事を続けていた。がっついているわけではないけど見ていて充足感を感じる食べっぷりでなんとなく笑顔を誘う。

「いいなぁ、みんな毎日こんな美味しいの食べてるの羨ましい」
「アステルは結局船に乗らないのか?」
「うん。誘われはしたけど断ったの」
「誘われた?」
「リコちゃんの護衛を一緒にしてくれないかって」

 さっそく皿一枚を平らげて、次の皿へと手を伸ばした。大本命のものがあったらしく、微かに「美味しい」と声が聞こえた。マードックから「美味そうに食ってくれてありがとうな」と笑いながら礼を言われつつ料理に夢中になっているアステルの後ろで、扉が静かに開く。フリードが笑い声につられてそろりと姿を現した。口元には人差し指を立てている。

 盗み聞きとか狡いことをすると思ったが「頼む」とジェスチャーされてしまったからにはもう乗るしかない。話の流れを変えたくなかったし、今は乗らないだけでこの先どこかで乗るかもしれないなら、アステルを知るいい機会だった。

 それにこれだけ真後ろでフリードがわかりやすく動いてるのに料理に夢中で全く気づかないアステルも悪い──と、フリードなら言うだろう。

「さっきフリードからざっくり聞いたけど今リコちゃんが大変なんでしょ?」

 その本人は今まさに真後ろで会話の中へ入りたそうに頷いている。

「アステルってトレーナーだったんだ。護衛を頼まれるってことは結構強いの?」
「仕事としてバトルアイテムの試作テストも請け負ってるから、知識と力量は普通よりはあると思ってる」
「お、自信たっぷり」
「バトルアイテムの試作品テストってお天気お姉さんと並行してか?」
「そう。父の会社が作っててその関係で」
「えっ会社名気になる!」

 耳を差し出してきたオリオに応じてアステルが囁くと「超お嬢様じゃん!」と目をかっ開いた。

「あー、それであの額をポンと出せたわけか……なるほどね」
「モリー調べたのか?」
「流石に知ってるのがフリードだけなのはまずいでしょ……でもさっきの口振りからして今一人暮らしなんだよね? 家から出たの?」
「うん。父の会社は兄が継ぐし。そっちの方が私にとって都合がよくて」
「なんでまた」
「お見合い全部蹴ったから」

 淡々とパンを千切って食べながら答えたアステル以外の私を含めた全員の目が、彼女の後ろにいるフリードを見た。

 ゴーグルの位置を直しながら全力で首を振っている。フリード自身も全く知らなかったことらしい。よりが戻ったからよかったものの、知らないところで責任の単価が爆上がりしていた。戻ってなかったらこの船内が一気にお通夜になっていたところだった。

「両親から用意された人には悪いけど、元々そういう人は自分で見つけたいと思ってたから。別にこれはフリードが好きだからとかに限った話じゃないから、重く受け止めないでね」

 天気を読むことができれば空気を読むこともできるのかと感心してしまったが、ご満悦な顔で言うことじゃない。全員がほっと胸を撫で下ろすのを見て、アステルは続けた。

「両親の意向を蹴るなら自立しないとってなるでしょ? でも家から出たと言っても完全に縁を切ったとかじゃなくて、さっきの会社の試作品のテストとかには協力してるし、たまには顔も出してる。心配いらないからって」

 家によって用意された何かは、私にとっても思い当たるものがある。
 私は人じゃなくてポケモンセンターのジョーイという将来だったけれど。でも私はその道に疑問を抱くこともなくジョーイになったものの、ジョーイになってからポケモンセンターに留まって患者を待つばかりな現実を知ってしまった。

 目の届かない所で苦しむポケモンを思うといてもたってもいられない自分に自分の本心に従って、知識も経験も全部抱えてポケモンセンターから飛び出して足掻いた結果、親との関係がぎこちなくなってしまったが今はこの船に乗っている。
 理由はどうあれ、こうありたいと願って環境から抜け出す気持ちはとても共感ができたし、その上でちゃんと家に顔を出してるのはえらい。
 アステルの話は妙にリンクするものがある。食べる手を止めて、真面目に聞き入っていた。

「だからホウエンの天気研究所で下積みして、何回か落ちたけどなんとか必要な資格も取って、それでパルデアで天気の仕事をしてるの。本当はお天気キャスターじゃなくてもっと裏でやる仕事のはずだったんだけど、なんか白羽の矢が立って成り行きで今みたいな感じになった」
「ここ数日アステルをテレビで見たけど、確かに表に立ってて様になるもんね」
「ありがとうオリオ、そう見えるなら嬉しい」
「そんな大袈裟なこと言ってないよ」
「ううん、最初の頃は緊張で心臓が破裂するのが先か胃に大穴が空くのが先か体内で頂上決戦繰り広げてたから」
「思ってたより百倍ハードな仕事だった……?」
「おかげで人前に立つ時の心臓と胃は鋼タイプになれたと思う」
「タフすぎ!」
「だって映ってる自分案外良かったんだもん」

