ふと凶王は、どうして自分が此処にいるのだろうと思いました。
辺りは黒色の世界が広がっています。
凶王は、ああ、まるで己の憎悪の色のようだとぼんやりと考え、疑問に思いました。

憎悪?

自分は誰を憎んでいた?誰を殺したいと思っていたのだろう。
そう考えた時です。

「・・・いいの・・・思い出さなくてもいいのよ・・・」

甘く妖艶な声が響いて来ました。

何時から居たのか、凶王の前には、儚く、しかし人を取り込んでしまう黒を纏った美しい女の姿がありました。
それを見て、凶王は首を傾げます。何処かで見たことがある気がしたからです。
誰だったかと頭を動かし、漸くその微笑んでいるそれの名前を思い出しました。

それは第六天魔王の血の繋がった妹。
第五天魔王、お市の方。

凶王が思い出したのが分かったのか、やみは愛おしそうに目を細めました。

「・・・そう。貴方は、思い出したいのね・・・」

愛おしそうに、慈しむように、だけど何処か悲しそうな表情でやみが言いました。
しかし、凶王は言われた意味が解りません。

「何故貴様が此処に居る」

そう問い掛けると、やみは歪で純粋な笑みを浮かべました。

「市は、闇と一緒だから・・・」

黒い世界が揺れます。

「貴方が望んだ場所と鏡に映したよく似た場所・・・。貴方が望んだから・・・市は此処に居るの・・・」

望んだ場所?凶王は考えました。
そうだ。自分は秀吉様に赦しを請いに来たのだ。
そう思い至った時、其処でまた思考が止まりました。
何の赦しを請いに来たのか、凶王は分からなかったのです。
頑張って思い出そうとしても思い出せません。自分の中で、ぽっかりと穴が空いているようでした。

「・・・辛いのね・・・思い出すことも・・・思い出せないことも・・・」

その声は、黒い世界によく響きました。
凶王は困惑します。
思い出す?思い出せない?凶王には何のことを言っているのかさっぱり解りません。

だって、凶王は崇拝する秀吉様も、恩師である半兵衛様も、友達の形部も、真田も長曽我部も孫市も島津も黒田も全て覚えているからです。
なら、この胸のぽっかりと空いた穴は何だろう。そう凶王は思いました。
穴なんか空いている道理もなく、思い出せないことなんてない筈です。
なのにどうして、何かが足りないと思うのだろう。凶王は、不思議で不思議で堪りませんでした。
その疑問に答えたのはやみでした。

「鏡像を見ていれば幸せなのに・・・貴方はそれが許せない。自分の拳が赤く染まろうと、鏡を割って真実を求めるのね・・・。・・・繊細で脆い・・・誇り高い獣のよう・・・」

やはり意味は解りませんでしたが、凶王の胸に何かが引っ掛かりました。
それは拳と言われた時です。
やみを見れば、優しい目をしていました。まるで母親が子を愛するような眼差しでした。
凶王は、その眼差しによく似た物を、かつて見たことがあるのを思い出しました。

それは何処かの戦場。硝煙と血と鉄の交じった匂いの中でした。
何時だったか。自分は誰かと向かい合っていたような気がします。
懐かしいような、しかし覚えていない光景。
凶王は考えました。

拳。
憎悪。
赦し。

唐突に、凶王の頭の中で知らない声が響きました。


―――そんな言い方をしていると敵を作るだけだぞ


それは懐かしい声でした。
しかし、凶王の崇拝する秀吉も、恩師である半兵衛も、友達の形部も、真田も長曽我部も孫市も島津も黒田もそんな声ではありません。
すると、また声が響きました。


―――お前はお前の為に生きろ


その声はとても優しく、暖かい物でした。
そして、凶王はこの声の主は自分を知っているのに、自分はこの声の主を知らないことがもどかしく思いました。
やみは唄うように言います。

「裏と表・・・黒と白・・・、・・・絶望と希望・・・・・・闇と光・・・。・・・それが貴方たち・・・。一つなのに反対なの・・・。・・・だから、惹かれて憎む・・・」

絶望と希望。
闇と光。
夜と昼。
月と太陽。


―――君たちは月と太陽みたいだね


凶王の中で、恩師である半兵衛の声が湧き出ました。
そして、そのことを硝煙と血と鉄の匂いがする場所で誰かに伝えたことも。


―――ワシが太陽か!ならばワシはお前を守ろう


凶王にはその誰かが分かりません。しかし、その声は先程響いた物と同じ物でした。
声は響きます。


―――何故私が貴様に守られねばいけない

―――ワシがお前を守りたいからだ

―――貴様私を愚弄するのか!


凶王は、自分が誰と話していたのか思い出せません。ただ、凶王は懐かしいな、と思いました。
しかし、やはりどうして懐かしいと思うのかさえ凶王は分かりません。


―――そうだ!ならばお前もワシを守ってくれ!

―――何故私が!

―――戦場で背中を預けられる奴が居ると頼もしいだろ。それに、三成、ワシはお前と共に戦いたい

―――・・・フン。せいぜい足手まといになるなよ、家康


家康。
いえやす。

「ああぁぁあああああぁあ!!」

その瞬間、凶王は全てを思い出しました。思い出してしまいました。
凶王の胸のぽっかりと空いた穴は、家康の記憶だったのです。
家康との想い出だったのです。

叫びながら、凶王はやみの言葉を思い出しました。


―――鏡像を見ていれば幸せなのに


鏡像を見ていれば良かった。
真実なんて求めなければ良かったのに。


だって、私が家康を殺した。

秀吉様がいなくなった。半兵衛様もいなくなった。自分の絆は全て壊された。

だから、家康を憎んだ。
かつての友を憎むことで、私は生きる目的を手に入れた。


凶王は血の涙を流しながら慟哭しました。それは、黒い世界が震える程哀しみに満ちていました。皮肉にも、哀しみに満ちたそれは、とても美しい物でした。

繊細で脆かった誇り高い獣は泣きました。
自分の罪を、胸の空虚を、耐え難い世界をどうすることも出来ずに泣きました。
ただただ、崇拝する主に赦しを請う許可を求めました。
とうとう泣き疲れて声が出なくなった時、ずっと見ていたやみが口を開きました。

「これも・・・市の罪なのね・・・」

その悲しい声は、凶王には届きませんでした。凶王はただ、ぼんやりと崇拝する主の名前を呼ぶだけです。

「大丈夫・・・」

やみは凶王を抱きしめました。

「市が守ってあげる・・・・・・貴方は市だから・・・」

やみが囁きます。

「もう大丈夫・・・辛くない・・・・・・。大丈夫よ・・・」

凶王の周りの黒が濃くなります。
やみは優しく、愛おしそうに凶王の髪を梳きました。

「・・・一緒にいきましょう・・・・・・?」

やみが凶王をギュッと抱きしめました。
凶王はやみに抱きしめられながら、また一つ涙を流しました。

「・・・いえ、や・・・す」

やみが微笑みました。

「おやすみなさい・・・」

それを最後に、凶王は黒に呑まれました。






闇と王さま



欠陥品と欠落品。



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