一日中営業を謳っているレストランは、何時でも煌々と輝いている。
慶次は大きなガラスのある窓際の席で突っ伏しているオレンジ頭を見つけた。テーブルの上には開いたままになっている携帯電話が置かれている。ため息を飲み込んで、慶次は足を進めた。

「ねぇ佐助、失恋したら俺に電話かけるの止めない?」

そう声をかけ、向かいの席に腰かける。ソファー型の席は少し硬くて、慶次はもう一度深く座り直した。
向かいの派手な色をした頭は挨拶も何もない慶次の言葉を気にした風でもなく、むしろ待ってましたとばかりにそのオレンジ頭を勢い良く上げた。

「聞いてよぉ、慶ちゃ〜んっ!」

溢れ返る涙を拭おうともせず、悲しみに打ちひしがれた表情で、正面に座る慶次へと腕を伸ばす。
上半身をテーブルにくっつけ顔だけ上げた状態で、力無く腕を自分の方へ伸ばしてくる佐助を見て、慶次は軟体動物を思い出した。力無い腕が、海にゆらゆらと揺れている蛸の足のようだ。
この蛸を見るのも何回目だろうかと考え、二桁に入った所で数えるのを諦めた。最後まで数えたら、自分まで蛸になる気がしたからだ。

「・・・せめて夜中は止めないかい?今、夜の二時だぜ?」

蛸を見るという事は、佐助が失恋したという事だ。数えて気分の良くなる話しではない。
そして同時に、慶次が佐助に呼び出された回数でもある。
毎度の事ながら、佐助はまるでこの世の終わりのように歎き悲しむ。
慶次だって、失恋したら悲しいのはよく分かっている。人一倍、恋や愛の大切さ、素晴らしさも分かっているつもりだ。だから、佐助を慰めて元気付けたいと心から思っている。わざわざこんな夜中でも来ているのは、そういう感情もあるからだ。
だが、いかんせん数が多過ぎるのだ。

「だって・・・、慶ちゃんしかいなくてさっ!それに、・・・っ夜中でもちゃんと、来てくれるしぃ。慰めて、ひっ・・・くれたって、いいんじゃない?」

ぐずぐずと、涙も鼻水も拭かずに佐助が嗚咽の混じった声で言う。夜中でも、慶次なら来てくれるという言葉に、慶次は頼られている嬉しさと何とも言えない虚しさを抱いた。
寝ている時に呼び起こされて、急いで出掛ける支度をし、次の日の朝にまつに怒られる。最初の頃ならまだしも、こうも多いと文句だって言いたくはなるだろう。
それでも突き放せない自分は本当に甘いと笑うしかなかった。

「うん、うん。聞くから、まず顔を拭きなよ」

結局、何時も通り慰めるのだ。
涙やら何やらでグシャグシャになった顔を、遠慮なくおしぼりで拭う。佐助はただ大人しく、ゆらゆらと蛸の足を揺らしながら、されるがままになっていた。
顔がすっきりしたら頭まですっきりしたのか、佐助は上半身を起こしテーブルに肘を付いた。
落ち着いたと察した慶次は、メニューを手に何か食べるかと問い掛ける。佐助は鼻を啜りながら、プリンと答えた。
自分が食べたいチョコレートパフェを一緒に頼む。慶次が注文を頼んでいる間、佐助は店員に顔を見られたくないのか、ずっとガラス越しに暗い世界へと目を向けていた。

「で、今度はどんな感じだい?」

注文をし終わって、水に口を付けながら慶次はあっさりと切り出した。こういう話題は軽く聞くのが、自分にも相手にもいいはずだ。
佐助は暗い世界から慶次へと視線を移し、また今にでも崩壊しそうな、でも怒っているような絶妙な顔でテーブルを叩いた。

「俺様浮気されてたぁ!」

そのまま続けざまにテーブルが叩かれる。その肉を打つ音が客がいない店内によく響き、店内にいる数少ない客に注目されるのではないかと気恥ずかしさを感じた。だが、ここで注意しても話が脱線するのは明らかで、慶次は何でもないように装って佐助に相槌を打った。
浮気か、と思う。そういえば、佐助は以前も浮気をされていなかっただろうかと、ふと考えて思い至った。
確かあれは軽薄そうな大学生だった。佐助をナンパし、そのまま付き合い、他に女が出来たと佐助を切り捨てた。
一つ思い出すと、ひっくり返したように、その前にも何度か同じ事があったな、と思い出した。
しかし、佐助は浮気されたのは初めてというように、その度に憤慨し、悲しんでいた。
今回もそうだ。浮気されてたと知り、憤り悲しみ暮れる。
だが、今回は少し浮気のレベルが上がっていた。