 オリオとのやりとりを見ていた私とマードックは目を見開いた。少し神経質そうな印象のあるアステルがこんな顔をするのかと、気持ちがいいくらいいたずらな笑顔を見せていた。褪せない眼の光がフリードを射止めたのも、お天気お姉さんとして白羽の矢が立ったのも「これか」と直感した。目で追ってしまうのも何となく同性でもわかる。

 カイリューに乗ってブレイブアサギ号にやってきた時よりも話し方がだいぶ砕けて程よく雑な笑い話ができるくらいにはなっていて、この場ではフリードしか知り得ないけど、多分本来はこうなのだろう。
 そろそろフリードの存在を教えようと横から割って入ろうとしたけれど、オリオの残念そうな声に遮られた。

「アステルいいと思ったんだけどなぁ〜残念だけど天職なら仕方ないか……」
「それもあるけど、フリードの船に乗るか乗らないかは正直あまり悩まなかったの。フリードのことを近くでサポートしたい気持ちも山々なんだけど、船員ってそれぞれがスペシャリストじゃない?」

 モリーは治療、オリオはメカニック、マードックは料理と続いて、ランドウはわからないけどと正直に告げる。

「私がその中で何ができるのかって考えたら、活躍する場所がそもそも違うって思って」
「えーそうかな? 護衛は?」
「その護衛には期限があるでしょ」
「たしかに……」
「親の意向を蹴ってまで自立する道を選んだのに、家から出た結果がフリードの所に転がり込んで寄っかかるだけっていうのはなんか違うじゃない? 仮にこの船に乗ったとして、自分がこうありたいって思う水準を下回る働きをすることの方が私にとって多分プレッシャーになると思うから。だから外からサポートする方が自分のためにもいいの」

 そういう考えの落とし所は嫌いじゃない。そうしたいと決まっているならそれでいいと思ったけど、「だけど」とアステルがつづけた。

「結果的にフリードのことを縛って振り回してることになるから、それが良いか悪いかはわからない」

 何も一緒に旅をする人だけが仲間というわけではない。前を向けるように、こうしてあげた方がいいんじゃないかと思うと自然と手が動いた。スマホロトムをポケットから取り出して画面をフリードに見せると小さく笑って頷いた。

「いいんじゃない? そのくらいフリードだって織り込み済みでより戻したんだろうし。ねえ、スマホロトム出して」
「え?」
「スマホ。持ってるでしょ」

 戸惑いつつも、促されるままにスマホロトムを差し出した。アプリを送信して、アステルのスマホの画面に新しいアイコンが反映されて、アステルが物珍しそうに画面のアイコンを覗き込んだ。

「それ、ライジングボルテッカーズの連絡用アプリ。うちのドットって船員が作ったのだから変なものではないよ。仲間の証のひとつ」
「──!」

 アステルの瞳に嬉しそうな光が差した。

「今後何かがあった時にフリードが言い忘れないためにも必要だと思う。あたし達だけじゃどうにもならない危機を救ってくれたし、外から見守ってくれてるんでしょ?」
「モリー、やさしいじゃん」

 オリオが言う。片手には同じくスマホロトムがあった。同じことをしようとしていたのだろう。

「支えてもらってる上に備蓄まで面倒かけてばっかで悪いと思ってたの。アプリ内で個別にグループを作れるし、通知がうるさければ切っていいから」

 船がなけりゃあたし達は飛べないし、船を直すお金がなけりゃ冒険はできない。お金も備蓄がなけりゃ野垂れ死ぬ。
 今もこうして空を飛べてるのは自分達だけでなんとかなってるだけじゃなくて、フリードが頼った時にアステルが助けてくれたからでもある。それに。

「待つのだって楽じゃないのはわかるから」

 私にはできなかったことをしようとしているのだから。

「本当はフリードからがよかったかもしれないけど」
「ううんそんなことない。ありがとうモリー!」

 そう言って、さっそくアプリを開いてみせた。一通りの認証を終えて、みんなのアイコンをまじまじと見ている。

「この紫のアイコンがドットって人?」
「そう。基本部屋から出ないし、アステルからしたらとんでもなくレアな存在かもね」
「いやいやそうとも限らないかもよ? なんやかんやでひっきりなしで修理してるし、無茶させることも多いからそのうち切羽詰まったフリードから電話がかかってきたりして」
「それ逆に大丈夫?」
「そういった船のトラブルはいつもオリオがなんとかしてくれてる」
「釣り船から飛行船にしたのなんて私以外にどうにかできるわけないって」
「え待って、この船って漁船だったの?」
「漁船じゃなくて釣り船。フリードからの無茶ぶりであたしが改造して飛行船にしたんだよ」

 信じられないものを目にしたようなアステルの反応は尤もだ。

「──フリードのことは愛してるけど、やっぱり発想がおかしいわ」

 実は真後ろで話をほぼ全部聞いていたフリードに気づかないまま惚気たアステルに「これもあげる」とフリードの皿から肉をひとつ摘んで寄越した。

 昔の船は星を頼りに冒険をしたらしい。
 別に離れててもお互いがお互いを見えているのなら、こんな意地の悪い盗み聞きや何がいいか悪いかなんてまどろっこしくする必要はない。
 アステルの驚く顔を想像して椅子を掴んで思い切り回してやった。


PREV  |  BACK |  NEXT
- ナノ -