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孤絶の屋敷





───青天白日。
まさにこの言葉がぴったりとはまる空模様。
しかしすっきりとした天気とは違い、サトシ達一行は今にも干からびそうな足取りで砂利道を一歩一歩踏みしめていた。この直射日光が当たるなかハンナの黒のライダースのようなジャケットはもうさすがに堪えられる暑さじゃない、今は脱いで半袖になっている。それでも流れるように伝う汗が、その時の暑さを物語っていた。
「うぅ…暑い…」
「確かに…」
「汗やばいって、塩分…だれか塩分を…」
「頑張ってハンナさん、デントに塩でももらったら?」
「あとちょっとしかないからダメなテイストかな」
「うん…そこはちゃんとストレートにあげないって言えばいいからねデント」

(なんだよダメなテイストって…)
輪郭に伝う汗を袖で拭いながら、暑さで働きの鈍る頭で遠回しの返答に少しイラッとさせているハンナ。
長いことシンオウという降雪地帯にいたせいか、体がそっちの寒さの方に慣れてしまい、ちょっとした暑さでもすぐにダウンしてしまう。さらにイッシュにくる前までジム巡りの旅を一時やめてナナカマド博士の元で地道な調査や学会など、研究に没頭していたこともあり、体力は著しく低下していた。

「ああ、雨でも降ってくれれば涼しくなって助かるんだけどな…」
サトシが何気なく呟いたその一言に、力なく同意するピカチュウ。

゛…ちょっとリザードン私を運んだりしてくれないかな゛
サトシの肩に乗るピカチュウを見てどうしようもないことに思考回路を巡らせていたら、アイリスの五感が何かを感じ取ったようだった。


「南風…しかも水の匂いがする
これは一雨くるわね」

「え〜…本当かよ?
こんなに晴れてるんだぜ」
見上げる空は相変わらず雲ひとつない青空、雨が降るなんてとてもじゃないけど思えない。
「とはいっても天気なんてコロコロ変わるからねえ…」

゛それにアイリスの五感はなかなかあてになるよ。

…六感よりはね゛

゛一言多いわよハンナさん!゛
癇癪を起こすアイリスを宥めるデントの横で遠くに流れる雲を仰ぎ見る。
「でも風の流れがそこまで早いわけじゃないし、そう早くは降らないと思うよー?
でも降るんなら早く降ってほしいな〜」
「ハンナさんまで…もし雨が降ってきたら逆立ちして歩いてやるよ
な、ピカチュウ」


「いいえ、来るものは来るのよ!」
そう言って指先をビシッと天に指し示したまさにその瞬間。
先程の蒼天とは打って変わり、ゴロゴロと耳に重く響く雷鳴とともにみるみるうちに青空は厚い雲に覆われていく。

仰ぐ空には横走りする稲妻に、地面を叩きつけるようなどしゃ降りの雨。
「ほーらね!」と、満足げに胸を張るアイリス。


「まじか…」
(いくらなんでも急すぎないか)

゛アイリスは気象予報士になれるんじゃないの?゛
悠長にそんなことを考えている間にも、走り出した自分達のこれから向かうであろう屋敷へと着実に近づいていく。








「…なにここ」
「何って…これから雨宿りする屋敷だけど」
途中からスピードダウンしたハンナをアイリスが引っ張り、やっとの思いで辿り着いた立派な屋敷の玄関口。たしかに雨宿りには打ってつけだが、一人だけ固まった表情のハンナ。
サトシはさっそくすみませんとドアを叩いている。

「待って、待ってみんな。
よく考えて。この手の洋館は大体何かしらあるって相場は決まってるんだよ」
思い出すはハクタイの森にある『森の洋館』。
シッポウ編でも書いたように、リーフィアの進化の岩の調査をしに行った時に味わった恐怖は今でも忘れてはいない。
そして今。崖っぷちに建つ明らかに周囲から浮く孤立した屋敷。雨宿りに打ってつけと言ったが、こんな雰囲気のあるシチュエーションが見事に備わった屋敷には心の底から入りたくない。脳内はすでにプレイバック森の洋館。自然と体が強張り、後ずさってしまう。
しかしいまだにアイリスに掴まれてる手がそれを許さなかった。
「テレビの見すぎよハンナさんたら…」
「そうそう、それにそんなホラーなことが現実にあるわけないじゃないか」

「デントまで…
──…〜っでも私ここで雨がやむの待つ!!」
「「「ハァ!?」」」

ハンナの発言に真っ先に食らいついたのは
「何馬鹿なこと言ってるのよ!ただでさえびしょ濡れなのにこんな場所にいたら風邪ひくわよ!」
「やめてやめて怖い!」

アイリスが今度は両手でハンナを引っ張って中に入れようとするも頑なに入ろうとしない。その目には涙が浮かんできている。
「───…ッ!!!」
「研究資料が湿気るわよ!!」
「う…そ、れはっ、〜っだけど怖いからやだ!!」
「何ワガママ言ってんのよ何かあったらデントが守ってくれるから大丈夫よ!ね、デント!!
…デント?」