「しかも二股じゃなくて四股だよ!?信じられるかぁ!?二股ならまだ許せたのに!」

そう口にする佐助は、余程その元恋人が許せないのか、眉間を寄せ拳を握りしめている。
慶次は四股という事実にも驚いたが、許せたという佐助の言葉にも驚いた。度重なる浮気で、浮気への免疫力が上がったとしか思えない。
大体、四人もの恋人相手に上手く立ち回っていた元恋人も、すごいと言えばすごい。慶次には許せない物があるが、もはやそこまでいけば怒りを通り越して拍手をしてしまいそうだ。是非、どうやって四人もの恋人と一人づつ会う時間を捻出したのか教えて欲しい。

「俺が一番好きだよ、なんて言ってたのにさ、他の三人にも同じ事言ってたんだよ!?しかも別れる時なんて言われたと思う!?」

「・・・何て言われたの?」

「『お前使いやすいし、顔はよかったけど、やっぱり違うんだよね』って。使いやすいって何!違うって何だよ!!」

そして、本当の拍手物は、佐助の恋人運の無さだろう。
慶次が知っているだけでも、この世の付き合ってはいけない恋人を全て集めたのではないかというほど、佐助の恋人歴は酷かった。
今回のように浮気され、『お前が浮気で、あっちが本気』と開き直られたり、異常な性癖を持っていたり。他にもヒモみたいな男や妻子持ちなのに隠していた男、佐助を飼いたいと言い出す女や愛情もなく、ただ自慢したいが為に付き合っていた女など、挙げると切りがないほど種類が豊富だ。豊富過ぎて、わざと佐助がそういう種類の人間を選んでいるのでは、と疑いたくなるが、失恋する度悲しむ佐助は、本気で好きになっただけなのだと知っている。だから、余計に辛いのだ。

「何でそんな変な男に引っ掛かるかねぇ、近くにこんないい男がいるってのに・・・」

誰に言うわけでもなく、慶次は小さく言った。
その呟くように零した言葉が意外だったのか、佐助は虚を衝かれたのか、赤くなった瞼を二、三度瞬いて吹き出した。

「え〜?慶ちゃんがぁ?あははっ、有り得ない!」

「そこまで否定しなくてもいいだろ・・・」

さっきまでの怒りや悲しみはどこに行ったのか、思い切り笑っている佐助の様子に、慶次は複雑な気持ちになった。笑いながら否定されるというのは、どう受けとったらいいのだろう。
そんな慶次に気付かず、佐助はまだ面白そうに笑っている。

「だって自分でいい男なんて言っちゃってさ、しかも慶ちゃんが!」

「ひでぇよ!」

佐助の中での自分のイメージが知りたいと、慶次は切実に思った。自分が言わなかったら、違う相手、例えば何かと英語を用いる隻眼が言ったら笑わないのか。それは理不尽だ。
まだ笑っている佐助を見ると、泣き腫れた目に涙が溜まっていた。それはきっと悲しみからではなく、今笑っている事から生じた物だろう。
その目を見ながら、慶次は普段滅多に見せない、切なげな、切羽詰まったような顔をした。こんなに笑っているのに、佐助はまた恋をして、また傷付く。

「・・・俺だったら佐助を泣かせたりしないのに」

「・・・・・・慶ちゃん?」

滅多に見ない表情と、今慶次から発せられた言葉に、佐助は訝しげに慶次の名前を呼んだ。
何で佐助ばっかり傷付いてしまうのだろう。そして、自分は何で慰める事しか出来ないのだろうか。こんなに笑顔が綺麗なのに。

「泣いてさ、傷付いてる佐助なんて、もう見たくないんだ」

失恋したと呼び出されるのと比例するように、慶次の中にその想いが強くなっていった。
夜中に呼び出されても来る主な理由もそれだ。頼られている事も嬉しかったし、元気になってほしいという気持ちは本心だった。
だが、一番は佐助と一緒にいられる事だった。
例え、それが失恋話でも何でも良かったのだ。相談に乗って、笑顔が見れれば良かった。
失恋を振り切った佐助が新しい恋を見つけた時は、慶次も一緒に喜んだし、嬉しそうに笑う佐助の笑顔が好きだった。
だが、恋が破れた時の佐助は、見ているのが辛かった。自分のどこが悪いのかと考え、自分の幸せとは何なのだろうと思い詰まる姿は痛々しい。
自分なら絶対にあんな思いをさせないのに。慶次はそう思っていた。