さりげなくデントにチャンスを与えようとしたアイリスだが、デントの思考は違うものへ捕らわれていた。

(ハンナが…泣いてるっ)
雨に濡れて張り付いた髪、涙に潤んだ目、走って高揚したほのかに赤い顔
4人の中でも落ち着いているとはいえデントも15歳と思春期真っ只中、反応しないはずがなかった。
しかしそんなデントを無惨にも現実に引き戻したのはアイリスだった。

「とにかく絶っっ対入らない!!」


<ピシャッ>
「……………。」
首を全力で振って拒否するハンナの涙が、アイリスの頬に当たった。
無言でそれを袖で拭い、静かに一言。
「…弾けるマイナスイオン」
「なんだよそれ、どんな技だ?」
「主にデントに効果抜群よ…
わかったわ、そこまで怖がってるのに無理に入れるのもかわいそうだし。」
もはやサトシに突っ込むのでさえ疲れてきたアイリス。
「じゃあハンナさん、寒くなったらいつでも入ってこいよ!」
「うん、わかった」




──バタン、

閉ざされた扉を背に、ハンナが濡れていないスペースに腰を下ろした。
「…この怖がり、なんとかなんないかな」
元来私はシオンタウンやナツメさんと戦った時は全然怖がりではない、寧ろお化け屋敷なんかは率先して入るような子だった。
それほどまでに森の洋館でのできごとはハンナにとってのトラウマだったのだ。

「…──そうだ、資料大丈夫かな」
濡れて重量感が増したウエストバッグのフタを開けては中身を漁る。博士から頼まれた研究資料、個人的に調べてる物の資料とデータチップ──資料ごとにビニールの袋の中に入ってるから多分大丈夫だとは思うが一応の確認。シンオウから出るときにナナカマド博士から頼まれたヤグルマの森にあるリーフィアの進化の岩についてのデータ集め…行き帰りはネイティのテレポートがあるからいいとして、専用の器材がなければデータは収集できないからまだできない。これはイッシュに数ある研究施設から借りるしかないだろう。シキジカとメブキジカはヤグルマの森とホドモエシティという町の先に多く生息しているらしい…これも今はできない。

「まあすぐにって言われた訳じゃないからまだいい───…ッ!!?」









「だけどすごい雨だな…」
そんな一言でさえ反響する広い玄関ホール。しかしその反響した声は屋敷に叩きつける雨の音に掻き消されてしまう。
「ね?私の言った通りでしょ」
「さすが、野生の勘というべきフレーバー」
「俺の負けだ。な、ピカチュウ」

゛約束は守るぜ゛と、何をするかと思えば両手の平を床に付けて逆立ちをしだしたサトシの愚直さに、これにはさすがに苦笑いをせざるを得なかったアイリスとデントだった

──バァンッ…


「「「!?」」」
突然の耳を劈くような音がホール内に響く。
勢いよく開いた窓、同時に雨の音が一際大きくなり、ホールの床と絨毯を濡らしていく。

「風も出てきたみたいだね」
「案外ハンナさんのイタズラだったりして!」
「わざわざこんな手の込んだことするわけないでしょー?まったく考えが子ど「ッギャアアアアアアアアア!!!!!!」

「なんだ!?」
「ちょっ、と…ハンナさんどうしたの!?びっくりした…」
「なにかあったのか!?」
突然窓が開いた次は、耳にキーンとくるような馬鹿でかい悲鳴とともにホールへ背から転がり込んできたハンナだった。
かなり混乱した様子で背中に手を回しては何かを確かめるように擦っている。
「な、何かあったもなにもいきなり後ろからグイって引っ張られ<バタンッ!!>イ゛ッヤ゛アアアアアアアアアもうやだ絶対なにかあるでしょこの屋敷!!!」
「(こんな取り乱したハンナさん初めて見た…)」
「(次の町着いたら耳栓買お…)」


「んー、おかしいな…ちゃんと閉めたはずなんだけど」
先ほど閉めたドアを再び閉めるがまた勝手に開いてしまい、確認するが特に変わった点は見られない。
「どうなってるんだ…?」
「なんか…この屋敷変な感じがする」

「変な感じ?」サトシが問えば、だだっ広いホールに視線を巡らせ「誰かに見られてるような…」と、不安げな様子でアイリスが口から漏らした。


「見られてる…?」
゛ちょっと勘弁してよ…゛とハンナも同様に辺りを見回すが、この時ハンナ達を見ては悪巧みを企てているヒトモシの軍団とはまた別に、窓から覗く双眸にまだ気づいてなかった。



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