「だから付き合おう、佐助」

慶次は佐助を真っ直ぐ見て言った。何気ないように装っているが、口の中はカラカラで息がしづらい。
佐助は信じられない物を見たかのように、目を見開いて慶次を見ている。
真っ直ぐな眼差しと見開いた眼差しがぶつかる。沈黙が流れた。
その沈黙を破ったのは佐助だった。
慶次が固唾を飲み込んだ時に、ちょうど同じタイミングで先程よりも大きく吹き出した。

「ちょ、笑い事じゃなくて!」

まさかそんな反応が返ってこようとは思っていなかった慶次は、驚きと焦りで声を上げた。
もしかしたら、本気ではないと思われているのでは、と背筋が寒くなる。ただの慰めの一種だと思われているのではないだろうか。

「あはははっ!もう有り得ない!」

そうだったら、佐助がそう言うのも分かる。
だが、本気だと分かっていて笑っているとしたら、自分はどうしたらいいのだろう。笑い飛ばしたいほど、自分は恋愛対象ではなく友人でしかないのか。
やはり自分だから笑われてしまうのかと、慶次は俺って何なんだと寂しくなった。隻眼の彼が羨ましい。
顔を伏せ、肩を揺らす佐助は、まだ笑っている。時折苦しげに息を詰まらせている。
だが、どこか変だった。あんなに大声だった笑い声はなくなり、嗚咽のような息遣いに変わっている。
よくよく見れば、水が滴っていた。

「って佐助!?え、何で泣いてんの!?」

今度こそ、背中に冷や汗が流れた。
笑ったと思ったら、次は泣いている。もう慶次の頭は次々に変わる佐助の反応についていけなかった。
こういう時に限って店員が料理を届けに来るのは、謀ってやっているのではないかとさえ考えてしまう。料理を置く際に佐助が泣いているのが分かり、驚愕の表情を浮かべた彼女は、立ち去る時、地球温暖化も環境破壊も佐助が泣いているのも全て慶次のせいだというかのように、熱烈な鋭い眼差しを慶次に送り付けた。
佐助が泣いているのは確かに自分のせいだが、告白して泣かれ、可愛い店員には呵責の眼差しを送られ、慶次は泣きたい気分になった。

「ずるいっしょ、今、そういう事言うなんてさぁ」

「・・・うん、ごめん」

佐助は落ち着いてきたのか、肩で大きく息をしている。
素直に謝ると、垂れた髪の毛の間から半ば睨むような目で見られた。

「何でそこで謝んの」

「・・・だって、確かにずるいかもしれないと思ったから」

失恋して傷心している佐助に告白するのは、ずるい事かもしれない。心の隙間に付け込んだようなものだ。
そう伝えれば、佐助は伏せていた顔を上げた。その顔はまだ涙が溢れいたが、怒っているように見える。

「ほんともう馬鹿でしょ、アンタ」

「・・・うん。馬鹿でもずるくても、やっぱり佐助には泣いてほしくないんだよ」

自分でも馬鹿でずるくて度胸がない事ぐらい自覚している。それでも、伝えたかったのだ。
もう泣かせたくなかった。傷付いていく佐助なんて見たくなかった。

「だからさ、俺と付き合って下さい」

もう一度真剣に言う。キャラじゃなくても、これだけは言わなくてはいけない事だ。
慰める事しか出来なかった自分が歯痒くて、友人としてしか呼び出されない自分がもどかしかった。
自分なら、絶対に佐助を幸せにする。この場でそう誓えるほど、慶次は佐助が好きだ。
真っ直ぐ射竦められた佐助は、眩しそうに目を細めた。たまらず涙が頬を伝う。

「いい男過ぎるよ」

泣き腫らした目は柔らかく、涙は止まらない。それでも慶次の心は温かくなった。
佐助はこの顔が一番似合うと、改めて思う。
慶次は自分の顔が熱く、勝手に綻んでいくのを感じながら、プリンを佐助の方に押しやった。






失恋レストラン



俺が笑顔にするよ。



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